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PCが起動しません  [2006年09月15日(金) ]
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自宅のPCが起動しなくなりました。
大学生3人と私で2年間フル活用
休む暇がなかったのでストライキを起こされてしまいました。

電源は入るのですが、何も作動しません。
モニターには 入力信号が発信されてません と出てきてしまいます。

しばらくマンション対策委員会に没頭します。
今週は毎日会議や勉強会でした。

皆様 お元気でおすごしください。

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マンションの総会  [2006年08月29日(火) ]
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普段は年1回のマンションの総会を今年度は毎月のようにやっている。輪番の理事のお役目が無事終了間際 私はとんでもない地雷を踏んでしまいました。

ある日突然、土地の測量会社が、
     「お宅のマンションと、隣接している○○社との境界線の確認印を頂きたい」とやってきました。
     「代表して理事長さんに 印鑑を押して頂ければよいだけなんです」

5人しかいない理事の私達は 何の事かよくわからない説明に黙って聞いているだけ。
わけのかからない事に印鑑を押すのが怖くなった私は思わず尋ねました。
     
     「どうしてこの書類が必要なんですか?」
待ってましたとばかりに取り出されたのは つい最近その会社が測量した地境の測量図と、40年も昔の我がマンションが立つ前の測量図 

     「ほぼ間違いがない事を確認させて頂きたいので」
15分ほどの説明のあいだに何度その言葉を繰り返したでしょうか?
隣は営業しているのかしら?と思うような静かな町工場です。
空き地の真ん中に2階立ての古い建物があるだけ。

何かある と私の中のアンテナが ピピッ ピピッ ピピピピピピ〜 と鳴り出してしまいました。

     「地境は法務局に行けば済む事なのに、わざわざ確認書が必要という事は
      認めてしまえばこちらに不利益な事があるからですよね」
     「何か建築計画でもあるから必要な書類じゃないんですか?」

どうしても訳を話さないで印鑑をもらおうとする実直な中年紳士に
     「あなたの立場はわかるけれど、こういうやり方はあとで話がこじれるだけなんですよ。
     地主さんにおいで頂いて、最初からお話を伺ったほうがお互いのためでしょう」
と、よせばいいのに言ってしまった。

数週間後ポストに △△社という聞き覚えのない社名で隣の敷地の高層マンション建築計画書 なるものが入っていました。
     
     「shieさんの言うとおりだった」 「shieさんが気がついたから」

他の理事に宣伝されて 私は任期満了なのに対策委員会なるものに引っ張り出されてしまった。
反対なんかしてもきっとどうにかなるものでもないだろう 隣のマンション建築。

あ〜あ又やっちゃった。 いつになったら大人になるんだろう この私。

巻き込まれたくない人は黙って聞いているだけで、無事任期満了。
 私はこの先迷い込む幾多の苦情を引き受ける事になってしまった。

今もPCのネットは 回線が不安定 でなかなか繋がらない

総会の度に 
     「残業できません、早退させてください」
なんてできませぇん。

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ゴッホ  亀戸梅屋敷  [2006年08月11日(金) ]
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左:広重『亀戸梅屋敷』
画面を大きく横切る梅の木。かしこまらない自由で大胆な構図が斬新です。
物の一部を大きく前面に描く江戸百景独特の図法とぼかしを駆使して広重ここ一番の勝負。

主題を切り取る構図と色使いにゴッホは魅せられました。
全体が見えないので想像してみたくなり、どこまでも梅林が続いていくようです。
花を楽しんでいる人は奥のほうにばかりで、
梅の木の「私も見て」とうったえている声が聞こえてくるよう。
冬空の透明感が伝わってきます。
春が待ち遠しいピンと貼った寒さが地面に、空に滲んでいます。

右:ゴッホ『花ざかりの梅』
暖かくて明るい色彩。
日本を光の国と信じたゴッホの思いが描かれています。
梅が2月に咲くのを知っていたようで、
寒いオランダ生まれの画家にはそれだけで衝撃でした。
立体的で太陽の光に誘われたような躍動感のある梅の木は
色彩の爆発と呼ばれた『ひまわり』が生まれるきっかけにも。
浮世絵のぼかしを見て
ゴッホは絵の具を何層も重ねて色をつくっていくようになりました。
新吉原の大黒屋錦木という花魁の名前が書かれている。
絵と文字の共同というのは西洋の人にとっては大変珍しかったらしい。

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生涯でたった1枚売れた絵『赤いぶどう畑』です。
パンがいくつか買えた程度の金額だったとか。
「ブドウ畑の素晴らしい赤土の広がり。
雪のような明るい空にそびえる白い峰の雪景は、
まるで日本人の描いた冬景色そっくりだ」
ゴッホの手紙より  大きくしてみて下さい
亀戸梅屋敷
江戸後期は大名の庭園から庶民の鉢植えまで、熱狂的なガーデニング・ブーム。
園芸植物を栽培する「植木屋」が誕生し、開放庭園を整備--隅田川東側の緑園地帯-亀戸梅屋敷向島百花園堀切菖蒲園本所四ツ目芍薬(しゃくやく)園などに人々は鑑賞用の植物を求めて競って繰り出しました。
名園には江戸文化を担う文人墨客が集い、当時の「風雅、風韻を慈しむ」最先端文化の発信源となりました。

百花の魁--梅の花。
花といえば古代は桜ではなく梅でした。
寒中他の花に先がけてほころぶその清純な香りと姿を日本人は愛し尊んできたのです。

亀戸梅屋敷は呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘に将軍吉宗が愛樹を預け植えたのが発端。
まるで龍が地を這うように枝が地中に入り込んで咲くその梅は「臥龍梅」と命名されました。
花の色「少し薄紅」「重弁潔白」その香りは深く、至って尋常ではない--この梅が一躍有名になったので、広さ二町四方の敷地に立錐の余地なく梅を植え「白雲の竜をつつむや梅の花」と歌われたそうです。

梅屋敷の梅の実でつくった梅干は土産として飛ぶように売れたのだとか。
残念ながらこの梅屋敷は明治43年(1910)の大洪水で梅の木が全滅し廃園となりました。

屋敷内のお社を近くの亀戸天神に移し、池の周りを寄贈された梅で囲いました。
モネがジャポニズムの虜となり、自宅に亀戸天神そっくりに造ったハスの池と太鼓橋はいまでもフランスの観光名所。

土壌が回復されるまで50年、
寄贈されては枯れ、寄贈されては枯れを繰り返し、やっと根付いてくれました。
梅が御紋の天神様、毎年園児がもいだ梅でつくった梅酒がお神酒となります。
祖父が丹精こめた梅が天神様の池を見守って、お神酒となっています。
我が家の受験祈願は湯島でなくここの天神様へ。

近隣の香取神社でも香梅園が再興され、香梅園→北十間川→梅屋敷跡→亀戸天神と広重生誕二百周年(平成8年)に植樹した「梅の道」が復活しています。



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のりさんの朝顔  [2006年08月08日(火) ]
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のりさんに朝顔の種を頂きました

立秋 もう秋?

待って待って
やっと咲いたんです、のりさんの朝顔。

夏を追い越さないでぇ。

今年の長雨、東京はお日様に餓えてます。

元気なのはあじさいだけ。 

お日様が11時までしか当らない我が家で
草花育てた事のない私がやっと咲かせたお花です。
もう少しだけ 朝顔に夏を味あわせて

Sunshine,come back!!

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8/11青紫のお花が咲きました。りっぱな大輪です。

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隅田川の花火  [2006年07月28日(金) ]
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ゴッホはちょっとお休み。
明日は夏の風物詩 隅田川の花火(両国の川開き)です。

長雨、次々おこる痛ましい事件、事故---このさえないご時勢をド〜ンと吹き飛ばして夜空にパッと一花咲かせてもらいましょう。

当世一と言われる日本の花火2万発が下町の夜空を彩ります……たまやぁ!かぎやぁ!

昔ながらの菊や牡丹、最近の花形スターマイン(速射連発花火)、新作花火、と明日を皮切りに江戸川、東京湾、---エッ?神宮でもやるし、ディズニーランドは毎日って---なんてイベント好きなの---それって今に始まったことじゃありませんよ。

なにしろ大川に架かる橋は、深川八幡の水掛祭りで、両国の花火でその昔に見物人の重さに耐え切れなくて落ちてるんですから。

そんな事でおじけづいちゃぁいけねえよ、こちとら江戸っ子でぇ、物見遊山がたしなみサ

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1733(享保18)年、8代将軍吉宗は前年の大飢饉とコレラの大流行による死者の霊をなだめ、悪霊退散祈願のため水神祭「施餓鬼」を催し大川端で花火を打揚げました。
これが世に言う両国の花火の始まりです。

両国界隈は江戸一番の行楽地、夕涼み(5/28〜8/28)のみの出店の営業開始--川開きともなると屋台が立ち並び、勧進相撲、施餓鬼、両国花火、軽業、講釈、浄瑠璃、寄席、七夕、浅草観音の四万六千日、高輪の二十六夜待ち、新吉原の玉菊灯、八朔…その賑やかな事、賑やかな事。

そんな「川開き」の日は、舟は全部予約済み、江戸中の舟が隅田川に集まり、あまりの混雑に船づたいに向こう岸まで川を歩いていけるといわれたそうです。
『一両の花火まもなきひかりかな』
大店の御大尽たちが大金かけて花火を打ち上げるなんざぁその豪遊ぶり粋だねぇ。

ところが、この頃の花火には色がついていません。花火に色がついたのは 明治22年2月11日大日本帝国憲法発布の夜、皇居二重橋で打ち上げらたテクニカラーの花火が最初です。
お役所も粋なことするねぇ。

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「両岸の提灯は何万という数が知れず、両国橋大橋は勿論西側は爪も立たないくらい。見物にて押倒されるものあり、転ぶものあり、家々には人が充し・・・・。」

この当時の花火人気は今以上で、開通したばかりの鉄道が横浜〜新橋間に臨時列車を出し、外国人を花火大会に運ぶほどだったとか。

明日の花火はどうなることやら、雲行きが気にかかりますが
STAGEの友の息災に願掛けて
たまやぁ!かぎやぁ!

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ゴッホと浮世絵  大橋あたけの夕立  [2006年07月24日(月) ]
1886年ゴッホはジャポニズムに沸いたパリに渡り、浮世絵に魅せられていきます。思いがけない構図、主題の切断など西欧絵画にはない斬新さが後に印象派と呼ばれる画家たちの心を捕らえたのです。
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オランダ時代の絵「ジャガイモを食べる人々(1885年)「僕はこうしてランプの下で人々が皿の中のジャガイモを食べているその手がまた、土を耕した手であることを、つまり、僕の絵が、手仕事と農民が懸命に得た食糧を讃えるものであることを、心を込めて表現したかったのだ」。皆さんがご存知のゴッホの絵と比べてみて下さい。パリでのゴッホの感動と希望の光を感じていただけるでしょうか?

パリ時代のゴッホはひたすら学び、革新し、そして実験し尽くしました。
パリの2年間で油絵200点、デッサンと水彩を100枚以上、200通以上の手紙を残します。
独特の画面構成、力強い色彩、くっきりとした輪郭線からは浮世絵の影響がはっきりと見て取れます。---ゴッホ美術館の解説より

それまでの西欧では絵画の中に一つの世界、物語を作り出していく---決して主題を切断してしまうなんてことはしなかったそうです。
広重の「大橋あたけの夕立」では、激しい夕立がサァーッと降ってきた一瞬が切り取られています。にわか雨に家路を急ぐ人々の躍動感あふれる姿が印象的です。

「日本人が、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経がわれわれよりも繊細で、感情が素朴であるからだ」
「僕は日本人が何をやっても極めて正確に行うのを凄まじく思う。それは決して退屈な感じを与えず、決して大急ぎでやったようにも見えない。彼らは息をするのと同じくらい簡単で、狂いのない二、三本の線で同じように楽々と人物を描いてしまう。まるでチョッキのボタンをはずすかのようだ。」

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左の絵:歌川広重 「大橋あたけの夕立」 江戸百景より                         「大橋」とは大川(隅田川)にかかる新大橋のことで、日本橋浜町から「あたけ」深川森下を見た景色です。森下は主人の生まれ育った町、木々の茂みを1里も奥に進めば我が家でございます。

右の絵:ゴッホの模写                                        油絵でこの線をひくのは大変だったでしょうね。一本一本油絵で雨の線をひいてあり、広重に対する愛情や尊敬の念を感じました。
フランスは雨自体が少なく、夕立も涼しいという言葉も存在しないそうです。
日本では雨上がりには、すべてが色鮮やかになります。濡れて、綺麗になって万物が蘇ります。ヨーロッパの石造りの家や石畳の街では、これほどのよみがえりの感覚は感じられません。ヨーロッパのおしめりは秋や冬の霧で、寒さや孤独と結びついていくのです。
ものの輪郭や色彩が際だってくるさまを「けざやか」と源氏物語にも表現され、けざやかは「さやか」につながっています。
自然との距離のとりかた、雨への親近感が日本人とは違うゴッホが表現した雨をお楽しみ下さい。

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ゴッホと浮世絵 花魁  [2006年07月14日(金) ]

牧師の家に生まれ伝道師を志していたゴッホはミレーを敬愛し、「種まく人」の模写を繰り返しフェルメールの色使いに感銘をうけます。

「この不思議な画家の使う色は、レモンイエローと淡い青と真珠のような色のグレーだ。
彼の色使いは、ベラスケスの黒、白、グレーそして赤と同じように独特だ。」
ゴッホの手紙より

画家をめざしたゴッホは1886年パリに渡ってジャポニズムの虜となります。
浮世絵の影の無い世界、オランダ造船技師が持ちかえった瀬戸内海の写真に魅了されて日本人になることを夢みるほど日本に没頭します。

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瀬戸内海の風景は明治の初めには欧米人のあいだで評判になり、世界的な名声を得ていました。そこに遊ぶ子供や自然や船は、まさしくゴッホが求めた光そのものだったようです。影の無い、輪郭がハッキリとしたその光景は浮世絵そのものと感じられ、光り輝く日本への想いを日増しに強くします。
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                               日本を紹介していた『パリ・イリュストレ』誌1886年5月号の表紙に英泉の浮世絵《花魁》-左の絵-が掲載されています。印刷の課程で反転してしまったのか、英泉の原画とは逆を向いていたそうです。                                                                                                                                                                                                                                                                                               右はゴッホの模写。花魁の周りにゴッホの想像上の風景が描かれています。竹が生えている水辺があって、蓮が美しく咲き、カエルがまどろみ(歌川芳丸-新板虫尽-の模写)、鶴が遊び(佐藤虎清の模写)、舟遊びをする2人。浮世絵から日本人がどんなに多彩に日々の生活を楽しんでいたか感じ取り、思い描いた日本の風景。黄、青のような鮮やかな色の絵の具は当時高価なものだったそうです。ゴッホは憧れの光輝く日本を黄色で象徴しようとしたのかしら?蛙、鶴は当時のフランスでは娼婦を意味したそうで…。

わずか2年足らずのパリ滞在で400点もの浮世絵を収集したゴッホは
展覧会を2回開きます。
ゴッホだけでなくマネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ロートレック---
当時は前衛と言われた印象派の画家達が
絵画の表現に浮世絵から大きな影響を受けていきます。
英泉の浮世絵《花魁》は愛本姫社(「あいもとひめしゃ」富山県氷見)のご神体となっていますが物悲しい大蛇伝説が…。愛本姫社ではお光と若侍の婚礼を再現した行列「愛本姫社祭り」が毎年行われます。
英泉は美人画で有名ですが、広重との合作で「木曽街道六十九次」も描いています。大蛇伝説の伝わる黒部(氷見)まで足を伸ばしたのでしょうか?

黒部川伝説・大蛇とお光

むかし、愛本橋のたもとに「平三郎」という茶屋があった。そこに「お光」という娘がいた。親をたすけ、近郷近在の若者に好かれる美人であった。
ある日、お光が橋の上の酒樽に気づくとその上に手拭いが置いてある。茶屋に持ち帰り、軒先につるしておいた。

「だれが忘れていったのやら、そのうち取りにくるかもしれん」

酒樽のことを聞いた平三郎は、これを家に運んで賞味していた。
数日後、若い侍がたずねてきて、

「その酒と軒先の手拭いは、わしに縁づく娘のためにおいたものじゃ。
さっそくだが、娘のお光さんを嫁にもらいたい」

両親の反対を押し切って、誘いだされたお光は、三年後のある晩、子を産みに里帰りした。

「子どもはわたし一人で産むから、決して産屋をのぞかぬように」と、念をおして産屋に入ったが…、

母親が心配のあまり、産屋をのぞいたところ、大蛇が子を産み、湯をつかわしていた。
悲鳴をあげた母親の声に、大蛇は子をのみ、もとのお光の姿にかえった。

「私は愛本橋の淵にすむ大蛇に嫁いだのです。これでもう二度と里に帰れません。年老いていく両親のために「ちまき」の作り方を教えましょう。これを茶屋で売ってくらしのたしにしてください」と、
ちまきの作り方を教え、わかれを惜しんだ。

手拭いと酒樽のあった橋の上まできたお光は、大蛇の姿になって淵の渦巻きの中へ帰っていった。
ふきあがる水しぶきの中に、迎えにきた黒部川の主である大蛇の姿が見えた。

茶屋は「ちまき」でたいそう繁盛したそうな。

「愛本伝説・お光姫物語絵図」より

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ゴッホ 星への想い  [2006年07月05日(水) ]

ぼくは今夜、かなりいい気持ちでいる。
この絵がよくかけたからだ。

何と言っても、カフェテラスを明るい黄色で生き生きと描けたことが一番うれしい。
カフェのテラスは、店の外に張り出した天幕の下のテーブル席と店の外壁が、
壁から突き出した灯りで、あたたかく黄色に照らされている。
立っているウェーターの服とテーブルクロスの白さも、小さいけれど美しい。

もうひとつ、ぼくが好きなところは、通りの奥の建物の上に見える夜の空だ。
ぼくはそれを深いけど明るい青で描いた。教会のステンドグラスの濃紺色を思い浮かべて。

そして、空の星を大きく、黄色の花が咲いたようにいくつもいくつも描いた、
ぼくはきっと、遠くの星にも、ここと同じような明るいカフェテラスがあって、
その灯りがここまで届いているのだと、思っていたのかもしれない。

そしてぼくは、何かの理由でここのカフェに来られなくなったら、
あの星のカフェに行こうと思っていたのかもしれない。
その願いのせいで、ひとりでにあんなに大きな星を描いたんだ。

                         ゴッホの手紙より

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『ローヌ川の星月夜』
『夜のカフェテラス』『ローヌ川の星月夜』『糸杉の道』『星月夜』
ゴッホは様々な夜を描きました。
向こう岸に灯す夜の太陽 ガス灯、まばゆいばかりに輝く星、寄り添う恋人達の温もり。
ゴーギャンの到着をどんなに待ち焦がれたことか…。
夢を見ているような夜空を描いたこの絵には幸せを感じます。


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 『両国花火』  広重  『両国夏の月』        ゴッホも打ち上げ花火を見たのかしら?

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ゴッホ  夜のカフェテラスのおまけ  [2006年07月03日(月) ]

オータムさんに言われてこのカフェの場所を探してみました。
南フランスのアルルでゴッホはこの絵を描いたのですが、
1888年に描かれたその場所で
今も営業しているカフェだそうです
-シャープのCMは カフェの実録

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「清く澄んだ大気、明るい色の効果という点で、この国は日本のように美しく見える。
水の流れが景色のなかに美しいエメラルドとゆたかな青の筋をつけている。大地を青く
浮かび上がらせる淡いオレンジ色の夕焼け。黄色のすばらしい太陽・・ 」ゴッホの手紙

それまで夜の明かりはロウソクかランプでした。ガス灯が登場すると、暗闇が勢いよく照らされて夜のイメージが一変---闇に輝くガス灯は、夜の太陽といわれたそうです。ゴッホはガス灯に照らされる夜という、新しい世界を描き始めます。
1888年2月にアルルに移り、この絵が描かれた9月は、念願のゴーギャンとの同居も間近に迫り、彼の精神が最も安定していた頃と思われます。ゴッホの胸の内にもきっと太陽が輝いていたのでしょう。

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広重「猿わか町 夜の景」月夜に人がにぎわう通り            夜空を広く捉えた構図大きくな満月が下界を照らします。          「夜のカフェテラス」と比べてみてください。

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ゴッホ  [2006年06月29日(木) ]
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                                 ゴッホの人生に憧れる人はいないが、              ゴッホの絵に惹かれない人はいない


「夜のカフェテラス」が毎日CMで写し出されるのを見かけるうちに、こんな言葉を思い出しました。
強さと暖かさを感じるゴッホの絵。行ったこともない場所が描かれているはずなのに懐かしい気持ちになるのは何故?
浮世絵に大きな影響を受け、日本に強いあこがれを抱いたゴッホ。ゴッホの中に日本を感じるのでしょうか?

ゴッホといえばだれもが黄色を思い浮かべることでしょう。
夜なのかと思うほど明るさを強調してますが、「黒を使わないで夜を描いた」と弟テオにあてた手紙に。
「印象主義が流行らせたすべての絵具は褪色する。だから生で大胆に用いる必要がある。そうすれば歳月がちょうどよく柔らげてくれるだろう」

10年という短い時間で870点もの作品を機関車のように制作し、「炎の画家」と言われますが、衝動に任せて性急な制作をするイメージは見当たりません。

「僕は自分の作品に命を賭け、そのために僕の理性はなかば崩壊してしまった」とはテオへの手紙の一節です。
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黄色を感じさせない作品もあります。最後の作品となった「アーモンドの花」テオに子供が生まれた時に描いたものです。赤ちゃんの名前はヴィンセント---ゴッホと同じ名前です。
今PCの背景はこの絵にしてあります。本物を観るにはオランダまで行かなくちゃいけないかしら?

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オランダの彼らの故郷ズンデルトの広場にあるザッキンの彫刻。テオに寄り添うヴィンセント、2人の肉体が重なり合って四角い空洞ができ、そこから悲しげなグレーの空がのぞく。ゴッホの自殺のあと半年でテオも亡くなります。

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