牧師の家に生まれ伝道師を志していたゴッホはミレーを敬愛し、「種まく人」の模写を繰り返しフェルメールの色使いに感銘をうけます。 span> strong> font> p> 「この不思議な画家の使う色は、レモンイエローと淡い青と真珠のような色のグレーだ。 画家をめざしたゴッホは1886年パリに渡ってジャポニズムの虜となります。 わずか2年足らずのパリ滞在で400点もの浮世絵を収集したゴッホは
彼の色使いは、ベラスケスの黒、白、グレーそして赤と同じように独特だ。」
ゴッホの手紙より span> strong> p> font>
浮世絵の影の無い世界、オランダ造船技師が持ちかえった瀬戸内海の写真に魅了されて日本人になることを夢みるほど日本に没頭します。 p> span> strong> font>
日本を紹介していた『パリ・イリュストレ』誌1886年5月号の表紙に英泉の浮世絵《花魁》-左の絵-が掲載されています。印刷の課程で反転してしまったのか、英泉の原画とは逆を向いていたそうです。 右はゴッホの模写。花魁の周りにゴッホの想像上の風景が描かれています。竹が生えている水辺があって、蓮が美しく咲き、カエルがまどろみ(歌川芳丸-新板虫尽-の模写)、鶴が遊び(佐藤虎清の模写)、舟遊びをする2人。浮世絵から日本人がどんなに多彩に日々の生活を楽しんでいたか感じ取り、思い描いた日本の風景。黄、青のような鮮やかな色の絵の具は当時高価なものだったそうです。ゴッホは憧れの光輝く日本を黄色で象徴しようとしたのかしら?蛙、鶴は当時のフランスでは娼婦を意味したそうで…。 span> strong> font>
展覧会を2回開きます。
ゴッホだけでなくマネ、モネ、ドガ、ゴーギャン、ロートレック---
当時は前衛と言われた印象派の画家達が
絵画の表現に浮世絵から大きな影響を受けていきます。 span> strong> font> p>
英泉の浮世絵《花魁》は愛本姫社(「あいもとひめしゃ」富山県氷見)のご神体となっていますが物悲しい大蛇伝説が…。愛本姫社ではお光と若侍の婚礼を再現した行列「愛本姫社祭り」が毎年行われます。
英泉は美人画で有名ですが、広重との合作で「木曽街道六十九次」も描いています。大蛇伝説の伝わる黒部(氷見)まで足を伸ばしたのでしょうか? font> strong>
黒部川伝説・大蛇とお光
むかし、愛本橋のたもとに「平三郎」という茶屋があった。そこに「お光」という娘がいた。親をたすけ、近郷近在の若者に好かれる美人であった。
ある日、お光が橋の上の酒樽に気づくとその上に手拭いが置いてある。茶屋に持ち帰り、軒先につるしておいた。
「だれが忘れていったのやら、そのうち取りにくるかもしれん」
酒樽のことを聞いた平三郎は、これを家に運んで賞味していた。
数日後、若い侍がたずねてきて、
「その酒と軒先の手拭いは、わしに縁づく娘のためにおいたものじゃ。
さっそくだが、娘のお光さんを嫁にもらいたい」
両親の反対を押し切って、誘いだされたお光は、三年後のある晩、子を産みに里帰りした。
「子どもはわたし一人で産むから、決して産屋をのぞかぬように」と、念をおして産屋に入ったが…、
母親が心配のあまり、産屋をのぞいたところ、大蛇が子を産み、湯をつかわしていた。
悲鳴をあげた母親の声に、大蛇は子をのみ、もとのお光の姿にかえった。
「私は愛本橋の淵にすむ大蛇に嫁いだのです。これでもう二度と里に帰れません。年老いていく両親のために「ちまき」の作り方を教えましょう。これを茶屋で売ってくらしのたしにしてください」と、
ちまきの作り方を教え、わかれを惜しんだ。
手拭いと酒樽のあった橋の上まできたお光は、大蛇の姿になって淵の渦巻きの中へ帰っていった。
ふきあがる水しぶきの中に、迎えにきた黒部川の主である大蛇の姿が見えた。
茶屋は「ちまき」でたいそう繁盛したそうな。
「愛本伝説・お光姫物語絵図」より span> font> strong>
Posted
at 14:18
| この記事のURL
コメント(19)
| トラックバック(1)



土曜日も仕事だった。人の出は結構、多く、営業の回数も多かった。近場ばかりで売り [ReadMore]