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プロフィール
映画『蕨野行』がNHKで放映されます  [2008年01月12日(土) ]
映画が好きな方あるいは“老い”に関心のある方に向けたインフォメイションです。
来たる1月17日(木)21時からNHK−BS2で『わらびのこう 蕨野行』が放映されます。
この映画は03年10月に公開され、目立たない地味な存在ながら、
03年度キネ旬邦画部門8位になりました。
その後は、商業ベースに乗る映画ではないため、
“映画「蕨野行」の上映を支援する会”が各地で上映してきました。
しかし、自主上映は場所と日時が指定されるため、会場に駆けつけることは難しく、
しかもビデオも発売されず(07年2月にようやく発売されるもレンタル店で見掛けることはなし)、
観る機会を作り出すことが出来ずにおりました。
それがようやく観る機会を得てわくわくしています。
早速、今日、録画予約しました。

映画『蕨野行』の概要は以下の通りです。(『蕨野行』HPから抜粋)
監督:恩地日出夫(「伊豆の踊子(内藤洋子)」「四万十川」)
レン役:市原悦子
ヌイ役:清水美那(当時新人、その後は映画の出演機会に恵まれていません)
馬吉役:石橋蓮司
あらすじ:江戸時代、山あいの村が舞台。村には上、中、下、三つの庄屋がある。
  レンは中庄の庄屋の女房。すなわち女仕事の頭。ヌイは嫁いできた嫁。
  その村には秘したる掟がある。
  六十の齢を迎えた者は家を出て、人里離れた原野(蕨野)に移り住まねばならない。

このように書いてくると“姨捨山”を連想する方が多いと思いますが、
『蕨野行』はこの後の展開が異なります。
老人と子供、お互い相手を偲びながらも、
家に残った子供たちは飢えと格闘しながら子孫を育み、
原野に下った老人たちは、命のある限り したたかに生きのびようとするからです。
★『蕨野行』をこの機会にTV放映を観て、ブログを書いた方は“
 チバックのマイページに“足あと”を残してください。
 例え録画をご覧になるのが1年後であっても、必ずコメントを書き込ませて頂きます。

Posted at 21:07  | この記事のURL
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皆様のブログに一喜一憂  [2007年10月24日(水) ]
私は以前からブログ派ではなくコミュニティ派(今は“サークル”という名が付いています)。
ひとり対複数という構図よりも、不特定多数の参加者によるワイガヤの方が好きだから。
でも時々(たま〜にかな?)、皆様のブログにお邪魔し、拝読させて頂いています。
そして、その度に多くのことを学ばせて頂いています
そのひとつは人を愛し大切に思う心。
“母”“息子・娘”“孫”“友人”“ご近所そして地域の人々”“STAGEの仲間”“ペット”・・・。
どういう訳か“父”が登場しないので、寂しい思いをしておりますが。

次に皆さんはとても誠実で親切。
皆さんのブログを拝読していると、自分も真面目人間になってしまって、悪いことなんて
とてもじゃないができません。
そして皆さんに触発されてちょっとばかり親切とやらをやってみたりする。
例えば、新幹線に乗った時に隣の人の重そうな荷物を棚の上に載せてあげたり(偶々、かわい娘ちゃんだった)、電車でお年寄りに席を譲ったり、スーパーのレジで買い物の少ない後方の人に順番を譲ったり・・・。

もうひとつ付け加えるなら、皆さん思い思いの方法で人生を楽しんでいらっしゃる。
生き生きとしたブログに出会う度にこれはオチオチしていられないぞという気分になる。
このように皆様のお陰で、人生を有意義なものにさせて貰っています。

ところが皆様いい人たちばかりの筈なのに、ぎょっとさせられるブログのコメントに出くわすことがあり悲しく思い、“コミュニケーション”の難しさを痛感させられます。
人は育ちや価値観、好みや嫌いなものが異なります。
だから自分が言いたいことを人に伝えることは難しい。
私はよく会社の後輩に「直接、話をしても言いたいことの2割しか伝わらない。
電話はそれ以下、メールは事務的な連絡事項に留めるべき」と教えています。
ですから微妙な話をする時は電話の使用を禁じています。
という訳で、ブログで意見を戦わすことは結構ですが、次のことはわきまえるべしと思います。
@ 自分の言いたいことを文字で表現して伝えることは難しい。
A 従って、基本的に相手の言わんとすることを理解することは容易じゃない。
B 人は間違えを犯し易い生き物だということ。
私自身、ついつい余計なことを書いてしまって、何回、お詫びしたことか。
C “書き言葉”は“話し言葉”よりも断定的になり易いし、読めてしまう。

偉そうなことを最後に書きましたが、
私は聖人君主じゃない。
どちらかと言えば、キレやすいタイプ。
今後、どこかで、ひょっとしたら、このブログの返信コメントで失礼があるやも知れません。
そのような事態が発生しましたら、「小さい奴」とお笑いください。
幾つになっても大人に成れぬチバックです。

Posted at 00:13  | この記事のURL
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映画『ツォツィ』を観てR-15指定を考えてみませんか  [2007年05月03日(木) ]
『ツォツィ』のHPを開けると“アンケート”が目に飛び込んできます。
「『ツォツィ』をご覧になった方に伺います。『ツォツィ』は映倫からR-15(中学生以下の鑑賞禁止)指定を受けました。この映画は中学生が見てよいと思いますか。」
投票は単純で「はい」と「いいえ」の選択肢しかない。
『ツォツィ』の配給会社は映倫に異議申し立てを行ったのですが、認められませんでした。
このアンケートの問い掛けの仕方が、的を得ているか否かは疑問。
しかし、考えさせられる問題であることだけは確かなのです。

“ツォツィ”は南アフリカのスラングで“不良”あるいは“チンピラ”の意。
元南ア大統領のネルソン・マンデラ氏も「自分もかつてはツォツィだった」と述懐しています。
アパルトヘイト廃止から十数年が経過しましたが、南アフリカの差別と貧困は解決していません。
従来の人種差別に加え、黒人どうしの格差が拡大し、貧困、エイズ、孤児、犯罪など
様々な問題が深刻化の度合いを増しているそうです。

映画『ツォツィ』の主人公は、首都ヨハネスブルグのタウンシップ(旧黒人居住区)の
スラム街に暮らすツォツィと呼ばれている少年です。
“怒り”と“憎しみ”の感情しか持ち合わせておらず、自分の名前や両親については、
人に語ろうとしません。
ツォツィは利発さと冷酷さが買われ、4人組のリーダー格。
金稼ぎの(生きる)ためなら、どんな悪事だってやる。人殺しでさえも。

ある日、ツォツィは追いすがる女性を拳銃で撃ち、車を強奪します。
ところが、車の中には赤ん坊が。
ツォツィは赤ん坊を置き去りにしようとするのですが、目が合ってしまうのです。赤ん坊と。
その瞬間、赤ん坊を抱き上げ紙袋の中へ。

小さな命とのお付き合いを始めた途端、ツォツィの心に変化が起こります。
そしていわゆる人間的な感情の目覚めは、赤ん坊を持つ若い母親との出会いで加速するのです。
なぜなら、お乳をやる時、体を拭く時、赤ちゃんに語りかける若い母親の姿が、
ツォツィに母を思い出させるからなのです。

映画『ツォツィ』は昨年、アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
「南アフリカを世界に知らしめた」とマンデラを喜ばせました。
私は日本の中学生はもっと世界について理解を深めるべしと考えています。
ですから冒頭の暴力シーンだけで、中学生を締め出すR-15指定は如何かと思っています。
因みに現段階の投票結果は「はい」625票、「いいえ」103票。
ここで今一度、考慮すべきは「いいえ」の103票です。
暴力絶対反対の人たちが大勢、いらっしゃるということですね。

Posted at 21:31  | この記事のURL
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京阪ひとり旅Final:琵琶湖疎水、三井寺、皇子山古墳  [2007年04月14日(土) ]
クサツエストピアホテルから始まった、ひとり旅2日目の目的地は
“琵琶湖疎水の取水口”、“三井寺”、“皇子山古墳”の3ヶ所。
JR膳所(ぜぜ)駅で下車して、京阪石山坂本線に乗り換え。
京阪電鉄石山坂本線の電車内は始業式当日(4/8)ということもあり高校生で溢れかえっていましたが、関東の江ノ電と雰囲気が似ていて、情緒があって、ひとり旅には最高です。
三井寺駅で下車し、まずは第1の目的地である“琵琶湖疎水の取水口”へ。
                写真1)琵琶湖疎水取水口


琵琶湖疎水は、明治2年東京遷都後、急激に衰退した京都を復興させるために計画された疎水事業で出来上がりました。
現在でも発電(蹴上発電所、夷川発電所、伏見発電所)の他、京都市民の重要な水源として貢献しています。



 写真2)琵琶湖疎水と長等山(第1)トンネル入り口(トンネル長:2436m)

琵琶湖疎水に掛かる橋の上で桜の花に見惚れていたら、地元のおばあさんが通り掛かりましたので、
三井寺までの道を尋ねてみました。
おばあさんが教えてくれたのは、総門から行くコースで、よりによって長い階段がある。
前日の大阪城(8階)もきつかったがこれも辛い。
皆さん、お寺巡りをされるのなら、普段から足腰を鍛えておく必要がありまっせ。

写真3)三井寺 西国十四番札所観音堂


三井寺は天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。
672年、天智天皇が崩御された後、皇位継承権を巡り、壬申の乱が勃発。
争いに敗れた弘文天皇(大友皇子)の皇子の大友与多王が父の霊を弔うために
「田園城邑(=田畑屋敷)」を寄進して寺を創設した際、
壬申の乱の勝者である天武天皇から「園城」という勅額を賜ったことが園城寺の始まりなのだそうです。
*)ここで壬申の乱について面白い物語を語りたいところですが、長くなるからやめます。
三井寺と呼ばれるようになった経緯がHPに載っていましたが、嘘っぽいので省略します。
もうひとつ宗派名にある“寺門”は10世紀末の派閥争いで天台宗が二分され、延暦寺の“山門”、三井寺の“寺門”と称するようになったとか。
仏さんの世界も派閥争いがお好きでんな〜。


次に近江神宮に行く途中で「史跡 近江大津宮錦織遺跡第二地点」を通り掛かりました。
667年、中大兄皇子は皇居を近江国大津宮に移し、翌年668年に即位して天智天皇となります。
          写真4)史跡 近江大津宮錦織遺跡第二地点

大津宮の位置は最近まで不明でしたが、1974年錦織地区で中心施設と思われる遺構(第一地点=内裏南門と推定)が発見されました。
この第二地点は第一の真北約89mに位置し、天智天皇が自ら政を執った内裏正殿のあった場所と推定されています。


近江神社は昭和13年の創建。御祭神は天智天皇。
参道と境内の桜が美しい神社ですが、写真は省略し、いよいよ皇子山古墳です。
皇子山(164m)の頂上にあり、4世紀後半に築かれた古墳。
全長60m、大和で流行った前方後円墳ではなく、前方後方墳。
どのような人物が埋葬されたのか残念ながら不明です。
皇子山は近江神宮駅の西方にありますが、辿り着くのは奇跡的。
私の場合は近江神宮から宇佐神宮を経由して行きましたが、ラッキーでした。

写真5)古墳から大津市街を臨む
 
この山登りもしんどかった〜。
この後は浜大津駅で京阪電鉄京津線に乗り換え、西行桜さんとの待ち合わせ場所の京都駅に向かいました。
皆様、長い長いブログにお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。

Posted at 17:26  | この記事のURL
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京阪ひとり旅:大阪城から道頓堀  [2007年04月11日(水) ]
仕事だけでなく、義母が暮らす大阪には何回も行ったことがあります。
それなのに大阪城に行く機会は作れなかったのです。
大阪城訪問はお城大好き人間の私にとって悲願でした。
それがようやく実現したのです、57年と4ヶ月を経た今になって。

大阪城を出た時はお腹ペコペコ。
谷町通りを6丁目まで来て、やっと理想的なうどん屋を見つけました。
そのお店のお奨めは“隠れうどん”。
鰹節が仰山かかっていて、うどんが隠れています。
美味しかったですよ。

次に向かったのは道頓堀。
道頓堀の繁華街には2回ほど、連れて行ってもらったことがある。
今回は是非とも、道頓堀のほとりを歩いてみたいと・・・。
          ところが行ってみてビックリ。
          道頓堀には歩けるようなほとりがない。
          バスが停まっている橋は日本橋。


日本橋の南側はお馴染みの道頓堀繁華街。


            日本橋の向こう側は工事中。
            部分的に出来上がっており、ほとりを歩けるようになっている。


道頓堀を御堂筋まで行った後は、南海難波駅に足を向けた。
これまで南海電車とは何故か無縁。
一度、難波駅を見てみたかったのだ。


この後は堺筋まで行き、地下鉄日本橋駅からこの日の宿泊予定地草津に向かう。


Posted at 00:59  | この記事のURL
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京阪ひとり旅:造幣局 桜の通り抜け(1)  [2007年04月10日(火) ]
京阪ひとり旅の出発地点は吹田市千里の亥子谷。
南千里駅から阪急千里線に乗車、地下鉄堺筋線南森町駅下車。
造幣局を目指したが、造幣局「桜の通り抜け」の一方通行の方向は読みが外れ、南から北。
その為、ちょっと大回り。

桜の通り抜け風景



造幣局「桜の通り抜け」の凄いところは、桜の品種の多さ。
従って、“もう遅い”“これから”“見ごろ”が入り混じる。

今年の花:松月
 
              御堂有明

                       白妙(背景は造幣博物館)


★最後に正直な感想
 話の種に一度はいいけど、また、来たいとは思わない

Posted at 15:03  | この記事のURL
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京阪ひとり旅:まずは西行桜さん、ありがとう  [2007年04月09日(月) ]
西行桜さんと13時に京都駅ビル地下1階ポルタのイノダコーヒ前で待ち合わせ。
初対面の挨拶もそこそこに堺町通三条下るにあるイノダコーヒ本店に移動。
“アラビアの真珠”“コロンビアのエメラルド”など魅力的なメニュー名に惹かれる。
結局、アフリカブレンドを注文(結果的に西行桜さんの奢り。西行桜様、ご馳走さまでした。)。

イノダコーヒ本店を出た後は、古美術品店や画廊が立ち並ぶ寺町通りを抜けて、京都御苑へ。
御所の一般公開は昨日(4/8)まで。従って、ご縁なし。
とは言え、桜は満開(正確にはちょっと、盛りを過ぎたところ)。
近衛邸跡の枝垂れ桜は見事。
写真を撮りそびれました。
でも西行桜さんが送ってくれましたので、貼り付けておきます。


京都御所を今出川御門から出て、相国寺の参道へ。
西行桜さんから同志社大学についていろいろお話を伺いながらテクテク。
いつの間にか、烏丸通りに面した同志社大学学生会館の中につかつかと。
西行桜さんはカレーライス、私はスパゲティをオーダー。
実はこれも西行桜さんの奢り。改めまして、ごちそう様です。
何故か、同志社大学の学食(レストランと呼ぶべきか)は女子学生ばかり。
しかも、巷を歩く女性よりもルックスが洗練されている。
(そう、思いませんでしたか?西行桜さん)
流石、同志社。

同志社の学食を出た後、丸太町駅まで歩いてから地下鉄に乗車。
京都駅で再会を誓ってお別れしたのは17時半頃。
なんと、西行桜様には4時間半もお付き合い頂きました。
その上、2回もご馳走になり、大変お世話になりました。
どうもありがとうございます。

Posted at 23:24  | この記事のURL
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とうとうタバコをやめてしまった  [2007年04月03日(火) ]
喫煙者にとっては肩身の狭い世の中になった。
空港や私鉄駅は勿論のこと、最近オープンしたラゾーナ川崎、ららぽーと横浜、六本木ミッドタウンなどのショッピングモールで喫煙場所を探すのは至難の業。

極め付きは自宅マンションのベランダでの喫煙だろう。
“蛍族”などと悲哀に満ちた言葉で呼ばれた時代もかつてあった。
しかし、ベランダ喫煙は、今やご近所迷惑の代表格。
ベランダで喫煙している者に、“ゴミおじさん”“ゴミおばさん”に対してとやかく言う資格はない。
ベランダでゆらゆらと立ち上ったタバコの煙は、他所様のお宅に遊びに行ってしまうのだ。
これは台所で換気扇を回しながら吸っても同じこと。
もう我が家にはタバコを吸える場所はないと心得る必要がある。

話し変わって、この3月に定年退職するに当たり(もう過去のこと)、生活費をはじき出してみた。
一番ビックリした生活費は、自分が使っていた小遣い。
10万円を遥かに超えていた。
ゴルフ3万円、映画2万円、昼食&コーヒー2万円、アルコール関係2万円、
育毛剤&鼻腔拡張テープ1万円、たばこ6千円、その他1〜3万円

5月から再就職するも、収入は激減する。
しかも勤務場所は八重洲。
昼食、飲み物、アルコール関係費はむしろ増額が予想される。
地域の仲間と行くゴルフは私の大きな楽しみ。(明日も行く)
映画も減らしたくない。
じゃ、どうする?
結局、どう考えても、タバコは無駄な経費ということで、やめてしまった。

しばらく中断した後のタバコはうまい。
この美味しさを知っているので、タバコをやめようと思ったことがない。
まさか金銭上の理由でやめることになるとは思わなかった。
これも人生である。
*)タバコだけじゃ、全然足りない。あと何を諦めよう?

Posted at 23:09  | この記事のURL
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日本の刑事裁判の問題点を学ぶ結果に  [2007年01月21日(日) ]
平成21年(2009年)5月までに裁判員制度が始まります。
対象となる裁判は、殺人や致死障害などの重大事件の刑事裁判。
裁判員は国民から無作為に選ばれ、特別な事情がない限り、辞退できない決まりとか。
妻や娘に言わせれば、「とんでもない制度で、絶対に嫌だ」ということになる。
確かに時間は取られるし、メンバーにどんな人が入ってくるか分からない。
しかも、被告人やその関係者の怨恨まで思いが及ぶと、“気が重い”を通り越して拒絶反応が
出てしまうのは無理からぬことです。
しかし、いつまでも尻込みしている訳にはいかない。
いつかは覚悟を決める必要があることも確かなのです。

周防正行監督は『Shall we ダンス?』以来11年振りとなる
映画『それでもボクはやってない』で、日本における裁判の危うさを見事に描き出してくれました。
刑事裁判の原則は「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰することなかれ」。
言い換えれば「疑わしきは罰せず」。
周防監督は“痴漢冤罪事件”を題材として取り上げ、
原則の観点から日本の刑事裁判の問題点を問い掛けています。
@刑事事件で起訴された場合、裁判での有罪率は99.9%。
A無実を主張する被告人が“無罪”を勝ち取る確率は3%。
B刑事裁判の主役は裁判官。
 被告人、証人は勿論のこと、検事、弁護士は裁判官に向かって話をする。(顔色を窺う)
 *)アメリカの場合は陪審員。
C裁判官も補充質問をする。被告人にとって辛いのはこれ。
D裁判官が「無罪判決」を言い渡すことは勇気が要る。(左遷を覚悟する)
 警察や検察という国家権力と立ち向かうことになるから。

Posted at 10:41  | この記事のURL
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バッハとチェンバロ、そしてピアノの時代へ  [2007年01月14日(日) ]
1685年に生まれたヨハン・ゼバスティアン・バッハが活躍した時代の鍵盤楽器は、
チェンバロが主役。
後にピアノと呼ばれるフォルテピアノは18世紀始めにクリストフォリ(伊)によって
発明されるが、まだ性能がイマイチですぐに復旧することはなかった。
従って、バッハが作った曲はチェンバロが対象。
彼の死後、メンデルスゾーン等がバッハを評価し、バッハの曲を復活させるが、
既にチェンバロは廃れピアノの時代。
バッハはピアノ曲の作曲者として名声を博すことになる。

チェンバロは弦を爪で弾き、ピアノは弦をハンマーで叩いて音を出す。
チェンバロは美しい音色が特徴。
河口湖オルゴール館のオルゴールもこの原理だろうか?
フォルテピアノは大きいという意のフォルテ、小さい意のピアノが示す通り、
人為的に音の強弱を引き出せるところが特徴。

バッハはプロイセンのサンスーシ宮殿で、フリードリッヒ大王の前で
フォルテピアノを弾く機会を得ている。
その時に弾いた曲が「音楽の捧げもの」誕生のきっかけとなった。
1948年、彼の死の2年前のことである。

以上、1月8日(月)からNHK−Hiでスタートした「ぴあのピア」で
得た情報です。
「ぴあのピア」は毎週月曜日から金曜日まで。1年間放送予定。
1日に数回放送しているようです。
私はHDD争奪戦の心配がない、7:35−7:45の回を録画しています。

※)数週間後にモーツァルトが取り上げられる予定。
  6歳の時、シェーンブルン宮殿で女帝マリア・テレジアの御前でピアノを
  演奏したという逸話の紹介もあろうかと思います。
  この時、女帝の末娘マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は7歳でした。

Posted at 11:08  | この記事のURL
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