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シルクロード(天山山脈にそって)16  [2007年09月03日(月) ]
10月2日

9時にホテルを出発10時50分の飛行機に乗り北京に向かう。中国の連休中のため飛行場が混むという予想で出発を早めたため西安の飛行場ではゆったりした。しかし、北京では、国際線への乗り継ぎ時間の関係から、あわただしく出国手続きをする必要があり、ここで一同解散となり、関空、成田、シンガポールに分かれてそれぞれ帰国の途についた。
成田組の我々は、空港で十分な時間があり、使い切らない人民元もあったので空港売店で土産物を買うこととした。しかし、これは結構大変であった。
第一はすべてがドル表示であり、ドルから人民元に換算をすることなるが換算レートは店員任せで、やすいのか高いのかわからないこと。第二は、店員の質は決して高くなく、計算はいい加減であること等である。
従って、よほど注意深くやらないと高い買物となる。我々も購入の数と伝票に打ち込んだ数が違い、これを正して過払いを修正するのに苦労した。
いくら交渉しても言葉の問題もあり、ラチは挙らず結局中国語のできる日本人に助けてもうという経験をした。油断は出来ないのである。

19時15分無事成田空港着。10時前に金木犀の香りに迎えられ帰宅した。

●金木犀香りの中に帰国する 

いずれにせよ全員無事に10月2日に帰国した。

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シルクロード(天山山脈にそって)15  [2007年08月29日(水) ]
夕食は餃子宴会。
餃子は宮廷料理にも入っており、唐朝の楊貴妃は鶏手羽肉を使った蒸し餃子を食していたといわれるぐらい非常に歴史の古い食物だそうである。
1984年に多彩な味の餃子が西安で編み出されたということで、西安市で世界最初の餃子宴が行われ、以来餃子宴は西安の名物となっているらしい。

餃子は、調理技術と芸術の融合とも言われ、「1つの餃子に1つのスタイル」「百の餃子に百の味」といわれるそうで、餃子宴ではトータル20種類あまりの餃子がもてなされるという。それぞれの餃子料理店で、コースの順序、味のバランス、栄養のバランスなどを計って趣向が凝らしており
聞くところによると、あんの取り合わせ方や調理の仕方も吟味されていて、春には「鶏と若筍の餃子」、夏には「冬瓜の蒸し餃子」、秋には「地鶏と栗の蒸し餃子」、冬には「冬筍の辛み蒸し餃子」など、季節に合わせた絶妙な味わいが楽しめるようになっているのが餃子宴だそうである。
我々の場合、いろいろ運ばれ、揚げ餃子、焼き餃子、蒸し餃子、茹で餃子などは食べたような気もするが、大広間で3テーブルに分かれて座っており、ガイドからも、料理人からも特段の解説もなく、従って十分に趣向を味わうまでには至らなかった。ただ、多種類であることには感心したが、出発後7日目でもあり、疲れもたまり、それ程食が進まず、かなり残したようにおもわれる。
餃子の歴史は古く由緒ある食べ物であり、機会があれば改めて解説を聞きながらゆっくりと味わいたい料理であると思っている。

ホテルに帰った後、有志はホテルの前の広場を見学に。我々はやや風邪気味であり就寝たため西安観光は風が通り過ぎるようなものであった。




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シルクロード(天山山脈にそって14  [2007年08月20日(月) ]
10月1日
朝食後飛行機で「西安」に向かう。
中国では、今日から国慶節の連休に入る。このため観光地や都会は混雑を極めるとかであり、途中の混雑も覚悟したがほぼ順調に西安に1時に到着。                             
ここ西安は、紀元前11世紀から10世紀初頭までの2000年間、 秦、漢、隋、唐など12の王朝の国都が置かれていた中国の歴史上最も重要な都市である。
また、シルクロードの起点として西方からくる多くの外国人で賑わった旧都「長安」である。特に唐代は、50万もの人口を擁する国際都市として栄えていたといわれており、従って、遺跡等文化遺産も多い。
しかし、現在の最大の見ものは秦兵馬俑博物館。
中国最初の皇帝始皇帝の陵墓を守る陪葬物として作られた兵士や馬の焼物人形の博物館である。この焼物兵馬俑は1974年に井戸を掘っていた農民によって偶然に発見されたもので、現在は、出土したままのかたちで、武装した兵馬俑が並んで展示されている。実に壮大なものであり、中国を統一した秦軍の威容を現代に伝えている。
兵士像は、平均身長178cmと等身大であるうえ、顔の表情も一体づつ微妙に異なっており、当時の技術水準の高さが伺われる。今では当地の最大の観光名所になっている。



この後、「西安」の東25キロ離れた驪山のふもとにある玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台ともなった「華清池」を散策した。ここには楊貴妃が使った温泉跡もあり、また敷地内には温泉も設けられているそうであるが、時間の関係で入浴できなかったのは温泉好きの私としては残念であった。




「 西安」は、今日の中国で、旧城壁を完全に保存している唯一の古都である。特に西門は、西方のシルクロードを望む最大の城門で、ここから多くの人々が西を目指して出立した。主要な観光ポイントであり、見る価値があるものであるが、我々は時間の関係から割愛せざるを得ず逆に美術館の買物につれていかれた。
中国のガイドは観光客に買物させるのがノルマであり、しきりに買物をさせたがるのには参る。

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シルクロード(天山山脈にそって)13  [2007年08月13日(月) ]
トルファン続き
次にアスターナ古墳群にいく。これは高昌国時代の貴族の古墳群で、墓にあった遺体(ミイラ)、織物、文書、陶器等が保存展示されているが、往時のこの地域の実力が偲ばれる。
●西域の実力示す古墳群  アスターナ(憩いの意)古墳群埋蔵品)
●人生訓ハンカチ、甕に草と糸 (アスターナ古墳群埋蔵品)

そこから、トルファン盆地の北側の砂漠の中の火焔山を左に見ながら、ベゼクリク千仏洞に向かう。やがて、川から屹立した崖の横腹に、高昌ウイグル帝国時代(9世紀)の王族の寺院であったベゼクリク千仏洞が見える。
崖に沿ってテラス状の回廊があり、大小の洞窟五十余がある。ここはウイグル文化を伝える遺跡であるが、洞窟内の壁画や仏像はその後破壊されたり剥ぎ取られているのは、残念である。
●灼熱で卵をゆでるか火焔山 (西遊記の舞台火焔山)
●千年の俗世を耐えた壁画かな   (ベゼクリク千仏洞は仏教石窟57窟ある)

火焔山


ついで、カレーズを見学するため博物館に行く。
カレーズとは、ペルシャ語で『地下水』を意味する。天山山脈からの水が流れる地下水路で盆地の傾斜を利用し、高い所に井戸を掘り、そこから天山の底を流れる地下水を暗渠を通して、その同位にある地上に水を引くというものである。構造は簡単であるが、水量は安定しており、蒸発を防ぐことが出来る。トルファンの生命線である。トルファンには約1500本のカレーズが掘られ、縦横4000kmである。

カレーズ


これは中国では、運河、万里の長城と並んで3大公共工事とされている。この水の恩恵で、「トルファン」は、約3万haの耕地が緑に覆われ、白葡萄・ハミ瓜、長繊の綿花など実る美しい町となっている。
昼食は、葡萄畑の中のレストランで昼食をとりながらワインを飲む。それなりのものである。
「カシュガル」のバザールで、葡萄は「トルファン」で買えといわれたぐらい葡萄の本場だけに昼食後レストランの近所の農家で干し果物試食し適宜購入した。この干し葡萄は、味が抜群に好かった。 また「トルファン」では、気候を生かしその他の乾燥果物もあったが、中でも「烏梅」ウーメイがよかったと思う。烏梅は青梅を薫製・乾燥させた物で、漢方薬を兼ねた乾燥果物でここにしか無いとか。日本の黒糖漬け梅干の薫製と似ている商品である。

●ウイグルの誇りはトルファンぶどう園 (高昌国の後ウイグル人の西ウイグル国)
●天山とカレーズもたらすぶどう園 (カレーズはペルシャ語で地下水の意)
●ぶどう園皮をむき剥き試食をし  (水に厳重注意、氷と果物の皮はやはり注意)

ぶどう園内








              

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シルクロード(天山山脈にそって)  [2007年08月07日(火) ]
9月30日
 「トルファン」近郊の観光に出る。ここには古代の大きな遺跡が2箇所ある。そのひとつが交河故城であり、他方は西遊記で有名な火焔山近傍の高昌故城である。
 我々は、「トルフアン」から40kmの高昌故城へ行く。故城は平坦地形に、日干しレンガで数メートルに及ぶ城壁を積み上げて城域とし、その中に寺院、住居を構築した古代都市である。唐の時代には漢族による麹氏(きくし)高昌国があり、西遊記で有名な玄奘三蔵が、ここで幽閉され講義をしたという。
城郭外へバスが着くと、そこにはロバが曳くテント屋根付き観光ロバ車が沢山待ち受けていた。これに乗り、城内をまわる。このロバの御者は子供であるが、我々が日本人とわかるとロバに”頑張れがんばれトヨタ”等と気合を入れるなどカタコトの日本語を話す。
このロバ車に揺られて十分くらいで、三蔵法師の講義所跡につく。現在修復中でありやや興味をそがれる。城内は、数平方キロにも及び、そこには日干しレンガでつくられた建物の遺構が多数残っている。

●いにしえの都の栄え今いずこ (高昌国故城、唐代の西域経営の拠点)


●ロバ馬車で外堀、内堀、宮城観光(故城はおよそ200万-平方メーター)





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シルクロード(天山山脈にそって)11  [2007年07月27日(金) ]
ウルムチ」から「トルファン」

9月29日(その2)
次いで「ウルムチ」市のシンボルともなっている紅山に行く。ここは「ウルムチ」の中心に位置するためウルムチ市街が一望できる。
ウルムチ市街


大都会であることがよくわかる。ついで内外の資本を呼び込んで建設されたウルムチの国際大バザールに行く。大層な賑わいであり、ブランドショップで買い物ができるほか、さまざまな民族衣装等もあり、買い物には絶好の場所ではある。女性軍がいろいろ見て廻っている間男性軍は入り口付近で待機。


その後、次の目的地、「トルファン」へ向かう。「ウルムチ」の市街地を出て、高速道路に乗った。路面状態が良く、きちんと整備されている。途中、車の中から大規模な風力発電地帯が見えた。このあたりは山に囲まれていて風が強く、また偏西風が一年中吹くため風力発電に適しているとのことである。しばらくすると、2つの湖が見え、一つ目は、柴窩堡湖という淡水湖、二つ目は、その名も塩湖だった。この塩湖は湖岸に塩が噴出しており、白くなっていた。このあたりの特産品である。

● 白2つ黒が3つの特産品(白は塩、綿、黒は石炭、石油天然ガス)
● 沙漠には風力発電地帯も垣間見え  (ウルムチートルファン道に風車発電所もある)
 
「トルファン」は、乾燥しきった気候の地であるが、天山山脈に積もった雪が解けて地中にしみ込んだ地下水を、カレーズで導水しオアシスを作り、昔から栄えてきた町である。人口の80パーセントがウイグル人、残りが漢民族やその他の小民族から成る。世界有数の低い盆地で、町の標高は海抜0メートルで周辺砂漠より低地にあるため、夏は灼熱の都市となるそうである。ただ、この時期は快適である。この地域は水と乾燥した天候が葡萄等の果物を育んでいるが、町に入ると、道路の左右にブドウ園が広がっており、ところどころに、ブドウを乾燥させて干しブドウを作るための茶色い日干し煉瓦の小屋が並んでいる。名物は葡萄製品で、干し葡萄が美味しく葡萄酒も有名である。
宿となった緑州賓館に到着早速にワインで乾杯。食事も早々にウィグルの舞踏と民族音楽を見に市内の劇場に行く。踊りのメインは、チヌスー(茶碗踊り)という、女性の頭の上に液体を注いだ茶碗を載せて踊るものである。よほど頭の上が安定していないと液体がぼれてしまうが見事に踊っていた。

チヌスー(茶碗踊り)
                                    
ここの踊りは中国語で「胡旋舞」と書くらしい。
「胡」とはもともと中国西部から西アジア
ペルシャ辺の地域を意味するそうで、従って、
そうで、従っ胡瓜(きゅうり)、胡弓(こきゅう=楽器)、胡椒(こしょう)、胡麻(くるみ)などと同様にシルクロードを通って西方より流入した踊りということになる。

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シルクロード(天山山脈にそって)10  [2007年07月12日(木) ]
「クチャ」から「ウルムチ」へ

9月29日(その1)
「クチャ」から「ウルムチ」に向かう。南疆鉄道での天山越えは雄大ということであるが我々は時間の制約から中国南方航空の国内線のプロペラ機で天山を越える。発着とも時間は正確であったが、プロペラ機のせいか飛行時間は約2時間半。天山山脈を横断する航路であり、飛行時間中は天山山脈の上を飛んでいたという感じで何処までも山であったため、後で考えればよくぞプロペラ機で飛んだという気がした。途中朝食の軽食が出たがパンに生キュウリ一本という内容でそれをまるかじりする。
  
 天山山脈を横断



● 砂山の天山越えてウルムチへ
● プロペラ機山また山越えウルムチへ
● 天山を越えても越えてもまた天山
● 機内食パン2切れに生きゅうり


「ウルムチ」飛行場から市内観光に出る。まずは新疆博物館にいく。各少数民族の歴史やシルクロードの文化財などの出土品約3万点が石器時代から清代まで時代順に展示されている。アスターナ古墳から発見された唐墨は、奈良の正倉院に収蔵されている唐墨とほとんど同じものだという日本文化の原点もある。
しかし、この博物館の圧巻は、ミイラの展示である。なかでも有名なスウェーデンの探検家、スウェン=ヘディンが1980年に発掘したので知られる楼蘭(ローラン)遺跡から出土した、女性のミイラである。このミイラはローランの美女と呼ばれており、4000年前のもので死んだときの年齢は38歳〜45歳、身長は152cmで生前は158cmあった。金髪のヨーロッパ人の女性で髪に鷹の羽を挿し、皮の靴を履いている。
さらにローラン故城から発掘された3800年前の体は編物で包まれている。4,5歳のヨーロッパ人の子供のミイラも置かれている。全部で10体ぐらいであろうか、いずれも乾燥地ならではの保存状態で生前が想定できるぐらいの完全なものである。
                        

● ローラン酒飲むにいたらず美女に酔い

    新疆博物館エントランス






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シルクロード(天山山脈にそって)9  [2007年07月06日(金) ]
9月28日
この日は「クチャ」観光である。
バスでホテルを出発。ここではこの地専門の漢民族のガイドがついたが、日本語は上手くない。スルーガイド氏の補足がいる始末であった。
まず、クチャ市内から西・70kmにある「キジル千仏洞」に向かう。途中「クズルガハ烽火台」へ寄る。草木が全く生えていない赤茶色の山々に囲まれた荒涼たる大地に、高さ10数メートルの土の塔がポツンと1つだけ立っている。クズルガハとは赤い色の関所と
いう意味で、烽火台は2000年前に日干し煉瓦で造られた。現在の高さは13.5m、幅は4.5mであるが、建造時には高さ17.8m幅5mあったという。烽火台は、キャラバンの道に沿って15kmおきに造られたが、所によっては5kmおきに造られたそうであるが、現在はこの塔だけが残っている。 
                   
● 岩の上情報機能ののろし台



「キジル千仏洞」にむかう途中、「塩水渓谷」という、川の両岸が塩で真っ白くなっていた渓谷を通り、道は砂漠の中の悪路もあるが概して良好な道で、しばらくするとポプラの木々に囲まれたキジル千仏洞に着く。構内に入るとクマラジュウ(鳩摩羅什の像がある。ここから先はカメラの持ち込みを禁止されているので近くの土産物屋に預けて、鍵を持った案内人の後について回る。この石窟は、岩山の崖に造られた千仏洞が現在237窟あるそうで、いずれも4〜6世紀に作られたものでシャカ像が祀られていたが、イスラム教徒によって破壊された。また良い壁画は外国の探検隊によって剥ぎ取られ持ち帰られたということである。
菩薩天井窟、僧坊窟、壁ガン窟、太陽神窟、楽天窟など見学が許されている石窟を1時間半ほど見学した。
 中でも6世紀に造られ菩薩天井窟は、入り口の上の壁には弥勒菩薩の像があり、周囲の壁の画で仏教文化の浸透度がみえる。
 楽天窟は4世紀に造られた西の洞窟群で一番古い。中にはたくさんの楽器が描かれており,琵琶、篳篥、鈴、笙、クゴ(ハープ)、横笛、瓔珞、拍手などが見られ印象深い。

● 砂山のほこらに残る2000年



 この石窟の近所のレストランで食事。


帰途、スバシ故城に行く。赤い岩山に囲まれた砂漠の中に残る仏教遺跡である。



我々が今回訪れたのは、「西寺区」と呼ばれる区域で、川を挟んで遥か遠くの対岸に「東寺区」と呼ばれるもう1つの大きな遺跡群があるが、ここには立ち寄らず、ホテルに帰還。クチャは初めての連泊である。町にも出ずに就寝。






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シルクロード(天山山脈にそって)8  [2007年06月29日(金) ]

午後2時7分発の南疆鉄道に乗車し、一路、天山南路の要衝で昔、亀茲国として栄えた「クチャ」に向かう。
この南疆鉄道は、新疆ウイグル自治区の主要鉄道路線で、「トルファン」から「カシュガル」までの1,446kmを結んでいる。ほぼ往年の天山南路に沿って伸びており、沙漠地帯を貫く過酷な大地の中を走る路線である。

カシュガルの駅









我々は、西の終点「カシュガル」から「クチャ」までの約10時間の列車旅行である。左右に2段ベッドがある寝台列車(1個室4人部屋)に2家族ずつ1部屋で乗車。列車の内部はトイレは別として比較的に清潔である。ただ長距離を走ってきたため窓は非常に汚れており、乗車して最初にやったのは、外の景色がよく見えるようにするための窓ガラス拭きである。これはなかなかの効果があり、お陰で左の車窓から白銀の峰々が連なる天山山脈、右の窓からゴビ沙漠の一端を見ることができた。
夕食は列車食堂でとったが、時間の割り当てがありあわただしい食事であった。

● 天山に沿って9時間汽車の旅                
● 砂の中荒岩かさなり山をなす



 車窓から     





「クチャ」着23時12分。時間はほぼ正確であった。バスでホテル(クチャ飯店)へ。ホテルでは寝るのみ。

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シルクロード(天山山脈にそって)7  [2007年06月22日(金) ]
カシュガル4
9月27日
午前中は「カシュガル」市内見物。「カシュガル」は、天山南路の中央アジアへの入口に位置し、また昆倫北路、中パ公路の交通の要衝であり、多くの民族の交流拠点として長い交易の歴史を持つ。また、イスラムの拠点都市としても発展したオアシス都市であり、人口は広域で130万人にも達するといわれ、中心はウイグル族が占めている。

●カシュガル東西南北人種の坩堝

9時にホテルを出て観光名所に向かう。まずは、イスラム文化を象徴する観光名所霊廟「香妃墓」に行く。この陵墓には、17世紀に新疆南部を支配していたイスラム教指導者だったアパク・ホジャとその家族らが葬られている。彼の孫娘、イクパル・ハン(香妃)もここに葬られている。陵墓はドーム状の屋根で、外壁には唐三彩風の緑色のタイルが張られていてきれいである。ここから市内を見物しつつこの町の生鮮市場に行く。市街地は地元商人が住む旧市街と、最近開発された新市街アパート群に分かれているが金持ちの旦那衆は旧市街地で裕福に暮らしているという。
生鮮市場では、羊の丸ごとの肉や黄色にんじん等を見る。
次いで職人街にいく。広い道の両側には工房を兼ねたレンガ造りの店が建ち並び、靴・帽子・木工細工・楽器・金属製品など、少数民族の人達の生活に必要なもののほとんどが職人の手によって作られ売られている。特に楽器屋には、東西の楽器のルーツがここ「カシュガル」にあるそうで、いろいろな楽器が置いてあり興味深い。同行の何人かは土産に楽器を求めた。  
●民族の伝統ここに受け継がれ(職人街にて)



その後伝統的なバザールを見る。色はあざやかな布地、毛皮、帽子などのほか乾燥果実、塩なども多く売っており、所々に日本語を喋る人もいて、これに釣られて土産に襟巻きなど買い物をした。
さらに、街の中心にあるエイティガール寺院にいく。新疆・ウイグル自治区最大のイスラム寺院である。黄色のレンガでつくられた寺院は1798年に建設され、その後何度か修復され、内部は広い庭園になっており、1度に7000人が入れる礼拝堂がある。 エイティガールというのは、ペルシャ語で「祭を行う場所」という意味で、金曜日になるとウイグル族が集まり、導師が朗読するコーランに合わせて、西方のメッカに向い熱心に祈りを捧げるという。                  


 ●イスラムの力溢れるエイティガール寺院




ここ「カシュガル」は、伝統的バザールに加え、市の東北部に広さ30万平方メートルの中に店舗数約4千があるというこの地方で最大のバザール「中央・西アジア国際貿易市場」がある。ここを見学。ブランド品からローカル色のある民族衣料に至るまでいろいろそろっておりその豊富さに驚く。パキスタンなど海外からも買い物客が来るようである。

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