2 新疆・ウイグル自治区
私たちが訪れた新疆・ウイグル自治区は、中国の北西部に位置し、面積は166万平方キロで中国の総面積のおよそ1/6を占める。ユーラシア大陸の内陸部で、モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドなど八カ国と隣接する。
この広大な地域は、北にアルタイ山脈、南に崑崙山脈、西にはパミール高原があり、中部には天山山脈が横たわっている。ここでは、雄大な雪山、広大な草原、果てしなく広がる沙漠と美しいオアシス等、日本では考えられぬ壮大で変化に富む自然の景観を目にすることができる。
我々は、粉雪の舞うカラクリ湖観光を手始めに、「カシュガル」からタクマラカン沙漠を天山山脈に沿って、南疆鉄道で「クチャ」へ、さらに、「ウルムチ」、「トルファン」へは中国南方航空の飛行機やバスで旅した。全体には、果てしない沙漠地帯を旅行したことになる。
ところで、“沙漠”とは、文字通り水が少ない、雨の降らない地域、乾燥地を指す。ところが、我々日本人の場合、砂漠というのは、童謡“月の砂漠”に代表される砂丘の砂沙漠であるが、我々が旅行したところはこれと異なり、大部分が土沙漠、岩沙漠に分類される地帯であった。
しかし、乾燥地帯であることには違いない。
従って、近年、日本でも公開されて有名な「ローラン美女」をはじめ4000年も昔の遺体が完全なミイラとして残っている。また、「トルファン」近郊の高昌国時代の貴族の古墳群であるアスターナ古墳群では、墓にあった遺体(ミイラ)、織物、文書、陶器等が多く残っていて、人間の歴史そのものを見ることができる。
もっとも、近年は、これらの地域が鉄や銅の鉱物資源や、石油、天然ガス等の産地として注目され、道路整備はじめ種々開発が行われている。
沙漠の中に石油精製所があったり、広大な土地に数千という風車が並ぶ風力発電所があるなど、急速な近代化が進んでおり、中国の戦略地帯という印象でもあった。
昔は「西域」と呼ばれたこの地域は、西域南路、天山南路、天山北路という3本の「シルクロード」を通じ,イラン、インド洋、ペルシャ湾、地中海に接し、東西文化の交流地であった。東西の文明・文化や狛犬を含めた文物がラクダの背に乗り、この地に集まり、この地を経て、はるか日本にまで到達したという歴史がある。
例えば、我々が「カシュガル」から南疆鉄道で9時間をかけて着いた天山南路最大のオアシス「クチャ」は、仏教国である亀茲王国(2〜10世紀)があった所で、東西貿易の中継地として繁栄し、西域の代表的音楽の亀慈楽を生んだ。
それが長安を経て、日本にも伝わり我が国の「雅楽」になったといわれている。
また、この「クチャ」には、三蔵法師も立ち寄っているほか、仏教経典のほとんどを漢語に訳したといわれる鳩摩羅汁(クマラジュウ)の生地として、中国仏教・日本仏教の源流はここにあると言われている。
日本からも、明治時代に大谷光瑞師が探検隊を派遣した地でもあり、我々も石窟に書かれたそのサインを確認できた。
さらに、「トルファン」郊外のアスターナ古墳群で発見された唐墨と奈良の正倉院に収蔵されている唐墨はほとんど同じものであることなど、この地域は日本の文化面でも大きな影響を与えている。
現在、この地域の住民の約45%はウイグル族である。
この民族は、漢民族にとっては西方の異民族であるトルコ系遊牧民族である。
古代漢字では、“胡”という字は、西方の異民族、野蛮人を意味したというが、現在、日本にある胡椒、胡瓜、胡桃、胡弓等は、彼らがもたらした文化であり、“胡散臭い”などという表現も彼らに関係があるかも知れないと考えると、日本人は親近感を持つことができる。
「カシュガル」のホテルで歓迎の民族舞踊を見たが、中近東の踊りに似ているという印象が強い。また、「トルファン」で見た踊りは中国語で「胡旋舞」と書くらしい。踊りにも胡が付く。
食べ物は、羊の肉と野菜が中心である。羊の肉には臭みがない。また、乾燥地のせいか野菜、果物は甘味が強く結構おいしい。
料理の味は、岩塩の味と香辛料であまりしつっこさはない。食事ごとに出るうり、スイカ等果物類、特に「トルファン」の干し葡萄はまさに絶品である。旅行中、食事は素朴であるが飽きることはなく不自由しなかった。
いずれにしても、新疆・ウイグル地域は、身近に感じることの多い地域でもあった。
私たちが訪れた新疆・ウイグル自治区は、中国の北西部に位置し、面積は166万平方キロで中国の総面積のおよそ1/6を占める。ユーラシア大陸の内陸部で、モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドなど八カ国と隣接する。
この広大な地域は、北にアルタイ山脈、南に崑崙山脈、西にはパミール高原があり、中部には天山山脈が横たわっている。ここでは、雄大な雪山、広大な草原、果てしなく広がる沙漠と美しいオアシス等、日本では考えられぬ壮大で変化に富む自然の景観を目にすることができる。
我々は、粉雪の舞うカラクリ湖観光を手始めに、「カシュガル」からタクマラカン沙漠を天山山脈に沿って、南疆鉄道で「クチャ」へ、さらに、「ウルムチ」、「トルファン」へは中国南方航空の飛行機やバスで旅した。全体には、果てしない沙漠地帯を旅行したことになる。
ところで、“沙漠”とは、文字通り水が少ない、雨の降らない地域、乾燥地を指す。ところが、我々日本人の場合、砂漠というのは、童謡“月の砂漠”に代表される砂丘の砂沙漠であるが、我々が旅行したところはこれと異なり、大部分が土沙漠、岩沙漠に分類される地帯であった。
しかし、乾燥地帯であることには違いない。
従って、近年、日本でも公開されて有名な「ローラン美女」をはじめ4000年も昔の遺体が完全なミイラとして残っている。また、「トルファン」近郊の高昌国時代の貴族の古墳群であるアスターナ古墳群では、墓にあった遺体(ミイラ)、織物、文書、陶器等が多く残っていて、人間の歴史そのものを見ることができる。
もっとも、近年は、これらの地域が鉄や銅の鉱物資源や、石油、天然ガス等の産地として注目され、道路整備はじめ種々開発が行われている。
沙漠の中に石油精製所があったり、広大な土地に数千という風車が並ぶ風力発電所があるなど、急速な近代化が進んでおり、中国の戦略地帯という印象でもあった。
昔は「西域」と呼ばれたこの地域は、西域南路、天山南路、天山北路という3本の「シルクロード」を通じ,イラン、インド洋、ペルシャ湾、地中海に接し、東西文化の交流地であった。東西の文明・文化や狛犬を含めた文物がラクダの背に乗り、この地に集まり、この地を経て、はるか日本にまで到達したという歴史がある。
例えば、我々が「カシュガル」から南疆鉄道で9時間をかけて着いた天山南路最大のオアシス「クチャ」は、仏教国である亀茲王国(2〜10世紀)があった所で、東西貿易の中継地として繁栄し、西域の代表的音楽の亀慈楽を生んだ。
それが長安を経て、日本にも伝わり我が国の「雅楽」になったといわれている。
また、この「クチャ」には、三蔵法師も立ち寄っているほか、仏教経典のほとんどを漢語に訳したといわれる鳩摩羅汁(クマラジュウ)の生地として、中国仏教・日本仏教の源流はここにあると言われている。
日本からも、明治時代に大谷光瑞師が探検隊を派遣した地でもあり、我々も石窟に書かれたそのサインを確認できた。
さらに、「トルファン」郊外のアスターナ古墳群で発見された唐墨と奈良の正倉院に収蔵されている唐墨はほとんど同じものであることなど、この地域は日本の文化面でも大きな影響を与えている。
現在、この地域の住民の約45%はウイグル族である。
この民族は、漢民族にとっては西方の異民族であるトルコ系遊牧民族である。
古代漢字では、“胡”という字は、西方の異民族、野蛮人を意味したというが、現在、日本にある胡椒、胡瓜、胡桃、胡弓等は、彼らがもたらした文化であり、“胡散臭い”などという表現も彼らに関係があるかも知れないと考えると、日本人は親近感を持つことができる。
「カシュガル」のホテルで歓迎の民族舞踊を見たが、中近東の踊りに似ているという印象が強い。また、「トルファン」で見た踊りは中国語で「胡旋舞」と書くらしい。踊りにも胡が付く。
食べ物は、羊の肉と野菜が中心である。羊の肉には臭みがない。また、乾燥地のせいか野菜、果物は甘味が強く結構おいしい。
料理の味は、岩塩の味と香辛料であまりしつっこさはない。食事ごとに出るうり、スイカ等果物類、特に「トルファン」の干し葡萄はまさに絶品である。旅行中、食事は素朴であるが飽きることはなく不自由しなかった。
いずれにしても、新疆・ウイグル地域は、身近に感じることの多い地域でもあった。
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