シルクロード(天山南路に沿って)雑俳旅行記 その1
1 旅行の発端
昨年の春、K君から突然電話があり、「今度、昭和29年大学入学の有志が夫婦一緒にシルクロードに行くことになったが、参加者数が足りないため君もぜひ参加しろ」というお誘いがあった。検討すると答えると、早々に旅行の幹事のN弁護士から日程表などが送られてきた。
その旅行計画は実に壮大なものである。
まず、中国西端の新疆・ウイグル自治区の国境の町であり、西域の有力都市「カシュガル」に行く。
そこからパキスタン方向の南200キロにあるパミール高原の一角に佇む「カラクリ湖(標高3600m)」から遥か彼方の崑崙山の一つ、「ムズアクアタ(標高7546m)」を眺め、三高寮歌“逍遥の歌”第3番、第9番を実感しながら歌うことをメインイベントとするものである。
念のために歌詞を記すと次のとおりである。
3番 千載(せんざい)秋の水清く
銀漢(ぎんかん)空にさゆる時
通える夢は崑崙(こんろん)の
高嶺の此方(こなた)ゴビの原
9番 嗚呼又遠き二千年
血潮の史(ふみ)や西の子の
栄枯の跡を思うにも
胸こそ躍れ若き身に
その後は余録で、シルクロードを西から東へ、タクラマカン沙漠を天山山脈に沿って走る南疆鉄道で「クチャ」に行き、さらに「ウルムチ」「トルファン」「西安」を訪れ、仏教遺跡を中心に文化の軌跡を尋ね、日本文化の源流をみるという7泊8日の旅の内容である。
その日程表を家内に見せたところ、驚きあきれ、挙句は同行しないという。
理由は、古希を超えた亭主群には無茶苦茶な日程であること、特に徹夜に近い状態で標高3600mの高山湖(カラクリ湖)に行き、空気の薄いところで歌を歌うことをメインイベントとする計画など、狂気の沙汰であるという。
高山病にかかる可能性があるのに、カシュガルから一旦バスに乗ったら途中で引き返すこともできない、100キロも200キロも離れた山中では病院もなく死ぬ可能性もある。死ななくても後遺症の恐れもある。その上、行路は沙漠と岩山ばかりで水やトイレがない。生水どころか、生果物も絶対に避けねばならない土地柄では、食事や衛生上の問題が多く、決死の覚悟の旅行である等をつらつらと並べ立てるのであった。
しかし、私は、かねてから行きたい地であり、K君との昔からの約束もあり、また、K君と共通の友人でシンガポール在住のO夫妻にも既に同行を呼びかけていた手前、いまさら“参加しない”では義理が立たない。
そのため、日程を作ったKツーリストN支店に連泊の検討など、日程の修正と十分な酸素・水の手配などの高山病対策を依頼した。
しかし、参加者には前後に予定が詰まっている人がいて、調整は困難という。結局、当初日程で強行せざるを得ないという。そこで、私は、ともかく高山病のおそれのあるカラクリ湖行きには余裕を持って臨むべく、出発日を皆より一日早め、北京に前泊するということで家内を説得。拝み倒してようやく同行した。
最終的には、家内同様、高山病に罹った経験があるN弁護士夫人が残念ながら欠席となり、6夫婦と単身3人の計15人の一行が、北京から出発して帰国するまで7泊8日の(崑崙会)旅行となった。
なお、ガイドは日本から同行せず、北京、西安はそれぞれ、ウイグル地区はスルーガイドと現地ガイドという手配であり、この点でも心配があった。
しかし、振り返ってみれば、仲間は旧知の友人も多い大学の同窓であり、行った先々では見るもの聞くもの珍しい物だらけで、皆で楽しい時間が過ごせた旅行であった。
特に奥様方は常に元気であった。老いたる亭主群を引っ張って動いていたという印象であるが、旅行の楽しみ方が夫婦でも異なるということも痛感した。
例えば、某氏は値切るのが得意で値切っての買い物を楽しんでいたが、同夫人の方は,開発途上国等では相手の言い値で買うのがボランティアになるとしておおらかに土産物を買っていた。違うものである。
このあたりから、私の雑俳が飛び出し始めた。
● 崑崙の高嶺を尋ねて3000里
● いざ崑崙、男はロマン、女はバザール
● 奥様は今日も元気だ、崑崙会
山また山のシルクロードの景色
沙漠の風景
1
1 旅行の発端
昨年の春、K君から突然電話があり、「今度、昭和29年大学入学の有志が夫婦一緒にシルクロードに行くことになったが、参加者数が足りないため君もぜひ参加しろ」というお誘いがあった。検討すると答えると、早々に旅行の幹事のN弁護士から日程表などが送られてきた。
その旅行計画は実に壮大なものである。
まず、中国西端の新疆・ウイグル自治区の国境の町であり、西域の有力都市「カシュガル」に行く。
そこからパキスタン方向の南200キロにあるパミール高原の一角に佇む「カラクリ湖(標高3600m)」から遥か彼方の崑崙山の一つ、「ムズアクアタ(標高7546m)」を眺め、三高寮歌“逍遥の歌”第3番、第9番を実感しながら歌うことをメインイベントとするものである。
念のために歌詞を記すと次のとおりである。
3番 千載(せんざい)秋の水清く
銀漢(ぎんかん)空にさゆる時
通える夢は崑崙(こんろん)の
高嶺の此方(こなた)ゴビの原
9番 嗚呼又遠き二千年
血潮の史(ふみ)や西の子の
栄枯の跡を思うにも
胸こそ躍れ若き身に
その後は余録で、シルクロードを西から東へ、タクラマカン沙漠を天山山脈に沿って走る南疆鉄道で「クチャ」に行き、さらに「ウルムチ」「トルファン」「西安」を訪れ、仏教遺跡を中心に文化の軌跡を尋ね、日本文化の源流をみるという7泊8日の旅の内容である。
その日程表を家内に見せたところ、驚きあきれ、挙句は同行しないという。
理由は、古希を超えた亭主群には無茶苦茶な日程であること、特に徹夜に近い状態で標高3600mの高山湖(カラクリ湖)に行き、空気の薄いところで歌を歌うことをメインイベントとする計画など、狂気の沙汰であるという。
高山病にかかる可能性があるのに、カシュガルから一旦バスに乗ったら途中で引き返すこともできない、100キロも200キロも離れた山中では病院もなく死ぬ可能性もある。死ななくても後遺症の恐れもある。その上、行路は沙漠と岩山ばかりで水やトイレがない。生水どころか、生果物も絶対に避けねばならない土地柄では、食事や衛生上の問題が多く、決死の覚悟の旅行である等をつらつらと並べ立てるのであった。
しかし、私は、かねてから行きたい地であり、K君との昔からの約束もあり、また、K君と共通の友人でシンガポール在住のO夫妻にも既に同行を呼びかけていた手前、いまさら“参加しない”では義理が立たない。
そのため、日程を作ったKツーリストN支店に連泊の検討など、日程の修正と十分な酸素・水の手配などの高山病対策を依頼した。
しかし、参加者には前後に予定が詰まっている人がいて、調整は困難という。結局、当初日程で強行せざるを得ないという。そこで、私は、ともかく高山病のおそれのあるカラクリ湖行きには余裕を持って臨むべく、出発日を皆より一日早め、北京に前泊するということで家内を説得。拝み倒してようやく同行した。
最終的には、家内同様、高山病に罹った経験があるN弁護士夫人が残念ながら欠席となり、6夫婦と単身3人の計15人の一行が、北京から出発して帰国するまで7泊8日の(崑崙会)旅行となった。
なお、ガイドは日本から同行せず、北京、西安はそれぞれ、ウイグル地区はスルーガイドと現地ガイドという手配であり、この点でも心配があった。
しかし、振り返ってみれば、仲間は旧知の友人も多い大学の同窓であり、行った先々では見るもの聞くもの珍しい物だらけで、皆で楽しい時間が過ごせた旅行であった。
特に奥様方は常に元気であった。老いたる亭主群を引っ張って動いていたという印象であるが、旅行の楽しみ方が夫婦でも異なるということも痛感した。
例えば、某氏は値切るのが得意で値切っての買い物を楽しんでいたが、同夫人の方は,開発途上国等では相手の言い値で買うのがボランティアになるとしておおらかに土産物を買っていた。違うものである。
このあたりから、私の雑俳が飛び出し始めた。
● 崑崙の高嶺を尋ねて3000里
● いざ崑崙、男はロマン、女はバザール
● 奥様は今日も元気だ、崑崙会
山また山のシルクロードの景色
沙漠の風景
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