シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

リンク集
シルクロード(天山山脈にそって)15 [2007年08月29日(水) ]
夕食は餃子宴会。
餃子は宮廷料理にも入っており、唐朝の楊貴妃は鶏手羽肉を使った蒸し餃子を食していたといわれるぐらい非常に歴史の古い食物だそうである。
1984年に多彩な味の餃子が西安で編み出されたということで、西安市で世界最初の餃子宴が行われ、以来餃子宴は西安の名物となっているらしい。

餃子は、調理技術と芸術の融合とも言われ、「1つの餃子に1つのスタイル」「百の餃子に百の味」といわれるそうで、餃子宴ではトータル20種類あまりの餃子がもてなされるという。それぞれの餃子料理店で、コースの順序、味のバランス、栄養のバランスなどを計って趣向が凝らしており
聞くところによると、あんの取り合わせ方や調理の仕方も吟味されていて、春には「鶏と若筍の餃子」、夏には「冬瓜の蒸し餃子」、秋には「地鶏と栗の蒸し餃子」、冬には「冬筍の辛み蒸し餃子」など、季節に合わせた絶妙な味わいが楽しめるようになっているのが餃子宴だそうである。
我々の場合、いろいろ運ばれ、揚げ餃子、焼き餃子、蒸し餃子、茹で餃子などは食べたような気もするが、大広間で3テーブルに分かれて座っており、ガイドからも、料理人からも特段の解説もなく、従って十分に趣向を味わうまでには至らなかった。ただ、多種類であることには感心したが、出発後7日目でもあり、疲れもたまり、それ程食が進まず、かなり残したようにおもわれる。
餃子の歴史は古く由緒ある食べ物であり、機会があれば改めて解説を聞きながらゆっくりと味わいたい料理であると思っている。

ホテルに帰った後、有志はホテルの前の広場を見学に。我々はやや風邪気味であり就寝たため西安観光は風が通り過ぎるようなものであった。




Posted at 11:52 | この記事のURL
コメント(2) | トラックバック(0)

シルクロード(天山山脈にそって14 [2007年08月20日(月) ]
10月1日
朝食後飛行機で「西安」に向かう。
中国では、今日から国慶節の連休に入る。このため観光地や都会は混雑を極めるとかであり、途中の混雑も覚悟したがほぼ順調に西安に1時に到着。                             
ここ西安は、紀元前11世紀から10世紀初頭までの2000年間、 秦、漢、隋、唐など12の王朝の国都が置かれていた中国の歴史上最も重要な都市である。
また、シルクロードの起点として西方からくる多くの外国人で賑わった旧都「長安」である。特に唐代は、50万もの人口を擁する国際都市として栄えていたといわれており、従って、遺跡等文化遺産も多い。
しかし、現在の最大の見ものは秦兵馬俑博物館。
中国最初の皇帝始皇帝の陵墓を守る陪葬物として作られた兵士や馬の焼物人形の博物館である。この焼物兵馬俑は1974年に井戸を掘っていた農民によって偶然に発見されたもので、現在は、出土したままのかたちで、武装した兵馬俑が並んで展示されている。実に壮大なものであり、中国を統一した秦軍の威容を現代に伝えている。
兵士像は、平均身長178cmと等身大であるうえ、顔の表情も一体づつ微妙に異なっており、当時の技術水準の高さが伺われる。今では当地の最大の観光名所になっている。



この後、「西安」の東25キロ離れた驪山のふもとにある玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの舞台ともなった「華清池」を散策した。ここには楊貴妃が使った温泉跡もあり、また敷地内には温泉も設けられているそうであるが、時間の関係で入浴できなかったのは温泉好きの私としては残念であった。




「 西安」は、今日の中国で、旧城壁を完全に保存している唯一の古都である。特に西門は、西方のシルクロードを望む最大の城門で、ここから多くの人々が西を目指して出立した。主要な観光ポイントであり、見る価値があるものであるが、我々は時間の関係から割愛せざるを得ず逆に美術館の買物につれていかれた。
中国のガイドは観光客に買物させるのがノルマであり、しきりに買物をさせたがるのには参る。

Posted at 14:48 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

シルクロード(天山山脈にそって)13 [2007年08月13日(月) ]
トルファン続き
次にアスターナ古墳群にいく。これは高昌国時代の貴族の古墳群で、墓にあった遺体(ミイラ)、織物、文書、陶器等が保存展示されているが、往時のこの地域の実力が偲ばれる。
●西域の実力示す古墳群  アスターナ(憩いの意)古墳群埋蔵品)
●人生訓ハンカチ、甕に草と糸 (アスターナ古墳群埋蔵品)

そこから、トルファン盆地の北側の砂漠の中の火焔山を左に見ながら、ベゼクリク千仏洞に向かう。やがて、川から屹立した崖の横腹に、高昌ウイグル帝国時代(9世紀)の王族の寺院であったベゼクリク千仏洞が見える。
崖に沿ってテラス状の回廊があり、大小の洞窟五十余がある。ここはウイグル文化を伝える遺跡であるが、洞窟内の壁画や仏像はその後破壊されたり剥ぎ取られているのは、残念である。
●灼熱で卵をゆでるか火焔山 (西遊記の舞台火焔山)
●千年の俗世を耐えた壁画かな   (ベゼクリク千仏洞は仏教石窟57窟ある)

火焔山


ついで、カレーズを見学するため博物館に行く。
カレーズとは、ペルシャ語で『地下水』を意味する。天山山脈からの水が流れる地下水路で盆地の傾斜を利用し、高い所に井戸を掘り、そこから天山の底を流れる地下水を暗渠を通して、その同位にある地上に水を引くというものである。構造は簡単であるが、水量は安定しており、蒸発を防ぐことが出来る。トルファンの生命線である。トルファンには約1500本のカレーズが掘られ、縦横4000kmである。

カレーズ


これは中国では、運河、万里の長城と並んで3大公共工事とされている。この水の恩恵で、「トルファン」は、約3万haの耕地が緑に覆われ、白葡萄・ハミ瓜、長繊の綿花など実る美しい町となっている。
昼食は、葡萄畑の中のレストランで昼食をとりながらワインを飲む。それなりのものである。
「カシュガル」のバザールで、葡萄は「トルファン」で買えといわれたぐらい葡萄の本場だけに昼食後レストランの近所の農家で干し果物試食し適宜購入した。この干し葡萄は、味が抜群に好かった。 また「トルファン」では、気候を生かしその他の乾燥果物もあったが、中でも「烏梅」ウーメイがよかったと思う。烏梅は青梅を薫製・乾燥させた物で、漢方薬を兼ねた乾燥果物でここにしか無いとか。日本の黒糖漬け梅干の薫製と似ている商品である。

●ウイグルの誇りはトルファンぶどう園 (高昌国の後ウイグル人の西ウイグル国)
●天山とカレーズもたらすぶどう園 (カレーズはペルシャ語で地下水の意)
●ぶどう園皮をむき剥き試食をし  (水に厳重注意、氷と果物の皮はやはり注意)

ぶどう園内








              

Posted at 11:11 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

シルクロード(天山山脈にそって) [2007年08月07日(火) ]
9月30日
 「トルファン」近郊の観光に出る。ここには古代の大きな遺跡が2箇所ある。そのひとつが交河故城であり、他方は西遊記で有名な火焔山近傍の高昌故城である。
 我々は、「トルフアン」から40kmの高昌故城へ行く。故城は平坦地形に、日干しレンガで数メートルに及ぶ城壁を積み上げて城域とし、その中に寺院、住居を構築した古代都市である。唐の時代には漢族による麹氏(きくし)高昌国があり、西遊記で有名な玄奘三蔵が、ここで幽閉され講義をしたという。
城郭外へバスが着くと、そこにはロバが曳くテント屋根付き観光ロバ車が沢山待ち受けていた。これに乗り、城内をまわる。このロバの御者は子供であるが、我々が日本人とわかるとロバに”頑張れがんばれトヨタ”等と気合を入れるなどカタコトの日本語を話す。
このロバ車に揺られて十分くらいで、三蔵法師の講義所跡につく。現在修復中でありやや興味をそがれる。城内は、数平方キロにも及び、そこには日干しレンガでつくられた建物の遺構が多数残っている。

●いにしえの都の栄え今いずこ (高昌国故城、唐代の西域経営の拠点)


●ロバ馬車で外堀、内堀、宮城観光(故城はおよそ200万-平方メーター)





Posted at 14:11 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

<< 2007年08月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリアーカイブ
最新トラックバック