””””中国当局 ダライ・ラマ側と協議かみ合わず ついにダライラマ側は個人的サイドでの交渉努力をあきらめ、全体会議の結論にゆだねる事となってしまった。(犠牲者を少なくする努力を重ねて、民衆を何とか抑えてきたけれど、中国側の強硬な態度に、交渉が決裂してしまった。誠に残念としか言いようが無い)その会議は17日だと聞いた。この結論如何では、チベット族対漢民族のべトコン紛争に、発展する可能性がある””””
日々是修行 佐々木 閑 まっとうな宗教者なら、『人を殺せば幸せになれる』とは言わない。『自分が嫌なことは、他人も嫌がるに違いない』と言う同類への配慮があって、他者を『殺してやろう』と、心がグツグツ煮えたぎっている者に、安穏などありえないからだ。宗教の目的が、『穏やかな日々の実現』にあるなら、そこには必ず、『同類を殺すな』という教えが入ってくる。だから宗教は、流血とは一切無縁なはずなのだ。
ところが話は逆だ。誰もが知る通り、多くの宗教の過去は血塗られている。宗教のせいで殺された人の数は想像もつかない。これはあまりにも大きな矛盾ではないか。なぜ宗教が殺人と結びつくのか。 その一番の理由は、『同類を殺すな』と言う場合の『同類』の意味の取り違えである。それを『同じ考えを持つ者』と限定してしまうと、『自分たちの考えに従わない者は同類ではない。敵だ。敵なら殺しても構わない』という理屈になる。
殺さないまでも、『敵なら苦しめても良い』と、憎しみが正当化される。『同類』の意味をどう設定するかで宗教は、優しく穏やかなものになったり、苛烈で排他的なものになったりする。その宗教がどれ程平和的で穏健なものか知りたければ、その宗教の『同類意識の幅の広さ』を見ればよいのである。 仏教の歴史にも、血の染みはついている。それは否定出来ない。
だが釈迦にまで遡れば、そこに暴力の影は無い。釈迦の仏教は、『人には、仏の教えで助かる者もいれば、そっぽを向いて別の道を行く者もいる。せめて、こちらを向いてくれる者だけでも助けよう』と考える。自分達の考えを認めない者を『教えの敵』とは見なさない。『こちらに来てくれないのは残念だ』と失望するだけだ。総ての生き物は『同類』なのである。『考えは異なっていても、生き物として皆同類だ』と考える事で、釈迦の仏教は一切の暴力を振り払った。その理念は、現代社会でも貴重な指針となるだろう。 (花園大学教授)
”””私の知る宗教は、殆どが、国家組織のようになっており、一部の組織には、闇の暗殺組織までも創られている。その具体的な例が、いまは、(アレフ)と改名した、麻原宗教だが、思い起こして欲しい、言論出版問題や電話盗聴事件、世間にのし上がる為におこした当時の事件は、いまやもっと恐ろしい国家権力の中枢までも入っている事を・・・・・・・誰も恐れて書くことが出来ない。その事を国会承認として暴こうとしているのが、今回の矢野承認尋問なのである。(彼もまた、命を懸けている)この事を私たちは知っておかなければならない。””””政治に介入し或いは利権がらみで命を落とす事は、総てが闇へ葬られる。・・・・・・・・それを暴く事ができるのは、常に新しい政権の誕生であり、闇の世界を創れないように出来るのは、政権が常に変化する事であり、国民の監視の目以外に何も無いのである”””””
日々是修行 佐々木 閑 まっとうな宗教者なら、『人を殺せば幸せになれる』とは言わない。『自分が嫌なことは、他人も嫌がるに違いない』と言う同類への配慮があって、他者を『殺してやろう』と、心がグツグツ煮えたぎっている者に、安穏などありえないからだ。宗教の目的が、『穏やかな日々の実現』にあるなら、そこには必ず、『同類を殺すな』という教えが入ってくる。だから宗教は、流血とは一切無縁なはずなのだ。
ところが話は逆だ。誰もが知る通り、多くの宗教の過去は血塗られている。宗教のせいで殺された人の数は想像もつかない。これはあまりにも大きな矛盾ではないか。なぜ宗教が殺人と結びつくのか。 その一番の理由は、『同類を殺すな』と言う場合の『同類』の意味の取り違えである。それを『同じ考えを持つ者』と限定してしまうと、『自分たちの考えに従わない者は同類ではない。敵だ。敵なら殺しても構わない』という理屈になる。
殺さないまでも、『敵なら苦しめても良い』と、憎しみが正当化される。『同類』の意味をどう設定するかで宗教は、優しく穏やかなものになったり、苛烈で排他的なものになったりする。その宗教がどれ程平和的で穏健なものか知りたければ、その宗教の『同類意識の幅の広さ』を見ればよいのである。 仏教の歴史にも、血の染みはついている。それは否定出来ない。
だが釈迦にまで遡れば、そこに暴力の影は無い。釈迦の仏教は、『人には、仏の教えで助かる者もいれば、そっぽを向いて別の道を行く者もいる。せめて、こちらを向いてくれる者だけでも助けよう』と考える。自分達の考えを認めない者を『教えの敵』とは見なさない。『こちらに来てくれないのは残念だ』と失望するだけだ。総ての生き物は『同類』なのである。『考えは異なっていても、生き物として皆同類だ』と考える事で、釈迦の仏教は一切の暴力を振り払った。その理念は、現代社会でも貴重な指針となるだろう。 (花園大学教授)
”””私の知る宗教は、殆どが、国家組織のようになっており、一部の組織には、闇の暗殺組織までも創られている。その具体的な例が、いまは、(アレフ)と改名した、麻原宗教だが、思い起こして欲しい、言論出版問題や電話盗聴事件、世間にのし上がる為におこした当時の事件は、いまやもっと恐ろしい国家権力の中枢までも入っている事を・・・・・・・誰も恐れて書くことが出来ない。その事を国会承認として暴こうとしているのが、今回の矢野承認尋問なのである。(彼もまた、命を懸けている)この事を私たちは知っておかなければならない。””””政治に介入し或いは利権がらみで命を落とす事は、総てが闇へ葬られる。・・・・・・・・それを暴く事ができるのは、常に新しい政権の誕生であり、闇の世界を創れないように出来るのは、政権が常に変化する事であり、国民の監視の目以外に何も無いのである”””””
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