もう少しだけ聞いてくれ。人間の子供は乳離れも子離れも遅く、幼稚園や小学校の入学式に母親が着いていくのは成長した姿を見る悦びがある。それは嬉しく傍目にも楽しい光景だ。しかし大学に入るときも、卒業して大人になって就職しても、教授やら就職先の上司に我が子をよろしくと手みやげ持参で母親が挨拶に参上する。こうした子離れの遅い母親に育てられると、ペット以下だな。
猫の母親は四ヶ月後には子供をさっさと突き放し、自分は次の相手を探しだし、次の子づくりをし、育児に励む。動物の理にかなっているのだ。もっとも次の相手が、昔、別れ別れになった兄弟姉妹であったり、子供であったりすることもある。彼らには、人間のような親子だから交わってはならない、自分の兄弟だから交じり合って子供を作ってはならないといった倫理観などはない。相手が雄か雌でしかない。それでも、さすがに同じ家の中、同じ生活範囲でくらしていると、親子、兄弟の近親相姦は少ない。求愛されても、朝から晩まで同じテリトリーでくらしている顔ぶれのせいで新鮮味にかけるのか、相手を受け入れないのである。
生まれた仔猫たちは母に去られる前、授乳期の六十日間になんとか自力でモノを噛み砕けるようになる。自分の眼の前のものが食料として適しているかどうかの判断も、この期間に修得するのである。もちろん完璧ではない。目が見えるようになり、まだよちよち歩きのくせに好奇心のつよい仔猫がとんでもないものを口にし、命を落とすことも多い。同じ母から産まれても、発育に差があるのは他の生物と少しも変わらない。危険を素早く察知できる仔猫は、危険から身をかわす術も早くから心得ているが、どうしようもなくトロイ仔猫もけっこういるのだ。
仔猫たちの動きや性格は母猫に教えられ育まれたわけではないが、本能的に相手を威嚇することも次第にマスターする。生まれつき成育が遅ければ、当然エサにありつける機会も少なく、敵に抵抗するどころか逃げることも下手である。
この差は産まれた直後から如実である。
猫の出産を見たことがあれば知っているだろうが、母猫は出産するとすぐさま仔猫を包んでいる薄い水色の胎盤や出産の汚れを丁寧に舐めとり、剥がして、きれいにしてやる。口から呼吸する術を知らぬ猫は鼻孔部をきれいにしてもらわなければ窒息死するのだ。母猫に呼吸の孔を開けて貰って、赤ちゃん猫はようやく呼吸が出来るようになる。
この一連の作業は何時間かかろうが何匹産まれようが、母猫は最後まで根気よく行う。人間と違い、他人の手を借りたりはしない。手抜きなどもしないのだ。
自分のお腹に宿した子を全員産み終え、産み終えたことを納得するまで、丹念に産後の作業をつづける。だが彼女の仕事はそこまでである。生まれた仔猫は自分で生きる努力をしなければならない。
お母さんに体をきれいにしてもらった仔猫は、今度はありったけの力を振り絞って乳を捜さねばならない。お母さんの体から周囲とそこら中を嗅ぎ回り、鼻をあちこちにすりつけ、ときには産褥の臭いを母乳と勘違いして、性器に吸い付いたりもする。
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