経済モノが専門の作家と思われた来たが、新しい何かを掴みたいと、このコーナーで試させていただきます。

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恥、と 私の初期認知症 [2008年06月29日(日) ]

この数年、種々の血なまぐさい事件が頻発しています。
社会が悪い、教育が悪いと多くの評論家が唱えています。
唱えるだけで稿料が入るのですから、関連した事件が発生
しても、なんの痛痒も感じないのでしょう。
彼ら評論家、そして多くの一般の皆さんに感じて頂きたいのが
精神的「痛痒」です。恥ずかしさを覚えて頂きたい。

卑近な例ですが、男どもが女性をねじ伏せようと力尽くで
抱き寄せたとき「あなたって、そのような人だと思わなかった」
と唱えられ、行為を中止したことは多くの男どもの経験に
あろうと考えます。

羞恥心や見栄が理性の代わりをしてくれることがあります。
世間体が悪い。このようなことをして、あからさまになると格好
が悪い。だから止そう。です。
今、多くの日本人が恥を忘れています。
もう少し格好良さ、を自分の内側に持って欲しい。見栄が表
向きだけであることはおおかたの知るところです。しかし、その見
栄を守るために、世に恥じるべきこと、世間に迷惑を及ぼし、
自分を最低の人間に貶める事件が抑制されてきたことを、今
一度思い起こしてほしいのです。プライドを守るという言葉があ
りました。プライドは元々ライオンのテリトリーで、自分たちの暮
らしを守るという内容から、誇り、に転嫁したものです。
人間として、などと最もらしいことは言いません。小さな家、貧乏な家
世間的に認められない家。その他、いろいろあります。しかし、このよう
なことをしでかしては、親や兄弟に恥をかかせる。自分も最低の人間
だと思われる。せっかく、少しは格好を付けてきたこれまでが台無しに
なる。それだけでも、日常のくらしの中で考えて欲しい、のです。
「恥」の中に日本人的美意識があり、行動があり付随的に口惜しさが
存在しました。その口惜しさをバネに、生きてきたことがいろいろな向上
に繋がってもいました。それを、もう一度、考え直して欲しいのです。


追伸
7月7日、フジテレビ系列の朝「ハピふる」という番組で初期の老人性
痴呆症(認知症)を追う、という番組が私を取り上げるようです。
アルツハイマーの初期のようです。自然の成り行きと受け入れるつもり
です。

                                 こずかた 治

Posted at 09:57 | 病(やまい)いろいろ | この記事のURL
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サヨウナラ後日談 [2008年06月24日(火) ]
サヨウナラを終えて暫く経ちました。殆どの方に読んで頂けただろうと、このページを消します。次の作品を考えていますので、今週末に消します。もし宜しければ、それまでに読み終えて下さいますよう。こずかた

Posted at 16:54 | この記事のURL
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サヨウナラ <25>最終回 [2008年06月03日(火) ]
 その翌朝。
 私は朝刊を開き、自分の目を疑った。そして、ウソだ! と叫んだ。全身ががくがく、おのおのと震え、自力で立てず庭に面した廊下にべたりと座り込んだ。小便が漏れるのを微かに感じていた。紙面に【傷痍軍人、孤独の死】とあり、昨夜遅く、新宿、諏訪町の引揚者寮で両脚のない一人の傷痍軍人がガス自殺したと小さく報じられていた。
 彼の妻は数年前に縊死。長男もガス自殺、次男は現在、行方不明で将来をはかなんだのであろうとあった。私にはそこまでしか読めなかった。
 頭の中が真っ白になっていた。嗚咽が込み上げ、呼吸が出来なかった。 涙が溢れ文字が見えなくなっていた。
 昨夜、別れ際に彼は
「有難う。こんなにいい人に会い、こんなに楽しい夜は生まれて初めてだった」。そして、最後に『サヨウナラ』と言った。
 東京には一千万人以上の人間がくらしている。さらにラジオは首都圏だけで数千万人が聴取している。その中でも、人生相談という番組の中で、彼と私は直接、話し合ってはいない。彼が身の上相談の番組の中で話した悩みをテープで聞き、編集しただけなのだ。誰もいない窮屈で、タバコのヤニで汚れた狭い編集室でモニターを通して声を聞いた。会話をしたのではない。たしかに、四十数時間も編集室では彼とはつきあった。しかし、全くの一方通行だったのだ。
 その間、これは生きた人間のものじゃない、死者の声だと陰口し、ときにはののしった。電話口で会話した回答者の声や名前は彼の記憶にあるだろう。だが、私は彼の相談相手ではなく、内容を録音したテープの編集者だったのだ。私の存在など知りようがない。
 なのに、私を訪ねて来た。彼には、心から話を聞いてくれる者がいなかったのか。深くつきあってくれる者はそれほどいなかったのか。自分の声を、懸命に聞いてくれた私に、礼を述べに来たというのか。それほど彼は寂しかったのか。私は仕事で聞いただけなのだ。

 「有難う。こんなにいい人に会え、こんなに楽しい夜は生まれて初めてでした」。そして最後に、彼は「もう寂しくない。有難う、サヨウナラ」と言った。
 サヨナラと端折った言い方ではなく、サヨウナラと丁寧に頭を下げたのだ。やはり彼は、あのとき、既に死んでいたのだ、私はそう感じた。
 今まで別れを告げに来た人達と違い、彼は生きたまま私に別れを言いに来た。それまで私に会いに来た人達は、生きているうちにサヨナラを言えず、誰かに葬送ってほしくて、話しかけ、別れの時を報せに来たのだろう。その誰かは私かも知れず、あるいは生前の彼を知る誰かかもしれない。だが、この場合は違う。
 放送前の編集室で、私に長く声を聞かせた男は、私を特定して別れを告げに来ていた。別れの言葉をまだ生きている躯で、私に直接伝えようと尋ねて来たのだ。
廊下に座り込んだまま躯が硬直し動かせなかった。と、突然、風が舞い、庭に散り敷かれた桜の花びらを掬いあげ宙に淡い炎の渦を捲かせた。花弁の塊りが竜巻のように宙に舞い踊ったとき、サヨウナラという声が聞こえた。
 中空の花吹雪のなかに、クルマ椅子から躰をよじ曲げ、後ろを振り向いた顔が見えた。
 あっと目を見張る間に、彼の目は青空に吸い込まれ、顔と声が消えた。

 彼の二度目の相談がラジオから放送されたのは、その日の昼前だった。
 自分の声を聞きながら、彼は妻や子供達の待つ天国へ向かったのだろうか。二度も、彼は戦争で片眼と両脚を失い自暴自棄であったこと。クルマ椅子で経済的にも精神的にも、どん底だったこと。子供や妻に先立たれた辛さなどを語り、二人の回答者と互いに声を詰まらせ涙を流した。
 それを私は一〇分三七秒に切り刻んだ。

 仕事の打ち合わせに向かうクルマの中で、その放送を私は聴いていた。
 放送が終わりかける頃「サヨウナラ」と、お別れの言葉が私の口をついて出た。昨夜も、今朝も、編集室でも流れなかった涙が頬を伝っていた。それを拭うことが出来なかった。いまなら、彼にサヨウナラという言葉を、心からのお別れを、言える。
 そんな気がした。
サヨウナラ、もう一度呟いた。サヨウナラ。

                   完        

Posted at 15:35 | 連載小説  | この記事のURL
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サヨウナラ <24> [2008年06月02日(月) ]
 わずかに咲き残った桜が白く街路灯に照らされ、晩春の夜風が頬に快かった。暖かすぎず、寒からず。まさに春宵一刻、値千金に相応しいなどと、私たちは他愛ない世間話を交わし、道を辿った。
 ほどなく坂をのぼりつめた。
 このあとは汚れて赤錆びた千登勢橋の下をくぐり早稲田辺りまで道はずうっと下り坂である。
 「もう少し押して上げたいのですが、私の家はここから左に向かいます。ここでよろしいでしょうか。なんでしたら、もう少し手伝いますが」
 そう言った。
「いやあ、本当に助かりました。今夜ほど楽しい夜は、生まれて初めてだった。お兄さん、これは私の心ばかり。受け取って下さい。楽しかった」
 車椅子の主が手を座席につき、くると振り返った。
 あ、と思う間もないほどの早さだった。
 彼の腰から下に肉体がないと錯覚した。
 胸に大きな、つやつやした大根が夜目に白く鮮やかだった。それを抱えて、私に差し出した。
 「ま、さ、か!」
 声だけで、しかも私だけが知っている、あの相談者だった。
 彼は私を知らないのだ。
 そんな偶然があるはずがない。凝然と彼を見つめながら、私は必死に、これは妄想だ、酔ったのだと、クルマ椅子と彼の姿を拭い消そうとした。  
 「驚かれましたか」
 はっと気づき、平静さを装うとしたのだが私の気配を感じたのか彼は言った。
 「戦争で、こんな体になってしまいました。クルマ椅子なしでは生きられません。ひがみかも知れませんが、誰もまともに相手にしてくれない、つき合ってくれない。寂しいなあ、辛いなと、何度、死にたくなったことか。生きてても仕方ない、死にたい、そう思って来ました。でも、死ぬのも寂しくて怖かったんです。それが今夜、あなたのようないい人に逢えて何も怖くもなく、寂しくもなくなりました。よかった……先日もね、電話でですが、いい方と話が出来たんです。心から、私のことを聞いて下さった」
 男はそう言うと深く呼吸し、しまいに大きく息を吐いた。
「あの、お住まいはどちらですか」
「新宿の諏訪町って、知ってるかね? 高田馬場の駅裏の方さ。そこに私のように、戦争で躰の部品を無くした者達だけの寮があってね、そこまで帰るんだ。今夜は本当に楽しかった。もう寂しくなくなりました。有難う、サヨウナラ」
 男はそう言って、軽く頭を下げ、躰を正面に向き代え背筋を稟とした後ろ姿を見せた。戦いに向かう男の後ろ姿だった。


   最終回 6月4日  の予定

          

Posted at 01:48 | この記事のURL
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連載小説 サヨウナラ<24> [2008年05月29日(木) ]
確かに酒に酔っていたが、私はその屋台でおでんを頼み、コップ酒を2杯呑んだのだ。それほど印象に残っているのは人通りの少ない寂しい場所であり、よほど酔狂な、それも酔っぱらいでもなければ立ち寄りそうもない、繁盛とは縁遠い屋台だったからだ。そこへ寄ったのだから、私もおかしな客の一人には違いないのだが、酔って幻覚を覚える程ではなかった。そういつも通る道ではないが、クルマではよく見知っている場所だった。それなのに、赤提灯のオヤジは、幽霊にでも出逢ったか出るところを間違えたキツネに騙された男のような扱いだった。王子のキツネなら肥桶に漬けるところだが、それほどヒドイ目にあったわけではないと、苦笑いで済まそうと思ったが,おかしな出来事だった。

 その頃、私の住まいは豊島雑司ヶ谷の鬼子母神の近所にあった。
 仕事を終えると、帰宅まえに池袋西口のおもろという琉球泡盛の美味い店に立ち寄るのが癖になっていた。だが、その日、他の仕事の打ち合わせだけだったこともあり、コップ三杯ほどで切り上げた。店を出て、数件の赤提灯通りを抜け、びっくりガードをくぐり、道を右にとるとゆるい上り坂の明治通りになる。千登勢橋の手前で、左に入り車一台がやっとの狭い道を辿れば家につく。たまに歩くのも健康に良かろうなどと、千鳥足気味に歩いて帰ることにした。と、私の目の前を一台のクルマ椅子が必死にもがいていた。車イスか、傷痍軍人の彼の放送は明日の朝だったな、そう思い
「押しましょう、でも千登勢橋の近所までです。それで許して下さい」と背に手をかけた。
 「やあ、どうも済みません。助かります、躰が不自由だと他人さまの手を煩わせなければならず、恥ずかしいものです」
 車椅子の主は、そう素直に私の気まぐれで、わずかな好意を悦んでくれた。どこかで聞いたような声だ、ふとそう思ったが泡盛の酔いが、それを打ち消した。
 「酒は、ほどほどに飲めば百薬の長。酒は飲むべし呑まれるべからず、ね、楽しいね」
 進行方向に顔を向けたまま、男が言った。
 「そうです、私も、そこで一杯ひっかけてきました」
 私も相づちを打った。

       後1回でサヨウナラの予定です。6月1日、多分掲載

Posted at 21:32 | この記事のURL
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連載小説 サヨウナラ <23> [2008年05月25日(日) ]
 ある日、取材のため浅草で乗ったタクシーに、その日の午後、新宿で再び乗り合わせた。その程度なら、そう珍しくないと思ったが、その日の夜、渋谷で又そのタクシーにドアを開けられた。同じクルマと気づかず、シートに腰を下ろして初めてはっとした。すうぅと頭から血の気が引いていった。同じテリトリーならともかく、乗った場所は都内でも全く異なった地域だ。都内全域を承知していそうなプロのタクシードライバーだが、彼らにも得手不得手があり、いきおい熟知した地区を流しがちなのである。同じような繁華街、駅前でも乗る客の向かう方向に共通項があり、空車で走る率の計算が効くのだという。それなのに、それこそ、東で朝乗った車に、午後に北で出くわし、南西の大通りで夜乗ったのである。運転手も気づいたのであろう。客席を振り向かずバックミラーに顔を映したまま黙ってクルマを発進させた。行く先を聞かずまっすぐ走った。
「あ、そこで、止めて下さい」
 私は一分も走らせず、タクシーを止めた。そう言うのがやっとだったのだ。500円札を投げ捨てるように、運転席に滑り落としてタクシーを降りた。その夜、どの途をどのように帰宅したのか記憶になかった。酒の酔いのせいではない。
 ある時は、全く見知らぬ女性に二度、違う場所で道を尋ねられた。
 今夜で店終いだという屋台のラーメン店に出逢ったのも、その頃である。私が今夜のお終いのお客で、自分の屋台として最後のお客です。また、どこかでお遭いしましょう、とオヤジは確かに言ったのである。二週間ほど後、近所の赤提灯で、あのオヤジはどこかで店を構えたのだろうか、と話題にすると”そんな店は見たことも聞いたこともありません。お酔いになって、どこか違う場所の店と錯覚なさってるんじゃないですか”と否定されたのも、その頃である。

Posted at 23:01 | 連載小説  | この記事のURL
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サヨウナラ <23> [2008年05月21日(水) ]
 庭先に花を植えるなども気を紛らわせる方法ではありませんか、と前の回答者が言っとことを思い出しながら、そう考えていた。
「いや、もう来てもいい、追いかけて来て、寂しいと家内は、私に言いました。夢に出てきてくれました。あれに、私は遭ったんです。今は、もう、直ぐにでも発ちたいのです。ただ、……」

「ただ? どうかなさった?」
 自死を仄めかす相談者の言葉に、回答者の女性作家が戸惑い、息をのみ、ややあって問い返した。

「ただ、身の回りだけはきれいにしておきたいのです」
「それは、大切な考えですよね。人はいつでも、どんなときでも、きちんと生きなければいけないのですもの。ですから、奥さんの元へ行くときが、ずうっと先だとしても、そうでしょ。そうすれば、さすが私の旦那様だと。奥様は、きちっと生きていらっしゃる、あなたを見て拍手くださるんじゃないかしら」

「有り難うございます。そう言って下さるだけでも、嬉しいです。なんか、家内が先生の口を借りて語ってくれてるような気がします」
 親身になって心配してくれる人と数日ぶりに話せたことで、胸が詰まったのであろう、嗚咽する声がマイクを通して伝わってきた。
 身の回りを綺麗にしたい。それは、この世を去るに当たって、住まいの後かたづけ、見知らぬ人々に帰り来ぬ旅に出た身の後始末。そうしたことで迷惑を及ばさぬよう、せめてもの費用を残しておきたいのだと、言葉の端から察せられた。だが、片眼で両足の膝から下がない不自由な身体である。車イスに頼らなければ、数メートル先の物さえ手に取れないのだ。何もかも思うに任せぬ躯である。そうした費用の捻出もおぼつかぬであろう。

 私の目前で無表情に回るテープの音は前回と同様、相談者と回答者が、ただ声を行き交わすだけのものだった。それでも回答者が女性であることで、少しでも彼の心が慰められればいいが、そう祈りながら、私はテープの編集を終えた。今度も空しく、苦しい九時間だった。
 前回と違ったのは、相談者が最後に「お世話になりました、有難うございました」と礼を述べたことだった。
 私は、その言葉をテープに残した。
 男の声はやはり、私には死人の声としか聞こえなかったが、女性の担当ディレクターに、今度は言わなかった。

 この頃、田舎での幼いときに体験した奇妙な現象が私の身の回りに立て続けに起きていた。

   次回 5月24日の予定。

Posted at 23:37 | 連載小説  | この記事のURL
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サヨウナラ <22> [2008年05月19日(月) ]
「前に相談したとき、何か気を紛らすことを考えなさい。後ろを振り向かず、前を向いて生きなさいと言われました。私は懸命に努力しました。でも、この虚しさはどうしようもありません。と言って、自殺した妻や子供の後を追ったら、あの世で、彼らに笑われる。だから、死ぬときが来るまで、迎えが来るまで早まったことはしたくないと気張ってきました。だけど、この寂しさに耐えられなくなってきました。一日どころか二日、三日、ひどいときは一週間も人と会話しない日もあります。今日は相談というより、話し相手になってくださるだけで結構です」
 彼から、二度目のそういう電話があったのは放送して三ヶ月ほど経ってからだった。
 前に、彼に答えた男性回答者は、番組を降ろされても構わない。二度目の応答は許して欲しいと拒んだ。外地からの復員兵として同じような体験がありますが、私には回答出来る資格などありません。そして、私が精神的に保ちません。そう拒否した。

 「私は女ですから、理解できるのは、亡くなった奥さんのお気持ちだけかもしれない。ですから、亡くなられた奥さんの立場から考えるわね。きっと奥さんなら、あなたには未だ、この世でしっかり生きていて欲しいと言う筈よ」
 回答者は女性作家に代わっていた。
 私たちスタッフも、そう回答するだろうと考えていた。他に、どのような術があるだろうかと迷ったが、誰も自分の意見を述べず回答者に任せることにした。取り上げぬ訳にもいかなかった。淡々とした語り口だが、せっぱ詰まった雰囲気に押し切られた趣だった。
 そのテープ編集が私のシフトに巡ってきたのは、これも偶然だというのだろうか。前回、これは死者の声だと気味悪がり、口に出したことを私は忘れようとしていた。意識してかどうか不明だが、担当の女性ディレクターも、そのことについて触れようとしなかった。
 相談者は新しい恋は無論、新しい生活、生き方に挑戦できる年齢でもない。仕事もあるはずがなく経済的にも困窮しているであろうことは容易に想像できた。狭く、薄暗い傷痍軍人寮に植木鉢は似合わなかったであろう。それより、植木鉢や花を買える資金がなかったに違いない。
 世間というものは、暗く落ち込んだ人間に気軽に声を掛けてはくれない。極貧で家族に去られ、孤独になった老人としか見えぬ貧相な、躯の不自由な男である。金を貸せとせがまれるかも知れないと、一人また一人と遠ざかり、やがて誰にも会えず、話もできず、人の声を聞かぬ数日を過ごすことになったに違いなかった。

     次回 5月21日   人は、逝くとき「サヨウナラ」と言う。

 
     

Posted at 01:46 | この記事のURL
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サヨウナラ <21> [2008年05月15日(木) ]
「あなた、まるで死人が喋るのを聞いたことがあるみたいね。私はそっちの方に興味があるわ。死んだと思って、葬式をしたら、その最中に棺から生き返ったというのは聞いたことがあるわよ。でも、死人の声を聞いたというのなら、生理学的にも解明したいという学者がいるかもね」
 彼女は切れ者と呼ばれるだけに、非科学的なものの見方はしなかった。 なかば皮肉めいた言い方で、テープを受け取った。
 確かに、亡くなった者の生前の声は、死人の声とは呼べまい。それは生きているときの声であって、録音した時点では命があったのである。自分の体を媒介して、死霊の声を伝える巫女にしても、生命があり、血が通った立派な肉体に声を出させているのだから、死者の声ではない。
 「しかし、私にはこの相談者の声が死人だとしか感じられないのです。死人が声を出せる筈がありませんし、立派に会話もしてるのです。だから、そんなことはあり得ない、そう思いながら、これは死者だとしか感じられなかったのです」
 巫女の話など、一笑に付されるだけだろう。
 抑揚のない語り口だけなら、出身地が同じであれば、説明がつくことだ。知り合いが亡くなったとき、脳裏にサヨナラと言われたことも、小さい頃、そういう話をどこかで聞いて、自分もそうだったと思いこんでいるだけ、と言われそうな気がした。
 親戚の男性が亡くなった夜、星空に浮遊して私たち家族についてきた物体も、栄養失調気味の子供の目に映った幻覚かもしれないのだ。偶然の一致は常に存在するのだから、超常現象ではないと言われれば、それで終わる。
 重たい内容のため、話をうまくまとめられず、疲れてたのかもしれない。
 私は自分にそう言い聞かせることにした。   
きっと、いつものように忘れるさ、そう思おうとした。

            もう数回で終わります。次は5月18日夜         

Posted at 23:18 | 連載小説  | この記事のURL
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サヨウナラ S [2008年05月12日(月) ]
 出入り口のドア以外すべて石膏ボードで仕切られた小さな部屋である。
 小さな一メートル五〇センチ四方程の狭さしかない。いつも誰かが入り浸ってテープ編集をしている。ほとんど独りの作業だ。放送屋たちはヘビースモーカーが多く、この部屋も天井の排気口の周りはヤニのシミで黄色く滲んでいた。それを見上げ、なぜ、自分が小さいとき、死ぬ人の顔が見えたのだろう。ふとそう思った。今、かかっている作業とは関わりがあるのだろうか。なぜ、そんなことを思い出さなければならないのだ。可笑しいか、いや、可笑しくない。だって相談者は、今頃は死んでるに違いないのだから。声の主は既に死んでいるかもしれないのだ。編集機から聞こえる音のは過去の声だ。録音したときは生きていたであろう。だが、彼はもう死んで、この世にはいないのだ。だから、これは死者の声なのだ。さもなければ、これほど生気のない声になるはずがない。私はそう思った。

 「一本のテープ編集に十三時間もかけたのは、これが初めてです。それは私の未熟のせいとして、扇さん、この人、死んでるよ」
 そう言い、担当ディレクターにキューシートと一緒に編集を終えたテープを渡したのは、翌日の午後だった。
「気持ち悪いこと言わないでよ。男同士だから、彼の心情は私より理解できるかも知れないわよ。でも、現代文明の象徴みたいな放送局で死者が語るってのは、取り合わせが悪いだけに気持ち悪いわ」
「幽霊と延々十三時間もつきあった私の方はどうしてくれるんです? 精も根もつきたって感じですよ。それにしても、私には、どうしても彼の声が死人の声にしか聞こえないんです。理解できない現象だった」

               次回 5月14日夜の予定

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