経済モノが専門の作家と思われた来たが、新しい何かを掴みたいと、このコーナーで試させていただきます。

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サヨウナラ Q [2008年05月05日(月) ]
 「宗教ですか」
 相談者がおうむ返しに問うた。
 虚をつかれたのか、回答者が間をおいて答えた。
 「……はい」

 「小さいときから葬式は仏式ですから仏教なのでしょう。ですが、お寺さんとのつきあいは、檀家と先祖からのお寺さん。その程度です。復員して上の子供が首を括って死んだときは、あの新興宗教がしつこく勧誘に来ました。戦時中、辛い思いで育ててきた長男に死なれ、その悲しさ、辛さに耐えようとしている家内に、追い打ちをかけるように次男が家出。よく家内は気が狂わなかったと思います。私は男ですから、口には出せませんが辛さは同じです。そんな悲嘆にくれている私たちに、信心すれば貧しさも苦しさも失せる、解決すると、連日、何人も連なって入れ替わり立ち替わりやってきました。それに逆らえば、もっと不幸になるとも脅されたり……。溺れる者の必死の心情で、それこそ悲鳴を上げてワラにすがるように家内が入信しました。でも、何も変わりません。次男の消息は皆目判らず、夫婦二人とも身も心も疲れ果て、しまいには寝たきり。すると、今度は夫の私が信心しないから不幸の原因が取れないのだと責め立てられました。あれで私が入ったら、あの人達はきっと信心の仕方が足りないからだと言い訳してたでしょう。前からは敵の弾、下手すりゃ味方の弾が後ろからとんでくる戦地では、仏も神もなんの役にも立たなかった……、先生も体験してきたでしょ」
「…………」
 先生と呼ばれた回答者の声はなかった。
「天皇陛下バンザイ! なんて叫んで死んでった戦友はいません。ギャッという悲鳴で血と肉が小間切れになって宙に飛び、躰がどさって音立てて地面に叩きつけられるだけだったでしょ? でなけりゃ、苦しい、痛いと唸り通し、最後に、母さん……て低く一言……覗くと、涙が頬に流れている……そして息を引き取っていたじゃないですか」
 もう遙か向こうの年月に去った筈の戦地。そこで起こった大勢の戦友達の無惨な最後を相談者は語り、身の不幸と神仏への考えを訴えた。
「……」
 私の目の前で動きジーと音たてているのは、無表情に回転する茶色の録音テープだった。だが、あのときスタジオで、相談者は何も言えず、俯いてしまったのだ。回答者は俯いたまま涙を拭えず、大粒の涙をぼたぼたと膝に落とし、肩を震わせ、必死に嗚咽を堪えていた。

             次回 5月8日頃の予定

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コメント


静さん。
ご感想有り難うございました。戦争は最前線で銃を手にする者だけが悲惨な目に遭う訳ではありません。終戦寸前、私たち小学校低学年も”空襲警戒警報!”というメガホンの怒声とサイレンの音と共に指定の場所に集まり、一本のロープに掴まり誘導されて爆弾を避けて逃げ回りました。空襲が治まり自宅に戻っても、家が跡形もなくなり、更に親の姿も見あたらぬ友達が、その都度数人いました。彼らはどうしたのか、小さすぎた私には皆目判りません。
Posted by:こずかた  at 2008年05月10日(土) 13:01

コメントありがとうございます。
こずかた様のコメント、ブログちょっと完全に理解できるレベルにありません、すみません。
私のブログにあった詩人の方も長姉と幼馴染みに近い人ですが、姉や私の記憶とは、ずれていて・・・
当時島は乾物製造の最盛期で賑わっていましたが働けど裕福にならなかった時代、振り返れば。
しかし、東京や他地区とどれほど違うとか、頭の隅にも考えることもなかった。
金持ちもいたが、最低でもないし程度。
亡父は戦時鹿屋の特攻隊基地に召集されてたみたいでした。あまり話したがりませんでしたが、映画とは程遠く海軍では意味なく殴られるのは当たり前、終戦時は沖縄陥落後、憎き特攻基地鹿屋と知覧はサンドバッグよろしくボコボコに空襲され、下級兵はボロ布のように熊本まで歩いて逃げ廻ったと半分笑いながら言っていたのを思い出しました。
今時々話す叔父(88才)は長崎工廠で武蔵なぞの建造に召集されて、二次被爆者として年金も上乗せされ同年代より、少し楽とあっけらかんと言ってます。
実際は食うや食わずどころか生き延びたのが不思議な人生なのでしょうが、「生きてただけでもうけもん、しょうんなか」が口癖の人達でした。世代が違うから亡き父代の感覚はわかりませんが、「まっ、時代が違うし」と同じように深く考えない私ですから、こずかたさんの意見は深すぎて・・・にしか理解できないのでしょう。
・・・長文多謝・・・
Posted by:ラッコ  at 2008年05月07日(水) 09:30

私などがコメントするようなことではないと思いましたが・・
この相談者の方の戦地での戦友たちの最期の姿・・
よくここに書いてくださいました。
今読ませて頂いていても 胸がいっぱいになります。

私も父から戦友の残酷な最期を聞かされたことがありますが、残酷すぎてとても書く勇気が出ません。
でも こうして真実の姿を誰かが伝えなければ、もう殆ど誰もこういう時代の人たちのことを考えなくなるでしょう。
お話の途中、できるだけ何も書かずにいようと思っていましたが、つい、胸がいっぱいになり書かせて頂きました。
Posted by:  at 2008年05月05日(月) 12:41





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