シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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「仕手相場」(パンローリング社&徳間書店)
が代表作の経済作家でした。
偏った作品から脱皮してみたい。
新しい何かを掴みたいと、このコーナーで試させていただきます。
               こずかた治

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街ゆかば  E [2008年07月31日(木) ]

 こういうときの酒の肴は、昔からスルメの干物が焦げた臭いも煙もよく似合うらしく、どこから見つけだしてくるの肌色の素焼きの七輪に金網を渡し香ばしい匂いを薄緑色の煙とともに漂わせる。
 鼻に白粉でひょいと一本白い筋を入れ、祭り半纏をまとって御輿を担いだり山車を牽いた子供たちにも駄菓子が配られ、ジュースも振る舞われる。
 テント近くの小さな四つ角には、選挙の掲示板より大きい高札が立ち、墨黒々と奉賀金とそれを寄付した人々の名前が金額の大きい順に記されている。祭り本尊の鬼子母神の境内には、数日前から昔風の原色で彩られた幟をはためかせた見世物小屋のテントが張られる。二日間の興業だが、その昔、田舎の祭り広場で見たろくろ首の女の絵看板、広島の原爆のときに母の体内で被爆し心身障害で生まれたが、いまでは、こんな芸当ができるようになった子供という芸人が、口だけで文字を書いてみせたりという呼び込みもある。
 約二メートルの木の板に、血液に見立てた赤黒い色を塗り、六尺の大イタチ(六尺の大板血)などといったまやかしもときにはある。
 昭和二十年代なら、呼び込みの「お代は見てのお帰りだよ」という声に乗せられたことを笑いの種にしたものだったが、さすがにそうしたものは影を潜めていた。それを中心に境内の内外に子供達をわくわくさせ、大人達には幼い頃の郷愁を誘う夜店の列が軒を連ねる。
 この祭りの数日前から乗り込んできた芸人たちは、テントの傍らに組立式のテンと小屋を張り、そこで次の移動日までくらすのだった。
 彼らの世界では舞台に上る芸人も、裏方も同じくらしなのだろう。身なりに違いがなかった。 全員が境内周辺の住人たちと、例年のことで顔なじみになり朝晩の挨拶を親しげに交わす。近辺の住民たちと違うのは彼らは全員どこか退廃的な雰囲気を身につけていることだった。そして舞台のあれやこれやで夜遅くまでかかるせいか、寝不足気味の腫れぼったい目をしていることだった。
  

Posted at 22:27 | 新連載小説 | この記事のURL
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街ゆかば  D [2008年07月28日(月) ]
 チキチキという高い音程の金属音は小型のフライパンに似た鉦の隅を小さく叩いて出す。ドンドンの中音は別のウチワ太鼓を持った子供が叩くのだが、鉦の代わりに使い古したフライパンで間に合わせることもある。これの方がいい音に聞こえることもある。こうした打楽器でお囃子をほとんど間に合わせてしまう。
 これに負けじと雑司ヶ谷には鬼子母神神社の側にある鳳神社の酉の市もあり、この季節は町内大小すべての神社の例大祭が催され、子供御輿や大太鼓を載せた山車、大人用の御神輿などが町内のあちこちを巡り歩き秋祭り一色に染められていく。
 三階建て以上のビルなどほとんどなく、道を挟んだ商店街が連なるだけの通りである。 あちこちに設けられた御神酒所には黄ばみ始めた落葉樹に囲まれた紅白の幕が張り巡らされ、町名が書かれたテントの奥に大きな提灯が下げられ、紅白の熨斗飾りの角樽やらビール、ウイスキーなどが所狭しと並べられている。
 洋酒というのはこうした雰囲気に似合わないのか、もっとも多いのが角結びという二、三本にまとめられて紙の端を鬼の角宜しく立てた日本酒の瓶である。
 楽しむのは子供達ばかりではない。昼頃には祭り法被をまとった世話役さんたちが、白髪頭やわずかに残った頭髪をなでつけながら、にこにことえびす顔で集まり、湯飲みにどぼどぼと日本酒を注ぎ、天下御免の昼酒を楽しんでいる。
 通りかかる人々を誘い入れ、誰彼かまわずテント内に招き入れ、酒を薦め酌み交わす。

Posted at 08:29 | この記事のURL
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街ゆかば  C [2008年07月26日(土) ]
 第一章 ボスという名の雌犬

  1

佐名来修と久子の住まいは、この豊島区雑司ヶ谷二丁目にある。
 池袋から明治通りを千登勢橋方向に登る。橋を潜る少し前でで左折し鬼子母神神社に向かう。樹齢数百年はあろう鬱蒼たる大木に囲まれた、未だに静寂さを保つ境内である。山門前でふたつに分かれる途を左に辿る。神楽舞いの舞台がある鳳神社を左手に、都電荒川線の信号のない踏切を渡ると三角通りである。この通りの中程で右手の雑司ヶ谷マーケットに折れるのが二人の家への近道である。だが、修はこれとは別のコースで帰宅する。帰宅といっても深夜でしかない。この雑司ヶ谷の家に、産まれて二週間ほどの仔犬がお目見えしたのは、そろそろ夏が終わり本格的な秋を迎えようかという十月のはじめだった。
 この季節、この辺りでは昼を過ぎると、町内のあちこちからチキチキ、チキチキ、チキドンドン。チキドン、チキドン、チキドンドンという小型の鉦と太鼓の音が、冷たくなりかけた秋の気配を震わせ、祭囃子を賑やかに響かせるのだ。
 家々、小路の数だけ聞こえた。家の窓の数ほどあったかもしれない。
 豊島雑司ヶ谷の鬼子母神さまに詣でる、秋のお会式がそろそろだよと告げるお囃子である。 小さい頃からこの音で育った子供たちは、このお囃子が響いてくるともう勉強など手に着かなくなる。学校から帰るやいなや、カバンを放り出し、祭半纏に着替えるのだ。
 小生意気だが、それなりに粋にきりっと絞った白い向う鉢巻きに、紅白の生地で編んだ紐を半纏の腰のあたりで締め、真っ白なパンツをチラと覗かせ、これも小型で可愛い地下足袋を穿き、宙を舞って神社の境内に向かうのだ。

Posted at 21:41 | 新連載小説 | この記事のURL
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街ゆかば   B [2008年07月26日(土) ]
 最近、地下鉄が開通し、雑司ヶ谷駅ができたが、それまでは交通の便がいいなどとお世辞にも言えなかった。学習院大学の隣にある目白の駅へ行くにも、東武や西武デパートのある池袋に行くのもバスでは、支払う運賃に比べてやや近すぎ、歩けばちょっと遠すぎるのだ。
 明治の元勲山県有朋の屋敷跡、椿山荘も、有名人や芸能人たちが結婚式を挙げたがるカテドラル教会も、最寄り駅は地下鉄有楽町線の護国寺だけとさびしい。
 それでも住み心地の良さは、いいのである。
 山の手風でありながら、どこか田舎の町のようでもあり、道ですれ違う顔ぶれは、誰もがほとんど顔見知り。住んでいる家の丁目番地は知らなくても、霊園の島村抱月の墓地の、ほら、裏手の方に住んでいる人だよとか、おっかなそうな豆腐屋さんの裏手に、戦後から親子三世帯でくらしているなどと知っている地域である。
 だから三角どおりの丁度真ん中辺にある赤丸パン屋は初代がプロレス気違いだったと結構名が通っている。そんなふうだから、ちょっと風変わりであったり、とっぴなことをするとすぐ界隈の噂にのぼるのである。人情が厚く、人間関係を大切にするというが、東京にしては珍しく話題が少なく他人のくらしが気になる狭い地域だとも言えるのだ。
 東京の二十三区内なのだが、町のたたずまいも人々の暮らしぶりも、間違いなく田舎なのである。

                    

Posted at 12:52 | 新連載小説 | この記事のURL
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街ゆかば    A [2008年07月24日(木) ]
 少し離れるが、火盗改役の長谷川平三こと鬼兵さんがススキの穂で作ったミミズク人形を境内で買ったかどうか知らないが、子育ての神、鬼子母神は豊島区であり、目白より池袋駅に近い。都内唯一の路面電車、荒川線は始発駅早稲田大学から、川と呼ぶには躊躇いを覚えるほど汚れ濁って淀んでいる神田川を渡る面影橋を経、焼鳥屋などが立ち並ぶ鬼子母神前駅を通過し、通称お婆ちゃん達の原宿、とげ抜き地蔵も過ぎ、終点三ノ輪橋までのんびり、ごとごと走っている。
 この線は、かつての私鉄王子電鉄で、沿線の住人たちは王電と親しみをこめて呼んでいる。お婆ちゃんたちに人気の街巣鴨のとげ抜き地蔵尊通りは大塚駅に近い。近くには都内一旨いと評判の握り飯屋もある。ここの米が旨いのは、研ぎ方ではなく、秘密は米にあるらしい。
 この近辺は、都営では最大といわれる豊島区の雑司ヶ谷霊園があるくらいだから、静かさという点では都内二十三区内ではないと錯覚するほどだ。霊園の下に当たる日本女子大学の裏通りは山窩族研究家であり、彼らの生態を描いた小説「山窩血笑記」などで独特な世界を書き上げた小説家でもあった三角寛の名前を冠し、三角通りと呼ばれているが名前の由来を知っている人もいなくなり、三角さんの名前どころか作品名も忘れ去られている。
 近所の護国寺あたりには「雁の寺」や「五番町夕霧楼」などで著名な直木賞作家、水上勉が住んでいたりという戦前戦後の文士村でもあった。
 だが、いまでは売れない小説家が住めるようなところではなく、売れっ子芸能人か昔からの財界人でなければ、居を構えることなど不可能なほど地価の高い住宅街になってしまった。
 武蔵野の面影などしのぶ由もないが、それでもまあまあ枝のある樹木があちこちにあり、環境はけっして悪くなないのだが、交通の便はお世辞にもいいとは言えなかった。

Posted at 14:37 | 新連載小説 | この記事のURL
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街ゆかば   @ [2008年07月22日(火) ]
 東京には、雑司ヶ谷という町名が文京区と豊島区の両方にある。
 池波正太郎描く「鬼兵犯科帳」の主人公、盗賊改め方鬼平が登場し散策するのは江戸時の豊島郡であった雑司ヶ谷村である。そこに鎮座ましますのが鬼子母神さま。ついでに書いておくと、上野近辺の入谷の鬼子母神は風情なんてものはかけらもなく悲しい。雑司ヶ谷の鬼子母神の爪の垢でも煎じて飲ましたいと言うのは多くの風評だ。もっとも、昔を知らないからだと言われれば返す言葉に窮すると知っている。
この文京区と豊島区二つの雑司ヶ谷は境界を接して隣り合っているのだが古くからの住人でも神田川沿いのどちらが豊島区なのか文京区なのか、目白通りはどちら側なのか知っている人が少なくなった。雑司ヶ谷は豊島区だと決めつけているせいかもしれない。
 文京区に雑司ヶ谷があると知っている人が少なくなっているのだ。
 ロッキード疑惑で国の内外に名前を知られ、コンピューター付きブルトーザーと呼ばれたりし、親娘共々がらがら声で知られた元総理大臣と代議士の娘がいる広大な屋敷は今でもどかんと目白通りに威容を誇っている。
 この辺りは観光地的、歴史的、文教的とそれなりに名の知られた建物や通りが多い。
 有名人やタレントが競って盛大な挙式をあげるのが護国寺からやや目白通りに入ったカテドラル教会。道を挟んで向かい側がフォーシーズンズ・ホテル椿山荘である。
 東京大学付属病院、雑司ヶ谷分院はカテドラル教会の斜め後方の感じになり、これに連なる日本女子大学も文京区になる。

Posted at 21:41 | 新連載小説 | この記事のURL
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