シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

「仕手相場」(パンローリング社&徳間書店)
が代表作の経済作家でした。
偏った作品から脱皮してみたい。
新しい何かを掴みたいと、このコーナーで試させていただきます。
               こずかた治

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街ゆかば  14 [2008年08月28日(木) ]

「ね、どっちだと思う? あなた男でしょ。犬のオス、メスぐらい分かるでしょ」
 え? と修が怪訝な顔をした。
 男だから犬の雌雄を判別できるはずだという理論に戸惑っていた。重い物を運んだり、棚を吊ったりという力のいる作業なら、女性より男の方がこなせるというのなら理解できた。もっとも、修は棚を作っても、モノは置くな。壊れるからという棚しか作れなかったから、其れについては男の条件に該当しなかった。しかし、久子には自分ができないことは夫のできること。女に分からないことは男が知っていることなのだった。
「うぅん、どれ、お前は男か、それとも女の子か」
 修は仔犬の背中に掌を当て、ぐいと仰向けにさせ、しかつめらしく下腹部をのぞき込んだ。観念したのか修の強引さに諦めたのか、仔犬はなされるままにお腹を見せた。
「これは……う〜ん。オ、ト、コの子だと思うけどなぁ。ほら、これは、おチンチンだろ? 違うか? へそ……? じゃない、よ、な」
 自信なさそうに、言葉を一言づつ区切って言った。
「どれどれ、わたしにも見せて」
 久子も立ち上がり、修の傍らに並んで仰向けにされた仔犬のお腹を覗いた。
 尻尾よりか細く頼りない数本の毛の束のようなものが、下腹部の辺りから立ち上っている。指で触ると、芯のような固さの手応えもある。
「これは、男の子だ。ほら、触ってごらん、ね? おチンチンだろ?」
 修が手を離し、久子に同意を求めた。
「でも、小さすぎない?」
「小さい?」
「うん」
「何に比べて、小さいんだ?」
 修がいたずらそうな目で、久子の顔をのぞき込んだ。
「なにって? ……バカね……!」
「人間、それも、俺のと比較しないでくれよ。人間の雄の中でも、俺は大きい方なんだから」「あら、そうだったの。知らなかったわ、他の人を知っておけばよかった」
 すかさず、久子が茶化した。
「他は知らなくていい! 本人が言うのだから、間違いない」
 まじめな顔で修が抗議した。
「エッチねえ。でも、ほんとに間違いない? 大丈夫? 後で違ったなんて訂正しないでね」
「だって、ほら、これ、おチンチンだろ? そうだ、もう、何度かおシッコしただろ」
「おシッコ? うん、したわ」
「どうだった。しゃがんでした? それとも、片足上げたか」

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街ゆかば  13 [2008年08月25日(月) ]
今夜も、口から泡盛の匂いがしていた。
 一緒になった頃はひどい匂いとそっぽを向いたのだが、ようやく慣れてきていた。泡盛で仕上げて帰った夜はいつもの匂いなので、そう気にならなくなったが、翌朝のトイレの臭いが激しかった。 修は二日酔いをしない酒、悪酔いしない酒と言うのだが、言い訳だった。酔わない酒なら呑んでも仕方ない筈なのだ。酒は酔うためにあるはずだと、久子は思っていた。だが、それを面にしなかった。
「ねえ、可愛いでしょ。男の子だと思う? それとも女の子かなあ。どっちかしらね」
「ん? どうしたの?」
 久子にいやな顔をされまいと玄関から入らず、勝手口から台所に上がり、そっと居間に入ってきた修が顎を引いて、目を見開き、唇をへの字にした。
 顔の前にある久子の胸に、なにやら、もこもこと動く茶色で毛むくじゃらの動物がいる。機械じかけの動く玩具なら、どれほど精巧に作られていても、どこかで始動時の動きに返り、再び動きを繰り返すだけだ。それなのに、久子の胸の中の小動物はクンクンと鼻を鳴らし小指の先ほどの小さな尻尾を振り、短い四肢で久子の胸を蹴って懸命に脱出しようともがいていた。
「ワンちゃんよ。ひよこじゃないことは確か、それとも見分けがつかないほど、今夜もご機嫌なの? そんなことより、ねえ、どっちだと思う?」
「え? なにが?」
「いやねえ、そんなに酔っぱらって。ボクか、ワタシか見分けてよ」
 そう言うと、首をかしげて長い髪を右に振り、胸の中の仔犬を修に手渡した。腰先でふさふさと髪が乱れた。
 不安定な空中に持ち上げられ、重心を狂わされた仔犬がキャンと悲鳴をあげ、手足をばたつかせ必死にからだのバランスを保とうとした。
「犬の子だよね、それぐらい分かるよ。それより、どうしたの? どこから拾ってきたの?」
 いつも原稿を入れて担いでいる茶の大型のバッグを下ろし、手に抱えた上着を畳に捨て、修が仔犬を受け取りながら聞いた。抱き留められ、仔犬はようやく安心したのか、それでもぶるぶると体を震わせている。

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街ゆかば  12 [2008年08月23日(土) ]
 そんな一角に、いつ家に帰り、いつ仕事に出かけるのか得体の知れぬ若い夫婦が入ってきた。まず先住民の女房たちの常識から外れた修の服装が馴染まなかった。仕事に出かけるらしいのだがスーツではない。なにやら格好つけたふうの換え上着。シャツは派手な色で柄までついたり水色のストライブだったりと、おおよそ勤め人らしからぬラフさ。たまに締めているネクタイなどはお雛様の余り布で作ったような、きんきらきん模様である。
 そうでなくてさえ得体の知れない若い夫婦が住んだと近所から目を付けられていたのだ。いい顔をされるはずがなかった。気が優しく、人情に厚い地域にそぐわぬ異端者に白い目を向けるのが当然だった。
 明治通りはバスが遅くまで走っているが、修がそれに乗って帰ってくることなどない。とっくに最終バスは車庫に納まって眠っている時間なのだ。定期券など買ったこともない。買ったとしても期間内にせいぜい一,二回使うかどうかであろう。帰りも、出かけるのも不規則。そんなふうだから、修は出かけるときも池袋まで歩いて行く。帰宅は毎晩、いや毎朝。池袋の西口の琉球酒場で準仕上げを一杯引っかける。酔いの仕上げではない。まだ途中に修のお気に入りの店があった。鬼子母神横の梅村というそば屋といっぱい飲み屋兼業の店の赤提灯がまだ下がっていれば、そこで、本当の最後の仕上げをする。赤提灯が下がってなくても、ガラス越しに人影を確認すると、一杯だけ、と手を合わせて飲む。 それでやっと、都電荒川銭の鬼子母神前駅踏切を通って帰るのだ。これで先に別の店があれば、寄るのだろうが、そこから先にはなかった。

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街ゆかば  11 [2008年08月18日(月) ]
    2

 名無しのゴンを連れ帰った日の夜、夫の修がいつものように酔って、大声で訳の分からぬ歌とも喚き声ともつかぬ蛮声を上げ千鳥足で帰ってきたのは午前二時過ぎだった。
 池袋の繁華街に近い都心部なのだが、夜九時を過ぎると、街路灯の灯りに照らされて道を通るのは犬か猫かネズミだけで、人影など絶えてしまう通りである。
 忘年会シーズンでも、酔って歌を怒鳴りながら帰ってくる男などいない。ご近所に迷惑をかけると身を慎むのが住人たちの心得なのだ。それだけに、静けさをぶち破るメロディなしリズムもなく、歌でもなく、やけくその怒鳴り声なのかという蛮声を張り上げ、道を左右に辿り歩く修の声は遠くから、よく聞こえた。
 髪をいつも五〇三高地に結った隣の大工の女房が「お宅のご主人、夕べもご機嫌だったね。いいね、いつも」と嫌みを言われたと久子が言ったことがあった。
 この辺り一帯は一軒の家を壁で二軒に仕切り、玄関と勝手口を別々に設け二世帯用が住めるようにした昭和初期の建て売り住宅の集合地帯で、昭和十年代の新興住宅地である。
 戦前からの住人たちは、私たちは昔からの住人だ。そう簡単に、よそから侵入されてたまるか、と新参者の参入に拒否反応をみせる。そのうえ、通産村とか農水村に別れ、それぞれに官庁の宿舎を払い下げられた住まいが多く、うちの主人は農水省に勤めています、私どもは通産省、あらウチは外務省ですので少々格が違うようですわね、と比べっこし合うのだ。これに主任だ、係長だと旦那の肩書き比べをしあい、他人のくらしぶりが気にかかって仕様がない住人がひしめいている。
 これに古くからいる大工や左官など、職人たちの女房連中が反発しあう。
 修に言わせれば「いまは誰でも上山建設とか下川塗装の代表取締役だ。技術に自信があれば大工、上山大五郎とか、左官、下川小吉と書くさ」ということになるのだが、官庁勤めじゃない皆さんは、それぞれが建設会社や外壁塗装工業の社長夫人で、互いに角つき合っているのだ。それなのに、新参者が入ってきたとなると双方が手を組んで、新しい住人のこき下ろしを始めるのだ。

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街ゆかば  十 [2008年08月12日(火) ]

「そうかい、まだ名無しの権兵さん……いやゴン子さんかもな。それなら、なおのこと餌を持ってゆきなよ。儂らの食い残しじゃない、池袋のデパートから仔犬用ってのを買ってきた缶詰だよ」
 どうやら、一座の中心人物か、それに近い存在のようだった。入れ墨と人相だけなら、怖そうなのだが見かけに寄らぬ好人物だった。そう言ってるうちに、後ろからペットフードの缶詰が手渡された。三缶あった。ひとつだけ蓋が開き、割り箸と半分ほどの中身が覗いていた。
「はい、あのう、ほんとうに有り難うございます。どうも申し訳ありません、それでは遠慮なく頂戴いたします」
 なぜ? なぜ、こんなことになってしまったの?。修さん、なんて言うかしら。まさか、この人たちに返してこい……、なんて言わないわね、きっと。いい! 反対してもいいわ。だって、たったひとりで留守番してるのって不用心なんだから。やっぱり飼うことに決める!。
 初めて仔犬と顔を会わせる修の顔を想像しながら、久子は飼おうと決めていた。
 銀杏の古木が敷き詰めたオレンジイエローの葉が大地に敷き詰めた絨毯のように柔らかく気持ちよかった。仔犬に頬刷りしながら久子は、絶対飼う! そう決心していた。
 修と久子の動物たちとの最初の出会いだった。

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街ゆかば  I [2008年08月09日(土) ]
「この先に高田小学校ってあるでしょ。その裏なの、お散歩に連れてくるから可愛がってあげてね」
 久子の言葉の言い様はどこか幼かった。そのせいかおんなのこも、うん、とおかっぱを揺らせて、うなずき、それから残りそうに、ふっくらした可愛い手を揃え、子犬をそっと撫で、また遊んであげるね、遊ぼうねと仔犬にあどけなく言った。その仕草に久子は鬼子母神境内の中程に大きな銀杏の木の許に一軒だけある小さな駄菓子屋で、よく見かける子だと気づいた。
 境内に群れる鳩の餌や袋詰めのポプコーンなど子供用のあめ玉や煎餅などを売っていた。江戸時代から、この辺りの名物だったと伝わるススキの穂で作られたミミヅク人形も店頭にあった。樹齢数百年の銀杏の古木を背負っている風情の店の先には、いつもは少し腰の曲がった和服の老婆がひとりいるだけだったが、近頃、そのお婆さんによく似た女性が代わりに店番をしていることが多くなっていた。
 あの女性が娘さんなら、この子はもう少し年上かもしれない。そういえば、この子もよく似た顔立ちをしている。きっと、お孫さんなのだわ、こけし人形のような女の子の顔を見ながら、久子はそう思った。
 「そうかい、チビの好きな餌が残ってたろ。あれ、誰か持ってきてやんな。お姉さん、かまわないだろ? なにか特別なのを食べさせてるなら、止めるけどよ」
 後から曲芸団の女性のひとりが言った。
 口のききかたはあらっぽかったが、みんな気だてのよさそうな人々で、すっかり仔犬は久子の飼い犬と思いこんでいた。
 「いいえ、あの、四、五日前にいただいたばかりですから、特別な食べ物などないんです。ですから名前もまだ」
 仔犬を胸に抱きしめているうちに、久子は本当に誰からか貰ってきたような気になっていた。

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街ゆかば  H [2008年08月08日(金) ]

「そうだ、お姉さん、住まいはこの近くかね? 昨日買ったばかり紐があるから、あれを使いな。遠慮はいらねえよ。それとも抱っこしてゆくかい?」
 巻き舌で男はそう言うと返事も聞かず、背中を丸め、雪駄で土を蹴り立て、いかつい姿に似合わぬ素早さでテントに走り、仔犬用にしてたらしい赤い首輪のついた紐を手に駆け戻ってきた。
 男から話を聞いたのだろう、その後ろに三人の男女が寝乱れた浴衣の上に薄物の羽織らしきモノをまとい襟をかき寄せながら一緒に小走りに着いてきた。
「あのう、抱いて帰りますから、どうぞ、お気遣いくださいませんよう」
 今、初めて会ったのだと言えばいいのに、久子は本当のことが言えなくなっていた。なぜ、こうなったの? 犬も猫も大好きだけど、この仔犬は私の家で飼っていたわけじゃないのに。どうしよう、買い物ついでに境内に入り、そこへじゃれかかってきただけなんです。そう言いたいのに、まるで探していた仔犬みたいなことを言っていた。
 そんなことに気づく筈のない見世物小屋の芸人たちは、口々に
「よかったねえ、チビ。お家の人が見つかったんだ。もう勝手に出歩いちゃいけないよ」
「よかった、よかった。あなたも、さぞかし心配なさったでしょ、でも私たちにも折角馴れてくれたのに、寂しくなるわね。もう二、三日は境内にいるから、たまに連れてきて顔を見せてよ、ね」
「ほんとよ、散歩にかならず来てよ」
 寒そうに肩をすぼめ、女芸人が浴衣の襟元をかき寄せ安堵とも別れの寂しさともつかぬ言葉をかけた。しゃがれ声だが心根の優しさが伝わってくる言いようだ。
 そうしてる間にも、仮名チビの仔犬はひっきりなしに久子の顔を舐めまわしてりして、しきりに甘えている。
「やっぱりお姉ちゃんちの犬だったんだ、チビちゃんて言うんだ。お姉ちゃん、私にも抱っこさせて、これからもお散歩に来るんでしょ? おうち、この近く?」
 おかっぱ頭の、さきほどの女の子が聞いた。
 先ほど、いま会ったばかりよ、と久子が言った言葉は忘れている。

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街ゆかば  G [2008年08月05日(火) ]
お姉さんとこの犬?」
 しゃがんで仔犬の背を愛おしそうに撫でていた女の子が、長い、おかっぱの髪の毛を左右にゆらして久子に聞いた。
「……お姉ちゃんも、いま会ったばかりなの」
 これくらいの子供なら、おばちゃんと呼ぶのだが、お姉ちゃんと呼ばれたことに気をよくした久子が一緒に仔犬を撫で、そっと胸に抱き寄せて答えた。二十七歳になったばかりで結婚はしていたが、子供はいなかった。正月に日本髪を結おうと二年程伸ばしている髪の毛は手入れをしているため黒々と艶を放ち腰から先までたわわに垂れていた。 
 子犬を挟んで話している二人の間に人影が侵入した。
「おぉ、飼い主にようやく逢えたな。お姉さんちの仔だったのか。一昨日の夜から儂らの小屋に迷い込んできてな、飼い主からはぐれたか、夜中に家を飛び出して迷子になったのだろうってみんなで心配してたところだった。よかったな、チビ。で、なんて名前なんだい? 坊主なのか、お嬢ちゃんなのか、誰も見分けられなかったが、気だてのいい犬だ。柴犬にしては手足が、ちと大きすぎるが、でも柴犬にも中型と小型があるからな、大きい方の柴かい?」
 頭の上で、侵入した人影の主がしゃがれ声で聞いた。
 驚いて見上げると、片手に蓋のない薬缶から水を滴らせ、白い歯を見せた男が立っていた。
 境内の見世物小屋の一人らしかった。もう朝晩は肌寒さをおぼえる気候だが、上は七分袖のダボシャツを羽織るようにしているだけ。白い洗い晒しの生地の下から、胸骨部分以外の肌には青を主に赤、紫の入れ墨が透けて見えた。額が禿げ上がった坊主頭と人なつこそうな目の笑顔が怖さを感じさせなかった。
「え? いえ、あ、そうでしたか。それはどうもお手数をかけました。雑種だと思うんです。そんないい犬じゃないでしょ。どうも済みませんでした」
 久子は男の声がした途端、仔犬を固く胸に抱き寄せ、咄嗟に嘘をついた。なぜ、そう答えたのか自分にも理解できなかった。特別、犬を飼いたいと思っていたわけでもない。
 見世物小屋の住人みんなが心配していたといわれ、こんな人たちに飼われていたら、とんでもないことになる。理由もなく、そんな気がしたせいだった。不条理な差別感だった。
 自分の飼い犬でもないのに、お節介をやいていた。
 男の声に仔犬はますますはしゃぎ、ひっくり返って、そこだけは白く毛のない腹を見せ、小さな尻尾を千切れそうに振り、興奮したのか又おしっこを漏らし久子のスカートを濡らした
「世話なんて、そんなことはない。儂らも犬やら猫やら、キツネ、狸、インコにオウム山羊など縁のあった動物たちと暮らしている。座員の誰が飼っているというわけじゃない。みんな一緒に同じ飯を食い、同じ床で寝てるのさ。夏は少し暑っくるしいが、冬は暖めてくれるしな。動物ってのは、可愛いもんだ」
 動物好きなのだろう。見かけによらぬ人の良さが目と日焼けした顔に滲み出ていた。

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街ゆかば  F [2008年08月02日(土) ]
鬼子母神神社の門前通りに買い物に出かけた帰り道、その見せ物小屋の仕上がりぶりを見上げている久子の足許に、突然、なにかが飛びついてきた。仔犬がじゃれかかったのだ。キャ、と驚きの軽い悲鳴を上げたが、相手が子犬と知ると、すぐさましゃがんで手を差し伸べていた。
 産まれて一ヶ月になるかどうかだろう。犬好きの久子の贔屓目には土佐犬や柴犬といった由緒正しい系統の仔犬に見えた。実は雑種であろうと、血統書付であろうと何でもよかった。タダ自分では目が利くを信じているだけで、犬ならなんでも好きなのである。その子犬はころころと、よく太っていた。足もがっちりしている。手先などは、本人の顔ほどありそうな大きい手だ。これはきっと大型犬の子だ。久子は見た瞬間、勝手にそう決めていた。仔犬は自分の足で歩けることが嬉しいのか、目に映る世界がすべて好奇心をくすぐるのか、じっとしていない。手足の見かけによらず頼りない足許。焦げ茶色のふわふわした体毛が、もこもこと盛り上がっている。すべてが可愛いく愛くるしかった。小さな体を、斜めにしなければ前に進めないのだが久子の足下に近づこうとする。だが自分の興味を引くものを見つけると、小石であろうと鳩であろうと急いでそちらに向かうのだが、すぐ不安になるのか急いで戻って来ようとする。
 その戻り方が、置き去りにされては大変だとばかりの走り方で帰るのだ。
 走ると言っても、前進ではなく斜め方向に進むだけだった。手が斜め前方にしか出ない。どこかに着いても、間違って目的地にたどり着いたといった趣でしかない。
 まるまると肥った体を左右に揺らし、あちこちにぶつけながら久子のサンダルに体ごとぶつかるように舞い戻ってくる。そして小さなボタンのような黒い小さな鼻先をぴくつかせ、すり寄り、玩具のように小さな舌でペロペロと久子の足のあちこちを舐め回すのだった。
 目も未だしっかりしてなさそうである。
 周囲を見回したが飼い主らしき人は見あたらない。子犬を目ざとく見つけた境内で遊んでいた子供たちが仔犬に気づき、久子の側にきて一緒に手をさし出す。それにも愛想良く顔を近づけぺろぺろと小さな舌で舐め回した。子供が指先を振ってジャレさせると、地面に小水を漏らして喜んでいる。

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