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「篤姫の生涯」を読んで [2008年02月28日(木) ]
NHKの大河ドラマ「篤姫」を毎週楽しみに見ています。

機を同じくして、図書館で予約していた、私の大好きな作家、宮尾登美子作「篤姫の生涯」を借りることができ、一昨日から読んで、今日読み終えました。
読みながら、テレビの出演者の顔が浮かんできて、面白くてあっという間に読んでしまったのです。

薩摩藩の「島津本家」の下に「四家」を置き、その一つが今泉家、篤姫の生家で、父忠剛と母お幸の方の間に生まれたのが、於一(おかつ)、後の篤姫です。
篤姫は女性としては大柄で顔たちも意志が強そうで、いわゆる「なよなよとした女性」ではなかったのです。

その意志の強さが島津のお殿様、島津斉彬に御目がねかない、養女に、それから、徳川13代将軍家定の御台所として、興しいれとなるのです。


将軍家光のころは大坂の陣も終わって名実ともに天下統一がなり、政権も安定してきました。
それ以後の将軍の仕事は権力や武力闘争といったことよりも、将軍のお世継ぎをできるだけ多く、確実に誕生させる場として大奥は囲い込まれていったのです。

徳川将軍の御台所は原則、公家出身でなければならず、そのために篤姫も、京の近衛家の養女になって輿入れしました。

ところが、公家出身の御台所はみなお飾りで、活躍らしい活躍をした人はいないどころじゃなく、世子を産んだ人は一人もいなかったのです。
御台所自身がことごとく病弱で短命なのです。


家定も二人の御台所を迎えますが、二人とも亡くなってしまって、その後に篤姫が御台所として、お輿入れするのだが、その家定自身も心身虚弱になってしまい、子をなす能力もなかったと噂にささやかれるありさま。
篤姫は家定とは本当の夫婦になれなかったのです。

しかし、篤姫はそれを運命としてうけとめ、「妻」としてではなく、徳川家の屋台の奥を背負って立つ「人間」として、全力で自分の使命を果たすことに己の道を見いだしたのです。


夫家定が急死し、篤姫は養子に迎えた14代将軍家茂の母となるのですが、
その家茂の御台所として、孝明天皇の妹の和宮にと画策され、断裂が深まる、幕府と朝廷の関係を修復するためにも必要なお輿入れだったのです。

徳川家にお輿入れした和宮は、いつまでも、皇女であるということを大事にし、嫁としての婚家のしきたりに従う姿勢が見られない、そこで、篤姫との軋轢が生まれるのです。

江戸時代260年の歴史は明治元年の江戸開城で終焉を迎えるのですが、その時代の最後を見届けたのは、天しょう院篤姫その人です。

その時篤姫は33歳でした。輿入れしてきたのは21歳なので、10年そこそこの徳川の暮らしだったのですが、その間の出来事は、並みの人の2倍も3倍も長く生きたと思われるほど波瀾万丈な人生だったのではないでしょうか?

テレビドラマよりも一足先に物語の終わりを見てしまいましたが、ドラマも引き続き楽しみたいと思っています。

Posted at 17:06 | この記事のURL
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