昨日、埼玉県・東松山市にある「丸木美術館」に「原爆の図」を見に行って参りました。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm
10数年前に知ったのですが、写真でこれらの絵を見ただけで、怖くて見に行く勇気が出ず、とうとう現在に至ってしまいました。
きっと、ご存知の方も、多いでしょうね。
日本画家・丸木位里さんは、広島に生まれましたが、原爆投下当時は、東京に住んでいたそうです
彼は、親兄弟、親戚が大勢住む広島に、投下後3日目に入りました。
洋画家の妻・俊さんは、7日後に広島に入り、2人で、救助活動を手伝ったそうです。
投下5年後に第1部を書き終え、次には3部まで・・・と続き、1982年までの32年間に、15部の絵を成し遂げました。
写真では見ていて知っていましたが、実物を目の前にして、足がすくみ、心が凍り付いてしまいそうでした。
1つ1つの絵の下に解説(ご夫妻の体験)が書かれています。
第7部「竹やぶ」・・・・三滝の橋の下は、屍でいっぱいでした。その中に、年も分からず、男か女か、生きているらしいと思われる人がうずくまっていました。8月26日の朝、頭を落として死んでいました。原爆が落ちたのは、8月6日でしたから、20日間、じーと耐えていたのです・・・。
もう、残酷過ぎます。・・・・。いたる所、こんな場面ばかりでしたでしょう。
「原爆の図」の他に、「アウシュビッツ」「南京大虐殺」「水俣」などの大作もあり、これらも目を覆うような絵ですが、しっかり目を開いて見てまいりました。
原爆ドームなどに比べ、あまり知られていないせいか、館はひっそりとしていました。
日本中の人に、いえ、世界中の人に見て欲しい美術館だと思っています。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm
10数年前に知ったのですが、写真でこれらの絵を見ただけで、怖くて見に行く勇気が出ず、とうとう現在に至ってしまいました。
きっと、ご存知の方も、多いでしょうね。
日本画家・丸木位里さんは、広島に生まれましたが、原爆投下当時は、東京に住んでいたそうです
彼は、親兄弟、親戚が大勢住む広島に、投下後3日目に入りました。
洋画家の妻・俊さんは、7日後に広島に入り、2人で、救助活動を手伝ったそうです。
投下5年後に第1部を書き終え、次には3部まで・・・と続き、1982年までの32年間に、15部の絵を成し遂げました。
写真では見ていて知っていましたが、実物を目の前にして、足がすくみ、心が凍り付いてしまいそうでした。
1つ1つの絵の下に解説(ご夫妻の体験)が書かれています。
第7部「竹やぶ」・・・・三滝の橋の下は、屍でいっぱいでした。その中に、年も分からず、男か女か、生きているらしいと思われる人がうずくまっていました。8月26日の朝、頭を落として死んでいました。原爆が落ちたのは、8月6日でしたから、20日間、じーと耐えていたのです・・・。
もう、残酷過ぎます。・・・・。いたる所、こんな場面ばかりでしたでしょう。
「原爆の図」の他に、「アウシュビッツ」「南京大虐殺」「水俣」などの大作もあり、これらも目を覆うような絵ですが、しっかり目を開いて見てまいりました。
原爆ドームなどに比べ、あまり知られていないせいか、館はひっそりとしていました。
日本中の人に、いえ、世界中の人に見て欲しい美術館だと思っています。
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at 18:09
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