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昭和史を紐解くー2(10年〜15年)

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昭和史を紐解く−2(はじめに)[2006年07月07日(金) ]
この章では昭和10年から紀元2600年の15年までの6年間をみる。

PAT―2では、なんと言っても昭和15年の♪紀元は2600年〜の節目の年であろう。「大政翼賛会」なるものを発足させ「上御一人(天皇)に対し奉り奉公の誠を尽くす」とのスローガンは、紀夫君・紀子さんにその後どう影響したのだろうか・・・是非ともご所見を賜りたい。

その前にPAT―1(元年〜9年)をおさらいしておく

昭和の幕開けは、大正デモクラシーの「内は立憲主義・外は帝国主義」と言う指導理念のもとに新たな昭和元号を迎えたのであるが、内に目を向けると大正12年の関東大震災の爪あとも生なましいなか、昭和2年3月には金融恐慌に見舞われ、2年後の4年にはニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌に陥る。恐慌の嵐は当然ながら我が国も例外でなく、殊に中小企業や農業部門にその打撃が大きく、東北地方に多く見られた娘の身売りなどが起こっている。更に社会情勢は治安維持法の強化や、特別警察機構拡充で共産党思想が排除され、更に7年に海軍将校らによる犬養首根相暗殺の五・一五事件があり、さく莫とした時代になりつつある。

一方外に目を向けると、満蒙権益保護の名目で昭和2年から三次に渡り中国山東省に出兵し、とうとう6年の9月には、満州の奉天で自作自演の満鉄爆破事件の芝居を演じてこれより満州事変へと発展させてゆく。更に翌7年には上海事変へとエスカレ−トした日本は、中国で権益を持つ英・米・佛・伊などの世界列強から批判を受け、8年には国際連盟から脱退することになる。そして9年3月には、満州国帝政を実施するにいたるのである。このことが後に言われる15年戦争になろうとは・・・。軍部の力が益々強くなり、この先日本はどうなってゆくのだろうか? 
 
「主な出来事」
・1927年(昭和2):金融恐慌、東方会議、山東出兵
・ 1928年(昭和3):三・一五事件、張作霖爆殺事
・ 1931年(昭和6):柳条湖事件、満州事変、
・ 1932年(昭和6):血盟団事件、五・一五事件
・ 1932年(昭和7):第一次上海事変
・ 1933年(昭和8):国際連盟脱退、滝川事件、
・ 1934年(昭和9):帝人事件

乞うご期待!!である。

Posted at 13:51 | この記事のURL
コメント(15)

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コメント


宵の明星さま、雑多に追われなんとなく過ぎ行く日々ですが、ほんのひと時、先人の過ごせし頃に立ち返り、想いに耽るのも”また楽し“、ですね。これからも昭和史を語らいましょう!
Posted by:やうち  at 2006年07月10日(月) 15:42

kondoh-kさま、ようこそお越しいただきました。貴兄の「太平洋戦争と日本商船動向」を興味深く拝見させて貰っています。戦争史のなかでも商船(輸送船)関係の記述はなかなか目に触れません。>戦時中に新造された船舶を含めて、2300余隻、800万総トンの商船が喪われ、6万名もの船員(機帆船及び漁船乗組員を含む)が戦禍に斃れました・・・。こんなにも徴用船が戦禍に巻き込まれていたこと、お聞きしてはじめて知りました。これからもお書きの「日本商船動向記」を楽しみにしていますれば、こちらこそよろしくお願い致します。どうも有り難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年07月10日(月) 15:20

やうちさま再度ありがとうございました。大変よくわかりました。明治政府が制定したこと 歴史の参考書にも 載っていなかったと思います。古事記日本書紀 や日本の神話を 習わないのも残念なことでした。日本人の常識では?
Posted by:宵の明星  at 2006年07月09日(日) 21:56

昭和史、期待しています。太平洋戦争下の日本商船行動の一端を、徐々にでは有りますがご案内できればと考えています。宜しくお付合い下さい。
Posted by:kondoh-k  at 2006年07月09日(日) 19:20

mさま、お立ち寄り頂き、ありがとう御座います。ここでは、中大兄皇子が予測だにしなかったその後の日本を検証してま〜す。
Posted by:やうち  at 2006年07月09日(日) 14:26

宵の明星さま、今晩は!皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(歴史上の年数を数える出発点となる年)で、明治5年に定めています。また、皇紀元年の根拠は、神武天皇が即位した年(古事記と日本書紀の記載から)を西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年としているようです。余談ですが「皇紀」制定の意図は、当時の新明治政府としては「日本は西暦前660年から存在する国である」と、対外的に鼓舞する狙いもあったのでは・・・と、思ったりしています。よろしく!
Posted by:やうち  at 2006年07月09日(日) 00:29

じじねこさま やうちさまどうもありがとうございました。今やっと 紀元2600年 の意味がわかりました。今まで誰も教えてくれませんでしたし 『紀元節』と言う言葉を聞くぐらいでした。紀元660年と言うと ギリシア時代ですね。そのころに神武天皇が即位したのですね。この皇紀はいつごろ出来たのですか?昔からあったのでしょうか?戦後の歴史教育を受けたものとしては 一番面白いところがはしょられてしまっていっそのこと 後ろから教えてくれればわかりやすいのに 歴史って どうして 最初から教えるのんでしょう??
Posted by:宵の明星  at 2006年07月08日(土) 23:23

じじネコさま、再度のコメントありがとう御座います。>最後の一行「ああ 肇國の雲青し」は2番の歌詞・・・。よくぞ仰せ下さいました。ご指摘頂き確認しましたら、仰せのように「肇國の雲青し」は2番でした。この歌は小生も知っていましたので歌詞カードを見ないで書いたのが誤りでした。大変失礼しました。これからもよろしくお願い致します。
Posted by:やうち  at 2006年07月08日(土) 22:11

やうちさんいつも「昭和史を紐解く」を楽しみに読ませて頂いております。史実をよくお調べになり、分かり易く要約されているので感心しておりますが、昭和史をこれだけ分かり易くまとめたものは少なく、貴重な資料です。 そこで一つ、大変失礼とは思いますが、気の付いた部分が一個所ありましたので、再度お調べください。♪金鵄輝く日本の〜、で始まるこの奉祝の歌は、私も小学生の頃歌い、全部で5番までありますが、今でも1番の歌詞だけは何とか諳んじていて歌えます。  それで気が付いたのですが、書かれている歌詞は1番の歌詞ですが、最後の一行「ああ 肇國の雲青し」は2番の歌詞の最後の一行で、1番の歌詞では「ああ 一億の胸はなる」です。 ということで、お手数ですがもう一度お調べください。
Posted by:じじネコ  at 2006年07月08日(土) 21:05

ルルさま、また独断と偏見の昭和史をを書いてみました。さすが博学のルルさま、張作霖をご存知でしたか。そして「紀元節」までも・・・。小生は経験がないのですが、当日学校で♪雲にそびゆる 高千穂の〜♪を唄って下校時には、紅白の饅頭をもらったそうですね。早速のコメントありがとう御座います。
Posted by:やうち  at 2006年07月08日(土) 10:08

1日出掛けてバタバタしていまして…拝見が遅れました。以前、張作霖と息子の張学良の事を書いた本を読みました。当時の関東軍はとてもヒドイ事をしていましたね。紀元2600年、亡くなったおばあちゃんがよく言っていましたよ〜。祖父母は建国記念日を「紀元節」と言って、「雲にそびゆる 高千穂の〜♪」という歌を歌っていました。お陰様で祖父母の声が甦りました。学校では習わなかったですが、この頃の歴史も興味があり、多くの本を読んでいます。これからも楽しみにしています〜(^^♪
Posted by:ルル  at 2006年07月08日(土) 03:01

宵の明星、今晩は!よくぞ時代錯誤の記事にお目を留めていただき恐縮です。戦後生まれのお方には聞きなれない「紀元は2600年」ですが、只今じじネコさまにご説明頂いたとおりです。記事見出しの「♪紀元は2600年〜」は、昭和15年の”紀元二千六百年奉祝会“で唄われた歌の題名です。      ♪金鵄輝く日本の 栄えある光身に受けて          今こそ祝え この朝(あした)            紀元は二千六百年         ああ 肇国(ちょうこく)の雲青し〜で、>紀元2600年ですが、神武天皇が即位した年(実際は不明)から数えて2600年目と言うことです。西暦では1940年ですので、それよりも660年前ですね。またこの日は2月11日とされ、現在も「建国記念の日」で祝日となっています。そうそうお話の日教組の影響?か否かは別にして、東京の学校で卒業式に国歌を唄わない一部の教師が居たことが報道されていましたね。なお、”紀元二千六百年奉祝会“については、昭和15年編で書きますので、ご笑覧ください。コメント頂きありがとう御座いました
Posted by:やうち  at 2006年07月07日(金) 23:10

じじネコさま、お久しぶりです。拙文が大先輩のお目にとまりお恥ずかしい次第です。只今は紀元2600年の詳細説明を寄せて頂きありがとう御座います。これからも補足説明をよろしくお願い致します。
Posted by:やうち  at 2006年07月07日(金) 22:43

やうちさん私はPART−1でもう発生しておりました。 赤ん坊ですが。PART−2を楽しみにしております。宵の明星さん紀元2600年というのは、神武天皇の即位の年を元年として起算した日本独自の紀元表記で「皇紀2600年」とも表します。因みに、皇紀元年は西暦の紀元前660年に当り、皇紀2600年は昭和15年で西暦1940年になります。 この年、皇居前広場では盛大な式典が催され、日本中がお祝いに湧き各地で提灯行列が行われました。 子供だった私も、両親と提灯を持って行列に参加したことを覚えています。なお、今年(平成18年、2006年)は、皇紀2666年です。 おっしゃる通り、日本の歴史教育はおかしいし間違っていると思います。 大事なのは縄文時代や弥生時代のことでなく、江戸時代後半から明治・大正・昭和の時代の歴史(負の遺産を含めて)をしっかりと教えることです。 何故近代史を教えないのだろうと不思議でなりません。 極論すれば、縄文時代のことなど考古学に興味のある人以外は詳しく知る必要もないのです。 元凶は文部科学省の役人なのか、学識経験者で構成する審議会なのか、教育委員会なのか、或いは日教組なのか分かりませんが、腹の立つことです。
Posted by:じじネコ  at 2006年07月07日(金) 22:21

紀元は2600年てなんですか? ああ 無教養で ごめんなさい。戦後生まれで (日教組の影響からか) 昭和史殆どカットと いうより縄文時代からはじめたので 明治大正ぐらいまでで 3学期がおわってしまって。。 
Posted by:宵の明星  at 2006年07月07日(金) 15:27