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昭和史を紐解くー2(10年〜15年)

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昭和史を紐解く−2(昭和13年のこと)[2006年08月22日(火) ]

支那の夜 支那の夜よ
  港の灯 紫の夜に
上がるジャンクの 夢の船
ああ 忘られぬ 胡弓の音
 支那の夜 夢の夜〜
【背 景】

 前年7月の蘆溝橋事件をかわきりに、中国への軍事的侵略を待ち望んでいた日本軍は、直ちに中国に対し攻撃を開始し、前年11月5日には悪戦苦闘の末上海を陥れ、12月13日には首都南京を占領し、国内では提灯行列をしてその進撃に酔って迎えた新年である。

 然るにこの年は、「ガソリンの一滴は血の一滴」の標語の如く、ガソリン不足となった年でもある。
 そこで政府は国家総動員法を実施し、ここにガソリン車に代わる木炭車の登場となる。更にこの年は国策として満州移民を奨励し、大陸花嫁が大量に生まれた年となる。
 
 また国内では、三越デーパトに皇軍慰問品売り場が設けられ、40銭のシャツ、15銭の石鹸、5銭の支那語絵本、55銭の清酒などを入れた慰問袋が3〜5円で販売されている。

 そしてこの年より、戦争を鼓舞する軍歌・戦時歌謡が続々と作られることとなる。

【戦 況】

♪徐州徐州へと 人馬は進む  徐州いよいか 住みよいか
しゃれた文句に 振りかえりゃ
お国訛りの おけさ節  髯がほほえむ 麦畑〜
この年の10月、陸軍は,戦争を一気に終わらせるために,全兵力の7割以上の24個師団100万を中国戦線に送り、徐州作戦に引き続き、漢口作戦を目的とする武漢三鎮(漢口・武昌・漢陽)を攻略している。

攻撃は四方向から行われ、各地で苦戦の末、遂に日本軍は粤漢線を遮断,中国軍は全線にわたり後退するとともに,広東を占領された国民政府は重慶に後退することになる。

杉山陸相は、戦前に「日中戦争は二ヶ月で片づける」と、天皇に大言していたが、中国軍隊と民衆の強い抵抗で、これより先、広い中国大陸での進攻作戦を続けるための兵力及び食糧補給は不可能となっていたのでる。

【出来事】

  1月  軍需工業動員法発動
  2月  第二次人民戦線事件
      大日本農民組合結成
  3月  京都市内のタクシー、日本初のメーター制実施
  5月  国家総動員法実施
      重要産業統制法実施
  7月  張鼓峰で日ソ両軍衝突
      阪神大水害

【歌・映画】

<歌>
 「人生劇場」   ♪やると思えば どこまでやるさ・・(楠木繁夫)
 「雨のブルース」 ♪雨よ ふれふれ なやみを 流す・・(淡谷のり子)
 「旅の夜風」 ♪花も嵐も 踏み越えて 行くが・・(霧島昇・ミス・コロンビア)
 「或る雨の午後」 ♪雨が降ってた しとしとと 或る日の・・(ディツク・ミネ)
 「旅姿三人男」  ♪清水港の 名物は お茶の香りと・・(ディツク・ミネ)
 「支那の夜」   ♪支那の夜 支那の夜よ 港の灯り・・(渡辺はま子)
 「上海ブルース」 ♪涙ぐんでる 上海の 夢の四馬路の・・(ディツク・ミネ)
 「満州娘」    ♪私十六 満州娘 春よ三月 雪解け・・(服部富子)
 「愛国行進曲」  ♪見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば・・(歌手多数)
 「上海だより」  ♪拝啓御無沙汰しましたが 僕もますます・・(上原 敏)
 「麦と兵隊」   ♪徐州徐州へと人馬は進む 徐州いよいか・・(東海林太郎)

<映画>
   「愛染かつら」「藤十郎の恋」「露営の歌」「綴り方教室」 など、

独断と偏見で綴る昭和十三年である。

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コメント(11)

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コメント


極楽トンボさま、当時の中国では、日本に限らず、世界列強が自国の権益維持・拡大に躍起となっていました。そのため、各国の駆け引きも複雑なものでした。そんななか、ドイツも中国は兵器売り込み市場であり、蒋介石に請われて国民党の軍隊を指導・育成していました。そして昭和15年の日独伊の三国同盟では、日本が独伊の「ヨーロッパ新秩序」を、独伊が日本の「大東亜新秩序」をそれぞれ認め合うというものでした。中国でのその後の戦は、以前友好関係にあった英国・米国の「救蒋政策」が決定的でした。広い大陸を「鬼さんこちら〜・手のなるほうへ」と、蒋介石に翻弄されたのです。「勝利」 ♪丘にはためく あの日の丸を 仰ぎ眺める 我等の瞳 何時かあふるる 感謝の涙 燃えて来る来る 心の炎 我等はみんな 力の限り 勝利の日まで 勝利の日まで〜(S19)当時よく付けられた名前だそうですね。コメントありがとう御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年08月30日(水) 11:58

私の長男(男5人兄弟、私は3男坊です)が、昭和13年生まれでやうちさんと同じような経験をしています。私は昭和18年生まれ、戦況が思わしくなくなり始めた頃でしたので名前は勝利と付けられました。先日テレビで見たのですが、3国同盟をした筈のドイツのヒットラーは、中国に武器や兵の訓練を日本に秘密にずっと行っていたそうです。中国国民党の蒋介石はこれを元に軟弱だった中国軍を立て直し、日本軍に抵抗を開始したとの事でした。2ヶ月で終わるはずの戦争があれほど長引き、敗戦に繋がって行った重大な原因の1つだと言われています。軍部は南京攻略での中国軍の様子から簡単に勝てると判断したようですがこの事実を把握していなかったが為に重要な判断ミスをしてしまったと言われています。この話しはテレビの受け売りですので、やうちさんのご意見をお聞かせ下さい。
Posted by:極楽トンボ  at 2006年08月29日(火) 13:28

赤猫さま、ご投票下さいましてありがとう御座いました。またお越しくださいませ。
Posted by:やうち  at 2006年08月24日(木) 10:51

mさま、 ichinobakaさま、ご投票下さいましてありがとう御座いました。またお越しくださいませ。
Posted by:やうち  at 2006年08月23日(水) 14:19

Yako.さま、ようこそお越しいただきました。もうこの年には2〜3歳なれば、私のお姉上ですね。私は13年生まれです。昭和20年の4月に、♪国民学校一年生〜でした。入学時は本土空襲の激しいなか、地区の上級生に引率されて登校したことを今も鮮明に覚えています。無い無い尽くしのなかの最後の国民学校でした。今から思うに、この13年から既に太平洋戦争が待ったいたような気がします。記載した歌の数々は懐かしい曲ばかりです。>幼児教育・・・「三つ子の魂・百まで」と言われるように、大切ですね。コメントありがとう御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年08月23日(水) 14:17

ルルさま、隅から隅まで、坂田藤十郎までもお読み頂きありがとう御座います。仰せのようにあの悪しき時代も、順追って辿れば合点がゆきます。日中戦争〜太平洋戦争とひた走った軍部も最後は、上げた拳が降ろせなくなったのでしょうね。火野葦平の「麦と兵隊」お読みになっておいででしたか・・・。昭和13年5月の徐州攻略作戦に一兵卒で従軍し、その体験記を元に出筆したのでしたね。ほかに、「土と兵隊」「花と兵隊」と併せた<兵隊三部作>は、300万部を越えるベストセラーとなりました。何時もながらのコメントに感謝です。
Posted by:やうち  at 2006年08月23日(水) 13:16

とっくさま、ようこそお越しいただきました。歌はその時を知るのに一番近道ではないかと思ったりもしています。ただ、「人生劇場」のように先に唄われた曲でも、当時はヒットせず、その後違った歌手で大ヒットした曲が沢山あります。そんな場合、それがその歌手の持ち歌と思われがちです。昭和13年の「人生劇場」も大ヒットしたようですが、時代が時代でしたから・・。歌い手の楠木は当時の大歌手です。ほかに今も残る「緑の地平線」「女の階段」など、不腐の名曲が数多くあります。また、歴史教育のあり方も、とっくさまと全く同じ想いです。ありがとう御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年08月23日(水) 12:24

ーご投稿をいただきました皆様へー毎回コメントをお寄せ頂きありがとう御座います。昭和13年は私の生まれた年でして、殊に感慨深いものがあります。しかし、時はまさに戦後生まれと世代交代のこの平和な御世に、「今更悪しき時代のことを穿り返して・・・」とのご意見もあろうかと存知ますが、自分の人生の大半を過ごした昭和の時代をもっと詳しく知りたく、そして自分に言い聞かせながら年代を追って書いている次第です。勿論、閑オヤジの戯言ですので、皆さまのお目に止めて頂くようなものではありませんが、この先もご声援賜れば幸甚に存じます。なお、昭和20年までは戦争の時代ですので、軍歌・戦時歌謡を織り込んだ「戦史」が主体となると思いますのでご容赦ください。蛇足ながら軍歌・戦時歌謡は、カラオケのジャンルの一つとして大好きなんです。
Posted by:やうち  at 2006年08月23日(水) 11:44

私はこの頃2・3歳の幼児でした。この内容からその頃の都会生活と時代背景が良く理解できます。歌は題名ではメロディーが出てこないのが2・3ありますがほとんどなんとなく口ずさめます。この頃からどんどん情勢が悪化して悲惨な時代に入るのですね。幼児の頃の記憶は残っているものですね。天才を作るには幼児教育でしょうか?
Posted by:Yako.  at 2006年08月23日(水) 00:38

いつも楽しみにしています〜♪順を追っていくと、戦争に突入していく歴史や世相が良く分かりますね。戦争を鼓舞する軍歌・戦時歌謡が作られ…軍部は引けなくなっていったのでしょうね。とっくさまも仰っていますが、本当は昭和史が大事ですのに…。私も人生劇場は村田英雄と思っていました。「旅の夜風」は「愛染かつら」の主題曲ですね、「藤十郎の恋」は上方歌舞伎の坂田藤十郎のお話なので身近です。「麦と兵隊」は火野葦平の小説を昔読みました。
Posted by:ルル  at 2006年08月22日(火) 18:50

「人生劇場」は村田英雄ではないのですか?。知らなかった。知らない歌ばかりですが、昭和史の良い勉強になります。私達が習った歴史の授業は古代から始まり明治維新くらいでいつも終わっていたような気がします。本当は逆のはずなのですが・・。
Posted by:とっく  at 2006年08月22日(火) 17:39