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昭和史を紐解くー3(16年〜20年)

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昭和史を紐解くー3(S16-A)[2006年10月29日(日) ]
では、この年の家族・親戚、そして隣組の方々の暮し向きは・・・

【世 相】

先ずはホットな話から進める。

正月二十日に、[賢賛型美人の条件]なるものが、「新女性美創定研究所」でまとめられている。それによると、、“顔や姿は飾らぬ自然美・顔色艶々日焼けの自慢・大きな腰骨たのもしい”など、10項目である。

美人といえば古来、飛鳥美人で始まり、江戸時代以来では、色白できめ細かい肌・すらりとした手足・涼しい目元・鼻筋が通り、豊かな黒髪が美人の条件とされ、関東大震災後から、パーマネントや断髪・口紅を唇全体に塗るなど、欧米の影響を受けて従来の美意識と相容れないような美容が広まったのである。

こうしたことからか、風雲急を告げる時期に、この指針がだされたのだろうか?・・・。

次に二月十一日の紀元節(現・建国記念の日)の日のことである。

[満映スター・季香蘭]の日劇公演で観客が殺到し、警官50人、従業員120人が整理に当たる盛況ぶりだったそうだ。

この日の東京は、“建国祭よりも季香蘭”の日であったそうだ。
季香蘭=山口淑子であるが、このことが判明するのは、伎芸証申請によるもので、それまでは中国人と信じられていたのである。

山口 淑子(1920年2月12日 )は、満州の奉天(現在は中国東北部の瀋陽)生まれの国際的女優・歌手。戦前には李 香蘭(り こうらん)の芸名で、戦後は本名の「山口淑子」などの名で活躍した。結婚引退後は、テレビキャスターとしても活躍。大鷹淑子として日本の参議院議員もつとめている。

さて、前置きが長くなったが、この年も庶民生活にいろんな事が取り入れられている。

先ずは、小学生である。小学生の一日入営が各地で行われている。静岡県では、女子学生の一日入営があった。その目的は、「「兵士の労苦を味わう事は銃後(祖国・日本のこと)の女性の第一課」だそうだ。

そして小学校が国民学校になったのもこの年で、国語教科書は「アカイアカイ アサヒアサヒ」となり、通知簿の甲・乙・丙・丁が、優・良・可・不可となった。(戦後生まれの皆様は、A・B・Cでは?)

更に農繁期には学校を休校にして、小学生も農業生産に参加している。

続いて巷の様子であるが、乗用車のガソリン使用が全面禁止となり、六大都市ではお米が配給制となり、成人1日一人2合3勺となる。そして隣組組織のバケツリレー訓練が盛んになってゆく。

こんなか、遂に運命の12月8日を迎える。
ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電で、海軍はハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃をかけ、それに呼応して陸軍は、英・植民地マレー半島・コタバル付近へ敵前上陸を開始している。ただ,ハワイとマレーでは時差が6時間半あり、日本のマレー侵攻の後に、海軍は真珠湾攻撃を行なったことになる。

こうして第二次世界大戦・太平洋ブロックでの戦いの幕が切って落とされたのである。

朝の臨時ニュースでは「帝国陸海軍が西太平洋で米英と戦争状態に入れり」と、繰り返し伝えている。

なお、この詳細は別に戦争史で綴る。

【歌・映画】
 
<歌>  
 「十三夜」 ♪河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる・・・(小笠原美都子・唄)  
 「里の秋」 ♪静かな 静かな 里の秋  お背戸に 木の実・・(多数) 
 「海の進軍」♪あの日揚ったZ旗を 父が仰いだ波の上・・・(藤山・伊藤・二葉) 
 「航空百日祭」 ♪望めば遥か 漂渺の 七洋すべて 気と呑みて・・(多数) 
 「戦陣訓の歌」 ♪日本男児と生まれ来て 戦の場にたつからは・・(岡本敦郎)
 「そうだその意気」♪なんにもいえず 靖国の 宮のきざ・(コロムビア合唱団)
 「出せ一億の底力」♪出せ一億の底力 さくら咲く国日の本の・・(大政翼賛会後援)

※この年から軍歌・戦時歌謡が増え、今も残る名曲が少なくなる。よってアレルギー症のお方は、マスクをして下さい。

 <映 画>
   「馬」「戸田家の兄妹」「蘇州の夜」「花」「みかえりの塔」 

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和16年である

Posted at 14:38 | この記事のURL
コメント(9)

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コメント


ヒャックリコさま、そうでしたか、小生も当時は乳飲み子でして、終戦の年に小学校に入り父母からその話を聞き、初めて知りました。
Posted by:やうち  at 2006年11月09日(木) 16:21

お米の配給、バケツリレーなどの話は母から聞いた事があります。
Posted by:ヒャックリコ  at 2006年11月08日(水) 22:25

とっくさま、再度のご訪問有難う御座います。>季香蘭=山口淑子  そうでしたね。「夜来香」は彼女の大ヒット曲でしたね。       ♪あわれ春風に嘆くうぐいすよ〜他にも、紅い睡童・夜霧の馬車・蘇州の夜などなど、今も残る名曲です。>里の秋 戦時小学校唱歌?、誰もが一度は口ずさんだ歌ね。どうも有り難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年10月31日(火) 16:04

「季香蘭」って「夜来香(イエライシャン)」を唄ったひとですか?「里の秋」って小学校で歌ったような?
Posted by:とっく  at 2006年10月31日(火) 13:02

mさま、一番にご投票頂き嬉しいですね!毎回お越し頂き有難う御座います。
Posted by:やうち  at 2006年10月30日(月) 21:54

おじいさま、よくおいで下さいました。早々にコメント頂き御礼申し上げます。小生も貴兄と同年輩のようですが、開戦時は別にして、終戦間近かな頃の事はおぼろげに覚えていますね。教科書は先輩から借り受け、登下校時は、いまの自動車事故や誘拐などの為でなく、空襲からの身の安全の為に集団登下校でした。こうして、歳月が経ち、この時期に当時を想い起すと懐かしくもあります。同年輩の方にお目を通して頂き嬉しいです。こちらこそ有難う御座いました。よろしく!
Posted by:やうち  at 2006年10月30日(月) 21:51

ルルさま、どうも!です。毎回くだらない戯言にお付き合い願い恐縮しています。いよいよ日・米連との戦い時局に至りました。気が重くなりますが書き綴ります。>「里の秋」 さすが、お目が高い!、仰せのとおりです。この歌は、発表された時は「星月夜」(作詞・斎藤信夫/作曲・海沼實)と言うタイトルで3番の歌詞も  ♪きれいなきれいな 椰子の島  しっかり護って下さいと          ああ父さんのご武運を 今夜も一人で祈ります〜で、あったところ、昭和20年の敗戦で復員兵士を迎えるに当たり、NHKが同年12月24日に企画したラジオ番組「外地引揚同胞激励の午後」のため、ルルさまお書きの現在の歌詞に変更されているようです。どうも有り難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2006年10月30日(月) 21:35

おはようございます懐かしい話ですね、私はまだ子供だったんですが、殆んどが私の記憶にあることばかりです。しかし読むまでは殆んど頭の隅にも無かったです。父、母、そして兄。今はもう居ないが、何かよみがえる、機会が出来ました。有難うございました。。。
Posted by:おじい  at 2006年10月30日(月) 05:48

いよいよ火蓋が切られました。あの大戦に入っていくと思うと気が重くなりますね。お米の配給、今では、成人1日一人2合3勺と聞くと多いように思ってしまいます。隣組に国民学校に銃後の守り…戦争体験者の方々から良く聞く言葉ですね。「里の秋」は、子供の頃は田舎風景の童謡だと思っていましたが、戦地に行ったお父さんを待つ母子の歌なんですね…本当は寂しい歌ですね。 ♪さよならさよなら 椰子の島 お舟にゆられて 帰られる  ああ 父さんよ 御無事でと 今夜も 母さんと 祈ります
Posted by:ルル  at 2006年10月30日(月) 02:18