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昭和史を紐解くー3(16年〜20年)

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昭和史を紐解くー3(昭和20年のこと) [2007年03月29日(木) ]
♪送るも往くも今生の 別れと知れどほほえみて 
爆音高く基地をける あゝ神鷲の肉弾行〜

(嗚呼神風特別攻撃隊)

【出来事】

  1月  米軍・ルソン島に上陸
  2月  ヤルタ協定成立・ソ連対日参戦を決定
  3月  硫黄島の日本軍全滅
  4月  小磯内閣総辞職・鈴木貫太郎内閣成立
       陸海軍特別攻撃隊・連日沖縄に出撃
       戦艦大和・徳之島沖で沈没(戦死者2500人とも2700人とも)
  5月  米軍・沖縄本島に上陸
  6月  沖縄の日本軍守備隊玉砕(戦死者=日本軍9万人・一般国民10万人) 
  7月  ポツダム宣言発表(鈴木首相、ポツダム宣言黙殺を表明)
  8月  広島・長崎に原子爆弾投下  ソ連が日本に宣戦布告
       ポツダム宣言受託・無条件降伏   玉音放送
       鈴木内閣総辞職   東久邇稔彦内閣成立
   9月  ミズーリ号上で降伏調印  第一次戦犯容疑者逮捕
  10月  GHQ設置
  11月  財閥解体指令出る
  12月  新選挙法成立(婦人参政権) 農地改革指令出る  労働組合法公布

【戦 局】

太平洋戦争の敗色はいよいよ濃くなり、3月10日には、B29が東京を大空襲して12万余の死傷者を出し、更に12日には名古屋、14日には大阪、17日には神戸、その後米軍は各地方都市の無差別攻撃を仕掛けることになる。

6月に入り最後の砦とした沖縄守備軍が玉砕し、広島・長崎がピカドンに見舞われ、果ては満州国境を越えてきたソ連軍の参戦で もう後退り叶わぬ日本は遂に連合国のポツダム宣言を受託・無条件降伏している。

8月30日には 連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木に到着 9月には、ミズーリ号上で降伏文章に調印を行うこととなる。 

この日より日本の行く末は 大本営に代わりGHQに委ねられることとなった年である。

【世 相】
この年は 暮し向きでも戦前・戦後の境をなす一年となった.

ガソリンの代用品「松根油」のため 松の根っこ堀に精を出していた日々も、
8月15日正午の天皇陛下の「終戦詔書」の放送が仕切り線となった。

玉音放送を聞き入る大人達の虚脱感はいかばかりであっただろうか?・・・

そして終戦、

新宿の焼け跡にヨシズ張りのマーケットができ、これが各地の闇市のハシリなる。

ハシリついでに
立川基地では発疹チフスを媒介する“シラミ”退治に空からDDTが散布され,
以後全国の学校や街頭で強制的に散布されることとなる。

そして復興の第一歩は,
第一回宝くじの発売・天上の焼け落ちた国技館での大相撲本場所の再開・
プロ野球の再開(東西対抗試合)などである。

東京では「輪タク(幌かけ三輪自転車)」が登場し、
大阪には「ぬくもり屋(焚き火にちょっとあたると50銭)」なるものが出現している。

また上野駅では日々餓死者が出る一方、外地からは復員がはじまることになる。

※流行語  「一億玉砕」 「ピカドン」 「進駐軍」 「四等国」 「パンパン」
        「肉体の防波堤」 「戦犯」。 「浮浪児」 「タケノコ生活」  など

【歌・映画】

 <歌>  
 「お山の杉の子」 
♪むかし むかしの その昔   椎の木・・・(安西・加賀美・寿永・唄)

 <映画>  「勝利の日まで」「伊豆の娘たち」「そよかぜ」

などなど・・・。  独断と偏見で綴る昭和20年である。

昭和史を紐解くー3(昭和16〜20年)   

Posted at 19:25 | 昭和史ー3 | この記事のURL
コメント(10)

昭和史ー3(昭和19年のこと) [2007年03月17日(土) ]
♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ
青いバナナも 黄色くうれた
男所帯は 気ままなものよ
ひげも生えます ひげも生えます 不精ひげ〜

(轟 沈)

【出来事】

  1月  大都市に疎開命令(東京・名古屋で空襲に備え建物強制取り壊し決定)     
  2月  決戦非常措置要綱決定
  5月  国民総決起運動中央総会開催
  6月  マリアナ沖海戦
       B29中国基地から北九州を攻撃(日本本土初空襲)
  7月  サイパン島の日本軍玉砕   
       東条内閣総辞職→小磯・米内内閣成立
  8月  学徒勤労令・女子艇身隊勤労令公布
       グァム島の日本軍玉砕
 10月  満18歳以上を兵籍に編入
       レイテ沖海戦
 11月  米爆撃機B29による東京初空襲

【時 局】

この年1月、大本営はビルマにいた第15軍に「国境越えしてインドのインパールを占領せよ」との指示を出している。目的は、インドから蒋介石救助のルートを断つものである。しかし、結果は食糧・弾薬とも不足のなかの強行行軍であり、7月に至り73,000人の死傷者をだす「自滅戦」で終っている。

開戦当初の中国大陸からは、

♪春まだ浅き戦線の 古城に香る梅の花  
せめて一輪母上に 便りに秘めて 送ろじゃないか〜
 

と、軍事郵便が届いたのに この年の6月に入り、白梅の代わりにグラマンが本土初空襲を行うに至る。

一方海上では マリアナ沖海戦に敗北してからサイパンが陥落し、陸海あわせて31,000余のほとんどが玉砕している。なかでも哀れなのは 一般市民25,000名のうち4,000名があのマッピ山から身を投げて死んだことである。

こうなっては東条内閣も遂に総辞職に追い込まれ、東条の独裁体制は崩れたのである。しかし、後任の小磯・米内連立内閣もなんら方針も持たず、 戦争完遂を叫ぶばかりでこの期の対応になっていない。

その後の戦況ではグァム島の玉砕、そしてレイテ沖海戦での敗北と 各地の日本軍は次第に戦力を失っていったのである。(※数字は資料によりバラツキ有り)

【世 相】

街中は「進め一億火の玉だ」の標語があちこちに目に付く。

隣保班では 竹槍訓練が始まり、学校では 学童集団疎開が開始された年である。

で、竹槍のことであるが、「竹槍では間に合わぬ」と書いた毎日新聞の記者が東条首相の逆鱗にふれ 懲罰招集に発展している。誰が見ても“竹槍では敵機は落とせず”、当たり前のことを言った者が罰せられたご時勢である。

一方巷では、一人一杯20銭の雑炊食堂が大人気となる。但し店によっては汁ばかりなので、丼に箸を立てて倒れなければ合格と定めている。
また、酒は配給制となり一所帯月2合(2級酒1升8円)だったそうだ。

そのうち中学生以上の学徒全員動員が発せられ、14〜25歳の女性を女子艇身隊として軍需工場などに動員することになる。

そして11月24日には、70〜110余機のB29による東京初空襲が行われている。

 ここにきて いよいよ「神風特別攻撃隊」の出番となるのである。

♪燃料片道 テンツルシャン
涙で積んで
行くは琉球 死出のたび
エーエ 死出のたび〜

(特攻隊節

【歌・映画】

<歌>  
 「月夜船」   ♪おおい そこゆく のぼり船  今夜は月夜だ・・・(波平暁男・唄)
 「轟 沈」   ♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ 青いバナナ・・(楠木繁夫・唄)
 「ああ紅の血は燃ゆる」♪花もつぼみの若桜 五尺の生命ひっさ・・・(酒井・安西・唄)
 「突撃ラッパ鳴り渡る」♪勝って逢おうと 誓って往った  友の・・(楠木・三原・唄)
 「いさおを胸に」♪いろはのいの字は 命のいの字  誰も忘れぬ・・(楠木・松原・唄)
 「特幹の歌」♪翼輝く 日の丸に  燃える闘魂 目にも見よ・・・(藤原義江・唄)

<映画>   「三尺左吾平」「加藤隼戦闘隊」「小太刀を使う女」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和19年である。

つづく

Posted at 17:10 | 昭和史ー3 | この記事のURL
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昭和史を紐解くー3(S18年) [2007年02月25日(日) ]
♪見よ少量の皿あけて まだ食い足りぬ芋の粥
哀れな子らにハラハラと 涙は落ちる親同士
おお欠乏の朝ご飯 そびゆる富士の姿ほど
米・味噌積んでゆるぎなき わが日本に早くなれ〜

(替え歌・愛国行進曲より)

【背 景】

前年6月のミッドウェー海戦を転機に日米の勢力は逆転し、アメリカ軍の反抗は日ごとに強まり、ガタルカナルを中心とするソロモン海が主戦場となる。

ガタルカナル島には、日本海軍陸戦隊230名と飛行場建設人夫2000名がいて飛行場の建設にあたっていたが、ガ島の戦略的価値を高くみたアメリカ軍の奇襲上陸により、設営隊はジャングルに追いやられ、救援のかの一木支隊・川口支隊も全滅し、この年の二月に、大本営も敗北を認め撤退している。

しかし、大本営は国民向けには「転進」と発表し、その後の大本営発表はマユツバものとなる。

そんななか、四月に山本五十六連合艦隊司令長官がソロモン群島で作戦中に、ガ島から発進した米軍機により撃墜され戦死している。

そして五月には、大本営より「アッツ島玉砕」の発表があり、国民は「全滅」ではなく,「玉砕」の道を歩んだ2千数百名の守備隊を“武士道の鑑”と賛美している。ここから玉砕が相次ぐことになろうとは、国民の思いもよらぬ戦局となるのである。

また、“足らぬ足らぬ”は戦闘機や工夫だけではなく、日中戦争以来の戦闘で軍隊に於ける下級指揮官の大量不足となって、その不足を補う為に「学徒動員」が緊急勅令が公布され、従来の大学・専門学校生の徴兵が満26歳まで猶予されていたのが、理科系を除く法文科系学生の徴兵猶予が取り消しとなっている。

よって10月21日には、秋雨の降る神宮外苑で戦場に赴く学徒兵の壮行会が行われたのもこの年である。

【出来事】

  2月  ガタルカナル島撤退開始
  5月  アッツ島日本守備軍全滅
  6月  学徒動員計画発表
 11月  大東亜会議開催
 12月  第一回出陣学徒入営となる ・徴兵年齢一年引き下げ(十九歳)

【世 相】

日本は物資の無いままこの戦争をはじめたのだから「国民総力戦」であることは誰の目にも明らかである。

その影響はもろに国民の消費生活にはね返って表題のごとく、「替え歌・愛国行進曲」が歌われている。

また、蓄・米英語はご法度となり、「サンデー毎日」→「週刊毎日」、「キング」→「富士」、「オール読物」→「文芸読物」の如くになる。

そして、ご婦人の服装についても大日本婦人会が長袖の女性に“決戦です!すぐお袖を切って下さい!”と、カードを渡す「長袖追放街頭運動」なるものを展開している。

一番庶民を苦しめたのは「米の買出し厳罰令」である。違反は”10年以下の懲役または5万円以下の罰金”となる。因みに米1升の公定価格が50銭でヤミ米が3円くらいの頃である。

さらに可愛そうなのは動物園の猛獣達である。空襲に備え「薬殺、餓死」となったからである。

【歌・映画】

<歌>  
「同期の桜」 ♪貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く・・・(歌手多数) 
「若鷲の歌」 ♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨・・・(霧島・波平・唄) 
「加藤隼戦闘隊」 ♪エンジンの音轟々と 隼は往く雲の果て・・・・(灰田勝彦・唄) 
「勘太郎月夜唄」 ♪影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひく・・・(小畑・藤原・唄)

<映画>   「無法松の一生」「伊那の勘太郎」「マライの虎」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和18年である。

つづく

Posted at 17:23 | 昭和史ー3 | この記事のURL
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昭和史ー3「昭和17年」 [2007年01月29日(月) ]
リニューアルなどで暫く頓挫していたが、今日より久しぶりに「昭和史を紐解く-3」を再開する。

この章では、昭和16年から、終戦の20年までを検証する事としているが、現在、取っ掛かりの16年で止まっている。

早速、昭和17年を検証する。

藍より蒼き 大空に 大空に
たちまち開く 百千の
真白き薔薇の花模様
見よ落下傘 空に降り
 見よ落下傘 空を往く  見よ落下傘 空を往く

(空の神兵)

【背 景】

昨年12月の開戦以来、旧日本軍は数ヶ月で、フィリピンの首都マニラを占領し、スマトラのバレンバンには落下傘部隊を降下させて油田地帯を確保している。
その様子を唄ったのが冒頭の歌(空の神兵)である。

勢いづいた旧日本軍は、その後も進撃を続け、ジャワ・ビルマ・ニューギニア、更には赤道を越えたラバウルまで占領地を広げ、東南アジアと西部太平洋の要地をおさえて第一ラウンドを終えている。

しかしこの時点では、緒戦の大勝利に酔った政府と大本営は、戦争を終結させることなどコロリと忘れ、このあとも、陸軍は対ソ戦を視野に、そして海軍はミッドウェー・ハワイの攻略を目論み、陸・海統一作戦の見通しのないまま時を過ごすこととなる。

そんななか、米軍が4月18日に突如日本本土に初空襲を仕掛け、軍部の度肝を抜くことになる。

この攻撃による物的損害は大したものではなかったそうだが、それにもましてショックだったのは、天皇のいる皇居の上空に敵機が飛来したことである。

この事実は軍の威信にかかることであり、ここに世紀の一戦とされる「ミッドウェー海戦」へと引き出されるも、この戦局で大敗北を喫した旧日本軍は、それ以降の戦いでは、ジリ貧へと追い込まれる事になるのである。

【出来事】

 1月  ・日独伊新軍事協定締結  ・マニラ占領
 4月  ・シンガポール占領  ・本土初空襲(東京・名古屋・神戸など)
 5月  ・翼賛政治会結成
 6月  ・ミッドウェー海戦(6/5〜7)
 7月  ・開門トンネル開業(貨物列車に限り運転、11/15には旅客営業開始)
 8月  ・米軍・ガタルカナル島に上陸

【世 相】

開戦2年目のこの年は、諸物資の不足が進み、国民生活を直撃する事になる。

日常必需品である衣類は「衣料切符制」となり、都市では一人100点となる。因みに、背広1着50点・ワイシャツ1着12点・靴下12点などなどである。

更に、鉄鋼類の不足から「金属回収令」なるものが発動され、仏具・梵鐘などの強制供出が始まったのもこの年からである。この話は幼心に祖父母からよく聞かされ、今も覚えている。

これらのことに対する国民の不満を察してか、いや、徹底させる為に、大政翼賛会が「大東亜戦争1周年・国民決意の標語」と銘うって時局標語を公募し、以下を入選作としている。
○「欲しがりません勝つまでは」○「足らぬ足らぬ工夫が足らぬ」○「さあ二年目も勝ち抜くぞ」
当時を経験していない方々には 笑い話みたいな事実であり、滑稽に思えることだろう。

【歌・映画】

<歌>  
 「新 雪」  ♪紫けむる新雪の 峰ふり仰ぐこのこころ・・・(灰田勝彦・唄)
 「南の花嫁さん」  ♪ねむの並木をお馬のせなに ゆらゆらゆらと・・・(高峰三枝子・唄)
 「空の神兵」 ♪藍より蒼き大空に 大空に たちまち開く 百千の・・・(四家・鳴海・唄)


<映画>  「新雪」「母子草」「父ありき」「ハワイ・マレー沖海戦」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和17年である。     (つづく)

Posted at 18:05 | 昭和史ー3 | この記事のURL
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