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リニューアル記念「太平洋戦争史」

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戦況−5(昭和20年)[2007年08月03日(金) ]
♪燃料片道 テンツルシャン  涙を積んで
行くは琉球 死出の旅  エーエ 死出の旅〜

♪地上離れりゃ テンツルシャン この世の別れ
想いだします 母の顔  エーエ 母の顔〜

♪雨よ降れ降れ テンツルシャン  せめても雨よ
整備する身の この辛さ  エーエ この辛さ 〜


(特攻隊節)


本土の各都市ではB29の焼夷弾による無差別攻撃が始まり、
沖縄ではあらゆる特攻兵器が投入され、10万を越える沖縄県民までもが巻き込まれて、尊い命が犠牲になろうとは・・・。

しかし日本は、ポツダム宣言を黙視、
業を煮やしたアメリカは、広島、長崎に原爆投下に至る。

早速【昭和20年(1945)】の主な戦況をたどる

【戦 況】

 1/9  「アメリカ軍、ルソン島(リンガエン湾南岸)に上陸」

 2/3  「アメリカ軍、マニラに侵入(一ヶ月に及ぶ市街戦へ)」
  /4  「ヤルタ会談(米・英ソ)・ソ連対日参戦を決定」
  /19 「アメリカ軍、硫黄島上陸」・・3/17・日本軍守備隊玉砕

 3/25 「アメリカ軍、沖縄・慶良間列島に上陸」

 4/1  「アメリカ軍、沖縄本島に上陸」
  /7  「戦艦大和・徳之島沖で沈没」
      ・・この頃陸海軍の特別攻撃隊、連日沖縄に出撃
        泣くな嘆くな必ず帰る 桐の小箱に錦着て
            ああ 逢いに来てくれ 九段坂〜


 6/23 「沖縄の日本軍守備隊玉砕」
      ・・戦死=日本軍9万人・一般国民10万人

 8/6  「広島に原爆投下」
・・中部太平洋のテニアン基地から飛来した米戦略爆撃機B29エノーラ・ ゲイは、広島に原子爆弾<リトル・ボーイ>を投下した。爆弾は上空580mで炸裂、一瞬にして広島を廃墟の町に変えた。
爆心地から半径500mにいたほとんどの人々が即死し、1950年までに、原爆症も含め約24万7,000人が原爆のために死亡している。
 
  
  /8  「ソ連、対日宣戦布告」
・・ヤルタ協定によってソ連は対日宣戦を通告。翌日、ソ連極東軍がソ連国境を越えて進攻し、中国東北地方全域を制圧。

  /9  「長崎に原爆投下」
・・アメリカは長崎にも原子爆弾を投下。熱線と熱風は川沿いの工場・学校・教会、そして爆心地から南へのびる街々を破壊し、約7万人の命が奪われた。今なお多くの人々が原爆後遺症で苦しんでいる。  

 /14 「ポツダム宣言・受託」
・・ポツダム宣言は、7月発表の米・英・中3国の対日共同宣言である。軍国主義の絶滅、領土制限、民主化促進などを終戦の条件とし、無条件降伏を勧告。日本政府は8月14日これを受諾。戦後、占領政策の基点となった。


こうして太平洋戦争(大東亜戦争)は終ったのである。

戦況編(完)

Posted at 16:08 | 太平洋戦争史 | この記事のURL
コメント(10)

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コメント


きっちょむさま、

何時も有難う御座います。
お盆月に入り、テレビでも60余年前を偲ぶ戦争ドキメント番組が数々企画されています。先日もシベリヤ抑留兵の私記が放映されていました。酷寒の地で10余年も強制労働をさせられた末に彼は命を落とすわけですが、その遺書は収容所から持ち出せない決まりの為、“仲間がそれを分担で暗記して遺族に届ける”というものでした。観ていて涙がでました。本当に先人のご苦労に頭が下がります。
Posted by:やうち  at 2007年08月05日(日) 11:51

マリーさま、

今日は! 梅雨明けを待ってたかのような猛暑の毎日、如何お過ごしでしょうか。各地では納涼花火が行われる候となりました。
その花火ですが、お話のように戦地に赴かれた高齢者のなかには、見たくないとの想いの方がおいでとの事を聞いたことがあります。日夜砲火を潜り抜け生き延びた日々がそうさせているのでしょうか・・・。人間の感受性まで変えてしまう戦争はもう懲り懲りです。大空に舞い上がるあの綺麗な花火を綺麗だな!〜と、実感し続けらる世の中が永遠に続くことを念じています。
心に染みるコメントを頂き有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年08月05日(日) 11:25

先人の皆様の多くの犠牲の上に今の私たちの平和があることを
心から噛みしめたいと思います。
この国を愛しこの国の為に命を捧げた英霊の皆様に心から感謝するものです。
Posted by:きっちょむ  at 2007年08月05日(日) 08:19

今日は 花火です、お年寄りの中には まだ花火を見ることができないと言う方たちがおれれます、家族で 二階から みんなで見るとき父は 先に寝てしまうので 趣味のない人かと長い間思っていました。あの音で 思い出すのが 嫌なのかもしれません。 理由を言わなかっただけ 傷の深さを思います。 浴衣を着て楽しんでいる若者たちが どうぞ 良い思出だけを持って年をかせねられますようにと 願っています・
Posted by:マリー  at 2007年08月04日(土) 15:45

ルルさま、

何時も拙文にお付き合いくだされ 嬉しいですね!
今年もまたお盆月となりました。
せめてこの月ぐらいは当時を想いおこし、幾多の英霊や、戦火の犠牲となられた皆々様に心より哀悼の意を表したいものです。
こうして平和なご時勢を過ごさして貰えるのも皆々様のお蔭と、感謝しつつであります。
コメント頂き有難う御座いました。
また戦後編もお目通しの程よろしくお願い致します。
Posted by:やうち  at 2007年08月04日(土) 11:24

今年も原爆・終戦記念日がやってきますね。
どの季節にも其々の思いはありますが、
やはり毎年この時期は考える事が多くなります。
戦況編の完結、お疲れ様でした〜
次は戦後編を楽しみにしています。
Posted by:ルル  at 2007年08月03日(金) 23:44

子鹿さま、

ようこそのお越し下さいました。
いつの世も争いごとは絶えません。
人間みな平等と言うけれど、富と貧困、知識・文化の違いなどから時として衝突してしまいます。日本も過去の大きな代償を払い今日の繁栄を享受しています。これから先も、我々一人一人があの苦しかった時を忘れることなく後世に語り継ぎ、二度と戦争を起してはなりません。
>戦争を政治の力で回避し、人民の力で阻止・・・是非実現したいものです。
コメント頂き有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年08月03日(金) 23:35

MUSOUさま、

お父上も召集されたのですね。
私の叔父は予科錬でフイリピン海戦に赴き、一旦は戦死の公報が入り仮葬儀も済ましたのですが、終戦の翌年ひょっこり帰ってきました。アメリカの捕虜となり、一命を取り留めたそうです。しかし、戦争のことはやはり死ぬまで詳しくは語ろうとはしませんでした。家族・肉親にとっては帰還してくれたことが一番の幸せであり、喜びでした。今、ブログを書きながら幼心の当時をいろいろ思い出しています。
コメントを頂き有難う御座います。
Posted by:やうち  at 2007年08月03日(金) 22:58

余りにも多大な犠牲を払った戦争・・今また、各国の利権争いが起きて
います・・ある種の不安が心をよぎります。
戦争を政治の力で回避し、人民の力で阻止できないものか?
反戦は時に、愛国心に反する行為で弾圧されますが、無念ですね。
Posted by:子鹿  at 2007年08月03日(金) 20:50

仙台にも大空襲があって、そかいして何ヶ月か後に,そかい先にやせ細った姿で父が復員してきて、そんな記憶が残っています。父が持ってきたもの乾パンと軍隊の毛布だったような気がします。
父は亡くなるまで、戦争のことは話しませんでした。召集されて内地勤務で1年くらいで敗戦でした。口に出来ないほどの悲惨な屈辱的な経験をしたのでしょう。帰ってきたことが今考えると、我々にとって最大の幸せだったと考えます。
Posted by:MUSOU  at 2007年08月03日(金) 19:22