未履修科目・日本史のうち「神の国」をみる。
神の国とされた日本の戦史を辿ると、
古くは、文永(1274年)・弘安(1281年)の二度に亘る蒙古来襲も神風?が吹き、フビライの元(モンゴル)軍に不戦勝したのである。
それ以来、明治維新を終えて富国強兵を図った明治期には、
♪日清談判破裂して〜品川乗り出す東艦〜
と、征清歌を唄った「日清戦争(明治27〜28年)」では、清国海軍主力艦・定遠をも撃破して勝利を収めている。
更にその10年後には、今度は当時の軍事大国・ロシアと、
♪一列談判破裂して 日露戦争はじまった〜
の、世紀の一戦「日露戦争(明治37〜38年)」に臨む。
この戦いでは、世界最強とされたバルチック艦隊を有するロシアに、東郷平八郎元帥率いる日本連合艦隊が、T字作戦を用いてこれまた撃破している。
よって乃木大将が、わが息子等を犠牲にして悪戦苦闘した不落の要塞・203高地を漸く陥れることとなる。
これより以前、広瀬中佐の
♪轟く砲音飛び来る弾丸〜荒波洗うデッキの上に〜・・
と、唱歌で唄われた、数次にわたる旅順港閉塞作戦も侭ならずの果てに、この203高地陥落で、漸くにして旅順港の敵艦隊を全滅に至らしめたのである。
この報に日本国中は、
♪日本勝った〜日本勝った〜ロシァ負けた〜ロシァの皇帝腰ゃ抜けた〜
と唄い、各地で提灯行列が行われている。
しかし、ここまで負け知らずの神の国ではあったが、昭和期に入るや、その神話も崩れ、米英などからなる連合軍に嫌と云うほど叩きのめされ、漸く悪しき夢から目が覚めたのである。
神の国とされた日本の戦史を辿ると、
古くは、文永(1274年)・弘安(1281年)の二度に亘る蒙古来襲も神風?が吹き、フビライの元(モンゴル)軍に不戦勝したのである。
それ以来、明治維新を終えて富国強兵を図った明治期には、
♪日清談判破裂して〜品川乗り出す東艦〜
と、征清歌を唄った「日清戦争(明治27〜28年)」では、清国海軍主力艦・定遠をも撃破して勝利を収めている。
更にその10年後には、今度は当時の軍事大国・ロシアと、
♪一列談判破裂して 日露戦争はじまった〜
の、世紀の一戦「日露戦争(明治37〜38年)」に臨む。
この戦いでは、世界最強とされたバルチック艦隊を有するロシアに、東郷平八郎元帥率いる日本連合艦隊が、T字作戦を用いてこれまた撃破している。
よって乃木大将が、わが息子等を犠牲にして悪戦苦闘した不落の要塞・203高地を漸く陥れることとなる。
これより以前、広瀬中佐の
♪轟く砲音飛び来る弾丸〜荒波洗うデッキの上に〜・・
と、唱歌で唄われた、数次にわたる旅順港閉塞作戦も侭ならずの果てに、この203高地陥落で、漸くにして旅順港の敵艦隊を全滅に至らしめたのである。
この報に日本国中は、
♪日本勝った〜日本勝った〜ロシァ負けた〜ロシァの皇帝腰ゃ抜けた〜
と唄い、各地で提灯行列が行われている。
しかし、ここまで負け知らずの神の国ではあったが、昭和期に入るや、その神話も崩れ、米英などからなる連合軍に嫌と云うほど叩きのめされ、漸く悪しき夢から目が覚めたのである。




>「坂の上の雲」 お読みになられましたか・・・。
一度読んでみたいと思いつつ未だ読んでいません。
日露戦争での勝利のこと、その通りだと推測しています。
この海戦での立役者は参謀・秋山真之に尽きると思います。
優秀な上司の下に、頭脳抜群の参謀が居て勝利する事が出来たものと推察います。
勿論、ロシアの内部事情が幸いした事も勝利の大きな要因です。
乃木希典VS児玉源太郎、よく出てきますね。
また、日清・日露の戦いは、劣等国から列強国への、いはば昇任試験であり、一概に“罪悪感“だけで評価出来ないのでは・・・と小生も思っています。
拙文にご感想をお寄せ頂き有難う御座いました。