太平洋戦争は、ハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアム等に
日本が先制攻撃を行なって始まっている。
日本が先制攻撃を行なって始まっている。
大本営の作戦では、
ハワイ空襲開始とマレー上陸開始の相互関係については特に熟慮して
同時攻撃を行っている。
何故なら、一方が先行すれば他方の急襲が失敗に終わる恐れがあったからである。
ハワイ空襲開始とマレー上陸開始の相互関係については特に熟慮して
同時攻撃を行っている。
何故なら、一方が先行すれば他方の急襲が失敗に終わる恐れがあったからである。
「背 景」
マレー作戦が実行された背景には、ドイツが日本と同盟を結んだ要因の一つとも言われている。日本が英国の極東根拠地であるシンガポールを攻略することでドイツは、対英海上封鎖による英国本土への補給の遮断を間接的に日本に求めていたからである。陸路からしか攻略不可能なマレー半島は、シンガポール島まで距離約1千Kmで、そこに至るには1本の道路以外は多くは密林に覆われており、大小の河川は250を数えたまさに天然の要塞であったのである。 受けてたつ英軍の戦術は、250にものぼる多数の河川にかかる橋を逐次爆破し、戦術的に後退して時間を稼ぐ(援軍を待つため)ことにあったらしい。よってこの戦いは日本軍の橋梁の補修速度=進撃速度であったとされている。
「コタバル上陸」
真珠湾空襲に先立つこと約数時間前、12月8日午前1時30分第18師団・歩兵第23旅団長佗美浩少将率いる先遣部隊がマレー半島東北端コタバルに敵前上陸を敢行している。 太平洋戦争がこの時に始まったのである。 守る英軍は、歩兵第8旅団を主力とする約6000の兵力で海岸一帯に防御陣地を築いていたようである。鉄条網をめぐらした陣地は水際から50〜70M付近に構築され、その後方には散兵壕があり、地雷も多数敷設されていたそうである。 この戦闘で、死傷者700名、上陸用舟艇の沈没15、損傷10と、多大な犠牲を払い激闘4時間の末、海岸線を制圧した上陸部隊は直ちにコタバル市内を占領したとある。この間、上陸船団の「淡路山丸」などが被弾し、再度の揚陸作業のやむなきに至るも、その後11日には補給基地トンバット、12日はムロン、13日は航空基地タナメラと電撃的に部隊を進めていったとある。
こうして太平洋戦争は、
旧日本軍の「真珠湾奇襲攻撃」と、ここマレー半島の「コタバル敵前上陸」
をもって開戦したのでる。
旧日本軍の「真珠湾奇襲攻撃」と、ここマレー半島の「コタバル敵前上陸」
をもって開戦したのでる。
早速、その後の戦局をみてゆく
(関連記事:「昭和史を紐解く・16年編」)

暫くでした。お元気ですか!
戦史物が好きで 暇に任せ関連の本を乱読しています。
殊に先の戦争のことは 自分にとっても一番身近に起こった出来事ですので関心があります。
お目を通して貰い有難う御座いました。
きっちょむさまのブログ更新をお待ちしています。