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リニューアル記念「太平洋戦争史」

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戦況−2(昭和17年)[2007年07月02日(月) ]
往くぞ 往くぞ ガンとやるぞ〜 と、 
歓呼の声に送られて 今ぞいでたつ父母の国〜であったが、

♪一番乗りを やるんだと  力んで死んだ 戦友の
 遺骨をだいて 今入る  シンガポールの 街の朝〜
(戦友の遺骨を抱いて)

に、なろうとは・・・【昭和17年(1942)】の主な戦況をたどる。

【戦 況】

 1/2 「日本軍 マニラ占領」
昨年12月に、日本軍はアメリカ・フィリピン軍の撃滅と、主要基地の制圧および主なフィリピン諸島の占領を目的として、台湾から3日連続の空襲を行い、米軍機の大半を撃破。1月2日マニラを占領している。
  /29 「日本軍ラバウル占領」

 2/8 「シンガポール総攻撃」
日本軍がシンガポールの英軍に対し総攻撃を開始。
冒頭の「戦友の遺骨を抱いて」は、その時を唄ったものである。

  /15 「シンガポール陥落」
日本軍がシンガポールを占領。山下泰文司令官が、英軍司令官パーシバルと会談、降伏を確認している。

 3/1 「日本軍・ジャワ島上陸」
  /8 「日本軍・ラングーン占領、ニュギニア上陸」

 4/9 「バターン半島の戦い」
フィリピンのバターン半島の戦いで、米軍が日本軍に降伏。後に日本軍は、捕虜に収容所までの約100kmを炎天下徒歩行軍させ、多くの死者を出し、後々問題になったあの「バターン死の行進」である。

 /18 「米陸軍機本土初空襲」
ドゥリットル中佐指揮のB25、16機によって日本本土(東京・名古屋など)が初めて空襲された。被害は軽微だったが、国民にあたえた心理的影響は大きく、これがミッドウェー攻撃の原因となったそうである。

 5/1 「日本軍・ビルマのマンダレ−占領」
※ ビルマ戦線において、日本軍はビルマの首都ラングーンを占領した。5月1日、マンダレーを占領。43年8月、日本占領下のビルマで、バー=モー政府が独立を宣言、米英に宣戦布告している。
  /7 「マニラ湾コレヒドール島の米軍降伏」
米軍はマニラを放棄して、バターン半島の先端コレヒドール島を死守したが、5月7日、日本軍の増援部隊が進撃し、マニラ湾コレヒドール島の米軍は降伏している。

 6/5 「ミッドウェー海戦」
4月の本土空襲をきっかけに、日本は太平洋正面の防衛強化のため、この日ミッドウェー島攻略を行った。その結果虎の子の空母4隻を喪失し、アメリカの海・空軍戦力の優勢が決定的になった。
  /7 「アリューシャン戦線」
この日から43年にかけて、日本軍は防衛線拡大のためアリューシャン作戦を行っている。一時期アッツ・キスカ両島を占領するも、次々と撤退を余儀なくされた。以降各地の離島で日本軍は玉砕の運命をたどることとなる。

 8/8 「第一次ソロモン海戦」
  /21 「ガダルカナル島で、上陸した一木支隊潰滅」
  /24 「第二次ソロモン海戦」

 9/12 「ガダルカナル島で、川口支隊攻撃開始、同14日に中止」

11/12 「第三次ソロモン海戦」
ガダルカナル島周辺の制空・制海権は連合国側に移り、同島は孤立状態になる。

12/31 「大本営、ガダルカナル島撤退を決定」

また、中国戦線(湖北)では日本軍による掠奪が行われたともある。抗日運動の拠点支隊では、日本軍は奪いつくし、殺しつくし、焼きつくす「三光作戦」を行ったとあるが・・・。

【関 連】

「陸軍始大観兵式」
1月8日、代々木練兵場で陸軍始大観兵式が行われている。兵員約2万人、航空機約500機、戦車約150両が参加し、天皇がそれを閲兵した。

「在米日系人強制移住」
2月19日、アメリカ政府が太平洋岸に居住する日系人の強制退去を決める。11万2千人の日系人は、内陸の砂漠にある再居住センターに収容された。脱走者は即座に射殺される事実上の強制収容所だった。

「日米交換船・浅間丸」
8月21日、横浜港に到着、野村・来栖大使等在米邦人1400名が帰国。

「予科錬の制服」
海軍飛行生(予科錬)制服が水兵服より、七つボタンの上着に改まる。

などなどである。

Posted at 17:18 | 太平洋戦争史 | この記事のURL
コメント(8)

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コメント


きっちょむさま、

何時もコメント頂き有難う御座います。
私も大岡昇平の戦記ものを読みました。
彼の著書は、フィリピン戦線に狩り出された体験から生まれた小説ですので、大変迫力を感じました。
Posted by:やうち  at 2007年07月06日(金) 14:31

ブログを拝見し、何故か昔読んだ大岡昇平の小説を思い出しました。
Posted by:きっちょむ  at 2007年07月05日(木) 22:31

MUSOU さま、

人と人とのいがみ合い、国と国との戦争、何時の時代でも争い事が絶えません。文明社会において、これらを無くする特効薬が発明されないものでしょうかね?・・・あるとすれば“戦意消失人間の誕生”を待つしかないか・・
何時もコメント頂き有難う御座います。
Posted by:やうち  at 2007年07月04日(水) 16:25

人間とは闘争しつづける生き物なのでしょうか。どんな宗教も、哲学も科学もこれを阻止することが出来ないのでしょうか。
子鹿様の祈られる戦意消失人間が誕生したら平和な穏かな日々が送れるでしょうね。
Posted by:MUSOU  at 2007年07月04日(水) 09:15

ルルさま、

お目に留めて頂き嬉しいです。
戦争の善し悪し、好き嫌いの有無を言わせず、国中が戦争に明け暮れした開戦2年目でした。
その後ジリ貧で敗戦へと追い込まれ、多くの物を失いました。
この時代のことは、何時までも後世に語り継いでゆかねばなりません。
何時もコメント頂き有難う御座います。
Posted by:やうち  at 2007年07月03日(火) 21:23

これを拝見しているだけで、南国の暑さと埃にまみれた軍服、
皆の苦しむ顔が浮かんで来そうです。
国民全部が戦争一色の時代でしたね…
日本にもこんな時代があった事を忘れてはなりませんね。
Posted by:ルル  at 2007年07月03日(火) 19:25

子鹿 さま、

お目に留めて頂き嬉しいです。
先の戦争のこと、本当に悲しい出来事でした。
あれから60余年を経過した平和な今日であっても、あの時犠牲になられた兵隊さんのご家族・肉親にとっては終生癒えない深い心の傷として残っています。
子鹿さまのお話をお聞きして改めて戦争の残忍さを痛感してます。
戦争責任は誰にあるのか?・・・叔父上を割腹に至らしめたのは誰なのか? その時洗脳され、肉親を護る為に自ら戦場に散った方々、並びに多くの兵士の御霊が安らかにあれんことを念ずるばかりです。
早々のコメント有難う御座います。
Posted by:やうち  at 2007年07月02日(月) 20:36

戦況、1も拝読させて頂きました。
戦中、戦後の話は、父、母からも、周りの人からも沢山聞く機会が
ありました。親戚の叔父たちは、何人も戦死していて、遺影でしか
顔も知りません。
一人の叔父はシンガポールで、割腹しています。
戦争責任は誰にあるのか・・私は悔しさではちきれそうです。
今も世界の各地で、内戦を含め、戦争が無かった時代がありません。
神に祈る気持ちです。
どうか、どうか、戦意消失の人間をお作りくださいと。
Posted by:子鹿  at 2007年07月02日(月) 18:39