シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

昭和史を紐解く−4(21〜25)

 | Main | 
プロフィール
<< 2008年10月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新記事
ブログURL送信
昭和25年のこと[2007年09月28日(金) ]
この年は、日本の戦後を決定的に転換させた年となる。

そのきっかけとなったのは朝鮮戦争の勃発である。
この出来事により、対日講和の動きが早まり、日米安全保障体制づくりが急がれ、日本の再軍備が早くも実現することとなる。そして六月に共産党幹部のパージ、七月に新聞・放送関係、民間産業のレッドパージが展開されるなか、代わって公職追放者の追放解除が活発化してゆく。

先ず、朝鮮動乱であるが、
日本の政治・経済に多大の影響をもたらすことになる。国内的には、治安強化政策がとられ、共産党に対する弾圧が強まる。一方、日本経済では、開戦直後から東京株式市場では平和株から旧軍事株へと変わり、造船、造機、資源、海運株が急騰した。日本はこの戦争の前線基地の役割を果たすことになり、デフレ気味の産業界にとっては“天佑”とさえ受け取られたそうである。即ち、七月からはじまった特需景気は年末まで続き、鉱工業・製造業の生産指数が戦前平時並に回復したとある。この特需は産業基盤を強め、復興過程から一転して高度成長過程に入るきっかけとなったのである。

しかし、庶民の暮し向きはこの軍事景気とはほど遠く、
生活基盤である衣・食・住は依然として、時の蔵相・池田勇人をして「貧乏人は麦を喰らえ」の暴言の如く、戦後そのままの有様であった。そのせいではあるまいが若者達の間では、皇居前広場での逢引きが盛んになり、アベック広場の観を呈したそうである。

また、レジャ-面では
アルサロ”なるものが出現し、前衛生け花も盛んとなり始めたが、夏には日本脳炎が大流行して、死者2500人に及ぶという後進ぶりも露呈した年でもる。


【出来事】

  01/01 マッカーサー年頭の辞で日本の自衛権を強調
       年齢の表記が満年齢となる
    /07 聖徳太子の新千円札発行

  04/13 熱海で大火・繁華街、有名施設など1000戸以上焼失
    /15 公職選挙法公布
    /22 第1回ミス日本に山本富士子

  05/03 吉田首相,南原東大総長の全面講和論に対し“曲学阿世”と非難
  06/04 第2回参議院議員選挙
    /25 朝鮮戦争始まる・動乱で特需ブーム(糸へん、・金へん景気)

  07/02 国宝金閣寺,放火のため全焼
    /08 マッカーサー,警察予備隊7万5000人創設,海上保安庁8000人増員を指令   
   /27 広島の沖合で機雷爆発、漁船4隻遭難(死者46人)
   /28 新聞・通信・放送界にもレッドパージ始まる

  08/10 警察予備隊設置令公布施行.第一陣7000人入隊

  09/03 ジェーン台風,死者・不明539人

  10/13 GHQ,1万余人の追放解除承認

  11/10 政府,旧軍人3250人の追放解除
    /15 政府機関のレッドパージ1171人
    /22 プロ野球第1回日本選手権開催.(毎日オリオンズ優勝)

  12/13 地方公務員法公布・争議行動の禁止(26.2.13施行)


【巷の装い】

○流行語  
  「特需景気」「レッドパージ」「おおミステーク」「とんでもハップン」
  「つまみ食い」 「イカレポッチ」「金へん・糸へん」「チラリズム」 など

○歌
  「夜来香」     ♪あわれ春風に・・・・・・・(山口淑子)
  「水色のワルツ」 ♪君に逢う嬉しさの・・・・(二葉あき子)
  「桑港のチャイナタウン」♪桑港のチャイナタウン・・・(渡辺はま子)
  「ダンスパーティの夜」 ♪赤いドレスがよくにあう・・・・(林伊佐緒)
  「東京キッド」    ♪歌も楽しや 東京キッド・・・・・(美空ひばり)
  「白い花の咲く頃」  ♪白い花が 咲いていた・・・・・・(岡本敦郎)
  「買物ブギ」     ♪今日は朝から私のお家・・・・・(笠置シヅ子)

○映 画    
  「また逢う日まで」「帰郷」「羅生門」「細雪」「宗方姉妹」
  「きけわだずみの声」 ほか
   この年の人気俳優ベストテン(毎日新聞社選定)を付記すると、
   ・高峰秀子・ゲイリ=クーパ・イングリット=バーグマン・原節子・木暮実千代・長谷川一夫
    ・三船敏郎・高峰三枝子・ボブ=ホープ・上原謙 で、以下 池部良・京マチ子と続いている。


○ベストセラー  
  「細雪」谷崎潤一郎・「潜行三千里」辻政信・「きけわだつみのこえ」・
  「チャクレイ夫人の恋人」ほか


などなど  諸兄の想いは如何に・・・

独断と偏見で綴る 昭和25年である。


2007年12月3日【夢目標の修正
夢目標期間を5年短縮し、「昭和史〜4」は完結とする。

Posted at 20:04 | 昭和史-4 | この記事のURL
コメント(13)

この記事のURL

http://salon.stage007.com/header1007905/dream/1022069/archive/11/0

コメントする

名前:
Email:
URL:
クッキーに保存
小文字 太字 斜体 下線 取り消し線 左寄せ 中央揃え 右寄せ テキストカラー リンク

コメント


きっちょむさま、 今晩は!

そうでしたね、
肉体主義のはりとなった、田村泰次郎の「肉体の門」や「春婦伝」などが、
当時話題になったようですね。
後に映画化された「肉体の門」を観に行った記憶があります。

コメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年09月30日(日) 22:45

静さま、今晩は!

何時も目を留めて頂き有難う御座います。

はい、この年もいろんなことが起こっています。
前年の法隆寺金堂の全焼に続き、また金閣寺と、2年連続で国宝を灰にしてしまいましたね。 残念な出来事でした。
Posted by:やうち  at 2007年09月30日(日) 21:59

朝鮮動乱の年ですか、
この頃でしょうか、田村タイジロウの「肉体の門」が出たのは?
Posted by:きっちょむ  at 2007年09月30日(日) 19:23

「金閣寺」の事件があったのは この年だったのですね。

色々なことが起きた年だったのですね。
いつもながら 詳しいお話をありがとうございます。
Posted by:  at 2007年09月30日(日) 19:10

MUSOUさま、 今日は!

この年は小学5年生でしたので、朝鮮戦争のことは先生からも聞き、おぼろげながらその記憶が今も残っています。

金日成の北が、中国の支援で南を九分九厘まで制覇し、これを李承晩の南が、国連軍(米国など)のもと、38度線を越えて追い返すという展開に、子供心にも興味深く先生の解説を訊きいっていました。この戦争は、冷戦時代の遺物として、今もって同一民族が分断国家のままであるのは悲しいことですね。

コメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年09月30日(日) 13:35

昭和25年、10才の頃ですね。漁村に居て情報網はラジオだけなのに、各映像が浮かぶのはなぜでしょうね。映画館のニュースを記憶しているのでしょうか。
挑戦戦争は分かっていないので、一度本で見てみたいと思っています。
Posted by:MUSOU  at 2007年09月30日(日) 05:34

ルルさま、

この年の特需景気は、糸へん・金へんの両へんを併せ持つ商都・大阪の面目躍如だったのですね。

仰せのとおり大阪に関わることの多い年でした。
これも大阪発の一つですが、“アルサロ「ユメノクニ」”なるものがこの地で開店し、全国ブームの先駆けになっています。

そしてルル家では、ご祖父さまが大会社のご重役さまだったとか・・・、庶民には羨ましい限りです。また財を受け継がれたご両親も、その財を惜しげもなく人助けや寄付に使われたそうですから、ご立派な家系なんですね。外から見ていると旦那様のお家柄は、先代から受け継いだ財産は、自分の代で目減りさせないことばかり考えるものですが、ご両親もご祖父さまの意を継がれた徳のあるご一家であることが窺い知れます。

また、ジェーン台風のこと、山本富士子さんのこと、更に谷崎潤一郎の「細雪」のことなど、いろいろお書き頂き勉強させて頂きました。

えぇ〜、ルル様の送信時間が 29日(土)04:11ですって〜・・・もう夜が明けてしまいますよ〜。こんな記事に気を遣わずに早く身体を休めて下さい。そして追伸まで頂戴し恐縮しています。有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年09月29日(土) 17:02

子鹿さま、  

その話は聞いたことがあります。
しかし、子を思う親心は何時の世も不変だと思いますが、混乱のその時代背景がそのような不幸を招いたものと推察しています。でも、今の平和な時代に我が子を手にかける母親心理には、とても理解し難いものがあります。

お話のようにこの年からGHQの方針転換で、少しづつ先の明るさが見えてきましたね。一方では、この年に東京では、女子高校生の“アドルム自殺”が流行したそうです。戦後の社会現象の一つとして、アドルム・ヒロポンなどの薬剤で神経の鎮静・興奮を引き立てずには居られない人達がでてきています。 >最早、戦後ではない・・・まで見てゆきま〜す

早々のコメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年09月29日(土) 15:05

ちびまるさま、  

この年のお生まれでしたか・・・、小生は小学5年の腕白盛りの頃でした。
お話のように街の通りには、白衣の傷痍軍人や軍服姿の復員兵をまだ見かけました。彼らは戦地でご苦労されて漸く祖国の土を踏むことが出来たというのに、その日の食にも困窮し、物乞いに身をやつされた姿を見て子供心にお気の毒に思いました。そんな折、貴方のお母様のように心根のやさしい思いやりが彼らを勇気づけたたんですね。
戦後5年とはいえ、庶民の日常生活はまだまだ大変な時期だったようです。

早々のコメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年09月29日(土) 13:47

2行目の挑戦、又誤変換をやってしもた!
もちろん朝鮮でござんす
深夜だから他にも間違いがあるかも?笑って許しておくんなせえ
Posted by:ルル  at 2007年09月29日(土) 10:37

今回は大阪に関係ある事が多いですから身近です。
挑戦動乱の特需で高度成長した糸へん・金へん景気は大阪がすごかったらしいです。当時、東洋のマンチェスターと言われ、綿糸工場では最新機械が導入され、
世界中から注目されていました。東京を凌ぎ『大大阪』と言われた時代。
丁度父母達の新婚時代で、祖父は景気の良い住友金属の重役でしたからとても裕福でしたが、暮らしは質素で、お金は殆ど人の為に使っていたそうです。格差が激しく、明日食べる物の無い人も多く…そういうご家族を近所の空き家に住んで貰い全ての面倒を見ていたようです。今のように儲けは独り占めせずに、自分や家族にも残さず、人助けや寄付に使うが当り前だった時代、父母達の心意気です。
レッドパージの事もよく父から聞かされました。父は当時の政治に反発し一時共産党に入ったそうです。子供の頃、家には一般紙と経済誌と赤旗がありました。

ジェーン台風は大阪市内を襲い、大抵の学校に、その時に亡くなられた先生や生徒の碑がありました。初めは何も分らないまま、朝礼の時に頭を下げていました。

山本富士子さんはあまり知りませんがご実家が近所らしく、お姉さんが耳鼻科の先生、そのご主人が小児科で、今住んでいるここの直ぐ傍です。私達家族も通っていました。当時まだ幼い娘がこの先生に気に入られ、パーティ等にもよく引っ張りだされました。最近は行く事もなくなりましたが、前を通るとまだ耳鼻科も小児科も続けていらっしゃいます。綺麗な方でしたがもう大分お年だと思います。

細雪の世界も身近です。出てくる地名もこの辺りが多く、小説の中に出てくる有名料亭や色々な物も幼い思い出と重なります。
あ〜、もっとありますが…これ以上になるとご迷惑ですので止めますね(笑)
Posted by:ルル  at 2007年09月29日(土) 04:11

やうちさま・・・ご存知でしょうか、この年頃、我が子を手に掛け
子を亡き者にしたケースが・・320件余りあったことを・・・。
あまり、公表されていませんが、今とは原因が違っても過去はもっと
ひどい状態だったのですね。
生命保険、アルサロは、未亡人の職場でもありましたね。

そんな時代背景・・映画、文学など。GHQの規制がゆるみ始めたころ
でしょうか?・・・一気に花開く感がしますね。
後5年で「最早、戦後ではない」と、云われるようになるのですね。
Posted by:子鹿  at 2007年09月28日(金) 22:31

この年の
10/13 GHQ,1万余人の追放解除承認
の頃に、オギャーとこの世に生まれ出ました!
貧しい時代だったのでしょうね。
それから何年かして、私がもの心ついた頃、まだ軍服を着た兵隊さんが我が家に物乞いに来ました。母が味噌をつけただけのおにぎりを作って、兵隊さんにご苦労さまでした…とあげていたし、近所の家には、家族ぐるみの泥棒さんが家の中に入り込んでいました。今に比べたら、貧しくても、まだ心優しい時代だったかも。
Posted by:ちびまる  at 2007年09月28日(金) 20:58