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昭和史を紐解く−4(21〜25)

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昭和21年のこと(その1)[2007年04月23日(月) ]
今日 2007年問題としてクローズアップされている「団塊の世代」の
皆さんが お生まれになった初年度である。
新時代の幕開けの年であり 出来事も多岐にわたるので 
複数編でこの年を検証する。

♪ジャズが流れる ホールの灯かげ  花を召しませ 召しませ花を
粋なジャンバー アメリカ兵の
影を追うよな 甘い風  ああ東京の 花売り娘


(東京の花売り娘)

【時代背景】

支那事変に端を発し太平洋戦争へと進んだ15年戦争も 漸くにして昭和20年8月15日の玉音放送をもって太平洋戦争が終結し ここにアメリカの占領下で新生日本のはじめての正月を迎えた年である。

この正月には 天皇から 日本国民に思いもよらぬ正月プレゼントがあった。即ち天皇の「人間宣言」である。天皇が自らその神格を否定することを宣言したのである。 このことは神武天皇から続く天皇観をひっくり返し 日本国民の歴史観と価値観を大きく変換させたものであった。

一方GHQの指導のもと 軍国主義者の公職追放や不穏団体の解散 農地解放 労働組合の結成 など民主化が急テンポで進みだし 新選挙法による総選挙が行われ 11月には日本国憲法が公布されている。

しかし巷では 食糧危機は益々深刻になり“米よこせ”デモが全国的に広がり 戦争のキズはまだ国民生活に深く突き刺さったままであった。巷のことは別に綴ることとする。

【政治・経済】

     1月  天皇の人間宣言 (神格化否定の詔書) ※
         GHQが軍国主義者公職追放超国家主義団体解散を指令            
         琉球列島・小笠原諸島の日本行政権・アメリカに移る
         GHQ、公娼制度廃止を指令
     2月 金融緊急措置令公布(総合インフレ対策として新円発行・旧円封鎖) 
         臨時財産調査令・隠匿物資等緊急措置令公布
         天皇が戦後初の地方巡幸 (神奈川県など各地)     
     3月 物価統制令公布施行
         政府がマッカーサー草案の趣旨に基づく憲法改正草案要綱
         (主権在民、象徴天皇、戦争放棄を規定)を発表
     4月 幣原反動内閣打倒人民大会 デモ鎮圧に米軍・警官出動)         
        新選挙法による第22回衆議院選挙・男女平等初選挙(女性39人当選)                  
         幣原内閣総辞職 ※
     5月 極東国際軍事裁判所開廷される(東京市谷 ※
         第一次吉田茂内閣成立 ※
         飯米獲得人民大会(食糧メーデー)
         天皇 家族国家の伝統に期待し“食糧難を克服せよ”と放送
     6月 米首席検事 ワシントンで“天皇を戦争犯罪人としない”と言明
     8月 経済団体連合会経団連)発足
         全日本産業別労働組合会議結成大会
     9月 生活保護法公布
         労働関係調整法公布
     10月 戦時補償特別措置法・金融機関再建整備法など公布
        農地調整法改正、自作農創設特別措置法公布    
     11月 新日本国憲法公布 ※
     12月 内務省、特殊飲食店(赤線)指定を指示
        シベリア引き揚げ第1船、舞鶴入港
        近畿、四国を中心に南海地震発生死者1300人以上)

次回は ※印項目の細部から見てゆくこととする。     つづく

Posted at 22:20 | 昭和史-4 | この記事のURL
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コメント


MUSOUさま、

今日は!  何時も有難う御座います。
妹さんを早くに亡くされたのですね。
終戦の年は本土空襲で東京をはじめ 各地に戦災孤児がでました。
当時の厚生省は敗戦と同時に「戦災孤児等保護対策要綱」を作り[個人家庭への保護委託][養子縁組の斡旋]などに取り組み“里親制度”なるものが出来たと承知しています。でも仰せのような縛りの中で 個人同士での間では 縁組もなかなか進まながなかったようですね。
その後 外地からの引き揚げもはじまり お話の「尋ね人」が 当時のラジオ番組の定時番組になったことを幼心に覚えています。
Posted by:やうち  at 2007年04月26日(木) 15:05

戦災孤児の里親募集とかはこの年だったのでしょうか、私が身体が弱く妹を18年に亡くして一人っ子だったため、里親になろうとしていました。
結局、親が名乗り出た場合無条件で親元に帰すという事で踏ん切りがつかなかったようです。
ラジオでは、尋ね人の時間がありましたね。
Posted by:MUSOU  at 2007年04月26日(木) 13:02

きっちょむ さま、

戦いすんで日が暮れて〜から既に60年になりますが 未だアメリカ追従の鎖が解けないままです。ただ同じ敗戦国のドイツのように国を二分されることも無く こうして今日の繁栄を見れたことはありがたいことと思っています。この先は 真の独立国を目指して更なる発展を願うばかりです。

早々のコメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年04月24日(火) 18:01

ルルさま、

何時も見果てぬ夢を盛り上げて頂き嬉しく思っていますす。
漸く長かった戦争が終わり 空腹から開放されると思いきや そうはなりませんでした。 喰い物の恨みは未だに忘れられません。時に小学2年生の食べたい盛りの年でした。
>安藤昇や加納貢も・・・いゃ〜何でもご存知のルるさまには ただただ感服するばかりばかりです。 この先も その時代のお話を聞かせて下さい。

早々のコメント有難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年04月24日(火) 17:18

戦後の枠組みが混乱の中でGHQの思いのままに行われた感がしますが、当時の日本人にとってやむを得なかったのかとも思います。今日大きく問題となっている種種の問題・歪みがここに胚胎したのでしょう。
Posted by:きっちょむ  at 2007年04月24日(火) 07:51

長かった戦争もやっと終った、これから楽になる!
と思ったのも束の間…これからの食糧難も又大変だったのですね。
街には米兵相手の女性が立ち、孤児が多くなり、餓死する人達も出てくる…。
闇市での統制に、今のヤクザ組織の元が出来たのもこの頃ですね。
安藤昇や加納貢も学生上がりで派手にやっていましたね。
現実はしんどいけれど、焼け跡に広がる青空には大きな希望が見えた時代…
生まれていないのに、胸が痛くなるほど思いが募ります。
東京裁判、巣鴨プリズンにも思いがありますので、次回も楽しみにしています。
Posted by:ルル  at 2007年04月24日(火) 01:46