【今日の情報:歳時記・催し・情報・出来事】

★京都に秋の訪れを告げる北野天満宮の秋の大祭「ずいき祭り」が十月一日から五日まで行われる。
ずいき祭りは、栽培した作物に草花を飾り付け、一年の五穀豊穣を願って天神に供え、感謝する祭りで、平安時代の中期に始まったといわれる。
祭りの呼び名の由来になったサトイモの茎の「ずいき」でみこしの屋根を葺き、野菜や湯葉などの乾物で覆ったことから、ずいき祭りの名が付いたという。
屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った瑞饋神輿を四日の還幸祭に巡行する。
初日の神幸祭では本殿で神事を営んで鳳輦(ほうれん)というお輿に御霊を移す出御祭が行われた後、大鳥居の前を出発し、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、公家装束の行列約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四`離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。
着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。
鳳輦は還幸祭の四日迄ずいき神輿とともに御旅所に駐輦(ちゅうれん)され、その間御旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑います。
☆二日 ずいき祭・献茶祭
御旅所で表千家宗匠による献茶祭。人に振舞うお点前ではなく、神に捧げる作法の違いに注目です。
☆三日 ずいき祭・甲御供奉
西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。
☆四日 ずいき祭・還幸祭
御旅所で出御祭が執り行われ、後に出御、牛に曳かれた御羽車も加わり祭礼の行列が氏子区内を巡行して夕方本社に還御、還幸祭が行われます。
☆五日 ずいき祭・后宴祭
拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。
★京都に秋の訪れを告げる北野天満宮の秋の大祭「ずいき祭り」が十月一日から五日まで行われる。
ずいき祭りは、栽培した作物に草花を飾り付け、一年の五穀豊穣を願って天神に供え、感謝する祭りで、平安時代の中期に始まったといわれる。
祭りの呼び名の由来になったサトイモの茎の「ずいき」でみこしの屋根を葺き、野菜や湯葉などの乾物で覆ったことから、ずいき祭りの名が付いたという。
屋根と四本柱をすべて瑞饋(ずいき)を使い、鬼瓦をかしら芋、瓔珞(ようらく)を茄子や唐辛子、ほおずきなどで飾った瑞饋神輿を四日の還幸祭に巡行する。
初日の神幸祭では本殿で神事を営んで鳳輦(ほうれん)というお輿に御霊を移す出御祭が行われた後、大鳥居の前を出発し、導山を始め三基の鳳輦と松鉾他が本社を出て、宮司など神職を始め氏子崇敬者らが供奉、公家装束の行列約百五十人余が祭列を整え氏子区内を巡行して、約四`離れた西ノ京の御旅所まで華やかに練り歩く。
着御祭に引き続き氏子地域より選ばれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納されます。
鳳輦は還幸祭の四日迄ずいき神輿とともに御旅所に駐輦(ちゅうれん)され、その間御旅所には多くの出店が連日、軒を並べ祭り気分で賑います。
☆二日 ずいき祭・献茶祭
御旅所で表千家宗匠による献茶祭。人に振舞うお点前ではなく、神に捧げる作法の違いに注目です。
☆三日 ずいき祭・甲御供奉
西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)が行われます。
一五二七年、阿波の三好長基が都に攻め入った時、たまたま入洛していた越前の守護職朝倉敏景が、西ノ京の神人と協力して長基を阿波に追い落としました。将軍足利義晴は、神人の功を賞し北野天満宮に甲の御供を定めたのが始まりです。一時中絶されましたが、明治四十年旧神人(七保会)の努力により復活し今日に至っています。
☆四日 ずいき祭・還幸祭
御旅所で出御祭が執り行われ、後に出御、牛に曳かれた御羽車も加わり祭礼の行列が氏子区内を巡行して夕方本社に還御、還幸祭が行われます。
☆五日 ずいき祭・后宴祭
拝殿前にて「八乙女田舞」が奉納されます。八人の乙女たちが鈴を持って舞を舞うというもの。拝観者は外で見学できます。
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at 17:57
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