【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★歌舞伎や能で知られる「安珍・清姫の鐘」が安置されている左京区岩倉・妙満寺で四月五日、恒例行事の「鐘供養」が営まれた。
かって鐘があった道成寺(和歌山県・日高川町)から約四百二十余年前に豊臣秀吉の部下が京都に持ち帰られ、妙満寺に納められたとされる。
鐘は高さ百十七a、重さ約三百`で、初代の鐘が焼けて約四百年後の一三五九年に再興された二代目。
修験者の安珍に思いを寄せた清姫が、約束を破って帰途に就いた安珍に激怒して蛇身となった。鐘に隠れた安珍に炎を吐き、自らも川に身を投げたという故事がある。
「清姫の恨みで音がこもる」と竹林に埋められていたが、根来攻め(一五八五年)の際、掘り起こした秀吉の家来が京に持ち帰った。
その後、妙満寺に納められ、春の大法要に合わせ毎春、安珍・清姫の霊を鎮める鐘供養を営んで大切にしてきた。
供養では、普段は展示室に安置されている鐘が本堂に供えられ、舞踊や三味線と琴、尺八の演奏が披露され、同寺と縁の深い「天音太鼓保存会」の太鼓演奏や、大蛇が豪快に動く「じゃんじゃか踊り」も披露された。

★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月六日、国の重要無形民俗文化財「嵯峨大念仏狂言」の春季定期公演が始まった。
鎌倉時代中期・一二七九(弘安二)年に始まったとされる素朴な無言劇。
鎌倉時代に融通念仏を広めるために円覚上人が生別した母に巡り会いたい一心に始めた無言劇が、嵯峨狂言の始まりといわれている。
清涼寺の裏には彼の墓があり公演前には多くの人が墓参に訪れます。
嵯峨狂言は壬生大念仏狂言と千本えんま堂大念仏狂言をあわせて京都の三大念仏狂言の一つでもある。三月にも催される。
鐘や笛のゆったりしたリズムにあわせて定番の三演目を上演。
「花盗人」は、サクラを盗まれた主人と従者、泥棒にそれぞれ扮した三人の喜劇。
失敗を重ねて、主人に怒られてばかりの従者のこっけいな姿が笑いを誘う。
十二日・十三日の両日もそれぞれ午後一時半から別の三演目が披露される。

★歌舞伎や能で知られる「安珍・清姫の鐘」が安置されている左京区岩倉・妙満寺で四月五日、恒例行事の「鐘供養」が営まれた。
かって鐘があった道成寺(和歌山県・日高川町)から約四百二十余年前に豊臣秀吉の部下が京都に持ち帰られ、妙満寺に納められたとされる。
鐘は高さ百十七a、重さ約三百`で、初代の鐘が焼けて約四百年後の一三五九年に再興された二代目。
修験者の安珍に思いを寄せた清姫が、約束を破って帰途に就いた安珍に激怒して蛇身となった。鐘に隠れた安珍に炎を吐き、自らも川に身を投げたという故事がある。
「清姫の恨みで音がこもる」と竹林に埋められていたが、根来攻め(一五八五年)の際、掘り起こした秀吉の家来が京に持ち帰った。
その後、妙満寺に納められ、春の大法要に合わせ毎春、安珍・清姫の霊を鎮める鐘供養を営んで大切にしてきた。
供養では、普段は展示室に安置されている鐘が本堂に供えられ、舞踊や三味線と琴、尺八の演奏が披露され、同寺と縁の深い「天音太鼓保存会」の太鼓演奏や、大蛇が豪快に動く「じゃんじゃか踊り」も披露された。
★右京区・清涼寺(嵯峨釈迦堂)で四月六日、国の重要無形民俗文化財「嵯峨大念仏狂言」の春季定期公演が始まった。
鎌倉時代中期・一二七九(弘安二)年に始まったとされる素朴な無言劇。
鎌倉時代に融通念仏を広めるために円覚上人が生別した母に巡り会いたい一心に始めた無言劇が、嵯峨狂言の始まりといわれている。
清涼寺の裏には彼の墓があり公演前には多くの人が墓参に訪れます。
嵯峨狂言は壬生大念仏狂言と千本えんま堂大念仏狂言をあわせて京都の三大念仏狂言の一つでもある。三月にも催される。
鐘や笛のゆったりしたリズムにあわせて定番の三演目を上演。
「花盗人」は、サクラを盗まれた主人と従者、泥棒にそれぞれ扮した三人の喜劇。
失敗を重ねて、主人に怒られてばかりの従者のこっけいな姿が笑いを誘う。
十二日・十三日の両日もそれぞれ午後一時半から別の三演目が披露される。
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at 20:28
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