長いあいだ休眠していましたが、
2010年3月、再スタートにあたり、
ブログ名も新しくしいたしました。
ニックネームも変更いたしました。

ともだち最新記事
青梅市梅の公園  [2010年03月24日(水) ]
先週19日に青梅の梅郷に行きました。
「青梅市梅の公園」という梅園です。

3月9日から10日にかけて降った雪が、青梅では15cmも積もり、
開花寸前の梅の枝が雪の重みに耐え切れず、
沢山折れてしまったと、被害の様子を聞いていたので、
どんなだろうと心配で、見に行きました。

確かに、いたる所で、花を沢山つけた太い枝が幹からぼっきり、
無残にも、ねじ切られたように折れて、痛々しかったです。

折れて幹から垂れ下がった枝についた花も健気に咲いて、
本当に意地らしかったです。残念な事です。
あまりに見事で、画像ではそんな悲しい現実も感じられません。

こんなに揃って一斉に咲いた梅園の風景を見たのは久しぶりです。
本当に見事な咲きっぷりでした。
梅の花が終わったら、痛んだ木は伐採してしまうそうです。

梅園がもとの見事な風景に戻るのには、長い年月がかかるでしょう。
春爛漫の梅の公園の風景をデジタルカメラで沢山撮ってきました。
恐らく最高の、そして最後の風景ですから、画像を見てくださいね。












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再スタートは雪景色から  [2010年03月23日(火) ]
今月、3月9日から10日にかけて降った雪で、
辺り一面真っ白い、雪景色の朝となりました。

図書館に行く日だったけど、雪の日は外に出たくないので、
ヘルパーさんに頼んで、行ってもらいました。
溶け始めた雪で、道が滑って危ないから歩けません。

雪景色は好きですが、雪の日は外に出るのは危ない。
と言うわけで、雪景色は家の2階の窓から撮りました。











我が家のある秋川渓谷の積雪は5cmくらいですが、
青梅の梅郷は15cmくらい積もったので、その雪の重みで、
咲くばかりだった梅の枝が折れたり、被害が出たのです。

青梅の梅郷はどんな被害なのか心配で、
先日19日に見に行きました。
「梅の公園」の梅が満開で、とてもきれいでした。
写真を沢山撮ってきました。

Posted at 10:35  | この記事のURL
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キキとココ  二匹の猫の思い出  [2006年11月23日(木) ]


数年前のことだが、昼過ぎ、南向きのテラスに二匹の猫の姿があった。

「ニャーン」と鳴くのは決まってグレーの縞のココだ。

もう一方は金茶と黒の縞でキキという。どちらも雄で、色は違うが二匹はとても仲の良い兄弟なのだ。

キキとココは三時ごろになると、おやつの煮干を貰いに、おばあちゃんのいるリビングルームのテラスにやって来る。

おばあちゃんが煮干の袋を持って近付いて行くと、キキは「おお!来たぞ、良かったな」

と言うようにココの頭に顔を寄せてペロペロなめる。

猫達はそれぞれに大きなあくびをして、しなやかな肢体をぐっと反らして伸びをして、おばあちゃんが重いガラス戸を開けて出て来てくれるのを待っている。

ココはおばあちゃんの足に頭からすり寄って体を絡ませて甘えるが、キキは固い前頭部で頭突きする。

それが細い骨が浮き上がっている痩せた向こう脛にもろに当たるので、おばあちゃんは顔をしかめて、

「あいたっ!キキ痛いよ!」と言うが、キキはいつも乱暴だ。

古い木箱を伏せただけの靴脱ぎ台に「よっこらせっ」と、腰を下ろして、

その台の下から使わなくなったオーブンのホウロウの古い天パンを出し、その二ヶ所に煮干を五個ばかり置いてやる。

互いの頭が付くほど狭い三十センチ四方の天パンでも二匹は仲良く自分の分だけ食べる。

これがおばあちゃんと猫達の日課だった。おばあちゃんはそのために大き目の煮干を絶やさずに買い置きしている。

誘い合わせたように二匹揃って来て、ぴったりくっついて仲良く待っていることが多いが、必ず二匹一緒とは限らない。

時には無口のキキだけが来て、じっと待っていることもある。

ココは「ニャーン、ニャーン」と鳴くけれど、キキは黙ったまま靴脱ぎ台の上に座っている。

唯、ガラス戸越しに奥のダイニングテーブルの前に座っているおばあちゃんを見詰め続けているだけだ。

長い間見詰めていても、おばあちゃんはひとりトランプ遊びに夢中でなかなか気付いてくれない。

目の前に並んでいるトランプの札を見て、あちらにこちらにと動かしては真剣に考えこんでいる。

やがて、ふと誰かの視線に気付き顔を上げると、ガラス戸にぴったりくっついて行儀良く座り、丸い目をしてじっとこちらを見詰めているキキの強い視線に会うのだ。

おばあちゃんは「おやぁ、キキはもう来たのか。ココはまだなのね」と言って優しく微笑み、

テーブルに両手をつき「よっこらせ!」と、重たい腰を引き上げて、歯を食いしばってよろよろと立ちあがる。

ガラス戸を開けて、まだ姿を見せないココを大きな声で何度も呼ぶと、庭の向うの家から眠そうに出て来ることもあり、

畑の向うから飛ぶ様に駆けて来ることもある。時には、ちょっと後に一匹で来ることもあり、いたって気まぐれだ。



庭を挟んだ向いに山小屋風の小さな三角屋根の家を建て、二匹の猫達と住んでいるのはおばあちゃんの一番上の娘だ。

猫達の暮らす家の勝手口のドアの隅には猫用の出入り口が開けてあるので、何時でも自由に出入りできる。

猫達がおやつをもらいに来ない日がたまにあるが、それは狩をして獲物を食べて満足しているからのようだ。

以前おばあちゃんはキキに、小さなバッタを咥えたスズメを仕留めて来たのを見せてもらったことがある。

キキが捕った獲物をおばあちゃんに見せに持って来たのだった。そんな時もおばあちゃんはとても優しい。

「おや、おや、スズメを捕ったの、見せてくれるのね。キキちゃん上手だね」と撫ぜてくれるのだ。

二匹の猫は狩が上手で鼠や野鳥を良く取る。鼠は畑や藪に多くいる極小さい野鼠だ。

彼等の捕れる野鳥は地面に降りて餌を食べるスズメ、ムクドリ、ツグミ、コジュケイ、ヒヨドリ、キジバトなどだ。

捕った獲物は自分の家に持ち帰って食べる。

猫達が若いころは、狩も下手で鼠に逃げられるし、鳥を捕って来ても如何して良いか解からず、

傷だらけにして羽を撒き散らして部屋の床を汚してしまったが、やがて全く汚すことなく上手に食べるようになった。

ココがキジバトを咥えて帰って来て、テーブルの下でバリバリ食べていたが、床は少しも汚さなかった。

後には小枝のような足が二本と大きな羽が四、五本残っただけだった。

ココが残したその羽をキキが美味しそうにパリパリと食べてしまうので、後には可哀想な足が残っているだけだ。

獲物は捕ってきた者が食べる権利があるらしく、途中で奪うようなことは決してない。

キジバトは彼等の体の半分程もある大きな野鳥なのに、何処へ入ってしまうのか、一遍に平らげてしまう。

この辺りはモグラも多く、特に冬場は大事にしている花壇や、庭の芝生にモコモコと土を盛り上げてしまう厄介者だ。

狩の獲物が大好きな猫達だがモグラは食べない。きっとモグラは不味いのだろう。

モグラは捕ってもおもちゃにするだけで、飽きるとそのまま庭に転がして置く。仕方ないのでおじいちゃんが片付ける。

この猫達が幼い頃は、ガマ蛙や赤蛙、トカゲ、蛇なども庭に良く来たが、何時の間にかもう姿を見せなくなった。

周辺の藪や川に下る杉林の中にキジが居て、時折、綺麗な姿を誇らしげに見せて羽ばたきながら、「ケーン、ケーン」と鳴いていた。

掘りも垣根も無い庭を悠々と横切ったり、松の下に佇んで休んだりして、おばあちゃんを喜ばせたものだ。

雌のキジも雛を連れて庭のツツジやアジサイの陰を通り抜けたりしていたが、キキとココが暮すようになってからは近付かなくなった。

ココは若いころ、マムシに噛まれて顔の半分が張れ上がり、目も開けられなくなった。体調も酷く悪く、とても辛そうにうずくまってしまった。

人なら顔など噛まれたらそれこそ命が無いのだが、猫は強くて死ぬことはないそうだ。動物病院で抗生物質の注射を打ってもらい、じきに無事回復した。



おばあちゃんの娘は、猫達の飼い主であり、彼らにとって大好きなお母さんなのだが、最近、夜になるとおばあちゃんの居る母屋に行ってしまって戻って来ない。家に人気がなく、がらんとして寂しい。

お母さんは心臓の悪いおばあちゃんが一人で夜を過ごすのが心配だからと、母屋のおばあちゃんの部屋で、毎晩一緒に寝るようになったのだ。

おばあちゃんは心臓がとても悪い。夜中に心臓に何か異変があったらもう助からない。かなり心配な状態なのだ。

長い夜、人気の無い家で過ごす猫達が可哀想だが、おばあちゃんを一人で寝せておくのはとても危険だった。

以前は、毎晩お母さんの寝ているベッドで、一緒に添い寝していた猫達は、お母さんのいない家に取り残されて、夜を過ごすのが心細くて寂しくて仕方がない。

ココは朝早くからおばあちゃんの部屋の前に来て、「ニャー、ニャー」と鳴きながら、お母さんが母屋から出て来るのを待っているようになった。

家に戻って来るおかあさんを外で待っていて、二匹で足にまとわりつきながら一緒に帰るのだ。

特にココは甘えんぼうで、寂しさの余り自分の脇腹の毛を毟ってしまう癖がついた。

白いワタスゲの穂のような毛を無残にむしり取っては散らしている。はげ上がった所の皮膚が赤く腫れて痛々しい。

幼児の指しゃぶりや、爪を噛む癖と同じで、愛情を求めても充分に満たされない心の痛みがそうさせるのだ。

おばあちゃんは抵抗力が弱っているため、細菌感染を防がなければならない。それで、猫達は母屋に入ることが許されない。

おばあちゃんはとっても猫達を愛しているのだが、どんなに可愛くても猫達と一緒に暮すことは無理なのだ。

「お母さんがお前達と一緒に寝てあげられないから、寂しいくてしょうがないのよね。ココとキキに寂しい思いをさせて御免ね」

おばあちゃんは毎日おやつを貰いにテラスにやって来るキキとココの身体を優しく撫ぜてやりながら、ちょっと悲しそうな声で詫びているのだった。

その後、おばあちゃんが病院に入院してしまった。

キキとココはおばあちゃんがテラスに出て来てくれるのを毎日毎日辛抱強く待っていた。いつもおばあちゃんが座っていたダイニングテーブルにその姿が無いが、昼寝しているのだと思っている。

「おばあちゃん、きっとそのうち奥の部屋から出て来るんだから」

二匹はそんなふうに思っているようだった。そうして一生懸命部屋の奥を見ながら待っている。

そんな健気な猫達を見ると、おじいちゃんは可哀想に思って、煮干を沢山天パンに出してやるのだが、おじいちゃんが何度煮干をあげても、ガラス戸の所を離れようとしない。

キキもココも日が暮れて辺りが真っ暗になるまで、ひたすらおばあちゃんを待っていた。


それから何ヶ月も過ぎて、おばあちゃんが病院で亡くなった。でも猫達は優しいおばあちゃんの姿を探している。

テラスのガラス戸の前に座り、なおも部屋の奥のダイニングテーブルを見詰めているココの姿があった。

猫達は18歳になり、日に日に老いが迫っていた。特にキキはすっかり老いさらばえて、体調が悪く、家に閉じこもっていることが多くなった。

穏やかな晩秋の昼下がり、珍しくキキが外に出たがった。お母さんはちょうど庭の手入れをしていたので、キキを外に出してやった。

日向はぬくぬくとして暖かく、僅かに吹く風は爽やかだった。杉林の高い梢で小鳥達が気持ち良さそうにさえずっていた。

やがて、庭仕事をしていたお母さんが、ふと、キキが何処にもいないことに気づいた。

「さっき裏手の方に歩いて行ったのを見かけたけど戻って来ない・・・何処に行ったのかしら」

お母さんはキキを探しまわったが、その姿はもう何処にもなかった。



薄暗いリビングルームに人気は無いが、テラスのガラス戸の前にうずくまって、弱々しく鳴くココの姿がある。

やがて、お母さんがココを抱き上げ、まるで赤ちゃんをあやす様な声で言葉をかけながら、腕にしっかり抱きかかえて、のんびりと庭を抜けて向かいの家に帰っていく。

そして、今夜もココはお母さんのベッドの上に丸くなってすやすや眠る。


★おわり★

Posted at 20:21  | この記事のURL
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行方知れずのキキちゃん  [2006年11月20日(月) ]


爽やかな秋風が心地よい、晴れ渡った晩秋の穏やかな日に、 ふと気がつくと、もう何処にもその姿が見えませんでした。

庭仕事をしていた姉が、家の裏手の梅林がある野原の方向にとぼとぼ歩いていくのを見かけたそうですが、そのまま戻ってこなかったらしく、それが最後の姿になってしまいました。


猫のキキちゃんは隣に住んでいる姉が18年間も毎日世話していた愛猫で、私にとってもいつも身近に居る可愛い存在でした。それが突然行方知れずになり、私もとても心残りです。

娘が小学校に入った年に小さな子猫だったので、今年で18才の老猫でした。今月に入って見るからに老衰しきっていて、まさに今にも死にそうな様子でした。

「死期を悟って身を隠したらしい。」

と姉が言うのですが、にわかには信じがたく、またふらりと戻って来たりしないかしらと、一週間以上たった今でも気になります。

梅林の先の深い杉林を眺めてはキキのことを思っています。

Posted at 17:04  | この記事のURL
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ペンダントの写真  [2006年11月20日(月) ]
スワロフスキーのペンダントの写真を掲載します。

深紅のガーネットとシャムのクロスのセンターはやっぱり華やかなルビー。

クリスタルとバイオレットのクロスのセンターもルビーで甘く可愛い感じ。

他にも同じデザインの色ちがいで、エメラルドグリーンや濃いピンク色に輝くローズで作りました。

Posted at 16:23  | この記事のURL
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スワロフスキーのクロスペンダントトップ  [2006年11月09日(木) ]
3mmと4mmと5mmのスワロフスキーのカットグラスビーズを沢山つかって、オリジナルデザインのクロスペンダントトップを作りました。

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魅惑のアメジストとルビーのクロスのセンターは淡い朱色のパパラチア。

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モンタナとカプリブルーのクロスのセンターはコバルトブルー。
どこまでもシックでクール。

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深紅のガーネットとシャムのクロスのセンターはやっぱり華やかなルビー。
クリスタルとバイオレットのクロスのセンターもルビーで甘く可愛い感じ。
他にも同じデザインの色ちがいで、エメラルドグリーンや濃いピンク色に輝くローズで作りました。

写真のは合皮の黒のコードに通して仕上げましたが、他のチェーンやリボンにつけ替えることもできます。

でも、自分で使うつもりはあまりないかな・・・・・・。
とか言って、時々着けて鏡を見たりしているのですけどね。
クロスペンダントはどちらかと言うと、若い人向きのような気がします。
特にこんなに大振りでキラキラなのは若々しい元気な人に似合うと思います。

自分で使うのならこんなに幾つもいりません。
本当に売るほど作りましたので、ヤフーのオークションに出品中です。

Posted at 21:22  | この記事のURL
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母は今日永眠いたしました  [2006年08月04日(金) ]
母とヨーロッパ旅行したことをブログに連載していましたが、その母が昨年秋から容態が悪くなり、昨年から病院に入院してずっと闘病生活をしていました。

今日、とうとう母は永眠いたしました。
本当によく頑張って、最後の最後まで生きようと努力していました。限界を超えて努力していましたが、ついに力尽きました。

私と娘と父と三人がタクシーで母の枕元に駆けつけるまで、頑張って頑張って待っていてくれました。
姉と兄が二人で母を元気付けて、待っていてねと呼び続けていたので、母はそれに答えて懸命に待っていてくれました。

母は一時間あまり、私たちが母の元に到着するまで待っていてくれました。待たせてしまってごめんなさい。

母の耳元で、大きな声で、
「みんな来ましたよ。お父さんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、ひろちゃんも、まごのともちゃんもみんなそばにいますよ。みんなそばにいますよ」
と何度も何度も声をかけて、手を握って見守ってあげました。

皆で母の手をかわるがわる握って、耳元で呼びかけました。
呼びかけると母は思い出したように息をしていました。

でもたどたどしい不完全な息でした。
そして、やがて次の息をしなくなりました。

あまりに静かな最後だったので、旅立ちのその瞬間は解かりませんでした。
今日8月4日昼過ぎ、母は安心して安らかな眠りにつきました。私は母の手を握って声をかけていました。

母が生涯最後に聞いたのは私の声でした。

Posted at 23:06  | この記事のURL
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小花のネックレス  [2006年06月12日(月) ]
ビーズアクセサリーを作りました。

スワロフスキーの小花のネックレス
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紫陽花の小花のような涼しげなライトサファイア色とアメジスト色のスワロフスキーのクリスタルビーズを
金色と銀色の細かいグラスビーズで繋ぎ、クラシカルなシンメトリーのネックレスにしました。

ネックレスの長さは58cmと首元から胸元に少しかかる長さで、胸元が広く開いたお洒落なパーティードレスにぴったりです。

中央のデザインが紋章のような感じにできあがったので、何となく可愛い中世のプリンセスのネックレスみたいなイメージだなと思ったりしています。

私が自分で使うために作ったわけではないのですが、工夫してお洒落な感じに作ってみたら、できあがったデザインがクラシカル過ぎて、娘の趣味ではないらしい。。

私のオリジナルデザインなのですが、可愛らし過ぎて我が家には使える人がいないのです。
時々鏡の前で着けてみたりしていますが、何時もジュエリーボックスの中で静かに眠っています。

Posted at 12:50  | この記事のURL
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線路は続くよどこまでも(19)  [2006年05月21日(日) ]

KIKI&KOKOの 長編エッセイ

線路は続くよどこまでも(19)

1977年7月20日(水曜日)
スイス旅行( クライネシャイデックから再びグリンデルワルトへ )

風が変わった。時折頬を撫でる風が急に冷たくなった。
いつの間にか眩しい日差しは消え、ユングフラウの頂に掛かった雲が山麓を静かに滑り降り、山全体をも覆い隠し始めていた。山が見えなくなってきたので、そろそろ丘を下りて駅前に戻ることにした。
「さっきホルンを吹いていた所に行ってみましょうよ。また演奏が始まるかもしれないよ」
私はふとそんな事を口にした途端、何となくアルプホルンの演奏を見せてもらえるという期待感がふくらんだ。
土産物屋の軒下に3メーターほどの長い木製のアルプホルンが無造作に立て掛けられていた。辺りに演奏者らしい人の姿はなくて、先程の賑わいは消えていた。もう演奏はしないらしい。私は残念で仕方がないので、アルプホルンに近づいてそっと触れてみたりして興味があることをちょっとアピールしてみたが、私のアピールを気に留める人すらいない。今日のイベントはもう終わってしまったのだろう。
私が一人で店の前に留まってそんなことをしていた頃、母は土産物屋の年配の店員に、
「グッドアフタヌーン、マダム。プリーズ、マダム。」
などと声をかけられて、手をとって店の奥に連れて行かれ、高価な押し花の額を見せられていた。店員の熱心な売り込みにつきあって押し花の額を見たが、粗雑な感じで買う気にならず、これはどうですかあれはどうですか、それからこちらはいかがですと何枚も似たようなものを次々と出してくるのにも辟易してしまい、結局言葉がよく分からないふりをして、やっと断って出て来たのだった。
煩くつきまとわずにもっと自由に店内を見せてくれたら、記念に絵葉書か何かを買ったかもしれないのに、逃げ出したくなるような売込みは逆効果というものだ。だが、客の手をとって店の奥へ連れて行くのも純朴な店員の仕事熱心さゆえのことだろう。一昔前は観光地でよく見かける売り方だったから、不快と感じる程のことではなかったようだ。
午後2時を過ぎると、登山電車に乗って下からクライネシャイデックに登ってくる観光客は少なくなり、ラウターブルンネンやグリンデルワルトへ下る人達ばかりになった。アルプスの山並はユングフラウの背後から湧き出した白いベールのような雲を二重三重とまとい、顔を隠していた。先程登った丘の上からアイガーを望んでいた時、左手に東側の裾野が広がり、遥か遠く霞がかかってモスグリーンに見えていた辺りがグリンデルワルトだった。
私たちは再びクリーム色とダークグリーンの二両編成のウェンゲルンアルプ鉄道(WAB)に乗り、昨日行ったグリンデルワルトへ向かった。ラックレールを歯車が噛む金属的音が足元から聞こえ、登山電車はゆっくりとアイガー北壁の直下を西から東へ蛇行しながら下り始めた。
アイガーの黒い北壁が目の前に迫ったり、遠ざかったりを繰り返しながら下って行く。岩陰に背の低いつつじが赤い花をつけ、青紫のスミレが咲いていた。割れ目が入っている雪庇が頭上に、今にも落ちそうに大きく張り出して見えていた。融けて垂れ下がった雪がごつごつした岩肌から今にも零れ落ちそうだった。白い雪に覆われた壁には雪や氷の欠片が転がり落ちて、幾筋も細い筋がついていた。
車窓に青々とした森林が見えて来るとアルピグレンの駅に着いた。やがて眼下にグリンデルワルトのなだらかな草原が見えてきた。その右手奥にはヴェターホルンの大きな山が垂直にそそり立っているのが見えた。昨日は見ることができなかったその頂が車窓からよく見えた。垂直に立った北壁の上部をまるで大きなハンマーで叩き壊したかのように山が抉れて、小さな頂が三角帽子のようにちょこんと乗っているのだ。途中でぼっきりと折れた大きな木の切り株みたいな山の姿を見て母が言った。
「あんな面白い形の山だったのね。あれじゃ真下から頂上が見えないはずだわね」
私達が山に気を取られているうちに、電車はどんどん下り、眼下の草原が目の前に近づいて来た。やがて緑の草原の斜面に降り、氷河から流れ出た清流シュバルツリュチーネ川の白濁した流れを渡り、谷底にあるグルント駅に着いた。母が駅の周辺の様子を眺めながら言った。
「そうよ、この駅はね。昨日ピクニックした場所からアイガーの近くの谷の方に見えていた小さい駅だわね」
「あら、そんな駅が見えていたかしら。気がつかなかったな」
「線路がずっと続いているのが見えていたでしょう」
「線路は見えたけど、駅は見えなかったわ。お母さんは遠くが良く見えるから、驚いてしまう」
母は遠視なのだ。私も結構遠くを見るのは得意なのだが、母は私以上に遠くが良く見えるのだ。その駅からスイッチバックで後ろを先頭にして出発した電車は、シャレーの点在するなだらかな牧草地の中を進み、やがて終点のグリンデルワルト駅に到着した。
駅前から南側のなだらかな傾斜のついた緑の牧草地の中に続く細道を下って、昨日撮り損なってしまった山並みの写真を撮りに行った。今日はちゃんと下調べをして来たので、どれがどの山か良く分かった。先程、電車の車窓から見えていた切り株のような形のヴェッターホルンは想像以上に遠く、村のずっと東の奥の方にうずくまる様に丸まって見えている。ここからは山の頂上は見えないからだ。それから一番眼前に立ちはだかるように迫ってくる岩山がメッテンベルクだった。その奥にシュレックホルンが隠れているがこれも見えない。その右側に少し控えて聳えている凄く大きい黒い岩山がアイガーなのだが、アイガーの中腹から上は途中のでっぱりに隠れてしまうため見えていない。アイガーの特徴の三角形の形とは程遠く、まるで巨大な牛の背の様に見えているので分かり難い。やはり山の麓に近づき過ぎて、遥か頭上を見上げているから頂が見えないのだった。アイガーの右隣の奥にユングフラウが見えるはずなのだが、白い雲に覆われていて見えなかった。私は何度もアングルを変えて、大き過ぎる山々が聳える風景を数枚の写真に分けて何とか続けて撮ってみた。上手く撮れたかどうか自信がなかったが、苦心して撮った甲斐があった。
その後、ホテルや店が立ち並ぶ駅前の大通りを散策して歩き、土産物屋でアルプスのデザインの金属製のバッジや花模様が描かれた小さなカウベルなどを幾つか買った。私と母以外に通りを散策する観光客の姿はなく、観光地とは思えない長閑な街の佇まいだった。私は街角の店先でソフトクリームを売っているのを見つけて足を止めた。
「あら、ソフトクリームがあるわ」
私が下宿していたベルギーのゲントには、このソフトクリームを売っている店がないのだ。前年の冬にドイツに旅行した時以来、大好きなソフトクリームを食べていなかった。
「昨日は気がつかなかったな。おかあさん、アイスクリーム食べましょうよ」
「え、そんなの食べながら歩くの・・・・・・」
「ゲントで売っていないの、久しぶりに食べたいな。ドイツのミュンヘンで食べたのよ。凄く寒いのに、大人の人達がみんな歩きながらアイスクリームを食べていたのよ。空気が乾燥しているとアイスクリームが美味しいのよ。食べてみましょうよ」
私はソフトクリームを二つ買って一つを母にわたした。母は仕方なく受け取って苦笑した。夏の強い西日が当たって、見る見るうちに柔らかいアイスクリームの表面が融けていくようだった。それを急いで口に運ぶと、バニラとはこんな味だったかと首を傾げたくなるような意外なフレーバーの冷たいクリームが甘味と苦味を伴って口の中で融けた。
「うっ、変な味だわね、このアイス。バニラエッセンスを入れ過ぎているみたい」
母はそう言うと首をすくめた。私も顔をしかめて手元のソフトクリームを睨んだ。
「ああ、失敗した。ドイツで食べたのがすごく美味しかったから、こんな味だとは思わなかったよ、口直しにカフェでお茶飲みたいわね」
暫くの間、なんだかんだと文句を言いながら我慢して食べていたら、不思議なもので段々そのくどい味に舌が慣れてきた。母は通りを歩きながらソフトクリームなどを食べたのは初めての経験だったらしい。私も母と並んで何かを食べながら歩いたというのは後にも先にもこの時だけだった。
近くのカフェテリアに入り、テラスのテーブルで熱い紅茶を飲んで一休みした。そろそろアルプスの山々とお別れの時が近づいていた。昨日はアルプスを見に明日も来ようね、と期待に胸がふくらんだ。だが、今日はもう違う。私達はこの素敵な地を立ち去らねばならず、再びここを訪れることはもうないに違いない。二人の旅の終わりに日本への帰国が迫っているからだ。紅茶を飲みながらグリンデルワルトの風景を眺めていても気分は沈みがちだった。明日はベルンのホテルをチェックアウトして、列車でルッツェルンに向かう予定だった。
「ルッツェルンで良いホテルが探せるだろうか」
ふと一抹の不安が頭を過ぎると尚更に、
「こんなに去り難い気持ちになるのなら、明日もアルプスに来る予定にしておけばよかった」
私はそんな思いに囚われていた。今日、帰る時になってこんな気持ちになるとは、昨日は全然予想できなかったのだ。
「ああ、もう一日来たかったね」
「そうね。でも、明日も今日のように晴れて、山が良く見えるとは限らないもの、充分よ」
幸いなことに、母はアルプスを充分満足したようだった。
日が西に傾いて来た頃、ハイカー達が何処からか現れ、グリンデルワルトの駅に集まった。私達もアルプスの村を去る時間だった。クリーム色とセピア色のベルナーオーバーラント鉄道(BOB)に乗ってインターラーケン・オストへ向かった。グルント駅の直ぐ北側の傾斜の緩やかな牧草地を入日に向かって進んだ後、急にがくっと急勾配に変わり、アイガー直下の谷間に下りて行った。そして氷河が削った狭い谷の中をシュバルツリュチーネ川の流れにそって下流に向かって走り続けた。やがてインターラーケン・オストに到着した。
トゥーン湖畔の街インターラーケンはとうとう一度も散策する時間がなかった。ちょうどよく乗換えの列車があったので、去り難い思いを胸に抱きつつ、ベルン行きの列車に乗り換えた。
夕方、すっかり日が暮れた頃、列車はベルンに着いた。

( 続く )

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グリンデルワルトからアイガー北壁を望む。

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シャレーが点在するグリンデルワルトの村。駅の南側に広がる緩やかな傾斜の牧草地。左奥に見えるのはアイガーの麓。

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グリンデルワルトの東に聳えるヴェターホルンと大きな三角屋根のシャレーを背景に立つ母。

Posted at 19:51  | この記事のURL
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線路は続くよどこまでも(18)  [2006年05月19日(金) ]

KIKI&KOKOの 長編エッセイ

線路は続くよどこまでも(18)

1977年7月20日(水曜日)
スイス旅行( ラウターブルンネンからクライネシャイデックへ)

古いアルバムの写真(2)

クライネシャイデックにて。

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アイガーの北壁を背景に立つ母。
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雲に隠れるユングフラウを背景に立つ私。
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花の中に座ってアルプスの山々を眺めている私。
クライネシャイデックの丘は一面に黄色い花が咲き乱れていました。

Posted at 18:39  | この記事のURL
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