披露宴司会も30年になる。
最初は西日暮里の、
当時は千代田平安閣という式場だった。
「あそこはうるさい会館・・・」
といわれていて、
新人司会者は苛めを受けるとか、
泣かされる司会者が多くてね・・・
と聞かされていた会館であった。
(今はそんなことはないのだろうが)
そこでした生まれて初めての司会で、
ご祝儀を3万円頂いてびっくりした。
司会料金として手にするのが2万程度だったので、
ご祝儀の方が多かったのだ。
「これ、3万も入っていますが・・・」
何かの間違いではないかと思って、
お開きの後、新郎の親に聞いた。
どんな答えをもらったか忘れてしまったが、
あの時のご祝儀袋の厚さと重さは、
今もって忘れられない。
それから数年後、バブル景気に突入して、
毎週土日には、日に3組は当たり前で、
祝祭日や週日の婚礼司会を合わせると、
月に40組を越えた時もあった。
今は考えられないことである。
この間、司会のスタイルも変化してきたが、
最大の変化は、
おしゃべりの量が10分の1くらいになったことだ。
最初はのべつ幕なしでしゃべり続けた。
実況中継まがいのしゃべりで、
「さ、ただ今からご新郎(「様」をつけていた)、
ご新婦(様)のご入場のご案内を申し上げます。
どうぞお入り口にご注目いただきましょう。
どうぞ盛大な拍手をもちましてお迎えいただきましょう。
ご媒酌人ご夫妻(様)のご先導にて、
お二人のご入場でございます」
2時間(当時はほとんどが2時間披露宴だった)を
しゃべりまくるのである。
しゃべり続ける方が疲れないから不思議だ。
その頃結婚した後藤さんという方から、
「伊藤さん、探しましたよ」
・・・と電話が来た。
「覚えていますか?」
さっぱり思い出せない。
「打合わせで、伊藤さんは時間を間違えて、
4時に待ち合わせしたのを、
16時を6時と間違えて…」
ここまで言われて想い出した。
2時間送れて着いたのに、
新郎新婦の両親と兄弟姉妹みんなで待っていて、
レストランの予約までしてくれていた人たち・・・
喫茶店で2時間打合わせをして、
その後レストランで食事の予定だったという。
「じゃぁ、食事をしながら打ち合わせましょう」
…といやな顔一つしない家族だった。
今更ながら、
「あの時は失礼しました」
電話口でお辞儀をして謝った。
「実は長男の息子が今度結婚するんですが、
伊藤さんに司会をお願いしたいと思って」
…というのである。
「実は先日、僕の叔父が伊藤さんが司会する
披露宴に出席して、お前の司会者が今もやってたよ」
・・・と聞いて、息子の司会に頼みたいと言って来たのだ。
このお客さんは、今はなくなっている船橋の式場だった。
結婚式場も変わった。
ぼくも会館といわれるところで、
司会をしなくなって10年以上になる。
嬉しい話だ。
・・・が、残念ながら、その日は先客があり、
残念だが断わらざるを得ない。
後藤さんも残念がっていたが、仕方がない。
知り合いの司会者も、
大安の日曜日では2〜3ヶ月前からキープが入っている。
その結婚式が22日に終った。
父親の彼から苺が送られてきた。
無事に済んだのだろう。
そのうち電話が来る・・・・
かどうか分からない。
彼の子どもは一人だけだからだ。
最初は西日暮里の、
当時は千代田平安閣という式場だった。
「あそこはうるさい会館・・・」
といわれていて、
新人司会者は苛めを受けるとか、
泣かされる司会者が多くてね・・・
と聞かされていた会館であった。
(今はそんなことはないのだろうが)
そこでした生まれて初めての司会で、
ご祝儀を3万円頂いてびっくりした。
司会料金として手にするのが2万程度だったので、
ご祝儀の方が多かったのだ。
「これ、3万も入っていますが・・・」
何かの間違いではないかと思って、
お開きの後、新郎の親に聞いた。
どんな答えをもらったか忘れてしまったが、
あの時のご祝儀袋の厚さと重さは、
今もって忘れられない。
それから数年後、バブル景気に突入して、
毎週土日には、日に3組は当たり前で、
祝祭日や週日の婚礼司会を合わせると、
月に40組を越えた時もあった。
今は考えられないことである。
この間、司会のスタイルも変化してきたが、
最大の変化は、
おしゃべりの量が10分の1くらいになったことだ。
最初はのべつ幕なしでしゃべり続けた。
実況中継まがいのしゃべりで、
「さ、ただ今からご新郎(「様」をつけていた)、
ご新婦(様)のご入場のご案内を申し上げます。
どうぞお入り口にご注目いただきましょう。
どうぞ盛大な拍手をもちましてお迎えいただきましょう。
ご媒酌人ご夫妻(様)のご先導にて、
お二人のご入場でございます」
2時間(当時はほとんどが2時間披露宴だった)を
しゃべりまくるのである。
しゃべり続ける方が疲れないから不思議だ。
その頃結婚した後藤さんという方から、
「伊藤さん、探しましたよ」
・・・と電話が来た。
「覚えていますか?」
さっぱり思い出せない。
「打合わせで、伊藤さんは時間を間違えて、
4時に待ち合わせしたのを、
16時を6時と間違えて…」
ここまで言われて想い出した。
2時間送れて着いたのに、
新郎新婦の両親と兄弟姉妹みんなで待っていて、
レストランの予約までしてくれていた人たち・・・
喫茶店で2時間打合わせをして、
その後レストランで食事の予定だったという。
「じゃぁ、食事をしながら打ち合わせましょう」
…といやな顔一つしない家族だった。
今更ながら、
「あの時は失礼しました」
電話口でお辞儀をして謝った。
「実は長男の息子が今度結婚するんですが、
伊藤さんに司会をお願いしたいと思って」
…というのである。
「実は先日、僕の叔父が伊藤さんが司会する
披露宴に出席して、お前の司会者が今もやってたよ」
・・・と聞いて、息子の司会に頼みたいと言って来たのだ。
このお客さんは、今はなくなっている船橋の式場だった。
結婚式場も変わった。
ぼくも会館といわれるところで、
司会をしなくなって10年以上になる。
嬉しい話だ。
・・・が、残念ながら、その日は先客があり、
残念だが断わらざるを得ない。
後藤さんも残念がっていたが、仕方がない。
知り合いの司会者も、
大安の日曜日では2〜3ヶ月前からキープが入っている。
その結婚式が22日に終った。
父親の彼から苺が送られてきた。
無事に済んだのだろう。
そのうち電話が来る・・・・
かどうか分からない。
彼の子どもは一人だけだからだ。
Posted
at 12:54
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コメント(2)
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返事が遅くなりました。
いつものこと・・・と言われそうですね。
このようなケースが結構多いのですが、
2〜30年以上のお付き合いが出来るのは幸せです。
司会がよかったということではないような気がします。
アナウンサーも大勢司会をしていますが、
アナウンサーはおしゃべりが仕事で、
司会は、他の人をしゃべらせるのが仕事ですからね。