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50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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ばか者…死ねッ! [2007年10月18日(木) ]
ばか者!!!!!!!

今度だけは腹が立ったぞ!

××のあられ・・・じゃない…荒くれ親父・・・
(あえて個人名を伏せる)



その内容が何であれ、

我が子を従え、謝罪の記者会見をせざるを得ない親ほど
辛いことはないだろう。



目をそむけ、絶句せざるを得ないような試合を、

テレビを通して全国に見せておきながら、



「こんなはずじゃなかった」(放映テレビ局)

「・・・でも視聴率は稼げた…オンノジ、オンノジ!」
(同局&スポンサー)

質問「反則を指示していないか?」

親父「していません」

ここで第一のお腹立ちじゃ!



質問者よ、君は何故、反則を指示したかを
親父に聞いたのだ?

箇条書きした質問をしているだけじゃ
記者は務まらんのだよ・・・



「では、反則の全ては息子が自分の判断でおこなったのか?」



この質問に行かなければ、単発の豆鉄砲だろう!

※ここで第二のお腹立ちじゃ!



××の親父よ、お前は息子を連れて来て、

彼をかばいたいと思わないのか?

親なら、命を懸けて息子を守ってやれ!

反則の罪全部を担ってやれッ!


お前が、「・・・していません」

といった途端に、

悪の全部を息子の肩に背負わせたことに
気付かなかったのか!?

親失格!

切腹しろ!



しょぼんと座る未成年の子どもを、

全国からの非難の矛先に晒し、

手前ェがいい子になろうとする親父の姿を見て

・・・・おれの血圧は頂点に上った。



クソッ!

息子を、初めて可哀想に思えた瞬間だ!



テメエは帰れッ・・・息子を先に席を立たせたのは、

一緒にいづらかったからだろう。

親の責任を放棄して…
息子に罪をなすりつけた醜い親じゃないか・・・・



テレビを見ていて・・・
怒り心頭に達するようなことは滅多にない!



腹が立って、腹が立って仕方がない!



ク〜ッ!!!

題名が過激だが・・・我が演劇用語だァ・・・(こじ付けかな?)

Posted at 11:02 | 無題 | この記事のURL
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すてきなキス [2007年11月24日(土) ]
数日前借金を返しに、六本木から溜池、
そして新橋を自転車で回って帰ってきた。


途中西新橋の公園の置石に座って
お稲荷さんを頬張りながら一休みしていると、
お母さんに連れられた女の子が鈴の音のするボールで遊んでいたが、
チリチリ…と音を立てながら僕の足元に転がってきた。

「はい」

と差し出すが、僕を警戒してか…近づいてこない。

「えッ…?!」

今までの経験では、こんな事はなかった。

子どもには好かれるたちで、たいていの子どもは、
向こうの方から寄ってきていたのだが・・・
と思って、こちらが途惑っていると、

「マヨちゃん、ほら、ありがとうしないとダメですよ」

お母さんの声が聞こえた。

すると子どもは、近寄ってきて手を出した。

「はい」

手渡すと、ボールを持っていない手で僕の腕をつかみ、
顔を近づけて来て頬にキスしてくれたのだ。

お母さんは、近寄ってきて、

「まあ、ごめんなさいね。マヨちゃん、よかったわねェ」

何やら複雑な言い回しでお礼ともお詫びともつかない挨拶をした。

女の子はニコニコしていたが、
次の瞬間にはボールを他へ投げては、そのボールを追いかけまわしていた。

「あんなことをするなんて珍しいんですよ。パパにだってしたことないのに・・・」

「あゝ、そうですか…嬉しかったです。
僕も見知らぬ女性から突然のキスされるなんて初めてですから」

「まァ、女性だなんて、あの子、こういう方だからかしらキスするなんて・・・、
あの子ったら・・・」


そして、「ごめんなさい」
と…何とも辻褄の合わない挨拶のまま離れていった。

・・・・父親にもキスしたことのない女の子が、
わざわざ腕を取って伸び上がってキスしてくれたのだ。

母子は、すぐに公園を出て行った。

明らかに母親は虚を突かれたような表情をしていた。

父にもしないキスをしたというのは嘘ではないようだ。

待てよ、

女性から突然キスされた経験は…最初だといったが違う・・・・

僕の最初のキス経験は、突然だった。
彼女は…今頃どうしているだろう。

中学生の頃、
近くの電気店で留守番を頼まれ、
腹ばいで本を読みながら店番をしていたのだが、
いつか眠くなったので、仰向けになり目をつむっていた。

少しウトウトしたようだった。

が、何かが、顔に覆いかぶさって来たのを感じて目を開けると、
唇に、その店の同級生の娘の唇が重なってきたかと思うと、
静かに舌が入ってきた。

1分もなかったと思うが、
息苦しくなるのと心臓が破裂しそうな思いに襲われたのを覚えている。

「うわ〜ッ・・・キスってこれか・・・」

「どうだった?」彼女は耳元に囁いた。

「・・・・・」

答えられなかった。喉チンコが動かなかった。

この年齢になったのだから、名前をばらしちゃおう。

千恵子ちゃん…といった。

このブログを見たら連絡をくれ・・・
あれは何だったのか、今でも聞いてみたい。

前にも後にも、その子がキスしてくれたのはそのときの1回だけだけだった。

その後、僕は何人の女性とキスをしたか・・・・
数えようと思えば・・・・5人か6人だ・・・と思う。
仕事で2人としたので、合わせると7〜8名くらいか・・・・

「ねェ、キスしてもいい?」
なんてキスするものではない。

今日の女の子も、そんなことは聞かなかったし、
初キッスをしてくれた女の子も聞いてはこなかった。

キスはするものではない。
させてくれるもの・・・誘われてするものじゃないのかなァ・・・・

そう思いたい。
いや…本当のキスはそういうものに違いない。

だって父親にもキスしたことのない女の子が、
こんな僕に、腕を握って伸び上がりキスをするのに躊躇は一切なかったのだから・・・・

ことばではない…僕の雰囲気に誘われて、間違いなくコレだと思いたい・・・・

Posted at 01:24 | 無題 | この記事のURL
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俺が、だれだと? [2007年11月26日(月) ]
一階の自動販売機からお茶のペットボトルを買って来て、
テレビのスイッチを入れて、パソコンの電源を入れ、
ズボンを履き換え、ホッとひと息・・・・

とそのときだ・・・

入り口のドアが開き、

「何だこりゃ、狭っこいなァ・・・なんだこりゃ」

・・・の声。

・・・・・・?

そしてパーテーションの上から顔を出した見知らぬ男・・・・

「誰だ、君は?」

誰って・・・・お宅こそ誰?

・・・と言うと、

「あれッ・・・これ何号室?」

と来た。

何がどうしたの?

と聞くと、やおら慌てて、

「あれ、階を違えた」

だと・・・・!!

「すみません」

・・・ひと言言い残すと、さっさと行ってしまった。

あゝ・・・ビックリしたァ!

とんでもないオヤジだ!

そぜぞれの階に、100近い部屋のあるマンションだ。

階を間違えて降りて、この部屋に直行したに違いない。

でも、入り口開けたら分かるだろう・・・「あッ、部屋を間違えた」と瞬時に分かるのが普通だろう。

可笑しなことが立て続けに起きている。

明日は何が起きるやら・・・・・

Posted at 04:37 | 無題 | この記事のURL
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こんな日は・・・ [2007年11月30日(金) ]
飲まなくても付き合うよ。
えッ…いや、多少は飲めるよ。
ま、普通に付き合えば、ビールは大ジョッキ一杯くらいかなァ…
酎ハイなら3杯くらいで、ワインならボトル3分の1…
そんなものだよ。

「だったら飲める方だよ」

いやァ・・・酔うのが好きじゃないからね…
ま、付き合いで、グレープフルーツハイ1杯で、
2時間くらいは最後まで付き合うよ。
その代わり…っていちゃ何だが、食べるよ…
嫌いなものはないからね。
みんなが飲んでいる間は話もするし、
聞きもするさ・・・

実を言うと、

酒に関しては、自分で封印をした側面があるんだ。

おれの親父は酒が好きだった。
焼酎をストレートで、
一リットル瓶3分の1くらいは一晩に飲んでいたからね。

その席におれがいると…
「どうだ、ビールでも飲むか?」
と聞かれることがあった。

おれは自分からビールを出したこともなければ、
「一杯付き合おうかな…」
なんて言うこともなかった。

親父が、何らかの拍子に、一緒に話をしたいと思ったときだと思う…

「どうだ・・・」

とすすめるのだが、たいていはビールで、
焼酎を一緒に…などとは一度も言ったことはなかった。

そんな親父と、
刃を交わすような口論をしたことがある。

口角泡を飛ばして言いつのっている最中に、
「悪いのはオレだ」
…と思いながらも、後には引かずに言い募り、
以後、絶交状態になり…

家を出た。

その後半年後に、
父は倒れた。
心臓だった。

しかし発見が早かったために回復したが、
入院中に見舞いに行った。
親父は目を合わせてくれなかった。

数日後、母から来た電話で、
親父が、「よく来てくれたな」
…と、言っていたと聞いた。

退院した後、
たまには帰ったが、
親父は、「どうだ…やるか」と言ってくれることはなかった。

ほぐれない感情の絡まりが、
ずっと残り続けて、
ある日、親父の死を知らされた。

仲直りが目に見える形にならないまま、
親父は逝った。
2月の寒い朝に、
2度目の心臓発作だったらしい。

可哀想なことをした。

「お兄ちゃん(母はずっと、おれのことをこう呼んだ)、
父さんは、あれ以来一升もの焼酎を飲むようになったんだよ。
身体に悪いからと言っても聞いてくれなかった。
お兄ちゃんのことを悪くは言わなかったけれど、
寂しかったんだと思うよ」

この話を聞いてから、
おれは酒を手にする途端に親父を思うようになった。
だからある時から、
人と楽しく酒を飲み交わすことを封じたのだ。

飲む時は、親父の面影を偲びながら、
静かにひとりで飲む。

…それでも、缶酎ハイ一本も飲まないまま終る。
今日のような曇り空の寒い日は、
親父の位牌を前にして、
しみじみと飲む一杯もいい・・・

Posted at 01:11 | 無題 | この記事のURL
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幽霊になって…? [2007年12月06日(木) ]
稽古場への行き帰りに通る道に
有名な千駄ヶ谷トンネルがある。
全国に知れ渡る心霊スポット…またの名幽霊トンネルだ。

暗闇の中では見えにくいが、壁一面は落書きで一杯だ。
以前に曼荼羅の絵が描かれていたはずだが、
何処へいてしまったのだろうか。

またここに住んでいたホームレスがいなくなったと思ったら、
また一人住みついている。
同じ人だろうか。
前にいた人がいなくなり、
しばらくして牛乳瓶に野の花が飾られていたので、
他界したものとばかり思っていたのだが・・・・
病気でもしていたのが回復して戻ってきたのだろうか。
それとも彼は幽霊なのだろうか・・・???

今度会ったら聞いてみよう。

まえに、「こんなところで体こわすなよ」と声をかけたことがあったが、
胡散臭そうな表情を返してきたので、
次を継がずに帰ってきてしまった。
その後に姿を消したので、
多分に気にかかっていたのだ。

今度こそ、ちゃんと聞き出そう。

「幽霊さんでいらっしゃいますか?」

・・・・これじゃ、駄目だな。

「以前いた方と同じですね」

・・・・これが良さそうだ。

一歩外へ出ると、
クリスマスイルミネーションに輝いているのだが・・・。

トンネルのライティングがよくない。
赤色が土色になり、他はほとんどグレーになる。
人の顔色も土気色になるのだ。

それが一層、「幽霊トンネルの夜」の演出を際立たせている。

この色…幽霊だって、好きじゃないはずだ。

だって、一層不気味な幽霊にされるからだ。

いま三浦綾子さんが、パーキンソン病になってから服用する薬のせいで、
幽霊の幻覚を見るというエッセイを読んでいる。
その幽霊達とフレンドリーなお付き合いをしている話である。

考えてみれば、買い物の路上で、いきなり斬りつけられたり、
寝込みを襲われて殺される事件が起きている。

噂話の幽霊さんより、
現実のほうがずっと怖〜い世の中なのかもしれない。

Posted at 22:20 | 無題 | この記事のURL
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どうでもいいこと? [2008年01月04日(金) ]
昨年ブームになった宮崎県知事だが、
「どげんかせんないかん」が、
名言集で、
「どげんかせんといかん」になっている。
「な」が「と」になっているので、
宮崎出身者に聞いてみた。
「どげんかせんと・・・」
では福岡弁になるという。
宮崎ではいわない言い方なのだそうである。

「どげんかせんな・・・」
なのだそうである。

これどう思いますか?
どうでもいいので問題にならないのか、しないのか・・・
…でしょうね。

Posted at 15:20 | 無題 | この記事のURL
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されどラーメン? [2008年02月04日(月) ]
きのうラーメンを食べた。
あえて店名は言わない。
不味いからではない。
教えたくないわけでもない。
たかがラーメン屋で食べたからである。

僕はラーメンばかりではない、麺類は大好きだ。
ラーメンを初めて食べたのは神田錦町だった。
高校時代のことである。

「こんな美味いものがあるのかァ…!」と感動したものだ。

半世紀以上も前の話だ。
それが縁で、昼休みの時間に店の手伝いをさせてもらい、
ラーメン1杯をご馳走になることにした。

半年は続いたが、
その後は酒饅頭に浮気をした。
やはり学校の近くに、
湯気をもうもうと立てて、
大きなセイロで酒饅頭をふかしている店があった。
それを食べて味を占め、
昼休みの4〜50分、手伝いに来るから、
一回に3個の饅頭をもらう約束を取り付けたからだ。
この店は気に入った。
コロッケを挟んだコッペパンももらえた。
卒業記念のスナップ写真に、コック帽をかぶった
我輩が収まっている(はずだ)。

これで、お茶があれば昼飯はOKだった。

おかげで、家から持ってくる弁当は
3時限後の休憩に完食できた。

その後、大学へ行っても社会に出ても、
このシステムは出来る限り継続した。

大学では、定食屋に渡りをつけて、
芝居をする時には、サンマ定食の10人分の差し入れだのが
楽屋に届く時もあった。

社会に出てからは、
青山1丁目にある中華料理屋で手伝った。
昼食は無料、餃子1人前プラスの条件だった。
その後は、ビールでも何でもOKになったが、
そのうち倒産して、オーナーは代々木へ移ったとか
何とか聞いたが消息が途絶えた。

この時に聞いた親父のことばが忘れられない。

「ラーメンと餃子は儲かるよ。
10円(当時)の元手で300円稼ぐんだから。
あなたにビールもおごってやるよ。
台湾から持ってくる金を売ってくれれば、
ラーメンどころでないよ。家建てるだけ儲かるよ」

こんなことを言われたのを覚えている。

日本蕎麦、うどん、そうめん、ラーメン、焼きそば(炒めそば、
固焼きそば)、パスタ、ビーフン…等々麺類大
好き人間としては、願ってもないお付き合いだった。

更にもうひとつ…
今は亡き名優で名演出家の宇野重吉さんの話だ。

北海道出身の俳優の一人が、
さっぽろラーメンの自慢話をしたことがある。
途端に宇野さん、
「バカ、ラーメンは福井だよ。
福井より美味いラーメンありゃしないよ」

その後、福井に行くチャンスがあった。
「先生、何処のラーメンですか?」
と聞いた。
「福井なら、何処のラーメンでもみな美味いよ」
結局は、ラーメンに限らないのである。
ジャガ芋だろうがさつま芋だろうが、白菜やキャベツまで、
自分の出身地、福井のものに勝るものはないと
言い切るほど、故郷を愛していてのことばだったのである。

これを考えると、
ラーメン店などは、
「あそこが美味い」
「ここが美味い」
と自慢することは遠慮したほうがいいと思うのである。

強いて言えば、
袋入りの生ラーメンを買って来て、
トッピングに、のり、ネギ、メンマ、キムチ、卵、
ナンプラー、ラー油、おろしにんにく、生姜汁、黒酢、
焼豚(黒豚ばら肉をタコ糸で巻き、ネギ、人参、生姜、
八角等々を入れて自分でつくる)、を用意して
自分でつくればいい。
擦り胡麻を少々いれてもいいし、
パクチーなど好みの香味野菜を入れるのもいい。
贅を極めるなら、タラバガニの足を焙って入れるのもいいし、
イクラをちらすのもいい。
昆布巻きやうな玉、
ふかひれ缶を開けてもいいし、
帆立の燻製も合う。
健康志向なら、黒酢を多めに入れれば、
麻布十番近くにある店の黒酢ラーメンに近づける。
ただし、この場合は細めんがよく似合う。
味噌や豚骨は太麺が好きだ。

宇野さんではないが、自分でつくれば、
おすすめラーメン屋は「我が家」になること請け合いである。

ここに生まれる味こそ、
「されどラーメン」ではないかと思う。

お試しあれ!

Posted at 13:36 | 無題 | この記事のURL
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一本の釘 [2008年02月18日(月) ]
沖縄での米軍の婦女暴行や暴力、
酒酔い運転等々の報道が再燃している。
このように報道されない事件は
数えきれないほどあるに違いないと思う。

まだ小学生時代の僕にも怖い想い出がある。
山形の天童のはずれ、
久野本(当時天童原といわれていた)に住んでいた頃だ。
物資の足りない当時、
京都や埼玉に単身赴任で働いていた父が持ち帰った
10本ほどのコウモリ傘と交換に、
家を建てさせてくれという話が持ち込まれ、
小屋をレベルアップしたような家を持てたのであった。

これまで母の実家に同居させてもらっていて、
叔母らに遠慮しながらの生活だったので、
どんな家だろうと、家族水入らずで過ごせる喜びは
かけがえのないものだった。

・・・といっても安普請の家、
「コウモリ傘よりはずっといいさ」と母がいう、
その通りのものだが、土間を上ると囲炉裏があり、
奥には押入れもある。
父は、そのまま埼玉に住んでいたので、
妹を入れての三人には不足はなかった。

戦後、3〜4年後のことである。
時折ジープに乗った米軍(当時は
「アメリカ」とだけ呼んでいた)が、
近くの道路を突っ走って通る程度だったが、
悪いうわさを耳にしていた。

しかし子どもの耳には入れたくはないのだろう、
こそこそと額を寄せ合っての大人の話だった。
しかし遊びは少ない、話題も少ない時代である。
子どもの耳に伝わらないわけはない。
「母ちゃん家さ帰ったら、
姉ちゃん裸にさっでアメリカに抱がさっでだんだど」
「夜中、何人ものアメリカが襲っで来で、
母ちゃんと娘とやったんだど」
具体的に何をされたかは理解できなかったが、
卑猥なことをされたことだけは分かった。

母は、寝る前に鍵を忘れるな…と、
必ず確かめることにしたが、
鍵と言いても南京錠などがあるわけではない、
表と裏の戸に錐で穴を通し、
太目の釘を差し込んで止める程度の鍵(?)であった。

ある夜、戸を叩く音で目を醒ますと、
すでに母と妹は目覚めていて、
「声を出すな」と囁くようにいう。
また戸を叩いては「すみません」という声が聞こえてくる。
その状態が数分続いたが、急に荒々しい叩き方に変った。
ことばも「開けなさい」に変り、数人の怒鳴り声も聞こえる。
「アメリカの酔っ払いだ」
母は、僕と妹を抱き寄せ、「声、出すな」と囁いた。
そのうち、戸が壊れやしないかと思えるほどドンドン叩かれた。
「・・・・」
今夜、鍵をかける番は僕だった。
自分では、きついほど釘を差し込んだのを覚えている。
「開けられても離れないようにしてろ」
母は、一層力を入れて僕等を抱きしめた。
痛いほどだった母の力をいまでも覚えている。

「・・・・?」
音がしなくなった。
僕等は息を殺したまま5分、
10分と固まったまま時を過ごした。
「見て来る」
僕は、入り口に歩いて行ってみた。
真っ暗なので、
抜き足差し足で入り口に近づき外をうかがった。
外に人の気配はなくなっていた。
戸の隙間から、かすかに漏れる月明かりを感じられた。

母の手招きする姿が見えた。
「もう少しジッとしていよう」
と母は言った。
2〜30分は動かずに様子をさぐった。
「大丈夫そうだね」
母は、ランプに火をつけた。
(電気は通っていたが、
停電用にランプは欠かせない時代である)
おそるおそる入り口に近づいてみた。
「・・・・!」
叩かれた戸から、釘は今にも外れそうになっていた。
あと3〜4度叩かれたら、持たなかったかもしれない。
「よかったねえ」
妹は初めて口を利いた。
開けられていたら、小学生になったばかりの妹も
無事だった保証はなかった。
一本の釘に助けられたのである。

沖縄や基地周辺で起こる事件の報道に接するたびに、
この想い出が蘇る。
僕等の住んでいたちっぽけな家が、
沖縄県に思えてくるのだ。
しかし沖縄にとっての、
一本の釘って何だろうと思う。
沖縄には、それすらないのではなかろうか。

1本の釘すらない沖縄の基地は
いらないのではないだろうか。

Posted at 12:56 | 無題 | この記事のURL
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イージス艦 [2008年02月20日(水) ]
海上自衛隊のイージス艦が漁船を沈めて、
漁師の親子の行方が1日半たった今でも分からない。

一体何のための防衛省か…何のための自衛隊かを考える。

沖縄の米軍による中学生暴行事件や暴力事件等々…

兵力や軍事力は、そのものに暴力性がなければ存在価値がない。

何かを守るために存在しているなどという理由を、
いくらまことしやかに羅列しようと、
破壊し殺戮する力がなければ、役に立たないシロモノなのである。

日本を守るために…
国民を守るために…
国民の財産を守るために…

文化を発展させるとか、
平和外交を発展、展開させるとかというと、
幻想だという。

武力を持たずに平和は守れないという。
××が攻めてきたら、何で対抗するかという。
泥棒に入られないために戸締りもするし、
ピストルを持った強盗に入られないように
ライフルを持つのは何故悪い…という。
アジアには北朝鮮もあり、中国もあるという。
(日本は朝鮮や中国を侵略したが、
一度も侵略されたことはない)

その彼等を強盗と一緒にしていいのだろうか…
泥棒や強盗とは話し合いは出来ないが、
国と国との間では外交的な話し合いが出来る。
国連もあるし、徹底的に平和を主張する国を
何処かの国が侵略し蹂躙するのを、
世界が黙って見過ごすだろうか…。

かつての日本は、世界有数の武力大国だったが、
戦争を起して、未曾有の惨劇を強いたのではなかったか。

海上自衛隊に知人がいる。
今はいい…が、戦争に駆り出されそうになったら、
直ぐ辞めて、貸しボート屋さんか、
観光船の操縦士にでもなって欲しいと思っている。

このようなことを考えながら、
封印してきた、子どもの頃の夢を打ち明けたい。
山形の田舎に住んでいた僕は、
小学一年の時に殺されると思うような苛めに合っていた。
苛めに教室にやってくる男の親父は陸軍大将だと聞いた。

クラスの子どもはもとより、
担任の教師も見てみぬ振りをしていた理由は、
奴の父親が陸軍大将だからである。(…らしい)

僕は覚悟を決めた。
家から刺身包丁をランドセルに忍ばせて学校へ行き、
いつも苛める男を便所に誘い、
包丁を首に押し付けて脅した。
「こんどしたら殺す」
そして、近くにいた取り巻きを前に、

「こいつの父ちゃんは陸軍大将だげど、
おれは天皇陛下になってやるからな」

と言ったのを覚えている。
天皇陛下になれば陸軍大将などクソ同然だと思ったからであった。

苛めを逃れるために刺身包丁を突きつけて、
何と言おうかを一晩考えた末に思いついたことだった。

その数日後、
担任の先生から、
「皆は将来何になりたいか、一人一人話せ」
と片っ端から立って言わされた。

陸軍大将の息子が、
僕が天皇陛下になるといったことを
吹聴したに違いないと即座に分かった。

既に前日、母親に
「国民は天皇陛下になれるのか?」と聞いていたので、
冒すことの出来ない存在であることは理解していた。

「おまえは何になりたい」と聞かれて、
「はい、鉄道の機関士になりたいです」と答えたのだった。

ここで「天皇陛下になります」などと言おうものなら、
「馬鹿者!」
と、往復ビンタでも喰らったに違いないのだ。

子どもの頃の夢はさまざまだ。
「あれは出来ない」「これは不可能」はない。
空も飛べるし、地にももぐれる。
想像は自由に飛び回る。
夢は変って当たり前。

その当時は、思いもかけない仕事について…今はある。

今の夢は、人が殺されたり殺したりしない世の中になって欲しい。
これに尽きるように思う。

Posted at 14:24 | 無題 | この記事のURL
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死刑囚 [2008年04月14日(月) ]
私は死刑囚を見たことはあるといっても、
裁判を傍聴した経験だけで、
話したこともなければ間近で見たこともない。

近く裁判員制度が始まるが、
例えば被告が死刑に匹敵する人であったら…
などということを考えると、
そこでの自分に何を課するか…難しい選択が迫られる気がする。

さて、三浦綾子さんや、
夫君の光世さんは、
クリスチャンとして、
何度も死刑囚を見舞ったそうである。

綾子さんの短編小説に「壁の声」がある。

ある一人の無実の男が死刑を宣告され、
独房で処刑の日を待ちながら、
半生を振り返る小説だ。

無実の彼は、
犯してもいない罪で処刑されるのだ。
(小説は処刑前で終っているが)

長生きしても、優しさもない辛いだけの世の中に、
夢を描くこともできなければ、
生きていこうという気力をも奪われ、
無実を主張することの無力感も手伝い、
死刑を選ぼうとしている男である。

死刑囚が、彼を裁いた世の中を裁くという痛切な内容である。

これを今、芝居にしたいと脚色中なのだが、
途中、裁判員制度などにも思いが行き、
筆が何度も止まってしまう。

しかし考えてみると、
この死刑囚ではないが、
今の世の中に、彼と似た思いで気力を失い…

あるいは失いつつある人間が何人となくいるのではないだろうか…

全く、生きにくい世の中ではないですか?

Posted at 23:00 | 無題 | この記事のURL
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