シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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「にんじん」打ち上げ! [2007年02月28日(水) ]
昨日、表参道公演「にんじん」終わりました。
残念ながら舞台写真はありません。
多くのご意見をいただきました。
「ぐッっと心に突き刺さった」
「これは、現代(いま)だね」
・・・など、思いがけないほどの深刻なご意見が多かったです。

●感想転載させていただきます。
『劇団アドックの公演「にんじん」を観てきた。場所は先月から定番の「マラネッロ」(表参道)。
「にんじん」役は三園ゆう子さん、その父のルピック役は伊藤豪さん。
マラネッロに着いたら、三園さんが「E席をご用意しました。いい席です」って、ばかばかしい駄洒落というより堕洒落を言って、もう帰っちゃおうかな、という気にさせてくれた。たしかに「いい席」で、気恥ずかしくなる席だった。ぼくはあんな「いい席」は似合わない。TVなどでおなじみの顔もちらほら見えた。
こんなことより、お芝居、お芝居。
見事な翻案と演出だった。もちろん主役の三園さんや伊藤豪さんの演技も素晴らしいのだが、それにも増して脚本と演出が冴えていた。
現代日本社会の家族のあり方への厳しい警告と救いを見せて頂いた。家族のあり方については、ぼくは、しばしばつらいと感じるのだが、今夜は久々に深い感動を味わった。』

姫じゃのダーリンとお嬢さんにも観て頂きました。感謝です!
また、メッセージで励ましていただいた皆さんにも心から感謝です。
ありがとうございました。

Posted at 08:57 | 演劇生活 | この記事のURL
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「にんじん」を打ち上げて一週間! [2007年03月02日(金) ]
2月25日上演した「にんじん」にまつわる話

母親に愛されず、家庭内で居場所を失い、
「家を出たい」と、父に打ち明けるにんじん。
「僕は、母さんを好きでなくなったのだから、家にいても仕方がない」
「母親が嫌いで自殺する子どもだっているんだから…」
「納屋の梁に紐を結びつけて、輪を作り、首を入れて、手を組んで、
こうして…、
瓦の隙間から外の景色が、にじんだように見えていた。
そして、足を蹴ろうとした!…その時、僕を呼ぶ声がした…」
「母さんの声だったら天国に行っていたさ。呼んだのは父さんだった」
真剣に死をも考えたにんじんのことばは、父の心をえぐった。
「だから、僕はこんな家にいたくない…」

この世の中に、こんな思いで生きている子どもたちはたくさんいる。
そんな気がする。

子連れのママが、ファミリーレストランで子どもをそっちのけにして
携帯電話とにらめっこをしてメール打ちに夢中でいる。
所在のない子どもは、ママの関心を引こうとして袖を引っ張ったり、
テーブルを叩いたり、果ては大声を出しては顔を覗いたり…
母親は迷惑そうな表情で子を一瞥するが、そのうちそっぽを向いた。
食事が運ばれても、母親は携帯から目を離さず、子どもだけが、
上目遣いに母を見ながら、デザートを箸で突っついている。

・・・この親子も「にんじん」と同じとは言いません。
しかし、これからどうなるのだろう…? 考えさせられる。
傍で見ていて、胸苦しさをを覚える辛さを味わった。
…でも、これに似たようなことを、僕も子どもにしていなかったか…
自分の中に、未だに突き刺さる棘の感触。
その原因は、これじゃないのか?
そんな思いをも呼び覚まされました。
「にんじん」の道具を取りに倉庫に行き、
昼食で立ち寄ったレストランでの出来事でした。

公演も無事に終わり、数日して、やっと心の整理にかかり、
書く気になったことの一つです。

Posted at 17:36 | 演劇生活 | この記事のURL
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河童 [2007年03月22日(木) ]
日本各地にある河童のはなし。

土地によっては呼び名が違っていたりするが、
口が尖り、皿状のものが頭にあり、
甲羅のようなものを背につけ、
手や足の指は、蛙やイモリのような
水掻状になっているというのが共通のようだ。

♪かっぱっぱ かっぱっぱ かっぱ からからかっぱっぱ…
黄桜のCMでは、清水昆(?)さんの、
そこはかとなく色っぽい河童が登場した。
想像上の動物で、妖怪だともいわれているが、
定かではない。

地方の博物館や、お土産店で、河童のミイラなどにも出くわす。
実は、僕の知り合いの模型屋さんが、
ある土地の物産館から、ソレを作ってくれと頼まれて、
苦心惨憺の末仕上げたそうである。
10数年前のことであるが、今でも大切そうに飾られてあり、
年季が入って、いよいよ本物に近づいているようにすら見える。

河童…芥川龍之介も書いている。
河童の子どもの誕生時の慣わしが面白い。
記憶に残る範囲だが、
胎内のえい児に向かって、
母体の膣に向かい、
「今の世の中はなァ…」
と懇々と語って聞かせ、
「それでも生まれたいかどうか」を決めさせるそうだ。
この発想の面白さに驚嘆した少年時代を思い出す。

いま頼まれて、河童の芝居を書き始めた。
いろいろな疑問が湧き始めている。
「尻小玉」って何だろう?
「胡瓜が好き」なのは何故?
「お皿が乾く」と、どうして死ぬ?
「屁の河童」は、どうして「河童の屁」じゃないの?
・・・その他、いろいろ。

さて、どうなるか…資料も集まり、
明日辺りから書き始める。
ご提供して頂けるアイデアがございましたら、
どうぞよろしくお願いします。(ずるいかなァ?)

Posted at 11:54 | 演劇生活 | この記事のURL
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「そして…河童は消えた」 [2007年06月03日(日) ]
創作民話劇「そして…河童は消えた」
やっと脱稿しました。

3ヶ月間悩み続けましたが、
やっとです。

「親子劇場には難しすぎるよ」
「これ、何歳の子ども向け?」
いろいろな質問が来ます。
 

昔々の物語です。

河童が棲み
狐が人を化かし
狸が人を騙していたころ・・・です。

それが、河童が消えてしまう事件が起きたのです。

河童の頭にある皿で沸かしたお湯を飲むと、
千年長生きすることが分かったからです。
でも、湯を沸かした河童はその場で死んでしまうのです。

このことが知れると、世界中の河童がの皿が狙われ、
全滅する・・・と知った婆ちゃんが、

そのお湯を飲んで、
世界中の河童に、
「人の目の届かない所に隠れるように」
触れ回ったからです。

その証拠が、この演劇です。

みんさんというお婆ちゃんの、
数百年前の思い出話から、
この物語は始まります。

昔、40歳くらいだった(当時はこの年齢で「婆ちゃん」
と呼ばれた)みんさんは、
千年長生きするお湯を飲んで、
生き続けてきたのでした。

だから、何処かにひっそりと生きている河童ですが、
僕らの前には姿を見せてくれない・・・

自分がよくなるためには、
何かを犠牲にしても構わない・・・
このような気持が人間にある限り、
河童の姿は永遠に見られないだろう・・・

こんな物語です。

おわり・・・

Posted at 12:04 | 演劇生活 | この記事のURL
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あとの祭り…?! [2007年08月24日(金) ]
お越しいただいた皆様…ありがとうございました。
          
昨年は7月だったが、
今年は猛暑の8月になった「杜の中の伝統文化祭」。
その“子どもの杜”では、
江戸の昔から伝わる風鈴の絵付けや、
江戸擦り絵の体験、飴細工や針金細工などの実演がある。

僕らは、演劇公演で参加している。

6月から始めた稽古は、
自作の「そして…河童は消えた」である。
          
むかし むかし…
爺さんや婆さんが、
狐に化かされたり、
河童に悪さをされていたりしていた
ころのものがたりです。
しかしある時から、
川から河童の姿が消えました。
どうしたのでしょうか。
それには、ふかい理由があったのです。
          
18日(土)13:00 19日(日)13:00
の2回の公演だが、
最初は台本の検討会から始めた。

まあ、「これは子どもには難しい」だの、
「時間が長すぎる」だの否定的な意見が主流を占めた。
         
その全ては、大人が考える“子どもの目”であり、
“子どもの理解力”に対する疑いの目だ。
         
ここに危険な落とし穴があることを知らないのだ。
         
「狐がいろいろなものに化けるが、何が何だか分からなくなる」
 (ばったが赤いマフラーをつけバイクにまたがって出てくる仮面ライダーをどう思うの?)

「河童はどんな生き物か説明をしないと分からない」
 (仮面ライダーやショッカーはどんな生き物か説明がいる?)

「人間関係が複雑すぎる」
 (本来複雑な人間関係を単純化していないか?)

「権力に逆らえない庶民のはずが、強すぎる」
 (本当は一番強いのが庶民じゃないの?)

・・・等々の意見が交差。

訳分からなくなりそうな遣り取りの中、
子どもの目線を大人が理解しようとすること事態に無理があること、
子どもの目線に近づこうと努力することだけが、
僕ら大人に残されているのでは・・・

全てをここから始めよう
…ということで読み合わせに入る。

少ない劇団員では間に合わず、
他所から2人の女優さんを借りる。

…が、劇団員全員をつかったために、
ド下手な役者には手を焼いた。
最後には「演劇をバカにするな!」
の怒鳴りも入った。

言ってもできないのは、まァ止むを得ない部分がある。
が、言ってもやらないのはクビにしてやりたい(…が、出来ない)
「これを知って、逆らっているのか?」というボヤキまで出えてくる。

子どもの目をナメルなよ。
嘘はすぐに見破られる。
「あ、ウソ泣きしてる」
こんなことを言われたくないだろう。

七転八倒を乗り越えて、
やっと迎えた8月18日・・・

真剣な子どもの目に出会った。

まばたきもせずに舞台を見つめる目に出会った。

時々見せる笑顔と、ホッとしてつく大きな溜め息。

河童が命を失う場面では、
泣き入りそうに顔を曇らせる。

これだろう・・・

この子らの脳裡には何が残るだろうか・・・
この「そして…河童は消えた」を通して、
この子らは何を感じるだろうか・・・

その正体は分からない。
しかし、彼らの表情を見ていると、
悲しみや、喜びを覗き込むことが出来る。

心の葛藤が垣間見られるのだ。

理解できるだの、
難しいだのを論じることから芝居が始まらないことを教えてもらえる。

遅まきでも、
子ども達の前で公演したこの日から稽古を始めることが
出来ればよいのだが・・・

悲しいことに、
ここで・・・

わが人生と変わりがない教訓に出会う・・・

後の祭り・・・である。
オレの人生も暮色の中にある・・・

何処からか、祭囃子が聞こえてくる時期だ。
笛太鼓の音が渡る・・・
あれは…夏祭りではない・・・秋祭りだァ・・・

切ないねェ。

Posted at 11:19 | 演劇生活 | この記事のURL
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つくらない音 [2008年03月15日(土) ]
母と子が手をつないで歩いていた。

「ね、ママ、カッパの鳴き声ってキキーッっていうの?」

「・・・・・・」

「ね、ママ、カッパってキキーって鳴くの?」

「・・・・・・」

ママは答えない。

「ね…」

ママはとうとう怒った。

「いい加減にしなさい。カッパなんて

見たことないから知らないでしょう?」

子どもの手にはカッパのぬいぐるみがぶら下がっていた。

子どもはあきらめない。

「ね、ママ、これカッパだよ」

「そう、ぬいぐるみなの、それは」

僕は去年、「そして…河童は消えた」という芝居を演出した。

河童のお皿で沸かした湯を飲むと千年長生きするということを知り、
悪代官は長生き薬を作って大儲けを企む。

皿で湯を沸かした河童は死ななければならないのだ。
その企みを知った河童たちは、
みな姿を隠してしまうというお芝居である。

自分だけ長生きしようとか、
命を金儲けに使おうという人がいる限り、
この世に河童は姿を見せないだろう・・・・

民話劇として書いた芝居だが、
評判はマァマァだかった。

実はそのお芝居の中で河童の鳴き声を考えた。

ママに手を引かれた子どもが言っていたように
キキーとしようとも考えた。

だが、ママの言うように、
河童なんて見たことがないから分からないのも事実であった。

赤坂のTBS近くで出会った親子の会話を追いかけながら、
母の思いと子どもの思いの両方に共感を覚えざるを得なかった。

音づくりとは難しい。(これは「音」だけの問題ではない)

見たことも聞いたこともない河童の姿や鳴き声を
安易につくってはいけないのだと思う。

キキーという音を河童の声としてつくってしまうのは簡単だ。

しかし、その声をして河童の声に

定着させてしまっていいのか・・・ということだ。

たとえどれほど著名な映画監督にでも、著名な演出家にも、
決めて欲しくないものがあっていいはずである。

河童の声…鳴き声はその一つでいいと思う。

だから、不親切に思えるお母さん(子供のママ)の対応が、
まったく正しかったのではないだろうか・・・・

音を作るときに、どれが適当かを選ぶこと自体も難しいのだが、
音づくりの本質は、「つくらない」ことにもありはしないか・・・・

こんなことを考え始めて、直ぐには家に帰れなくなった。

途中ターリーに入ってコーヒーを飲みながら・・・・

このようなことに考えを巡らせ、

ひとつの結論に達したのがコレである。
        
        
ところで、カッパの声ってどんなだろう・・・・?

Posted at 12:52 | 演劇生活 | この記事のURL
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役者っておもしろい [2008年04月07日(月) ]
まだ見たことはないが、
いいえ、みるまでには至っていないが、

・・・舞台には、
演劇の鬼か、
演劇の神がいる。

常に完璧を求め続けている、鬼か神だ。

その鬼や神はいつ頃から存在するかは知らない。

鬼といえば「鬼」
神といえば「神」

演劇作品の中には、
父を殺し母と結婚して王位についたオィデプスもいれば、
父を殺され母を奪われた王子ハムレットもいる。
思いを裏切られ荒野に彷徨う王リアもいる。
世間の滓のような、
木賃宿に寝泊りする泥棒や売春婦たち…
そこで“人間の偉大さ”“人間の尊厳”を唱えるサーチンもいる。

ここに登場する役者であろうと、鋳掛け屋であろうと、

いや、上手から下手の袖に、す〜と通り過ぎる誰かでも、

どれほどの名優が演じるにせよ完璧はありえない。

ただ役者達は完璧を目指し、悪戦苦闘し、
自らのすべてを注ぎ込み、
命を削る。

役者には命が問題ではない、

その舞台で、

どう生きるかが問題なのだ。

舞台を横切る役であろうと、

その裏側には、

数十年の、その人の人生が隠れている。

舞台を横切るその時は、

数十年の中の数秒なのだ。

そこに、軽い役…なんてあるものか。

「この役は、舞台をただ歩くだけ」

…そんな役は一つとてない。

××(役者の名前)が歩いているんじゃない。
□□という役の人物が歩いているのだ。

その人物を云々する前に、
自分のことを理解しているか…

「お前は…いったい何だ?」

すべてはここから始まり、

ここに戻ってくる。

そのすべてを鬼か神が、じ〜いッ っとみているのだ。

完璧を求めては裏切られ、

期待しては裏切られ、

しかし、

それを求めて止まない鬼か、神がいる。

役者は、その完璧に挑み続けている。

なりきれる役者など一人もいない。

何故って、
・・・・鬼でも神でもない
…人間だからだ。

だから芝居はおもしろい。

だから人間もおもしろい。

それを演じる役者は、
もっとおもしろい。

Posted at 12:55 | 演劇生活 | この記事のURL
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美味しい演劇 [2008年05月30日(金) ]
7月21日(月)11:00〜

    劇団アドック レストラン公演【第3弾】

    高級中華ランチ プラス 劇団アドック公演
    今回はランチで・・・
    さとうひろみ作「高円津カフェ」より

    神尾哲人翻案 伊藤豪演出

   「赤坂6丁目カフェ」

    三園ゆう子 直江美樹 熊倉裕之 美月ゆり 米谷アントニー

美味しい料理と美味しい演劇のコラボレーション

おいしい一日を赤坂で・・・・

新葡苑(しんぶえん)

東京メトロ千代田線「赤坂」「乃木坂」7分
都営地下鉄大江戸線「六本木」7分
赤坂見附から“ちいバス”六本木ヒルズ行き「赤坂6丁目」1分

11:00(開場)
11:30食事サービス開始
13:00(2Fから3Fに移動)
13:30(開演)「赤坂6丁目カフェ」
14:30(終演)

料金 ¥5,000(全席予約制)
料理とソフトドリンク付

近くには東京ミッドタウンとガーデン
ちょっと足をのばせば赤坂サカス、
ちいバスで5分で六本木ヒルズがあります。

ものがたり

みづえに宝くじが当った。

みづえは考えに考えた末、
東京の一角に、
癒しのある喫茶店をオープンさせようと決める。

開店を明日に控え、
警視庁につとめる妹の明子が訪ねてくる。

日頃、駐禁や酔っ払い運転を取り締まりに
心身をすり減らしている明子は、
姉の思いに大賛成だ。

しかし根がのんびり屋で人がよくて、
人を疑うことを知らず、
人間大好きな姉の行動には
妹からみても危なっかしくて仕方がない。

でも、
大好きな姉の考えを何とかして成功させたいと思う。

しかし思わぬところで衝突が起きる。

しかしこのような言い合いは、
今に始まったことではなかったのである。

姉の無計画性と突飛さには、

周りの人たちが、
いつもそのとばっちりを受けていたのだった。

さて、お店はいったい・・・・?

姉と妹、大家と息子、アルバイトの女性を巻き込んで、
人間ドラマが展開します。

しかし思わぬ形で…人間の素晴らしさ、
人間賛歌の黄色のチューリップが・・・・
熱い心のハイビスカスが・・・・

わたしたちの心の中に咲き始めます・・・・

乞う…ご期待!

Posted at 11:10 | 演劇生活 | この記事のURL
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メニュできました [2008年06月21日(土) ]
美味しい料理と
美味しい演劇
7月21日(月)祝日(海の日)
「赤坂6丁目カフェ」

11:30からのランチメニュが出来ました。

真夏の昼餐  美飾ランチ 菜譜

新葡苑Tokyo 美飾前菜

ズワイ蟹とビーツのスープ 紅色仕立て

牛肉と夏野菜の自家製XO醤炒め

紋甲イカの湯引き 特製ソース

五目入り冷やしそば 柚子風味

スイーツ

ご期待下さい!

Posted at 11:58 | 演劇生活 | この記事のURL
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し残した…何か [2008年06月23日(月) ]
僕は今年で70になった。
親父と同じ年齢まで生きられるとすれば、
来年死ぬことになる。

母親は80歳以上生きて世を去ったが、
「そこまでは・・・」
という思いがある。

父もその日まで仕事をしていたが、
ありがたいことに僕も演劇の世界でも、
CM出演も、ウエディングの司会も現役として
やらせてもらっている。
昨日もウエディング司会をしたが、
年齢とこれは無関係だと考えている。

僕は結婚生活破綻者だけに、
これから結婚する人たちには、
いい結婚生活を送って欲しいという
願を込めて関わっていこうと思っている。

バブル期から始めたこの仕事は、
すでに3,000組をはるかに超えた。
「今度は子どもの結婚の司会を・・・」
という依頼も来ていることを考えると、
30年近くも覚えていてくれたことに感謝したい。

通販CMのキャスターも30年を越えた。
先日、結婚する新郎さんが、
「ぼくは、あの東京03・・・♪」
という音楽を聞かないと
昼寝しなかったんだそうです」
と話してくれた。

そして今、劇団の仲間(全員年下)と一緒に
芝居作りに取り組んでいる。
7月21日の祝日には、
新葡苑という中華レストランで、
ランチと組み合わせて
「赤坂6丁目カフェ」という作品を上演する。

さて本題に入るが、
数年前喫茶店で、
少々上の年代の友人とした話に、
「おれ、し残していることがある」
と打ち明けられたことがあった。

子どもは孫を作りそれぞれに生きている。
連れ合いは友人と一緒に「去年はヨーロッパ、
今年は南米にしよう」と嬉々として今を楽しんでいる。
「おれは一体何をしにこの世に生まれてきたのか
つくづく考えるんだ。今あるようなことをつくるため
だったのだろうかってね」

不満はないし幸せでもあるが、
「満足か?」
と聞かれると、答えに窮するというのだ。

彼は上場会社の役員までつとめ、
定年後も関連の社団法人などに役員で入り、
10年ほど前にフリーになり、
奥方とも離れて一人住いをして、
何故か、ビル管理の仕事などをして
気ままな生活を送っていた。

これも生き方だと思っていた彼が、
「もっと何かある」
と思ったというのである。

僕は、「何だ、ゲーテの“ファウスト”の
世界じゃないか。いろいろやり尽くしたが、
悪魔の世界に身をおきたいってやつか?」

不用意な言葉だったかもしれない。

彼は顔を紅潮させて、
「おれは真面目に話してる。
おれはお前がうらやましいんだ」
と言った。

彼は、「一緒に芝居でもやらないか」
僕に誘って欲しかったのだ。

その彼が四国の松山に帰ってしまった。
奥方の実家である。

そんな彼から電話があった。
「松山に芝居を持ってこられないか」
というのである。
「三浦綾子さんの“母”がいい」
これは無理な話だ。準備も必要だし、
松山一箇所ではコストがかかりすぎて、
「ダメだ」
というと、
「おれ、劇団をつくりたいんだ」
彼は80歳くらいになるだろう。
また心臓に爆弾を抱えている身障者だ。

その彼が、これから劇団をつくりたいというのだ。
「いいよ、応援するよ」
というと大喜びで、
「し残した何かを見つけるんだよ」
と、電話の向こうでだが、
かすかな笑みを浮かべている声だった。
「いいじゃないか。
おれに出来ることなら何でも言ってくれ」
というと、
「それを待っていたんだ」
と返してくれた。

50歳を越えた皆さんと一緒に、
お芝居をつくりたい。
このブログにも
何度か劇団づくりの誘いをしたが、
なかなかノリが悪い。

蜷川氏のような著名人とは違うので、
やむを得ないところもあるが、
「し残した…何か」
を感じている人がいたら、
高額な出費はなくても演劇は出来る。
どうだろう・・・

友人にうらやましがられた僕だが、
けっしてそんな人生を送ってはいない。
やはり、「し残した…何か」を感じている。
一緒に、「し残した…何か」を
なし遂げたい仲間はいないだろうか・・・?

Posted at 10:17 | 演劇生活 | この記事のURL
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