シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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後悔先に立たず [2007年03月11日(日) ]
今日12時から在京天童会(わがふるさと天童)があり、
4時からは、銀座で2次会・・・

戦後の食糧不足の中に育ったせいかと思いますが、
このようなパーティの度に、帰宅してから後悔します。

“食べすぎ”です。

目の前に出された料理は、大抵残さずに食べる癖があります。
「残しては勿体ない」感覚が刷り込まれているのだと思います。
60品目の殆どをよそってきて、片っ端から口に入れて行きます。
最後には、必ずご飯に手が行きます。
「おい…えげつないぞ、止めろ!!」
理性が叫び続けます。
…が、たかが理性、無意識の欲望に置き換わることは出来ません。

「あゝ、食いすぎたなァ・・・」
反省なら猿でもします。
しばし、その時は猿並みの反省をするしかないのです。
そして後の祭りなのです。

ま、2次会会場まで行く内に、多少はこなれるだろう…
と、虎ノ門から銀座4丁目まで自転車で、エッチラオッチラ・・・
「フ〜ッ…たいした運動ではなかった」
自転車を止めて、8Fのホールへ。
「えッ、こんなに食べ物があるの? …これ2次会だよ」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ…
「年なんだから、そろそろ弁えってものを考えなきゃな」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ・・・

「目の皮が重くなって来た。帰ろう。
「なァ〜んだ、お前、これから天童まで帰るのか」
顔だけは、如何にも同情したような表情を浮かべて、手を振って別れる。

銀座から自宅まで、自転車で帰り着き、
食に関する節操のなさに我ながら呆れ返る。
おれの育ちが、そうさせるのかもしれない。
13人集まっていた同級生たちの殆どが、
オレと同じ気持で、自己嫌悪を感じているのではないだろうか?
3度3度のご飯を食えなかった時代に、成長期を送ったオイラ達世代の
悲しくもあり、懐かしくもある、アンタッチャブルな餓鬼道なのかもしれない。

Posted at 20:04 | 生活日記 | この記事のURL
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今夜見る夢 [2007年04月08日(日) ]
東京ミッドタウンのガーデンを散歩している家族連れがいたが、
二人兄弟の下の子が、辺り構わずギャ〜ギャ〜泣いている。
兄が手にするものを自分に持たせてもらえないことに腹を立て、
抗議しているらしい。

この世は、自分だけのものではない・・・
小さな子どもにも分っているはずだと思うのだが、
理解のない親への求めや抗議の行為を受け止めてもらえず、
自分への無関心さに対して示す、“おれの世界を認めろ”
…という精一杯の意志行動なのかもしれない。

しかし、努力が報われないことを分ると、
衝動的でせつな的な行為に表現を一変させる・・・

子どもは暴力に訴え、兄や父親の足を蹴り始めた。
兄は無関心を装い、父は眉間にしわ寄せて、
「止めろッ!」のひと言。

知事選挙を済ませ、ホット一息・・・と思って来ている人もいたろう。
顔をしかめるなど、一様に不快感を露わにしているのが分る。

親には、この手の愚図りは慣れきっているようである。
気にするような様子は見せるのだが、関心は他に行っていた。
母親は携帯のメールを打ち続け、父は長男の動きだけに
付き合い続けていたのだ。

さて、愚図って泣いていたこの子は、
今夜どんな夢を見るのだろうか。

Posted at 18:56 | 生活日記 | この記事のURL
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生きていた井戸 [2007年04月12日(木) ]


山手線“原宿”駅には、明治神宮への出口と、
竹下通りへの出口があります。

竹下口を出てすぐ左へ行った突き当りには、
軽井沢や那須へ向かう天皇や皇后が乗り降りした、
御料車用の駅舎があります。
最近は使っていないようですが、
以前と変わらない姿をかいま見ることが出来ます。

明治神宮側に降りると、
週末はコスプレ人種のメッカになります。
ここは、時代の先端を行くマニアッファッションの
登竜門といえるかもしれません。

竹の子族もここで生まれたように思います。

そこから一歩、歩を進めると
鬱蒼とした神社林に包まれる明治神宮に入ります。

この神社林が人工の森だということを知る人は少ないなず・・・
およそ100年前、数万人の人たちが苗木を持って来て植えたのが、
この神社林の始まりだといわれます。

しかし、手付かずの原生林と見まがうようなところがたくさんあります。
毎年落ちる葉や、倒れた樹木も他所に捨てずに、
全部をそのまま林の中に戻しているのだそうです。

掃除の全てを林の木々や、棲んでいる微生物に
お任せしているのだそうです。

そして、営々として培われてきた結果が、
今の明治神宮の神社林なのです。

その一角には、加藤清正が掘ったといわれる井戸もあります。
「清正の井」と呼ばれます。

清正といえば、虎退治で知られています。

その人物が掘った井戸などという話を、
俄かに信じることは出来ませんが、
一方、土木の神さまだったなどという言い伝えを聞くと、

「信じてもいいか」
…という気にもなってきます。

カサカサに乾いたように感じる東京の中にも、
今でも、ささやかかも知れないが、
清水を湧き立たせ続けている井を覗き見て、
かけがいのない宝物を見つけたようにも思えたのした。

Posted at 01:17 | 生活日記 | この記事のURL
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幽霊トンネルの住人 [2007年04月13日(金) ]


僕らの劇団の稽古場は、
原宿駅に程近い神宮前と千駄ヶ谷にあります。


この地域は、
面白いほど様々な伝説が残されています。
僕の住んでいる赤坂から六本木近辺もそうですが、
これらを調べ歩いたら面白いだろうと思います。

一時、「時代に合わない」とか、
「旧弊を排除する」などといわれ、
新しいものを追い求める時代に入った
・・・などと言われていましたが、

積み重ねた歴史を土台にしない新しいのものは、
実は、
存在しないということに気づかなければなりませんでした。


考えてみれば、わたし達人間の生活は、
全てがリアクションであることに気づかされた、
ということでしょうか・・・

アクションを起すのは神様なのかもしれませんね。
(僕はノンクリスチャンですが、そんな風に思うのです)


さて、僕らの劇団が稽古する場所から
5分くらいのところに、
幽霊トンネルなどと言われるトンネルがあります。

近くに、首無し地蔵もありますが、
今回はトンネルの話です。

僕は稽古のために、週一回は、
自転車でこのトンネルを往復します。

心霊スポットと騒がれて久しいのですが、
神宮外苑側からトンネルに入った直ぐのところに、
一人のホームレスが住んでいました。

いました・・・と言いますのは、
いなくなって2ヶ月ほど経つからです。

照明のせいもあるのでしょうが、
トンネル内を通る人の顔は灰色に見えるのです。

そのホームレスの男性の顔をはっきり見たのは、
3〜4回であったと思うが、その度に、
顔色の悪い男だなァ・・・

あれじゃ、幽霊スポットにピッタリじゃないか・・・
こんなことを思ったものでしたが、
一度だけ声をかけたことがあるのです。

「身体、大丈夫なの?」
・・・このひと言です。

小便のアンモニアの臭気も漂っているので、
気分のいい声かけではありませんから、
愛想の良い返事でも返ってくるなら、いざ知らず、

「・・・?」

胡散臭そうな顔を向けられて、
二の句も継がず、
そのまま立ち去ったのでした。

それからというものは、
その場所は自転車で通過するだけ、
横光利一じゃあありませんが、
路傍の石のように、もく殺する場所になっておりました。

それが、
ある日から・・・彼の姿は、ないのです。

そして彼の定居していた場所に、
ささやかな花が、ビンに挿されて置いてありました。

・・・あゝ、死んだな・・・

即座に感じたことで。

それから、数回行き来していますが、
ず〜っと、
彼の姿を見ることはありませんでした。

また・・・
花を見たのも、その時の一度だけでした。

心霊スポットに住み続けていた彼には、
身内もいなかったのだろうか・・・

いまごろは、
時々さまよい出るという霊と一緒に、
トンネルにすみ続けているのかもしれません。


来週も、そのトンネルを通って稽古場に行きます。

<写真:見るからに寂しい「千駄ヶ谷トンネル」>
えッ・・・もしかしたら、来週会えるかも知れないですって?

Posted at 17:03 | 生活日記 | この記事のURL
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即身仏 [2007年04月24日(火) ]
小学校時代の同級生SKの運転で
雨中、寒河江川に沿って出羽三山へ向かいました。

出羽三山といえば、
森敦の小説にもある月山、湯殿山、羽黒山があり、
山形を縦に二分する連峰です。

森敦の「月山」は、還暦を過ぎ、自らの再出発の思いで
筆を執ったという会心作というのですが・・・

山の手線をグルグル周りながら書いたという話を
聞いたことがありますが、真偽の程は分りません。

学生時代に途中まで読んで古本屋に持って行き、
金を借りて、取りに行かず流してしまったのは覚えて
いるのですが、中身はほとんど記憶に残っていないのです。

そのせいで、月山を眺めるとその思い出が蘇ってきます。
…ところで、まだ読んでいません。

芥川賞をとった作品で、「Oh!ふるさとの山…」
という意識で買い求め、またその内に買って読もう
・・・がこの始末です。

月山は余談で、僕が行ったのは山伏の修験場で
有名な羽黒山です。


出羽神社(いではじんじゃ)があり、
三山の神々を合祀する山が羽黒山です。
出羽三山は、でわさんざんと呼びますが、神社は、
いではというそうです。

御朱印は、この神社で求めました。

甘酒を飲み、お土産を買い、
雨中友人の車で湯殿山へ向かいました。

折角のことですから、即身仏を拝礼しよう・・・
瀧水寺大日坊に立ち寄りました。

山道をくぐると、横切る流れが石畳を越え、
小川のような中に歩を進めてたどり着いた古刹大日坊でしたが、
商売(?)熱心な住職の説明に耳傾け、即身仏を拝礼しました。

写真は禁じられていますので、
ここの写真はリーフレットからの転載です。

Posted at 16:34 | 生活日記 | この記事のURL
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貧乏人の食べ物 [2007年04月25日(水) ]

天童から出羽三山の羽黒山
湯殿山から寒河江川を下り
途中で山菜料理料亭に立ち寄る


≪山菜料理店「玉貴」≫

タラノ芽、こしあぶら、二輪草、こごみ、ふきのとう、あさつき、
うこぎ、うるい、木の芽、うど、行者にんにく、つくし、山ぶどう・・・
赤米、粟、稗…等の五穀米・・・

戦時中は記憶に薄いが、戦後の食糧不足の中、
今では山菜料理などといわれているものは、
飢えを凌いで食べていたものだ。

蛋白源には、当時は北海道から送られて来る
ニシンは食べられたが、季節を過ぎると、
塚の辺りにとぐろを巻いている蛇を捕まえては、
串焼きにして食べたりもした。

冬の学校では、
暖をとるだるまストーブの周囲に設けられた金網の棚に、
大小さまざまな弁当箱が並ぶのだが、
大根飯から発する異様な臭いや、
おかずに入れてきたタクアンの臭いが教室いっぱいに立ち込めた。
中には、焼きにんにくを入れてくる者もいて、
混濁の臭いに、ストーブ間近でムセル者もいた。

中には、弁当を持たずに来る者も数人いたが、
誰も分けて食べようなどとする者はなかった。
気持はあっても、分け与える量がないのだった。

弁当を持たない一人に、“貧乏人”と呼ばれる男がいた。

滅多に学校には顔を出さないのだが、
彼は時折、新聞に包んで持ってきたものを、
教室の外で口に入れていた。

スイバと言われるタデ科の雑草だった。

「あれと遊ぶと、貧乏がうつる」

などと、まことしやかに大人に注意されたが、
何故か、僕はコッソリと遊んでいた。

“貧乏人”の食生活に興味を持っていたこともある。
誰にも遊んで貰えないことから来るのだろうか、
とても優しいところがあった。

その彼と妹・・・そう、この妹を気に入っていたのを、
今更に思い出すのだが、
キリッとした顔立ちの聡明そうな女の子だった。

彼女と会いたいことも手伝っていたのかも知れない。

既に、友達も、その妹の名前も忘れてしまったが、
今頃はどうしているのだろうか・・・

その兄弟と、野草を食べ歩いたものだ。

妹が、「あんちゃん、コレ、なえだ(何だ)?」
と聞くと、友人である兄貴は、

「貧乏人の食い物だ」
それだけ言っては口に運んでいた。

いま考えてみて思うのだが、
生で食べられるものが随分あったように思う。

桑の実や黄桃(さくらんぼ)はレベルの高い食べ物で、
キャラの実、
ヤマブドウの他に、ノビルやアザミなども生で食べたように覚えている。


それらの品々が、こじんまりと、体裁を整えて、
恭しく京懐石のように登場する。

一緒に食べている友人に、
「これ、貧乏人の食べ物だった」
と言うと、一様に・・・

「そうだよ!」

と返事が返って来た。
・・・あゝ、こいつ等もおれと同世代だ・・・

ところで、奴はどうしているだろう・・・
とりわけ、キリッと引き締まった顔立ちの妹は、
きっと素適な美人になったに違いない。

そんなことを、馬鹿話の合間合間に思い出しながら、
美味しい貧乏人の食べ物を堪能したのでした。

Posted at 20:26 | 生活日記 | この記事のURL
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こりゃ最高の贈り物だァ! [2007年05月01日(火) ]
今朝の出来事でした!

僕の住んでいるマンションの周りには、
自転車を留め置いている人が多く、
多いときには3〜40台が舗道に並びます。

コレ、全部違反駐車なんです!
(でも、放置じゃないです、置いてあるんです…置いて…)

僕の自転車も…その列の中に、
ちんまりと並んでいるのです。(スミマセン)

実は、マンションには駐輪場があるのですが、
月額2,500円・・・・・・

ちょっと高いかなァ・・・

さて、昨日は草臥れ果てて帰って来ました。
「靴が小さいのかなァ・・・」
自転車をこぎながら思ったことです。

いつものように、駐輪列に並べて鍵をかけ、
バッグを手にマンションの小さな部屋に戻りました。

「狭いながらも…楽しい(ことはないなァ!)我が家」です。

それから、明け方3時頃まで雑用を済ませ就眠。

7時過ぎに目を醒まし、
下のコンビニに飲み物を・・・
と、自転車を見ると、

前籠に、何やら入っています。

「・・・・?」

ビニールの袋に、様々な商品が詰まっています。

「おおッ…誰かからの贈り物か?」

ペットボトルの飲み物や、
焼肉弁当、温泉卵、チーズ、キムチ、果物の詰め合わせ・・・

よく、空のペットボトルやおにぎりの包装紙など、
歩きながらポイと放りこんで行く人がいるが、

「これは…すごい贈り物だァ!」

ありゃ…財布まで入っているじゃないか!!!

うん?…オレのだァ!

コレ全部、帰りにスーパーで買ったものだぞッ!

忘れていたんだァ!

財布には○万円は入っていたはず…あったァ!

昨日19時から12時間は経っている。

「お前、よく無事で・・・」感無量!

飲み物を買うのに、
ジャージのポケットに小銭があったので、
財布はチェックしなかった。

これは、朝から…
最高の「贈り物だァ」

バンザイしたい気持で、部屋に帰って来た。
何か、とてつもない贈り物を貰った気分で・・・・

エへへへへ・・・・

「今日は、朝から…縁起がいいや〜ッ!」

 チョ〜ン!

Posted at 12:53 | 生活日記 | この記事のURL
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たるんだ皺 [2007年05月05日(土) ]
2時間ほど前に、知人から電話が来た。
この連休を利用して、昨日に、
顔のたるみをとる手術をしたそうである。

来週会う約束をしていたのだが、
再来週以降にしてくれと連絡が来たのだ。

そんな今、はからずも、テレビの番組で、
顔のしわをのばした手術での成功例の、
話をしている・・・全くの偶然だ。

彼女の手術も上手く行っていることを祈ろう。

僕と同年齢だから、

顔にしわが出来るのも、

メラニン色素が顔に定着するのも、

表情に若々しさがなくなるのも、

いわゆる老醜が現れれてくるのは当たり前なのだ。


それが耐えられない・・・か?


・・・だから手術で取り払えるのか?

鏡を見てみる・・・

「・・・!」

なるほど!

鏡の向こうの、

自分の顔を覗き込みながら、

心のうちで、

聞いてみた・・・

「この顔以上に、
おれの心がたるんでいないか・・・・・?」って。

「弛みきっていないか?」

やはり、弛んでいるらしい。

答えが返って来なかった。

Posted at 23:53 | 生活日記 | この記事のURL
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裏返し [2007年05月11日(金) ]
ファッション談義

東京ミッドタウンの1Fフロアでの1コマ・・・

些か年配者だが、間違いなく坂戸から来た夫婦の会話。


リュックのネームプレートに坂戸市云々とありました。



「おい、あれ…尻だして歩いてるぞ」

「バカだね…流行りなんだよ」

「あれがか?」

「臍だしルックっていうの」

「だって、ありゃ、臍じゃない、尻だよ」

「ついでに出してるんだから、ジロジロみないでよ」

「おッ、こっち見て笑った!」

「バカだね…助べに思われるよ。それよりあっち!」

「うむ?」

「あの男、上着裏返しに着てないかい?」

「ありゃ、ホントだよ。ケケケケ・・・教えてやるか?」

「連れがいる」

「バカだなァ、一緒にいて気がついてねェんだよ」

「アベックでも他人事なんだよ。ありゃ上手く行かないねェ、きっと」

「まったくだ。オレなど暗闇でパンツ裏返しにハクことあるけどよ」

「恥ずかしいこと言うのやめてよ!

  …聞いているよ、そっちのお兄ちゃん」



「お兄ちゃん」とは僕のことだった。


とぼけるのも失礼なので、

「可笑しな世の中ですね」

と声をかけた。

が、これも、僕の気持の“裏返し”のことばじゃないのか・・・?

Posted at 07:05 | 生活日記 | この記事のURL
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何か…しなければ [2007年05月21日(月) ]
母親や幼児の殺害…
立てこもり銃撃事件…
日本の犯罪の質や形態が変わって来たといわれます。

僕が高校生でしたか…
バラバラ殺人事件がありました。
テレビや新聞で報道された後は、
食事ができないほどのショックを受けたのを覚えています。

また容疑者が、うちと同姓だったことにも、
衝撃を受けました。

ところがいまはどうでしょうか…
日常茶飯事化した事件になりつつあります。


いまM子さんは…

以前、音羽事件という女児殺害事件がありました。

護国寺を近くにし、
周囲には、
鳩山邸や山県有朋の屋敷跡、
椿山荘などがロケーションをつくり、
静かなところという印象があります。

江戸川橋付近の神田川

そこで、お互いに知り合いである間柄の中で、
子殺しが起きたのでした。

殺人犯として、現在服役中のM子さんと、
その旦那さんとは、
西日暮里の居酒屋で一緒に飲んだことがあります。

僕も、常連の友人として、ゲスト参加でしたので、
立場としてはM子さんと同じような立場でした。

控え目で、静かな奥さん…の印象でした。
常に伏目がちで、笑みをたたえ続けていました。

近くの寺に勤めている旦那さんは、
活動的で喋りも多い方でした。

二人をよく知る友人達は、
「今度は旦那じゃなくて、奥さんに来てもらいたい」
とか、
「これからは、必ず一緒に連れてきなさいよ」
…と、家に閉じこもりがちになる奥さんへの配慮を促す声が
ほとんどだったのを覚えています。

その後、グループの中から移転者が出たりして、
集まりも少なくなったと聞いています。

2年くらい経ったある日の報道に触れた瞬間、
「これは、あのM子さんが犯人かもしれない」
たった一度会っただけの女性ですが、
直感的に、そう思わせるものを、
僕の心に残していたのです。

数日後、犯人として逮捕されたのは、
直感通りのM子さんでした。

僕を飲み会に誘った友人に電話すると、
にわかには信じられなかった様子でしたが、
「やはり、そこまで行ってしまったのね」
…と、声を詰まらせました。

子殺しや親殺しが連続しているきょう日、
人の命というものを、
真剣に考えなければならない時にきているのではないのかなァ…

そこで、自分にできるものって何だろう。
また、やらなければならないことで、
やり残しているものは何だろう…

好天の空の下、音羽から護国寺への道を、
こんなことを考えながら歩きました。

Posted at 11:11 | 生活日記 | この記事のURL
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