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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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津軽三味線 [2007年03月20日(火) ]
一昨日、
表参道のレストランで催されたイベントで司会をしました。
6津軽じょんがら節
津軽あいや節
津軽甚句
黒石よされ節
津軽よされ節
…と続き、
白神山地の世界遺産記念イベントで、
秋篠宮の前で演奏したというオリジナル曲、
津軽の香
等々。
うろ覚えだが、津軽三味線に関する歴史の
薀蓄などを加えた喋りで申しわけありませんでしたが、
総計45分ほどのイベントでした。

僕らが先月上演したルナール作「にんじん」は、
¥7,000
今回の津軽三味線は、
¥11,000
しかも満席!
“♪何でだろう…何でだろう・・・?”
まんじ氏は地元での津軽三味線普及を中心に活躍中。
津軽三味線は本来、パーカッションの伴奏楽器として、
ゴゼさんの唄や語りの裏に入る伴奏音だったそうで、
新潟のゴゼ三味線が発祥の源と聞く。
北前船で北へ渡り、
津軽のボサマの門付芸として定着したらしい。
しかし皆さんの目にとまり、わが国独特の伝統芸として
世界に知られるようになったのも最近のことで、
高橋竹山さんが津軽三味線を演奏する姿をテレビで観て、
初めて知ったというのは、どうやら僕だけではなさそうです。

急激な時代の波の中に生まれ、
洗われ、育まれ、培われ、
いまだに成長し続けている伝統芸だと、
聴きながら感じました。

汲々として受け継ぐのが伝統の世界のようにも思えますが、
発見と変革を伴わない限り、
いつかは衰退するようにも感じます。

花鳥風月をもってして季を表す句の世界に、
外道とも思える蛙や蝉を加え、
静寂を表現して一石を投じた芭蕉がありましたが、
伝統の継承には、発展的な創造の世界との
融合がなければならないと思います。
静けさや 岩にしみいる 蝉の声
…だの、
“かわず飛び込む水の音”で静かさを表したように、
斬新な発想も必要なのかもしれないなァ・・・と。

まんじさんのオリジナル「津軽の香」の中に、
蛙か蝉かがあったかどうかは別として、
最近のコラボでも、どちらというとパーカッション的存在
を感じさせる叩きの楽器感が強いように思います。
…司会をしながら、いろいろなことを考えさせられました。

Posted at 08:58 | 司会生活 | この記事のURL
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あれ…この猫・・・? [2007年09月13日(木) ]
僕の稽古場への自転車のルートが

青山トンネル → 青山墓地 → 神宮銀杏並木 → 神宮球場裏
→ 幽霊トンネル → 稽古場だ。

銀杏並木から球場へ抜ける前の野球練習場から絵画館を望む場所に、
子猫が3匹いて、買って食べようと思ったノリ弁を分け合った覚えがある。

その子猫たちが、次の週にはいなくなっていた。

「あゝ、誰か飼う人がいて引きとられたな…」

と思ってホッっとしていた。

それが昨日、自転車で通りかかった同じ場所に1匹の三毛猫がいた。

それも目つきが鋭く、抜け目のなさを身につけた猫だった。

(上の写真の左にいる子猫も三毛猫だ。大きさは3倍くらいだ)

「えッ、あの中の1匹か?」

近づこうとしたした途端に茂みに逃げ込んで2度と出てこなかった。

「違うだろうな」

いや、違ってくれればいいと思った。

あの子猫は、勿論子猫のままでいるはずはない。

僕の勝手な思いだが、あのまま、子猫のままでいて欲しいような気持なのだ。

「可愛い」と拾った人も、僕と同じ気持ではなかったか・・・

そんなことも気になる。

大きくなって、可愛くなくなったので捨てる・・・

その猫がアレだったんじゃないか・・・

などと思いつつ、場所を離れた。

その日の夜のニュースで、

田んぼでワニが見つかった話題を放映している。

ワニの子どもも、トカゲのように可愛い存在だったろうと思う。

それが1メートルにもなると、

可愛さもなくなるし餌代はかかる、危険さも増す。

元ペット君のワニもさっきの野良猫も、

人間の勝手な気分の犠牲(者)かもしれない。

そういえば、僕も可愛い時期があった。

その時から数えると60年にもなる。

子どももできて、

「お父さんにそっくりですね」

「可愛いですね」

・・・と言われるのを、

「この子と同じように、僕も可愛い子どもだったのだろう」

それが

「子どもに引き継がれている」

僕の歴史でもある・・・などとは思わなかったが、

何処かに、そんな思いがなかったとは言えない。

今は、僕も抜け目なさを身につけた
老いの身になっているのではないだろうか・・・

こんなことを考えながら稽古場に急いだ。

むさい、きもい、くさい・・・でも生きているってところかなァ・・・

Posted at 12:08 | 司会生活 | この記事のURL
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披露宴司会 [2008年06月26日(木) ]
披露宴司会も30年になる。
最初は西日暮里の、
当時は千代田平安閣という式場だった。
「あそこはうるさい会館・・・」
といわれていて、
新人司会者は苛めを受けるとか、
泣かされる司会者が多くてね・・・
と聞かされていた会館であった。
(今はそんなことはないのだろうが)

そこでした生まれて初めての司会で、
ご祝儀を3万円頂いてびっくりした。
司会料金として手にするのが2万程度だったので、
ご祝儀の方が多かったのだ。
「これ、3万も入っていますが・・・」
何かの間違いではないかと思って、
お開きの後、新郎の親に聞いた。

どんな答えをもらったか忘れてしまったが、
あの時のご祝儀袋の厚さと重さは、
今もって忘れられない。

それから数年後、バブル景気に突入して、
毎週土日には、日に3組は当たり前で、
祝祭日や週日の婚礼司会を合わせると、
月に40組を越えた時もあった。
今は考えられないことである。

この間、司会のスタイルも変化してきたが、
最大の変化は、
おしゃべりの量が10分の1くらいになったことだ。

最初はのべつ幕なしでしゃべり続けた。
実況中継まがいのしゃべりで、
「さ、ただ今からご新郎(「様」をつけていた)、
ご新婦(様)のご入場のご案内を申し上げます。
どうぞお入り口にご注目いただきましょう。
どうぞ盛大な拍手をもちましてお迎えいただきましょう。
ご媒酌人ご夫妻(様)のご先導にて、
お二人のご入場でございます」
2時間(当時はほとんどが2時間披露宴だった)を
しゃべりまくるのである。
しゃべり続ける方が疲れないから不思議だ。

その頃結婚した後藤さんという方から、
「伊藤さん、探しましたよ」
・・・と電話が来た。
「覚えていますか?」
さっぱり思い出せない。
「打合わせで、伊藤さんは時間を間違えて、
4時に待ち合わせしたのを、
16時を6時と間違えて…」
ここまで言われて想い出した。
2時間送れて着いたのに、
新郎新婦の両親と兄弟姉妹みんなで待っていて、
レストランの予約までしてくれていた人たち・・・
喫茶店で2時間打合わせをして、
その後レストランで食事の予定だったという。

「じゃぁ、食事をしながら打ち合わせましょう」
…といやな顔一つしない家族だった。
今更ながら、
「あの時は失礼しました」
電話口でお辞儀をして謝った。
「実は長男の息子が今度結婚するんですが、
伊藤さんに司会をお願いしたいと思って」
…というのである。
「実は先日、僕の叔父が伊藤さんが司会する
披露宴に出席して、お前の司会者が今もやってたよ」
・・・と聞いて、息子の司会に頼みたいと言って来たのだ。
このお客さんは、今はなくなっている船橋の式場だった。
結婚式場も変わった。
ぼくも会館といわれるところで、
司会をしなくなって10年以上になる。

嬉しい話だ。
・・・が、残念ながら、その日は先客があり、
残念だが断わらざるを得ない。

後藤さんも残念がっていたが、仕方がない。
知り合いの司会者も、
大安の日曜日では2〜3ヶ月前からキープが入っている。

その結婚式が22日に終った。
父親の彼から苺が送られてきた。
無事に済んだのだろう。
そのうち電話が来る・・・・
かどうか分からない。

彼の子どもは一人だけだからだ。

Posted at 12:54 | 司会生活 | この記事のURL
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