今日12時から在京天童会(わがふるさと天童)があり、
4時からは、銀座で2次会・・・
戦後の食糧不足の中に育ったせいかと思いますが、
このようなパーティの度に、帰宅してから後悔します。
“食べすぎ”です。
目の前に出された料理は、大抵残さずに食べる癖があります。
「残しては勿体ない」感覚が刷り込まれているのだと思います。
60品目の殆どをよそってきて、片っ端から口に入れて行きます。
最後には、必ずご飯に手が行きます。
「おい…えげつないぞ、止めろ!!」
理性が叫び続けます。
…が、たかが理性、無意識の欲望に置き換わることは出来ません。
「あゝ、食いすぎたなァ・・・」
反省なら猿でもします。
しばし、その時は猿並みの反省をするしかないのです。
そして後の祭りなのです。
ま、2次会会場まで行く内に、多少はこなれるだろう…
と、虎ノ門から銀座4丁目まで自転車で、エッチラオッチラ・・・
「フ〜ッ…たいした運動ではなかった」
自転車を止めて、8Fのホールへ。
「えッ、こんなに食べ物があるの? …これ2次会だよ」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ…
「年なんだから、そろそろ弁えってものを考えなきゃな」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ・・・
「目の皮が重くなって来た。帰ろう。
「なァ〜んだ、お前、これから天童まで帰るのか」
顔だけは、如何にも同情したような表情を浮かべて、手を振って別れる。
銀座から自宅まで、自転車で帰り着き、
食に関する節操のなさに我ながら呆れ返る。
おれの育ちが、そうさせるのかもしれない。
13人集まっていた同級生たちの殆どが、
オレと同じ気持で、自己嫌悪を感じているのではないだろうか?
3度3度のご飯を食えなかった時代に、成長期を送ったオイラ達世代の
悲しくもあり、懐かしくもある、アンタッチャブルな餓鬼道なのかもしれない。
4時からは、銀座で2次会・・・
戦後の食糧不足の中に育ったせいかと思いますが、
このようなパーティの度に、帰宅してから後悔します。
“食べすぎ”です。
目の前に出された料理は、大抵残さずに食べる癖があります。
「残しては勿体ない」感覚が刷り込まれているのだと思います。
60品目の殆どをよそってきて、片っ端から口に入れて行きます。
最後には、必ずご飯に手が行きます。
「おい…えげつないぞ、止めろ!!」
理性が叫び続けます。
…が、たかが理性、無意識の欲望に置き換わることは出来ません。
「あゝ、食いすぎたなァ・・・」
反省なら猿でもします。
しばし、その時は猿並みの反省をするしかないのです。
そして後の祭りなのです。
ま、2次会会場まで行く内に、多少はこなれるだろう…
と、虎ノ門から銀座4丁目まで自転車で、エッチラオッチラ・・・
「フ〜ッ…たいした運動ではなかった」
自転車を止めて、8Fのホールへ。
「えッ、こんなに食べ物があるの? …これ2次会だよ」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ…
「年なんだから、そろそろ弁えってものを考えなきゃな」
な〜んて言いながら、ムシャムシャ・・・
「目の皮が重くなって来た。帰ろう。
「なァ〜んだ、お前、これから天童まで帰るのか」
顔だけは、如何にも同情したような表情を浮かべて、手を振って別れる。
銀座から自宅まで、自転車で帰り着き、
食に関する節操のなさに我ながら呆れ返る。
おれの育ちが、そうさせるのかもしれない。
13人集まっていた同級生たちの殆どが、
オレと同じ気持で、自己嫌悪を感じているのではないだろうか?
3度3度のご飯を食えなかった時代に、成長期を送ったオイラ達世代の
悲しくもあり、懐かしくもある、アンタッチャブルな餓鬼道なのかもしれない。
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at 20:04
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