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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

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貧乏人の食べ物 [2007年04月25日(水) ]

天童から出羽三山の羽黒山
湯殿山から寒河江川を下り
途中で山菜料理料亭に立ち寄る


≪山菜料理店「玉貴」≫

タラノ芽、こしあぶら、二輪草、こごみ、ふきのとう、あさつき、
うこぎ、うるい、木の芽、うど、行者にんにく、つくし、山ぶどう・・・
赤米、粟、稗…等の五穀米・・・

戦時中は記憶に薄いが、戦後の食糧不足の中、
今では山菜料理などといわれているものは、
飢えを凌いで食べていたものだ。

蛋白源には、当時は北海道から送られて来る
ニシンは食べられたが、季節を過ぎると、
塚の辺りにとぐろを巻いている蛇を捕まえては、
串焼きにして食べたりもした。

冬の学校では、
暖をとるだるまストーブの周囲に設けられた金網の棚に、
大小さまざまな弁当箱が並ぶのだが、
大根飯から発する異様な臭いや、
おかずに入れてきたタクアンの臭いが教室いっぱいに立ち込めた。
中には、焼きにんにくを入れてくる者もいて、
混濁の臭いに、ストーブ間近でムセル者もいた。

中には、弁当を持たずに来る者も数人いたが、
誰も分けて食べようなどとする者はなかった。
気持はあっても、分け与える量がないのだった。

弁当を持たない一人に、“貧乏人”と呼ばれる男がいた。

滅多に学校には顔を出さないのだが、
彼は時折、新聞に包んで持ってきたものを、
教室の外で口に入れていた。

スイバと言われるタデ科の雑草だった。

「あれと遊ぶと、貧乏がうつる」

などと、まことしやかに大人に注意されたが、
何故か、僕はコッソリと遊んでいた。

“貧乏人”の食生活に興味を持っていたこともある。
誰にも遊んで貰えないことから来るのだろうか、
とても優しいところがあった。

その彼と妹・・・そう、この妹を気に入っていたのを、
今更に思い出すのだが、
キリッとした顔立ちの聡明そうな女の子だった。

彼女と会いたいことも手伝っていたのかも知れない。

既に、友達も、その妹の名前も忘れてしまったが、
今頃はどうしているのだろうか・・・

その兄弟と、野草を食べ歩いたものだ。

妹が、「あんちゃん、コレ、なえだ(何だ)?」
と聞くと、友人である兄貴は、

「貧乏人の食い物だ」
それだけ言っては口に運んでいた。

いま考えてみて思うのだが、
生で食べられるものが随分あったように思う。

桑の実や黄桃(さくらんぼ)はレベルの高い食べ物で、
キャラの実、
ヤマブドウの他に、ノビルやアザミなども生で食べたように覚えている。


それらの品々が、こじんまりと、体裁を整えて、
恭しく京懐石のように登場する。

一緒に食べている友人に、
「これ、貧乏人の食べ物だった」
と言うと、一様に・・・

「そうだよ!」

と返事が返って来た。
・・・あゝ、こいつ等もおれと同世代だ・・・

ところで、奴はどうしているだろう・・・
とりわけ、キリッと引き締まった顔立ちの妹は、
きっと素適な美人になったに違いない。

そんなことを、馬鹿話の合間合間に思い出しながら、
美味しい貧乏人の食べ物を堪能したのでした。

Posted at 20:26 | 生活日記 | この記事のURL
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