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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

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裁くのは誰だ [2008年04月29日(火) ]
ぼくは死刑肯定者であることを予め書いておきます。

死刑の是非論は今に始まったことではない。
つい先日、山口県光市におきた母子殺害事件で、
俄かに死刑についての賛否が取り沙汰されている。

否、鳩山法務大臣の死刑執行について論じられ始め、
光市の母子殺人事件の被告に、
死刑廃止を唱える数多い弁護団が結成されたこともあり、
論議が活発になったのだと思う。

更に、来年から裁判員制度が始まることもある。

民族的、文化的に、
日本には死を以って償う罪意識があったように思う。

この光市の事件で、
妻と子を殺害された本村さんが、
どこかのテレビのニュース番組で語っていたことばを鮮明に覚えている。

「もし犯人が死刑にならずに刑務所を出てきたら、
わたしが自分の手で彼を殺します」

このことばだった。
ぼくは彼の思いとその怒りに共感した。
幸せを奪われた…などということではない。
人の命ということば自体に重いものがあるのは当然だが、
彼には、自らの存在そのものなのだと思えたからだ。
彼はまさに当事者なのである。

煮えくり返っているであろう気持を抑えに抑えても、
彼が言わなければならなかったことばではなかったのか…

ぼくは復讐を是とするものではない。
しかし正当防衛があり、
状況によっては過剰防衛になったにしても、
端の者が、被害に合う人間の思いに軽重をつけることは難しい。
これと同じように、復讐権を社会的に認めるかどうかは別にして、
本村氏にあってもいいと思えたのだった。

母子の殺害は残虐を極まるものだった。
加害者がどれほど謝罪しようが許せる犯罪ではない。
ところが、加害者は本村氏を侮辱し、
殺害に及んだ母子をも侮辱し続けた。
騒がれたので口を塞ごうとしたのが喉に手が行き殺してしまった…とか、
死んだ人間と性交したので強姦にはあたらない…とか・・・
本村氏の気持を逆なでするようなメッセージを発し続けた。

このような事実を歪曲して、
殺意を否定し、無実を主張する弁護団は何をかいわんやである。
安田(?)とかいう弁護団の親玉は、
人権派弁護士という紹介があったが、とんでもない話だ。
かれは本村氏の人権を無視し、名誉を毀損していたのではないか。
彼等と比較するのは申し訳ないが、
判決後の本村氏の冷静さに感じ入った。
無体さをさらして感情的な安田弁護士と実に対照的だった。

死刑でも、軽犯罪でも、冤罪事件がある。
司法が完全に独立した存在で、
厳正な判断がなされ、
今回の光市の母子殺害事件のような場合は、
死刑の量刑が下されて当然だと思う。

死を以って償わなければならない罪はある。

しかし、その裁きは誰がするのかという問題は、
別に論じなければならないと考える。

人として、その是非を論じなければならないのだろう。
復讐としてでは勿論なく、罰するということでもなく、
存在そのものを論じることから可否を決める方法があるのだろうか。

死刑を肯定しながらも、ここで常に躓いてしまうのである。

裁くのは誰だ!

Posted at 13:19 | 命を見つめる | この記事のURL
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