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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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演劇をしませんか [2007年04月04日(水) ]
この3月で退職して、
「もうフリーです。未来が洋々です」

川崎市の高等学校で、30数年教職について
定年を迎え、劇団に入ってきた女性がいます。

友人にも薦めたといいます。
特に男性教師で、
しばらくは家の中でゆっくりしたいと言う人に、
「せめて1ヶ月はいいとして、2ヶ月目からは劇団に来て、
“格好のいい自分づくり”をしようと約束してきた」と言います。

このコミュにも定年を迎えた方…いいえ昨年の定年組みも
数年前の停年組みも、どうですか…
一緒に演劇づくりしませんか?
うちの劇団ではなく、新しく立ち上げるのでも結構です。

50年、60年と積み重ねて培った存在感は、
若い演劇人の、競い及ぶところではありません。
それを生かした演劇づくりをしようではありませんか?

連日連夜、殺人事件の報道に接します。
例えば10年前を考えてみても、悲惨な事件が増えた・・・
と嘆いた覚えがありますが、
今日この頃の比ではなかったように思います。
何か、大変なことが起きているのではないのでしょうか。

数日前、多くの文化人の集まりに参加しました。
「何かをしなければならない」の声が交差します。

「何かをしませんか?」
ひと言のセリフから始めてもいいじゃないですか。
ある有名人が、中年以上の役者を募ると言えば、
数百人という人たちの応募があるという。
数十万という入所金や月謝も安いらしい。

何十万という出資は求めない。

こちらが欲しいのは、熱いハートだし、
「何かしなければ」という、少しの“差し迫った焦り”です。

始めに、東京をスタート点として、
全国にひろめて行ければいいと思います。
僕の劇団には、あきるの市、金沢八景、加須、
吉見、足柄の麓から稽古に通っている劇団員もいます。
稽古場は千駄ヶ谷ですが、同じ場所なら用立てられます。

この6月辺りを目途にして設立のつもりで・・・
賛同者はどの程度いらっしゃるか、
書き込みをお願いします。

少ないようでしたら、時期尚早として、
呼びかけを撤回します。

皆さん、如何でしょうか?

Posted at 23:17 | あしたに向かい | この記事のURL
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これ、本当に河童の仕業? [2007年04月06日(金) ]
土地によって、河童伝説は様々です。

友人から仕入れてきた話を一つ。

中山道沿いに、桶川宿、北本宿、鴻巣宿
…そして熊谷宿などの宿場町がありまたが、
それぞれの宿場に、少しずつアレンジしたような筋で
河童にまつわる話が残っています。

鴻巣といえば雛人形ですが、中山道沿いだけではなく、
陸奥、出羽などからも買い付けに来るほどの
質の良い雛を送り出していたようです。
誕生した娘に鴻巣雛を買えるのは、
地方でも裕福な家だったようですが、
碓氷峠を越えて、わざわざ買いに来るお大尽も
あったという古文書もあります。

鴻巣市にある「雛歴史館」は、倉を改造した展示室に、
貴重な“享保雛”や“古雛”が、所狭しと展示されています。
一見の価値はあります。

さて、河童の話ですが、
中山道沿いにある庄屋の家で起きた事件に始まります。

庄屋には、稀に見るような美しい娘がおりました。

「お父さま、お母さまお休みなさいませ」
きちんと座り、真っ白な手を重ね置き、
鈴を転がしたような美しい声で挨拶をします。

親が自慢するも無理ないことと、
近所の誰でもが認めるような娘でございました。

挨拶を済ませて、手水(ちょうず)に行き、
着物の裾を捲り上げ…
(これはいくら美しくかろうが、
そうでなかろうが大差のない行為ではあるが)
お小用をするのでありました。

「しゃ〜ッ」
…元気な音を確かめながら、かすかな鼻歌などを歌っていると、

お尻をサラッっと撫でられたように感じます。

「きゃ〜ッ、誰か来てッ!」…と絶叫するかと思いきや、

「・・・・?!」
声一つ出さず、かすかに首をかしげて、手水を出たのであります。

「気のせいかしら・・・」

娘は、そう思いながら、寝所に行き、ぐっすり寝入ってしまいました。

翌朝、目を覚まし手水へ入り、
お小用を足しましたが、何の異常もございません。

「やはり、気のせいだったかしら」

いつの間にやら、夕べのことはすっかり忘れて一日を終え、

「…お休みなさいませ」
の挨拶を済ませ、スケジュール通り手水に入り、
着物をはしょって、しゃがみこみ、お小用を出しました。

「・・・うん?」

何と、またまた昨夜と同じような感触がお尻にあります。

優しく、遠慮がちに、いとおしそうな触りかたで、
サラリ、サラリと撫でてくるのです。

いやな感じがしないとはいえ、手水の下から、
誰とも分らぬ手で舐めるように撫でられて、
そのままにしておくわけには参りません。

娘は、そっと前かがみになり覗こうとした途端、パタッと止んで、
それっきり尻は撫でられませんでした。

娘は、それ以上深追いはせず、
「明日こそ、何とか手の正体を確かめてやろう」
そう決断するや、5つと数える間もなく寝入ってしまいました。

まあ…この娘、よほど肝っ玉が据わっていたのか、
尻の撫で方が絶妙だったのか…
今では、確かめる術はありませんが、
いずれにしても度胸がよかったに違いありません。

夜が明け、手水に行っても、いつものように何事もございません。

さあ、夜になりました。

娘は、一方では、
尻を撫でられるのを待ち受けるよな自分の気持を振り払いながら、
今夜こそ正体を暴いてやろう…と、
お勝手から懐に包丁を忍ばせて手水に入りました。

「しゃ〜ッ!」

何事もないような元気なお小用の音を響かせていると、
またまた例の感触をお尻に感じます。

「来たな!」

娘は懐の包丁を握り締め、ひょんとお尻を持ち上げるが早いか、
手水の中に包丁を突き入れました。

「ぎゃ〜ッ!」

叫び声がしたかと思うと、
・・・ポトリ、切り取られた毛深い腕が目の前に転がっています。

そして、その切り口からは、緑色の血が流れ出ています。

なんと、それは河童の腕でした。

どうして分るかと申しますと、三本指で、指と指をつなぐように、
水かき様な物がついていたからでございます。

「お父さま、お母さま、このような手に、
わたしは毎晩のように尻を触られていました」

娘は打ち明けました。

≪つづく≫

Posted at 23:51 | 学ぶ?…遊ぶ? | この記事のURL
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河童の勘違い…河童はエロい? [2007年04月07日(土) ]
友人から仕入れた話ですが、昨日その友人から電話が来た。

「おれの話を随分翻案しているじゃないか。
おれの名前を入れてないから勘弁しておくが」
というものだった。ご免なさい。…今回は、更に翻案部分が上昇するかも・・・

親はびっくりして、

「河童だと? それも手水に入り込んで、おしっこをしている娘の大事なところを・・・」

娘は急いで、

「いいえ、大事なところは無事でございます。触られたのはお尻…尻っぺたです」

と抗議をしたとかしないとか。

怒り心頭に達した両親は、早速菩提寺の和尚に相談しました。

「ふむふむ…」

眼をつむり、…時々は薄目をあけ、
うつむいている娘の横顔をチラチラ見ながら聞いていた和尚、

「嫁入り前の娘だ。尻を撫でられたくらいで、まだよかった」

そして、長い顎髭をなでながら身を乗り出し、

「腕を切り取られた河童は直ぐ見つかる。
第一泳ぎに困っているはずだからな」

早速荒川に行き、顔見知りの河童に問うてみようと言います。

付き合いの広い和尚は河童にも知り合いがいたのでした。

娘を連れ立って、風呂敷に包んだ河童の腕を小脇に抱えた和尚と、
親達は荒川の岸辺に立ちました。

和尚は大きな声で、
「屁の河童ッ!」と叫びました。

すると、岸辺の葦がザワザワとしたかと思うと、
皿を頭にのせ、濃い緑色をした河童が、
ニュ〜ッと顔をのぞかせました。

和尚は、
「やあ、川の民よ、元気でござったか」
と声をかけました。

そしておもむろに懐から胡瓜を出して、
「朝摘み胡瓜じゃ。もう年だから、ゆっくり噛んで食ってくれ」
といい、

「実は、かくかく然々でな、この娘が健気にも切り取った腕を持って来た」
風呂敷をひろげて、それを見せると、河童は直ぐ合点が行った様子で、
「上甲河童の腕だ」

と言い、頭の皿に溜まった水を指先につけ、
パチンッ(例の亡きPマキ氏の“指パッチン”に近い)と指をはじくと、

水面を何かが走り、程なく、担架に横たわる河童を連れてきたのです。

「あッ、この顔・・・」
娘が言いました。

「わたしが切りつけた時、一瞬ですが見えた顔がこの人です…いいえ、この河童ですわ」

そう言うと、

「あなた、痛かったでしょう? ここに腕を持ってきましたが、くっつけるのに今でも間に合いますか?」

何という優しい娘さんではありませんか。

「あなたのお尻の撫でかたは素晴らしいわ。いつの間にやら、撫でられるのが待ち遠しくなっていたのよ」

和尚も親も慌てました。

「これ娘、何を言う!」

慌てて口を塞ごうとしましたが、娘はそれを振り切って話し続けます。

「でもね、あなたは河童、わたしは人の子よ。このまま先に進んでも、恋人にも夫婦にもなれない」

娘の目には涙が浮かんでいました。

「この世に生きとし生けるもの、全ての命はひとつです。それを人間だ、カッパだと分け隔て、
愛しいと思っても、恋をすることも、夫婦にもなれない。これはとっても悲しいことです。
でも神様が、そのようにお決めになったのでしたら、それに従うほかはございませんわ。
上甲河童さん、あなたにお尻を撫でられて、わたしきは幸せでしたわ。でもね、あのように
して撫でられたい河童の女は沢山いるはずよ。だから、あなたのあのテクニックを河童の
女性に使うべきだわ。でも、それも一人きり!…いいこと? これをお約束して下さらない?」

これには上甲河童も感動したのでしょう。

「お嬢様・・・こんなに嬉しいお許しのお言葉を頂けるとは。思いもよりませんでした。

これからは心を入れ変え、
河童の男として、しっかりしたアイデンティティ確立につとめます。

またこのご恩は生涯忘れるものではございません」

と、担架から起き上がり、
片手をついて、深々とお辞儀をするのでした。

「じゃァ、バイバイ!」

娘は何事もなかったかのように帰って行きます。

「はい、ありがとうございました!」

後姿を眺めながら、手水の中から手を伸ばし触った、白桃のようなお尻が浮かんでくるのを

必至に堪えながら、水中に顔を沈めるのでした。


ブクブク、ブクブク・・・・

さて、
その日の夜、

娘は何事もなかったかのように、

「お父さま、お母さま、おやすみ・・・」

の挨拶をして手水に入り、

相も変らぬ元気な音を立てて、

「シャ〜ッ!」

と、お小用を済ませるのでした。

ある日のことでございます。

習い事に行った娘は、友人との話に花が咲き、

ついつい遅くなったために、

友達の家の使用人に送ってもらうことになりました。


「お嬢様、お気をつけてくださいまし」

足元を提灯で照らしてもらい、そろりそろりと歩いておりますと、

突然、使用人の男が抱きついてきたのです。

「これ、なにをする!」

出そうとした声は、男の手で口をふさがれて、
うめき声にしかなりません。

力任せに押し倒され、裾を掻き分けた男は、
無理やり押し挿ろうとします。

もがきにもがいて抵抗しますが、
非力な娘の力ではどうにもなりません。


…と、その時、
「うッ!」とひと唸りしたかと思うと、男はのけぞるように後に倒れました。

「いまだ!」

娘は必至で、家へ走り帰りました。

「お父さま、お母さま・・・」


今さっき、かくかく然々で・・・と話す娘の顔を見ている親が、

「鏡を見てご覧」
…といいます。

出された鏡を見た娘は驚きました。

夢中で走ってきたので、痛さも感じなかったのですが、

顔には大きな傷がついていて、血が滴り落ちていたのです。

「うわ〜ッ!」

…そうです。口元から耳にかけて、大きな傷が走り、殴られたような痕もついています。

なんとも言いようのない、凄まじい形相でした。

数日が経ちました。

包帯にグルグルまきにされた顔ですが、治療の限りを尽くして、

今日が包帯を取る日なのです。

「痛くはございませんか?」

お医者がやってきて、おもむろに外していきます。

取り終わって、鏡をみた娘は、絶望の悲鳴を上げました。

「うわ〜ッ!」


その声は、十里四方に響きわったったと言われています。


無残なものでした。

口の端は引きつり、眼は半ば塞がり、閉じようにも閉まらない口からは、

よだれが垂れていました。


明るくて朗らかで、鈴を転がしたような声もきかれなくなりました。

娘は、表に出ることもなく、部屋からも滅多に出てきません。

庄屋の家には、毎日重苦しいものが漂っていました。

そのような、或る日のことでございます・・・

≪続く≫

Posted at 15:32 | 学ぶ?…遊ぶ? | この記事のURL
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今夜見る夢 [2007年04月08日(日) ]
東京ミッドタウンのガーデンを散歩している家族連れがいたが、
二人兄弟の下の子が、辺り構わずギャ〜ギャ〜泣いている。
兄が手にするものを自分に持たせてもらえないことに腹を立て、
抗議しているらしい。

この世は、自分だけのものではない・・・
小さな子どもにも分っているはずだと思うのだが、
理解のない親への求めや抗議の行為を受け止めてもらえず、
自分への無関心さに対して示す、“おれの世界を認めろ”
…という精一杯の意志行動なのかもしれない。

しかし、努力が報われないことを分ると、
衝動的でせつな的な行為に表現を一変させる・・・

子どもは暴力に訴え、兄や父親の足を蹴り始めた。
兄は無関心を装い、父は眉間にしわ寄せて、
「止めろッ!」のひと言。

知事選挙を済ませ、ホット一息・・・と思って来ている人もいたろう。
顔をしかめるなど、一様に不快感を露わにしているのが分る。

親には、この手の愚図りは慣れきっているようである。
気にするような様子は見せるのだが、関心は他に行っていた。
母親は携帯のメールを打ち続け、父は長男の動きだけに
付き合い続けていたのだ。

さて、愚図って泣いていたこの子は、
今夜どんな夢を見るのだろうか。

Posted at 18:56 | 生活日記 | この記事のURL
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河童の話…完結篇 [2007年04月09日(月) ]
さて、一昨日までの「河童」の続きだが・・・
最後まで書こう。


娘は、部屋に閉じ篭り、数日たったある日のことでございます。
雨戸の外は冬なのでございましょう。
からからと乾いたような風が、木々の枝を揺らしながら通り過ぎる
音が聞こえておりました。

いくら部屋に閉じ篭っていても、
手水には行かなければなりません。

隙間風に衿をかき寄せながら、部屋を出て手水への廊下を歩いておりますと、

「みよ様…」

あゝ、そうでした。
これまでは娘というだけで、名前を言うのは初めてでした。
そうです。娘の名前は、みよと申します。

その声は、雨戸を隔てた外からの声でございました。

「みよ様、わたしは上甲河童でございます」
と、遠慮がちですが、聞き覚えのある上甲河童の声でした。

「先日、みよ様が男に襲われたときに、その男の頭を殴りつけたには、
他でもないわたしでございますが、駆けつけたのが遅すぎました。
そのために、みよ様は負わなくてもいい傷を負ってしまいました」

これを聞いた娘は、声の近くにしゃがみこみ、
「上甲河童さん…ありがとうございました。やはりそうでしたか」

男が仰向けにのけぞり、手の緩んだ隙を見て逃げ出しましたが、
あれは、誰かが自分を助けてくれたのだと信じておりましたから、
それが上甲河童だったことを知り、大変慶んだのでした。

「ありがとう、上甲河童さん」
でも自分は醜い顔になってしまったので、上甲河童さんにも
今の顔は見せたくない。
心から感謝しますが、今夜はこのままお帰り頂きたい…と、
涙声で語るのでした。

「みよ様…」

上甲河童は、続けて言いました。

「直ぐにでも、お見舞いに伺いたかったのですが、
ついさっきまで、薬づくりをしていたのでございます。
無理を申しますが、この雨戸を開けて、みよ様のお顔に、
この薬を塗らせて頂けませんか?」

そして…
「お願いします」
と泣き声に近い声で訴えるのでございます。

娘は、返事もしないままに雨戸を開けて、
「さァ、外は風が強いですから、中にお入り下さい」
招き入れて見た河童の腕は、しっかり二本ついていて、
廊下に座るなり、ちゃ〜んと両の手をついて、深々とお辞儀をします。

「まァ、良かったわ。腕が治りましたのね。ちゃ〜んと治ったの?」
娘は、まるで自分のことのように喜びを表してくれます。

上甲河童は心底から感動したのです。

あゝ、人間世界に、こんなお方もいらっしゃる…、そう感じると
しみじみと娘の顔を眩しそうに眺め続けておりました。

「ひどい顔ですか?」

「いいえみよ様…今のままでも、みよ様のお顔は、あなた様のお心を
映して眩しいほどにお美しゅうございます。でも、わたしのつくった
薬を塗らせて頂きたいのでございます。七日と八日、寝ずに作った
薬でございますが、お試し頂けますか?」

懐から取り出したのは、小さな素焼きの壷でした。

「まァ、そんなご苦労をなさってお作りになった薬を、よろしいのですか?」

「何をおっしゃいます。勿体ない…」
といいながら、壷の蓋を取り、メンソレータムに近い塗り薬を指ですくい、
娘の顔の傷に沿って、丁寧に塗って行きます。

「痛くはございませんか?」
優しく、そっと塗っていく河童の目は、真剣そのもので、
直したいという思いが、眼の奥に、光となりきらめいていた…

これは、娘が後ほど友人にもらした話でございます。

概ね、壷の薬の全てを塗り終わる頃、
娘は顔の皮膚が強い力で引っ張られるような痛みを感じました。

「・・・!」

「堪えてください。ほんの僅かだけですから、堪えてください」

上甲河童は、娘の身体を抱きしめて、痛みを和らげようとしたのでしょう、
そっと尻に手を回してさすり始めたのです。
その感触で、娘は落ち着きました。

痛みも感じなくなりました。

そうして抱き合ったまま、数分が過ぎました。

娘は、眼が覚めたように我に返ったのは、
夜も白々明け始め、軒下に雀のさえずりが始まったころでございます。

「あら、わたしはどうしてこんなところに…?」

雨戸は開け放たれたままでしたから、まぶしい光がさし込み始めたのです。

「あゝ、部屋に閉じ篭っていたわたしは、この光を忘れていたのだわ」

でも、来てくれた河童から薬を塗ってもらったことが、
現実感を伴わない夢のようでしかありませんでしたが、
心地よい河童の手触りが、お尻の辺りに微かに残っているのだけは、
感じられたのです。
「そうだった。何日もかけてつくったという薬を塗ってもらって、

お尻を撫でてもらいながら、いつの間にか寝入っていたのかもしれない…

途端に幸せな気分…浩然の気を覚えるのでした。

孔子さんのお気持ちもこんなだったに違いない・・・

曰く言い難い気持を味わいながら、
手水に行き、
久々のように解放された気分で、お小用を済ませたのでした。

昨日までは、このまま部屋に戻るところでしたが、
何のためらいもなく、表に出てラジオ体操・・・失礼、
今に例えれば、そんな気分だったのでしょう、
庭掃除をせっせと始めたのです。

そして起きだした近所の皆さんと、大きな声で挨拶を交わすのでした。

「・・・?」
自分で自分に不思議さを覚えて、急いで家に飛び込むと、
鏡の前に立ちました。

「あッ?」

昨日までの引きつった顔は、そこにはありませんでした。
傷は治り、引きつりも治り、元通りに戻っていたのです。

「上甲河童さんのお薬のおかげだ!」

娘は直ぐに父と母を起こして昨夜の話をして聞かせました。

「あゝ、ありがたいことだ!」
母は、仏壇に両手を合わせ、
「ありがたい」を繰り返しておりました。

娘は以前にもまして明るく朗らかになりました。

これで、めでたしめでたしと終わりたいのですが、
3日毎に、娘が手水に行く度に小さな壷に入った
練り薬が置かれておりました。

それと一緒に、一度は「詫び状」、
二度目からは、「上甲河童の近況」の綴られた、
書状が添えられていたということです。

娘はその後、怪我や傷などで悩んでいる多くの人たちに薬を売り、
上甲傷薬として江戸末期まで続いたということでございます。

それが
今に伝わっていないのは、
上甲河童が他界したことが最大の理由のようでございます。


人に対する何らかの戒めとして河童の話が残っている場合が多い。
今回得た河童の話にも、その気配を感じる。
河童は人に近い風体をしている。
しかし純情さや、几帳面さは人間の及ぶところではないように思う。
わたしの住んでいる近くに、東京ミッドタウンが出来て、裏側に、
ガーデンが出来、渓流を流して池を作った。考えてみれば、
明治神宮も人工の神社林である。
ただ、自然林に近いものにしようとすれば、
人間が手を加えずに、とびゲラや、ダニ、ダンゴ虫、
ミミズなどにお任せしなければならないし、
それを営々として継続することも必要です。

無理だろうなァ・・・
ということで、ガーデンに河童を誘致したいと考えたが、
手を加えずに…という訳にもいかないだろうし、
決して環境もいいとは言い切れないので、
新知事に断わりなく、河童にはお断りの通知を入れた。
終わります。

Posted at 08:54 | 学ぶ?…遊ぶ? | この記事のURL
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生きていた井戸 [2007年04月12日(木) ]


山手線“原宿”駅には、明治神宮への出口と、
竹下通りへの出口があります。

竹下口を出てすぐ左へ行った突き当りには、
軽井沢や那須へ向かう天皇や皇后が乗り降りした、
御料車用の駅舎があります。
最近は使っていないようですが、
以前と変わらない姿をかいま見ることが出来ます。

明治神宮側に降りると、
週末はコスプレ人種のメッカになります。
ここは、時代の先端を行くマニアッファッションの
登竜門といえるかもしれません。

竹の子族もここで生まれたように思います。

そこから一歩、歩を進めると
鬱蒼とした神社林に包まれる明治神宮に入ります。

この神社林が人工の森だということを知る人は少ないなず・・・
およそ100年前、数万人の人たちが苗木を持って来て植えたのが、
この神社林の始まりだといわれます。

しかし、手付かずの原生林と見まがうようなところがたくさんあります。
毎年落ちる葉や、倒れた樹木も他所に捨てずに、
全部をそのまま林の中に戻しているのだそうです。

掃除の全てを林の木々や、棲んでいる微生物に
お任せしているのだそうです。

そして、営々として培われてきた結果が、
今の明治神宮の神社林なのです。

その一角には、加藤清正が掘ったといわれる井戸もあります。
「清正の井」と呼ばれます。

清正といえば、虎退治で知られています。

その人物が掘った井戸などという話を、
俄かに信じることは出来ませんが、
一方、土木の神さまだったなどという言い伝えを聞くと、

「信じてもいいか」
…という気にもなってきます。

カサカサに乾いたように感じる東京の中にも、
今でも、ささやかかも知れないが、
清水を湧き立たせ続けている井を覗き見て、
かけがいのない宝物を見つけたようにも思えたのした。

Posted at 01:17 | 生活日記 | この記事のURL
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幽霊トンネルの住人 [2007年04月13日(金) ]


僕らの劇団の稽古場は、
原宿駅に程近い神宮前と千駄ヶ谷にあります。


この地域は、
面白いほど様々な伝説が残されています。
僕の住んでいる赤坂から六本木近辺もそうですが、
これらを調べ歩いたら面白いだろうと思います。

一時、「時代に合わない」とか、
「旧弊を排除する」などといわれ、
新しいものを追い求める時代に入った
・・・などと言われていましたが、

積み重ねた歴史を土台にしない新しいのものは、
実は、
存在しないということに気づかなければなりませんでした。


考えてみれば、わたし達人間の生活は、
全てがリアクションであることに気づかされた、
ということでしょうか・・・

アクションを起すのは神様なのかもしれませんね。
(僕はノンクリスチャンですが、そんな風に思うのです)


さて、僕らの劇団が稽古する場所から
5分くらいのところに、
幽霊トンネルなどと言われるトンネルがあります。

近くに、首無し地蔵もありますが、
今回はトンネルの話です。

僕は稽古のために、週一回は、
自転車でこのトンネルを往復します。

心霊スポットと騒がれて久しいのですが、
神宮外苑側からトンネルに入った直ぐのところに、
一人のホームレスが住んでいました。

いました・・・と言いますのは、
いなくなって2ヶ月ほど経つからです。

照明のせいもあるのでしょうが、
トンネル内を通る人の顔は灰色に見えるのです。

そのホームレスの男性の顔をはっきり見たのは、
3〜4回であったと思うが、その度に、
顔色の悪い男だなァ・・・

あれじゃ、幽霊スポットにピッタリじゃないか・・・
こんなことを思ったものでしたが、
一度だけ声をかけたことがあるのです。

「身体、大丈夫なの?」
・・・このひと言です。

小便のアンモニアの臭気も漂っているので、
気分のいい声かけではありませんから、
愛想の良い返事でも返ってくるなら、いざ知らず、

「・・・?」

胡散臭そうな顔を向けられて、
二の句も継がず、
そのまま立ち去ったのでした。

それからというものは、
その場所は自転車で通過するだけ、
横光利一じゃあありませんが、
路傍の石のように、もく殺する場所になっておりました。

それが、
ある日から・・・彼の姿は、ないのです。

そして彼の定居していた場所に、
ささやかな花が、ビンに挿されて置いてありました。

・・・あゝ、死んだな・・・

即座に感じたことで。

それから、数回行き来していますが、
ず〜っと、
彼の姿を見ることはありませんでした。

また・・・
花を見たのも、その時の一度だけでした。

心霊スポットに住み続けていた彼には、
身内もいなかったのだろうか・・・

いまごろは、
時々さまよい出るという霊と一緒に、
トンネルにすみ続けているのかもしれません。


来週も、そのトンネルを通って稽古場に行きます。

<写真:見るからに寂しい「千駄ヶ谷トンネル」>
えッ・・・もしかしたら、来週会えるかも知れないですって?

Posted at 17:03 | 生活日記 | この記事のURL
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首なし地蔵 [2007年04月16日(月) ]
劇団の事務所は自宅兼用にして赤坂においてありますが、
コレ、窮余の一策・・・
公演赤字がかさみすぎて、さいたま市からの通いを考えれば、
居住していたほうが、専従としてデスクも兼ねられるという申請を、

代表を始め劇団員全員が承認してくれたから実現しました。
以来、赤坂住人として、都内のほとんどを自転車で走り回っています。

稽古場までも自転車で行きますが、ルートはいくつかあります。


中には、春には桜、秋には銀杏…と、恵まれたルートもあります。
桜は2箇所、銀杏も2箇所ありますが、今年の桜はガッカリでした。
神宮外苑は有名ですが、穴場は青山墓地…
様々な露店も出て賑わいますが、千鳥が淵のようではありません。
ま、墓地だから…と言えなくもありませんが、道路の両側にある桜並木は
見事ともいえるものです。来年にでも是非!

今月からマンションの側に出来たガーデンは、元防衛庁内の桜を移植しただけで、
本数はいまいち。ま、来年も、それほど期待は出来そうにありませんね。

ところで稽古場に程近いところに、
“首なし地蔵”と言われる石像があるのですが、
驚くことに、「首」はちゃ〜んとついているのです。

一名「身代わり地蔵」とも言われていますから、
由来に理由があるのだろうと調べてみると、
まさにそのとおりでした。

さて…江戸時代に、話はさかのぼります。

この千駄ヶ谷近辺に、
ある大名の下屋敷があったそうです。

殿は忙しく、留守役の男とお妾さんの二人を残して
外出することが多かったそうです。

ある日のこと、殿が大事にしていた壷を、
留守役の男がふとしたはずみで落とし、
割ってしまったというのです。

立腹した殿の怒りは一通りではありませんでした。
上様から賜った大事な壷で、
殿は手打ちをも辞さない剣幕でした。

そこに立ち塞がったのはお妾でした。
殿の留守がちの家を守る妾にとっては、
かけがえのない頼みとなっていた留守番です。
「わたしの命と引き換えにしてでも」
助けては下さらぬか…などと言われた殿の怒りは
一層激しさを増したのでした。

留守役といっても、今で言えば
ジャニーズ系ともいえそうな二枚目の青年です。

「そこまで言うのは、
わしのいぬ間に密通した証拠に違いない…」
そこに直れ…と、振り向きざま、
妾の首を目がけて刀を振り下ろしたのでした。

すると、どうでしょう・・・キ〜ン・・・
という音とともに、刀が真っ二つに折れたのです。

「うんッ!?」

妾は気を失って倒れましたが、
首には傷一つついていません。

・・・と、その時、庭先で・・・ドスン

鈍い音がしたのです。そして留守役の男の声がしました。

「殿、お越し下さい。庭先の地蔵の首が落ちております」

その夜は、殿も妾も留守役の男も口を利かなかった。
屋敷の空気は重苦しく沈んでおりました。

一睡もせずに夜を明かした殿は二人を目の前に座らせ、

「すまなかった。地蔵は自らの首を落として、
お前を救ってくれたに違いない。
いや、斯く言うわしも救われたのだ。
無実のお前を手打ちにしようとしたし、
上様に賜ったものとはいえ、
人の命に勝るものはない。
猜疑心のかたまりであったわしの心根を正すために、
この大切さを教えるために、
己の首を落としくれた。
地蔵は我が家の宝だ、
玄関先に祀って大切にしたい」

このように言う殿も、本来はよく出来た人物だったと

いえるのかもしれません。

それを証拠立てる逸話です。

このような話は大抵封印されて

表には出ないものですが、
地蔵に手を合わせては、道行く人に殿自らが、
首の離れているいきさつを語り聞かせ、
「何か不都合があったら、
この地蔵が身代わりになってくれますから…」
と言って、地蔵に頼むことをすすめたというのです。

ところがある朝、地蔵の首はなくなっていました。
いくら周囲を探しても見つからなかったそうです。

以来200年以上、“首なし地蔵”という名と、
“身代わり地蔵”の両方の名で呼ばれるようになりました。

しかし、誰かが修復したのでしょう
…石の質も違いますから、以前の頭でないことは
確かですが、余りにも不憫だと感じたどなたかが、
一生懸命に彫った頭をのせてくれ、
落ちないようにとセメントでつないだに違いありません。

Posted at 14:47 | この記事のURL
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知らなかった『がま由来』 [2007年04月17日(火) ]
渋谷区神宮前にビルを持ち、
一階フロアを美容院に貸し、
2階フロアは・・・
あまり詳しく書いてしまうと、
「あゝ、あそこだ・・・」と、直ぐ分かってしまう。
個人情報漏洩につながりかねないので、
ここで…ストップ!

実はこの劇団員は、屋上に小さな庭を造り、
池にはガマ蛙も飼っている。(…らしい)


奥方や娘達は、彼のこの趣味にはついて行けず、
大反対だったようだ。

説得に苦労したらしいが、
折角造った池も放っておくとボウフラが湧き、
蚊が発生するとか…誤魔化しと、
妙な脅しをかけて、話題をそらすことで
がまの居住権を獲得したたのだという。

だが、このガマ(蝦蟇)という生き物にまつわる
民話や伝説も多いのに驚く。

ではその一つ、
住まいから程近い麻布の「がま物語」を簡単に・・・

聞きかじった話なので、
途中からはなし道に迷うのが僕の悪いところだ。
が、今回はあらましだけを書くことにしたい。

さて、東京が江戸といわれていた頃でございます。

ま、江戸の名物といえば“火事”と“喧嘩”といわれておりますが、
いえいえとんでもございません。

そそっかしさ、思い込み、やせ我慢、強がり、
お節介焼き…から来る
涙もろさに人情味も名物と言えなくもありません。

…ただしコレ以前の話じゃないかなァ。

麻布近辺も火事の多いところで、
なかなか火事に遭わない家がありますと、

「あそこの親父は付き合いが悪いと思ったら、火事でも同じだ」

とんでもない陰口までたたかれる始末でございました。

三年と経たない短い間に、二度の火事に見舞われましたが、
その言うところの、“付き合いの悪い”一軒の家がありました。

「隣りまで全焼したのに、あそこだけは焼け残った」
「何か、マジナイでもしてるなら聞こうじゃないか」

焼け出された連中が、雁首そろえて訪ねて行きました。
すると家人は、「この池のせいでしょうか」

池に案内致します。

と、池には水がほとんどなく、少しばかり残った
水の中に、大きなガマ蛙が一匹昼寝をしておりました。

家人は、
「夕べの火事で、一生懸命水かけをしておりましたから、
草臥れて寝ているのでございましょう」

こう説明したといいます。

付け加えて、
「わたしも懸命に水かけを手伝っているうちに、
火傷をしましたが、ガマが流した汗を煮つめて
塗りましたところ、ご覧のように完治しました」

これには、皆、二度びっくりです。

これはいいことを聞いた・・・と、ガマ蛙を集めて汗をかかせ、
それを煮つめ、「ガマの油」として売りましたところ、大人気。

いつの間にやら・・・「やァやァお立会い・・・」と言いながら、
きわどいパフォーマンスを見せて、
商売にする者まで現れたのだそうでございます。

麻布の住民は、売ったお金で家を建て直し、
池を作ってはガマを飼うようになったそうでございます。

以後数百年を経て、高級住宅街と言われるまでになりましたが、
果たして、どれだけの家がガマを飼っているか分りません。

喉もと過ぎれば熱さ忘れる・・・など諺がございますが、
言い伝えを大切にするなら、麻布から六本木まで、
ガマ効用を見直してもいいように思うのでございます。

どんどはれ!

・・・やはり、聞いた話とは少々違いますが、
お許しいただきたいと思います。

ところで友人に、
それで、ガマを飼っているのか?
…と聞きましたら、


こんな話は、聞いたこともない…とのことでございました。

Posted at 01:09 | この記事のURL
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がま由来は蝦蟇じゃなくて蒲? [2007年04月18日(水) ]
<太>前のブログに麻布の蝦蟇の話をかいたところ、
今、麻布の何処を探しても蝦蟇の形跡はないという。


ま、火事を消した “蝦蟇” というのも荒唐無稽だし、
火傷した家人が、蝦蟇の汗を煮つめる
・・・というのも、
理由もつまびらかにされていないし、
突拍子のない話でもある。

さて、これは蝦蟇ではなく蒲ではないか
・・・と考えてみた。

麻布界隈には、池もあったろうが、
渋谷川から目黒川に名前を変え、
渋谷から白金近辺の四の橋、
三の橋と流れてきて、麻布近辺から一の橋、
更に芝を通って品川へ・・・

この河川の両岸には、かつて葦や蒲などが生えていたに
違いない・・・と考えたのです。

大体、四方に鏡を張り巡らせて、
蝦蟇に脂汗を出させよう…などと
考えるだけで嘘っぽい臭いプンプン・・・ではないか。

では何故「蝦蟇の油」などという奇想天外な薬が
売られていたかである。

その製法はいざ知らず、売られていたのは事実であり、
年配者紳士淑女諸君は、祭りや縁日で売り屋の
口上を聞いたに違いない。

「さあさあお立会い。ご用とお急ぎでない方は
ゆっくりと聞いておいで・・・」

癇の妙薬といわれる孫太郎蟲や、
精力剤と言われる赤蛙と並んで、
蝦蟇の油が出てくるが、
派手な口上でお客をひきつけるのは、
蝦蟇の油売りにかなうものはいなかったに違いない。

これも伝説の域を出ないが、筑波山にある寺の和尚・・・

実はこの和尚、蝦蟇によく似た顔だったそうだが、
持ち歩く薬が、怪我などによく効いたらしく、
蝦蟇和尚の油として評判をとったらしい。

これが、いつの間にやら、
「蝦蟇の油」になったという話があります。

では、麻布の“がま”は、ガマではなく、
がま・・・なのだろうか????

因幡の白兎が、赤むくれの身体を横たえて、
治癒したと伝えられている…

あの蒲の穂に違いない・・・というのが、
これまで推測しうる僕の結論です。

確かに、蒲には止血作用や利尿作用もあるといわれます。

ですから『しらなかった…ガマ由来』は、
蝦蟇由来ではなく蒲由来だったともいえそうです・・・


どんどはれ!

Posted at 10:50 | この記事のURL
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