シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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 [2007年04月20日(金) ]


僕には、可愛い妹がいます。
・・・と言っても、僕の妹なので婆ァさんですが・・・

埼玉県の羽生というところに住んでいます。

羽生といえば、田山花袋の「田舎教師」の舞台で、
利根川に程近いところです。

最近、徒歩10分圏内に温泉が出て、
4つくらいの露天と屋内の風呂を合わせると、
巨大なレジャーランドです。

東京からの交通手段は東武伊勢崎線です。
1時間に2〜3本の運行ですから、不便さは否めません。
そんな所ですが、最近は住宅が増えました。

並行して、スーパーマーケットなども出来ています。

これからの時期、夜に遊びに行くと賑やかな所です。

♪蛙の歌が・・・聞こえてくるよ・・・

集団になると、その賑やかさたるや猛烈なものです。

ギャ〜ゴ、ゲーゲー、ギャ〜ゴ、ゲーゲー・・・

妹が、「兄ちゃん、画を見てくれる?」

はがきや色紙などに書いたものと沢山持ってきました。

結構上手いじゃないか・・・

その一枚を貰って帰ろうと思えば、「貰ってくれる?」
・・・と、十数枚を貰ってきました。

これから、少しづつ掲載しようと思います。

わが妹ながら、なかなかだと思います。

一時期、音楽家になってもらいたいと思って、
音楽学校をすすめて勉強させたのですが、
気まぐれな妹で、
いつの間にか家庭におさまってしまいました。

画を描き始めたという妹の表情を見て、

「前と較べて、何となく若くなったかなァ・・・」

そんな感じを受けています。

Posted at 12:24 | この記事のURL
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妹…2 [2007年04月20日(金) ]
わたしには絵心がないから・・・
「見た通りに描くだけ」

…という妹だが、本気かね〜?

「ははァ〜ん、奥床しく聞こえるが、自慢のメッセージだァ!」

『上手いでしょう』
を、言い換えただけじゃないか。。。

でも、こんな妹は…可愛い60ウン歳!

Posted at 13:04 | この記事のURL
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即身仏 [2007年04月24日(火) ]
小学校時代の同級生SKの運転で
雨中、寒河江川に沿って出羽三山へ向かいました。

出羽三山といえば、
森敦の小説にもある月山、湯殿山、羽黒山があり、
山形を縦に二分する連峰です。

森敦の「月山」は、還暦を過ぎ、自らの再出発の思いで
筆を執ったという会心作というのですが・・・

山の手線をグルグル周りながら書いたという話を
聞いたことがありますが、真偽の程は分りません。

学生時代に途中まで読んで古本屋に持って行き、
金を借りて、取りに行かず流してしまったのは覚えて
いるのですが、中身はほとんど記憶に残っていないのです。

そのせいで、月山を眺めるとその思い出が蘇ってきます。
…ところで、まだ読んでいません。

芥川賞をとった作品で、「Oh!ふるさとの山…」
という意識で買い求め、またその内に買って読もう
・・・がこの始末です。

月山は余談で、僕が行ったのは山伏の修験場で
有名な羽黒山です。


出羽神社(いではじんじゃ)があり、
三山の神々を合祀する山が羽黒山です。
出羽三山は、でわさんざんと呼びますが、神社は、
いではというそうです。

御朱印は、この神社で求めました。

甘酒を飲み、お土産を買い、
雨中友人の車で湯殿山へ向かいました。

折角のことですから、即身仏を拝礼しよう・・・
瀧水寺大日坊に立ち寄りました。

山道をくぐると、横切る流れが石畳を越え、
小川のような中に歩を進めてたどり着いた古刹大日坊でしたが、
商売(?)熱心な住職の説明に耳傾け、即身仏を拝礼しました。

写真は禁じられていますので、
ここの写真はリーフレットからの転載です。

Posted at 16:34 | 生活日記 | この記事のURL
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貧乏人の食べ物 [2007年04月25日(水) ]

天童から出羽三山の羽黒山
湯殿山から寒河江川を下り
途中で山菜料理料亭に立ち寄る


≪山菜料理店「玉貴」≫

タラノ芽、こしあぶら、二輪草、こごみ、ふきのとう、あさつき、
うこぎ、うるい、木の芽、うど、行者にんにく、つくし、山ぶどう・・・
赤米、粟、稗…等の五穀米・・・

戦時中は記憶に薄いが、戦後の食糧不足の中、
今では山菜料理などといわれているものは、
飢えを凌いで食べていたものだ。

蛋白源には、当時は北海道から送られて来る
ニシンは食べられたが、季節を過ぎると、
塚の辺りにとぐろを巻いている蛇を捕まえては、
串焼きにして食べたりもした。

冬の学校では、
暖をとるだるまストーブの周囲に設けられた金網の棚に、
大小さまざまな弁当箱が並ぶのだが、
大根飯から発する異様な臭いや、
おかずに入れてきたタクアンの臭いが教室いっぱいに立ち込めた。
中には、焼きにんにくを入れてくる者もいて、
混濁の臭いに、ストーブ間近でムセル者もいた。

中には、弁当を持たずに来る者も数人いたが、
誰も分けて食べようなどとする者はなかった。
気持はあっても、分け与える量がないのだった。

弁当を持たない一人に、“貧乏人”と呼ばれる男がいた。

滅多に学校には顔を出さないのだが、
彼は時折、新聞に包んで持ってきたものを、
教室の外で口に入れていた。

スイバと言われるタデ科の雑草だった。

「あれと遊ぶと、貧乏がうつる」

などと、まことしやかに大人に注意されたが、
何故か、僕はコッソリと遊んでいた。

“貧乏人”の食生活に興味を持っていたこともある。
誰にも遊んで貰えないことから来るのだろうか、
とても優しいところがあった。

その彼と妹・・・そう、この妹を気に入っていたのを、
今更に思い出すのだが、
キリッとした顔立ちの聡明そうな女の子だった。

彼女と会いたいことも手伝っていたのかも知れない。

既に、友達も、その妹の名前も忘れてしまったが、
今頃はどうしているのだろうか・・・

その兄弟と、野草を食べ歩いたものだ。

妹が、「あんちゃん、コレ、なえだ(何だ)?」
と聞くと、友人である兄貴は、

「貧乏人の食い物だ」
それだけ言っては口に運んでいた。

いま考えてみて思うのだが、
生で食べられるものが随分あったように思う。

桑の実や黄桃(さくらんぼ)はレベルの高い食べ物で、
キャラの実、
ヤマブドウの他に、ノビルやアザミなども生で食べたように覚えている。


それらの品々が、こじんまりと、体裁を整えて、
恭しく京懐石のように登場する。

一緒に食べている友人に、
「これ、貧乏人の食べ物だった」
と言うと、一様に・・・

「そうだよ!」

と返事が返って来た。
・・・あゝ、こいつ等もおれと同世代だ・・・

ところで、奴はどうしているだろう・・・
とりわけ、キリッと引き締まった顔立ちの妹は、
きっと素適な美人になったに違いない。

そんなことを、馬鹿話の合間合間に思い出しながら、
美味しい貧乏人の食べ物を堪能したのでした。

Posted at 20:26 | 生活日記 | この記事のURL
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