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50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

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本物のカレーとコンビニ文化 [2008年02月03日(日) ]
昨日、
友人との待ち合わせで東京駅に向かった。
自転車は寒かったが、溜池から虎ノ門を回り、
霞ヶ関、皇居前を通り東京駅までのルートだ。

入場券を買って構内に入り友人と会って、
幾つかの資料を手渡して用事は直終わり、
「どう、カレーでも食べようか」
食べものの話にはいちにもなく気が合うのは不思議だ。

駅構内にあるカレー屋なので、
たいていの人は知っていると思う。
一番安いが定番のポークカレーにした。

「…たいして美味くない」
(すみません)
「…というより不味い」
(一層すみません)
「C&Cの方が上だなァ」
(中国製かもしれないがラッキョウがあるだけでもすごい)
「王様のカレーはまだいいかなァ」
(恐縮)
「CoCo壱番も僕はダメだ」
(またまた…ァ)

他愛のない会話を交わしながら食べ終わって店を出た。
…と一緒に出てきた母子連れがいたが、
お母さんが子どもを叱りだした。
「どうして食べなかったの。
後でお腹空いたと言っても知らないからね」
「・・・・」
子どもは完全にふくれて何も言わない。
「カレーでいいって言ったでしょう?
だから入ったのにどうして食べないの」

しばらくして、やっと子どもが口を利いた。
「お芋もニンジンも入っていないもの。カレーじゃないもの」
「・・・・」

お母さんは応えに窮した顔をした。
次の瞬間に笑みを漏らして、
「ごめんね。そうかァ、そうかァ。
よっちゃんはママの
カレーが好きだったんだもんね、ごめんね」

こんな会話を聞いて、
何とはなしに涙がこみ上げてきそうになりながら
駅を出て自転車を走らせ、
有楽町のゴジラ像のある近くの
ファーストフードでコーヒーを飲み、

近くのコンビニに入った。
甘いものが欲しくて、和菓子でも買おうと思ったのだが、
ねらった桜餅がなかった。
仕方なしに、柏餅とホットコーナーでお茶を買って店を出て、
日比谷公園のベンチに座って食べた。
季節外れの柏餅・・・などと独り言をいいながら…

そこで、フッと思った。
「可笑しな世の中だ」
…と思った。

節分の季節なのに、
5月の節句でしか食べられなかった柏餅が手に入る。
苺ののったショートケーキなも、
クリスマスでもなければ食べたことがなかったし、
正月でもなければ餅など食べられなかった。
お彼岸やお盆でなければ口に出来なかったりしたものが、
365日いつでも手に入る。

これは果たして、いいことなのだろうか。
終夜営業のスーパーマーケット、
ファーストフード、コンビニエンスストア…
食べたい時に食べられ、遊びたい時に遊べて、
欲しいと思えば何でも手に入る。
薬を売る24時間営業の量販店もある。

ぼくはこれを「コンビに文化」と呼んでいるが、

待ったり、耐えたり、我慢する必要がないのである。
昔は、春を待ち夏を待ち、秋や冬を待つ文化があったが、
季節の変りようにも異変が起き始めている。

新幹線や高速道路もどんどん延びている。
待ち、耐える文化は人に嫌われ、
欲しいものは、ちょいと手を伸ばせばいい…
そのようなコンビに文化は、豊かさの象徴でもある。

だがその文化は飽くなき満足感への追随でしかない。

このコンビに文化を考えながら、
母の作る、ジャガイモとニンジンとこま切れの豚肉の入った
カレー以外はカレーじゃないといった
東京駅内で出会った子どもを思い出した。


コンビ二文化に欠けているものは、ソレだ・・・と思う。
本物の豊かさに裏づけされない限り、
コンビニ文化の将来は片手落ちになるのではないか・・・・

コンビニは決してなくならないからこそ、
人に利便さだけを与えるのではなく、
心の豊かさを与えられるようになって欲しいとつくづく思う。

ジャガイモとニンジンの入ったカレーは、
あの子には、心に豊かさを感じさせてくれている
本物のカレーに違いない。

このような本物を
コンビニ文化の中に求めるのは間違いかなァ。

Posted at 15:01 | 生活日記 | この記事のURL
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されどラーメン? [2008年02月04日(月) ]
きのうラーメンを食べた。
あえて店名は言わない。
不味いからではない。
教えたくないわけでもない。
たかがラーメン屋で食べたからである。

僕はラーメンばかりではない、麺類は大好きだ。
ラーメンを初めて食べたのは神田錦町だった。
高校時代のことである。

「こんな美味いものがあるのかァ…!」と感動したものだ。

半世紀以上も前の話だ。
それが縁で、昼休みの時間に店の手伝いをさせてもらい、
ラーメン1杯をご馳走になることにした。

半年は続いたが、
その後は酒饅頭に浮気をした。
やはり学校の近くに、
湯気をもうもうと立てて、
大きなセイロで酒饅頭をふかしている店があった。
それを食べて味を占め、
昼休みの4〜50分、手伝いに来るから、
一回に3個の饅頭をもらう約束を取り付けたからだ。
この店は気に入った。
コロッケを挟んだコッペパンももらえた。
卒業記念のスナップ写真に、コック帽をかぶった
我輩が収まっている(はずだ)。

これで、お茶があれば昼飯はOKだった。

おかげで、家から持ってくる弁当は
3時限後の休憩に完食できた。

その後、大学へ行っても社会に出ても、
このシステムは出来る限り継続した。

大学では、定食屋に渡りをつけて、
芝居をする時には、サンマ定食の10人分の差し入れだのが
楽屋に届く時もあった。

社会に出てからは、
青山1丁目にある中華料理屋で手伝った。
昼食は無料、餃子1人前プラスの条件だった。
その後は、ビールでも何でもOKになったが、
そのうち倒産して、オーナーは代々木へ移ったとか
何とか聞いたが消息が途絶えた。

この時に聞いた親父のことばが忘れられない。

「ラーメンと餃子は儲かるよ。
10円(当時)の元手で300円稼ぐんだから。
あなたにビールもおごってやるよ。
台湾から持ってくる金を売ってくれれば、
ラーメンどころでないよ。家建てるだけ儲かるよ」

こんなことを言われたのを覚えている。

日本蕎麦、うどん、そうめん、ラーメン、焼きそば(炒めそば、
固焼きそば)、パスタ、ビーフン…等々麺類大
好き人間としては、願ってもないお付き合いだった。

更にもうひとつ…
今は亡き名優で名演出家の宇野重吉さんの話だ。

北海道出身の俳優の一人が、
さっぽろラーメンの自慢話をしたことがある。
途端に宇野さん、
「バカ、ラーメンは福井だよ。
福井より美味いラーメンありゃしないよ」

その後、福井に行くチャンスがあった。
「先生、何処のラーメンですか?」
と聞いた。
「福井なら、何処のラーメンでもみな美味いよ」
結局は、ラーメンに限らないのである。
ジャガ芋だろうがさつま芋だろうが、白菜やキャベツまで、
自分の出身地、福井のものに勝るものはないと
言い切るほど、故郷を愛していてのことばだったのである。

これを考えると、
ラーメン店などは、
「あそこが美味い」
「ここが美味い」
と自慢することは遠慮したほうがいいと思うのである。

強いて言えば、
袋入りの生ラーメンを買って来て、
トッピングに、のり、ネギ、メンマ、キムチ、卵、
ナンプラー、ラー油、おろしにんにく、生姜汁、黒酢、
焼豚(黒豚ばら肉をタコ糸で巻き、ネギ、人参、生姜、
八角等々を入れて自分でつくる)、を用意して
自分でつくればいい。
擦り胡麻を少々いれてもいいし、
パクチーなど好みの香味野菜を入れるのもいい。
贅を極めるなら、タラバガニの足を焙って入れるのもいいし、
イクラをちらすのもいい。
昆布巻きやうな玉、
ふかひれ缶を開けてもいいし、
帆立の燻製も合う。
健康志向なら、黒酢を多めに入れれば、
麻布十番近くにある店の黒酢ラーメンに近づける。
ただし、この場合は細めんがよく似合う。
味噌や豚骨は太麺が好きだ。

宇野さんではないが、自分でつくれば、
おすすめラーメン屋は「我が家」になること請け合いである。

ここに生まれる味こそ、
「されどラーメン」ではないかと思う。

お試しあれ!

Posted at 13:36 | 無題 | この記事のURL
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劇団づくり [2008年02月11日(月) ]
50歳以上の人たちによる劇団を
4月創立を目指して準備に入ります。
当初は東京を中心とした関東地方から
歩を進めようと考えていますが、
いずれは、この試みが全国各地に
ひろまることを期待しています。
尚、この劇団は任意の団体ですが
営利団体ではありません。

方々に中高年者を対象にした劇団が
誕生しつつありますが、
高額な入団費やレッスン料が課せられたり、
積み立てなどにより、
負担が多過ぎるという悩みも耳にします。
私たちはこれまでの人生経験を生かせる形で、
見失われつつある丁寧なコミュニケーションの環を
拡げて行きたいと思います。
劇団維持と研修や稽古、
公演にかかる費用などはこれから検討しますが、
参加者への負担を軽減する方法も考えたいと思います。

思想・信条、宗教にかかわりなく、
学歴や経験を問いません。
参加者みんなで学びあい、鍛えあい、
楽しみながら創造の喜びを
共有するグループづくりを目指したいと思います。
※以上は、3月の準備委員会をつくる上での訴えとします。

3月中には母体となる事務局を置く予定ですが、
創立準備委員会からの参加希望者を募ります。
日時、場所などが決定次第、
発足準備会々合のご案内を差し上げます。
お申し込みをお待ちしています。

Posted at 14:57 | 学ぶ?…遊ぶ? | この記事のURL
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つらい [2008年02月15日(金) ]
殺人、火事…増えている。

学生時代、今の高田の馬場、
当時は戸塚といっていたが、下宿をしていた。

その頃近くに大火があった。

メラメラト燃え上り、薬屋の商品が爆発しているのだろう、
ひっきりなしにポ〜ン、バ〜ン…と破裂する音が響いていた。

隣りの飲み屋にも燃え広がった。

僕はあまり飲まないが、
昼間はラーメン定食など出していたので、
時々顔を出していた。当たり前のラーメンだが、
ちりちり麺が気に入っていた。

中年の女将さんだが、
夜は飲み屋をやっている雰囲気があって、
色っぽさを宿していた。

女将は燃え盛る火を反対側の舗道から見ていた。

「大変ですね」
と、声をかけると堰を切ったように嗚咽をもらして泣きすがってきた。

「しっかりして!」
それ以上のことも言えずに、力を入れて肩を抱いたのだが、
彼女の身体は痙攣に近い震え方だった。

「荷物は?」

「何も持ち出せなかった」

というなり、崩れ落ちそうな重みを支えながら、
不謹慎にも彼女の乳房のふくらみを感じていた。

風にあおられて燃え盛る火に、消防の懸命な消火活動にも、
野次馬から「もっとしっかりやれ」
などの声が飛ぶ。

「ごめんなさい。もう大丈夫です」
女将は僕の手を握り「ありがとうございました」といって、
かすかな笑みを見せた。

その表情を見た途端にこみ上げてきて涙がこぼれた。

気丈に耐えている彼女になのか何なのか、
理由のない涙だった。

が、それ以来、
火事に出くわしたりすると涙がでてくるようになった。

住いは、そこに生活をする人たちの居場所を奪う。

これと同じように、
一家が殺害された事件などをニュースで見ていると、
涙をこらえるので必死になる。

住む人を失った居場所を見るとたまらなくなるのだ。

住いの中で、命を失わなけれなければならないと感じた時、
どんな思いだったろうかを考えてしまう。

最近火事と殺人がセットになったように方々で起きている。

その度に、学生時代に出会った、
燃え落ちる店を見ながら震えていた女将を思い出し、
あの時と同じ涙が湧いて来そうになり、
とても…つらい。

Posted at 11:54 | この記事のURL
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マフラー、手袋、財布 [2008年02月16日(土) ]
虎ノ門から神谷町に向かう途中に、
マフラーが落ちていた。
舗道の真ん中に落ちているので、
歩行者は皆気づいては踏まないようにと、
よけて通り過ぎるものの誰一人拾おうとしない。
マフラーも嫌われたものだ。
拾って驚いた。
ブランド物だ。(ドルチェ)
交番に届けようか考えたが、
持ち主が落したと気づいてどうするだろうかを考えた。
今来た道を戻ってくるに違いないと思い、
近くのガードレールに結び付けておくことにした。
数時間後にはここを帰るので確かめることも出来る。
出来るだけ目立つだろうと思う場所に結びつけた。

しばらく歩いていると、
また落し物があった。
手袋である。
スエードの、決して安くないもの…
拾い上げてみるとやはりブランド物だ。(レノマ)
これも近くのビルまわりの手すりの目立つところにのせた。
…と、手すりの手前に植え込みがあり、
その下に財布らしきものが落ちて(?)いる。
拾い上げると、
これもダンヒルの財布だ。
失礼して中身を拝見…カードがすぐ目に付いたが、
札らしきものはない。
割引のチケットかクーポン券らしきものとレシート数枚…
詳しく見る必要もなかった。
小銭入れは多少膨らんでいる。
このまま近くの交番に持って行った方がいい。
手袋と並べておくわけにはいくまい…
…と、そのとき、
「すみません」
背中に声をかけられふりむくと、
財布と手袋の落し主だという。
見るからに実直そうな男性でもあり、
嘘はないと思ったが、
手袋は片手ですよというと、
「これです」
と一方の手袋をポケットから出して見せた。
間違いが無かった。
「で、財布には何が入っているか、
念のため、確認させてもらっていいですか?」
すると、○○のカードと、
○○のポイントカード、
500円硬貨と百円玉2枚、10円玉2枚、
100万の小切手が入っているという。
「・・・・ひゃ、ひゃく万?」
「何処に?」
…と渡すと、札入れの奥から取り出した。
さっきグルメのクーポン券か何かと思ったものが小切手だった。
間違いなく100万円の金額が捺されていた。
「気づきませんでした。
では間違いありませんね。どうぞお持ち下さい」
すると彼は、
「お礼といっては足りませんが、
コーヒーでもご一緒にどうですか」
という。
「いいですが…」
「さっき、そこのターリーでコーヒーを飲んだおつりがあるんです。
まだ二人分はありますから、ご一緒に如何ですか?」
この誘いを受けることにした。
確かに500円硬貨と百円玉の話をしていたので、
コーヒー代はあるはずだから…
丁度コーヒーでも飲もうかと思っていたこともあり、
おごってもらわなくても、自分で出せばいい。
「え、またターリーでいいんですか?」
「わたしは日に5〜6杯は飲むんですよ。
コーヒーの美味い不味いは分からないので、
お宅様が嫌でなければ、ここでどうですか?」
「勿論、ここで結構です。この店は初めてですが、
他ではターリーはよく入るんです」
「それはよかった。では…」
そんな会話を交わしながら、
二人座りの丸いテーブルで、
コーヒーのSを飲みながら会話が弾んだ。
そして、「何故あんな所で財布と手袋を落したのか」
「マフラーをしていないのに気づいて、
このバッグに入れたかなと、ふたを開けて、
あっちこっちを探したがない。そのときに、
バッグのうしろポケットに入れておいた財布と
手袋を落したらしい」というのだ。
「マフラー?」
「えゝ、女房に買ってもらったもので…」
「それ、ドルチェのマフラーじゃないでしょうね」
「えッ、どうしてそれを?」
「さっき舗道の真ん中に落ちていたのを、
ガードレールに巻き付けて来ましたから」
この話で、
「じゃあわたしは早速行ってみますので、
先に失礼します」
かれは半分も飲んでいないカップを手に立ち上がった。
「後に何かお礼をさせて頂きますので、
お名刺などお持ちでしたら」
と言われたが、マフラーを先に探しに行ってくださいと
マフラーを巻きつけた大体の場所を教えた。
「一緒に行ってやるのも億劫だし、
コーヒーも残っている。このまま座っていよう」
彼は何度もお辞儀をくり返して立ち去った。

おかしなことがあるものだ。
事実は小説より奇きなり…を地でいっている感じじゃないか、
などと思いながら、フッと思ったことがある。
あの財布を拾って、
100万円の小切手に気づいていたとしたら、
即座に交番に行こうとしたろうか…
少なからず、届けようかどうかを考えたのではなかろうか。
小切手は裏書が必要なのだろうか…
等々、考えているうちに、コーヒーも不味くなってきた。
出よう…

それから用を済ませて帰宅に着いた。
…と、前方からさっきの男性がこっちに歩いてくる。
首にはちゃ〜んとマフラーが巻かれていた。
何とはなしに満ち足りた表情をしていると思えた。
すれ違いに挨拶を・・・と思ったが、
彼は僕に気づかないようであった。
…というよりも覚えていなかったのかもしれない。
ただの行き交う人々の二人として夫々に行き違った。

これでいいのだ。
そんなことを考えながら、
すき家に入って、サービス中の牛丼と納豆、青ネギを食べた。
彼は小切手を現金化しなければ現金は数百円しかないはずだ。
しかし、あの満足感に浸ったような顔つきは、
小切手の顔じゃない…現金の顔だ…こんなことを思いながら、
霞ヶ関から溜池を通り、家へ帰ってきた。
昨日の不思議な体験である。

Posted at 11:25 | この記事のURL
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一本の釘 [2008年02月18日(月) ]
沖縄での米軍の婦女暴行や暴力、
酒酔い運転等々の報道が再燃している。
このように報道されない事件は
数えきれないほどあるに違いないと思う。

まだ小学生時代の僕にも怖い想い出がある。
山形の天童のはずれ、
久野本(当時天童原といわれていた)に住んでいた頃だ。
物資の足りない当時、
京都や埼玉に単身赴任で働いていた父が持ち帰った
10本ほどのコウモリ傘と交換に、
家を建てさせてくれという話が持ち込まれ、
小屋をレベルアップしたような家を持てたのであった。

これまで母の実家に同居させてもらっていて、
叔母らに遠慮しながらの生活だったので、
どんな家だろうと、家族水入らずで過ごせる喜びは
かけがえのないものだった。

・・・といっても安普請の家、
「コウモリ傘よりはずっといいさ」と母がいう、
その通りのものだが、土間を上ると囲炉裏があり、
奥には押入れもある。
父は、そのまま埼玉に住んでいたので、
妹を入れての三人には不足はなかった。

戦後、3〜4年後のことである。
時折ジープに乗った米軍(当時は
「アメリカ」とだけ呼んでいた)が、
近くの道路を突っ走って通る程度だったが、
悪いうわさを耳にしていた。

しかし子どもの耳には入れたくはないのだろう、
こそこそと額を寄せ合っての大人の話だった。
しかし遊びは少ない、話題も少ない時代である。
子どもの耳に伝わらないわけはない。
「母ちゃん家さ帰ったら、
姉ちゃん裸にさっでアメリカに抱がさっでだんだど」
「夜中、何人ものアメリカが襲っで来で、
母ちゃんと娘とやったんだど」
具体的に何をされたかは理解できなかったが、
卑猥なことをされたことだけは分かった。

母は、寝る前に鍵を忘れるな…と、
必ず確かめることにしたが、
鍵と言いても南京錠などがあるわけではない、
表と裏の戸に錐で穴を通し、
太目の釘を差し込んで止める程度の鍵(?)であった。

ある夜、戸を叩く音で目を醒ますと、
すでに母と妹は目覚めていて、
「声を出すな」と囁くようにいう。
また戸を叩いては「すみません」という声が聞こえてくる。
その状態が数分続いたが、急に荒々しい叩き方に変った。
ことばも「開けなさい」に変り、数人の怒鳴り声も聞こえる。
「アメリカの酔っ払いだ」
母は、僕と妹を抱き寄せ、「声、出すな」と囁いた。
そのうち、戸が壊れやしないかと思えるほどドンドン叩かれた。
「・・・・」
今夜、鍵をかける番は僕だった。
自分では、きついほど釘を差し込んだのを覚えている。
「開けられても離れないようにしてろ」
母は、一層力を入れて僕等を抱きしめた。
痛いほどだった母の力をいまでも覚えている。

「・・・・?」
音がしなくなった。
僕等は息を殺したまま5分、
10分と固まったまま時を過ごした。
「見て来る」
僕は、入り口に歩いて行ってみた。
真っ暗なので、
抜き足差し足で入り口に近づき外をうかがった。
外に人の気配はなくなっていた。
戸の隙間から、かすかに漏れる月明かりを感じられた。

母の手招きする姿が見えた。
「もう少しジッとしていよう」
と母は言った。
2〜30分は動かずに様子をさぐった。
「大丈夫そうだね」
母は、ランプに火をつけた。
(電気は通っていたが、
停電用にランプは欠かせない時代である)
おそるおそる入り口に近づいてみた。
「・・・・!」
叩かれた戸から、釘は今にも外れそうになっていた。
あと3〜4度叩かれたら、持たなかったかもしれない。
「よかったねえ」
妹は初めて口を利いた。
開けられていたら、小学生になったばかりの妹も
無事だった保証はなかった。
一本の釘に助けられたのである。

沖縄や基地周辺で起こる事件の報道に接するたびに、
この想い出が蘇る。
僕等の住んでいたちっぽけな家が、
沖縄県に思えてくるのだ。
しかし沖縄にとっての、
一本の釘って何だろうと思う。
沖縄には、それすらないのではなかろうか。

1本の釘すらない沖縄の基地は
いらないのではないだろうか。

Posted at 12:56 | 無題 | この記事のURL
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イージス艦 [2008年02月20日(水) ]
海上自衛隊のイージス艦が漁船を沈めて、
漁師の親子の行方が1日半たった今でも分からない。

一体何のための防衛省か…何のための自衛隊かを考える。

沖縄の米軍による中学生暴行事件や暴力事件等々…

兵力や軍事力は、そのものに暴力性がなければ存在価値がない。

何かを守るために存在しているなどという理由を、
いくらまことしやかに羅列しようと、
破壊し殺戮する力がなければ、役に立たないシロモノなのである。

日本を守るために…
国民を守るために…
国民の財産を守るために…

文化を発展させるとか、
平和外交を発展、展開させるとかというと、
幻想だという。

武力を持たずに平和は守れないという。
××が攻めてきたら、何で対抗するかという。
泥棒に入られないために戸締りもするし、
ピストルを持った強盗に入られないように
ライフルを持つのは何故悪い…という。
アジアには北朝鮮もあり、中国もあるという。
(日本は朝鮮や中国を侵略したが、
一度も侵略されたことはない)

その彼等を強盗と一緒にしていいのだろうか…
泥棒や強盗とは話し合いは出来ないが、
国と国との間では外交的な話し合いが出来る。
国連もあるし、徹底的に平和を主張する国を
何処かの国が侵略し蹂躙するのを、
世界が黙って見過ごすだろうか…。

かつての日本は、世界有数の武力大国だったが、
戦争を起して、未曾有の惨劇を強いたのではなかったか。

海上自衛隊に知人がいる。
今はいい…が、戦争に駆り出されそうになったら、
直ぐ辞めて、貸しボート屋さんか、
観光船の操縦士にでもなって欲しいと思っている。

このようなことを考えながら、
封印してきた、子どもの頃の夢を打ち明けたい。
山形の田舎に住んでいた僕は、
小学一年の時に殺されると思うような苛めに合っていた。
苛めに教室にやってくる男の親父は陸軍大将だと聞いた。

クラスの子どもはもとより、
担任の教師も見てみぬ振りをしていた理由は、
奴の父親が陸軍大将だからである。(…らしい)

僕は覚悟を決めた。
家から刺身包丁をランドセルに忍ばせて学校へ行き、
いつも苛める男を便所に誘い、
包丁を首に押し付けて脅した。
「こんどしたら殺す」
そして、近くにいた取り巻きを前に、

「こいつの父ちゃんは陸軍大将だげど、
おれは天皇陛下になってやるからな」

と言ったのを覚えている。
天皇陛下になれば陸軍大将などクソ同然だと思ったからであった。

苛めを逃れるために刺身包丁を突きつけて、
何と言おうかを一晩考えた末に思いついたことだった。

その数日後、
担任の先生から、
「皆は将来何になりたいか、一人一人話せ」
と片っ端から立って言わされた。

陸軍大将の息子が、
僕が天皇陛下になるといったことを
吹聴したに違いないと即座に分かった。

既に前日、母親に
「国民は天皇陛下になれるのか?」と聞いていたので、
冒すことの出来ない存在であることは理解していた。

「おまえは何になりたい」と聞かれて、
「はい、鉄道の機関士になりたいです」と答えたのだった。

ここで「天皇陛下になります」などと言おうものなら、
「馬鹿者!」
と、往復ビンタでも喰らったに違いないのだ。

子どもの頃の夢はさまざまだ。
「あれは出来ない」「これは不可能」はない。
空も飛べるし、地にももぐれる。
想像は自由に飛び回る。
夢は変って当たり前。

その当時は、思いもかけない仕事について…今はある。

今の夢は、人が殺されたり殺したりしない世の中になって欲しい。
これに尽きるように思う。

Posted at 14:24 | 無題 | この記事のURL
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美味しいものなら [2008年02月26日(火) ]
「なぁ、なに食べる?」
「魚か、肉か…どっち?」
「それともイタリアンかフレンチか
アジアンテイストとかで決める?」
「イタリアンは昨日食べたから、和食がいいなぁ…」
「よし、じゃ西麻布がいい…それとも神楽坂?」
「…じゃなくて、赤提灯はどう?」
「いいね、いいねェ…」

ということで、夕べ友人と夕食を共にした。
同じような年齢であるため、
“食” に関する意見は合意し易い。
「昔口にした魚と較べると、近頃のものは味がよくない」
「身の締まりが悪くなった」
こんな話には直ぐに同意が示される。
「温暖化のせいか、海流のいきおいが悪くなったのか…」
などの話が弾むと、近くで食べている連中が
胡散臭そうな顔をしてこっちを見る。
「美味しい、美味しい」
と食えば、「こんなもので美味しい」を繰り返して、
「これより美味いものを食ったことがないのかよ」
…なんて顔をするに違いない。
話が弾んで、こんな馬鹿馬鹿しい会話をしながら、
ホヤの酢の物、シシャモ、焙りサンマなどに舌鼓みをうつ。

姿造り













たいして飲まないのだが、
魚を肴にすると、
ビールでもワインでもない、
日本酒か焼酎というのが理解できる。

親父は焼酎だった。
「肉もいいがやっぱり日本人は魚だなァ」
横にいるステーキでワインを飲んでいる
ジャパニーズがジロリと目を向ける。
米沢牛の霜降りでも食えば美味いのは当たり前。
こんな店で出てくる肉はたかが知れている。
松坂牛なんていうのも、数ヶ月前まではどこやら
他の土地で育てられていたものだと
聞いたことがあるが、そうなのだろうか。
列車で運ばれて数ヶ月、
松坂でビールを飲まされ飼われて、
肉になるときには松坂のブランド名がつくと聞いたことがある。

ま、数ヶ月でも育ったとなれば文句のつけようもないのかも知れない。
魚も似たようなところがある。

世界中の海を泳ぎまわる魚を、
三陸沖産だとか、アラスカ沖産だとかいって売っている。
世界の何処の海だか、産地など特定できない魚が多くて当たり前。
肉と魚の違いかもしれない。

健康のためには、
魚であろうと肉であろうと、
程よく食べれば“すべてよい”のである。
あとは嗜好の問題だ。

これも、「ああだ」「こうだ」と、
楽しい会話を交わしながら食べられれば、
これに勝る美味しさはないのである。

…だが、わしは魚が好きだ。

Posted at 00:52 | 生活日記 | この記事のURL
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