シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
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命を見つめる
若くはないのだから…は、心の叫び。
でも…と反発するのも、心の叫び。
両方をなだめながら、
曰く言い難い年齢を冒険中なのかも・・・

プロフィール
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血圧が他界?! [2008年04月02日(水) ]
ドクターと僕との会話。(昨日)
  & 
「…208と112です」
「高いですね」
「高いじゃなく、このままじゃタカイですよ」
「あゝ…やはり、そうですか」
「分かりましたか?」
「あの世ってことでしょう?」
「頭がもや〜ッとしていませんか?」
「いいえ」
「こんななに高くてねェ」
「以前もあったんです。生命保険の審査で××生命の勧誘員と
さいたま市の医院へ伺った時、やはり200を越えていたんです」
「それじゃ契約できませんね」
「いいえ、大丈夫なように書いておきますからと言われて」
「はァ…考えられないなァ」
「もう5〜6年前の話です」
「はァ…すると、この血圧で5年も過ごしているんですか」
「家で計っても、こんなに高くないです」
「どのくらいですか?」
「上が160台で下が90台…」
「それでも高いよ。今日は家から何で来られましたか?」
「自転車です」
「えッ、自転車?…赤坂から?…もう一度計りましょう」
「お願いします」
   シュッシュッ・・・・
「・・・・・」
「どうですか?」
「下がりました。194に112…やはり高いですね」
「どうします?」

こんな会話をして夕刻から劇団の稽古場へ。
劇団には頼りがいのある薬剤師がいる。
声を大にして、
「駄目ですよ。降圧剤を飲んでください」
「わたしたちには大事な先生なんですから」
「すぐにでも下げなきゃ駄目ですよ」
「いうこと聞かないと嫌です」

こんな風に一斉に諭されて、
グッ…と詰まる胸のうちを見せまいとする。
このとき初めて、頭の中がモヤ〜ッとしてしまった。
「あゝ…いま死ねたら幸せ…」
かも・・・・

Posted at 10:42 | 年甲斐もなく | この記事のURL
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役者っておもしろい [2008年04月07日(月) ]
まだ見たことはないが、
いいえ、みるまでには至っていないが、

・・・舞台には、
演劇の鬼か、
演劇の神がいる。

常に完璧を求め続けている、鬼か神だ。

その鬼や神はいつ頃から存在するかは知らない。

鬼といえば「鬼」
神といえば「神」

演劇作品の中には、
父を殺し母と結婚して王位についたオィデプスもいれば、
父を殺され母を奪われた王子ハムレットもいる。
思いを裏切られ荒野に彷徨う王リアもいる。
世間の滓のような、
木賃宿に寝泊りする泥棒や売春婦たち…
そこで“人間の偉大さ”“人間の尊厳”を唱えるサーチンもいる。

ここに登場する役者であろうと、鋳掛け屋であろうと、

いや、上手から下手の袖に、す〜と通り過ぎる誰かでも、

どれほどの名優が演じるにせよ完璧はありえない。

ただ役者達は完璧を目指し、悪戦苦闘し、
自らのすべてを注ぎ込み、
命を削る。

役者には命が問題ではない、

その舞台で、

どう生きるかが問題なのだ。

舞台を横切る役であろうと、

その裏側には、

数十年の、その人の人生が隠れている。

舞台を横切るその時は、

数十年の中の数秒なのだ。

そこに、軽い役…なんてあるものか。

「この役は、舞台をただ歩くだけ」

…そんな役は一つとてない。

××(役者の名前)が歩いているんじゃない。
□□という役の人物が歩いているのだ。

その人物を云々する前に、
自分のことを理解しているか…

「お前は…いったい何だ?」

すべてはここから始まり、

ここに戻ってくる。

そのすべてを鬼か神が、じ〜いッ っとみているのだ。

完璧を求めては裏切られ、

期待しては裏切られ、

しかし、

それを求めて止まない鬼か、神がいる。

役者は、その完璧に挑み続けている。

なりきれる役者など一人もいない。

何故って、
・・・・鬼でも神でもない
…人間だからだ。

だから芝居はおもしろい。

だから人間もおもしろい。

それを演じる役者は、
もっとおもしろい。

Posted at 12:55 | 演劇生活 | この記事のURL
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死刑囚 [2008年04月14日(月) ]
私は死刑囚を見たことはあるといっても、
裁判を傍聴した経験だけで、
話したこともなければ間近で見たこともない。

近く裁判員制度が始まるが、
例えば被告が死刑に匹敵する人であったら…
などということを考えると、
そこでの自分に何を課するか…難しい選択が迫られる気がする。

さて、三浦綾子さんや、
夫君の光世さんは、
クリスチャンとして、
何度も死刑囚を見舞ったそうである。

綾子さんの短編小説に「壁の声」がある。

ある一人の無実の男が死刑を宣告され、
独房で処刑の日を待ちながら、
半生を振り返る小説だ。

無実の彼は、
犯してもいない罪で処刑されるのだ。
(小説は処刑前で終っているが)

長生きしても、優しさもない辛いだけの世の中に、
夢を描くこともできなければ、
生きていこうという気力をも奪われ、
無実を主張することの無力感も手伝い、
死刑を選ぼうとしている男である。

死刑囚が、彼を裁いた世の中を裁くという痛切な内容である。

これを今、芝居にしたいと脚色中なのだが、
途中、裁判員制度などにも思いが行き、
筆が何度も止まってしまう。

しかし考えてみると、
この死刑囚ではないが、
今の世の中に、彼と似た思いで気力を失い…

あるいは失いつつある人間が何人となくいるのではないだろうか…

全く、生きにくい世の中ではないですか?

Posted at 23:00 | 無題 | この記事のURL
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裁くのは誰だ [2008年04月29日(火) ]
ぼくは死刑肯定者であることを予め書いておきます。

死刑の是非論は今に始まったことではない。
つい先日、山口県光市におきた母子殺害事件で、
俄かに死刑についての賛否が取り沙汰されている。

否、鳩山法務大臣の死刑執行について論じられ始め、
光市の母子殺人事件の被告に、
死刑廃止を唱える数多い弁護団が結成されたこともあり、
論議が活発になったのだと思う。

更に、来年から裁判員制度が始まることもある。

民族的、文化的に、
日本には死を以って償う罪意識があったように思う。

この光市の事件で、
妻と子を殺害された本村さんが、
どこかのテレビのニュース番組で語っていたことばを鮮明に覚えている。

「もし犯人が死刑にならずに刑務所を出てきたら、
わたしが自分の手で彼を殺します」

このことばだった。
ぼくは彼の思いとその怒りに共感した。
幸せを奪われた…などということではない。
人の命ということば自体に重いものがあるのは当然だが、
彼には、自らの存在そのものなのだと思えたからだ。
彼はまさに当事者なのである。

煮えくり返っているであろう気持を抑えに抑えても、
彼が言わなければならなかったことばではなかったのか…

ぼくは復讐を是とするものではない。
しかし正当防衛があり、
状況によっては過剰防衛になったにしても、
端の者が、被害に合う人間の思いに軽重をつけることは難しい。
これと同じように、復讐権を社会的に認めるかどうかは別にして、
本村氏にあってもいいと思えたのだった。

母子の殺害は残虐を極まるものだった。
加害者がどれほど謝罪しようが許せる犯罪ではない。
ところが、加害者は本村氏を侮辱し、
殺害に及んだ母子をも侮辱し続けた。
騒がれたので口を塞ごうとしたのが喉に手が行き殺してしまった…とか、
死んだ人間と性交したので強姦にはあたらない…とか・・・
本村氏の気持を逆なでするようなメッセージを発し続けた。

このような事実を歪曲して、
殺意を否定し、無実を主張する弁護団は何をかいわんやである。
安田(?)とかいう弁護団の親玉は、
人権派弁護士という紹介があったが、とんでもない話だ。
かれは本村氏の人権を無視し、名誉を毀損していたのではないか。
彼等と比較するのは申し訳ないが、
判決後の本村氏の冷静さに感じ入った。
無体さをさらして感情的な安田弁護士と実に対照的だった。

死刑でも、軽犯罪でも、冤罪事件がある。
司法が完全に独立した存在で、
厳正な判断がなされ、
今回の光市の母子殺害事件のような場合は、
死刑の量刑が下されて当然だと思う。

死を以って償わなければならない罪はある。

しかし、その裁きは誰がするのかという問題は、
別に論じなければならないと考える。

人として、その是非を論じなければならないのだろう。
復讐としてでは勿論なく、罰するということでもなく、
存在そのものを論じることから可否を決める方法があるのだろうか。

死刑を肯定しながらも、ここで常に躓いてしまうのである。

裁くのは誰だ!

Posted at 13:19 | 命を見つめる | この記事のURL
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