11月8日( 水 )
木枯らし1号が
琵琶湖湖畔にもやってきたのは 昨日だった。
山里で育ったから
冬の自然とか暮らしが
身についてしまっている。
日の出は 山の頂から
冷え込んだ 霧深い山里は
朝陽の光がとても 幻想的だ。
朝陽が昇る頃
お年寄りが
ちゃんと 焚き火を始めてくれる。
子供達が 三々五々 集まってくる。
ゴホン ゴホンと 咳き込んでいるのは
オサゲがお似合いのA子ちゃんだ。
まだ 眠そうに 眼をこすっているのは
いつも B君だ。
そして
ちょっと いつも
朝から威張ってるのは 上級生のC君だ。
お年よりは 集まってくる子供達を
一人ひとり招きいれて
背中をポンとたたく。
「シャンとしなきゃ 元気に過ごせないぞ!」
全員に 平等に えこひいきがない。
その焚き火のひと時は
お年寄りが 神様みたいな存在で
いたづらという世界は皆無だ。
山里では もっとも 信頼されている
お年寄りでもある。
山里の 生き字引だ。
隣村、
さらに 遠い村の人々にも
その人の名は知られている。
子供達に わかりやすい言葉で
ゆっくりと
子供達の 眼を見ながら
子供たちが 理解したことを
はっきり確かめて
ひとつひとつの会話を終えられていた。
寒い、冷え込んだ朝も
焚き火以上に
あったかくしてくれたお年寄りだった。
とっても 存在感豊かで
深く 広いお年寄りだった。
経験されたことが 普通でないことが
思い出話を聞いていて
子供心ながら よくわかった。
50代の今までに
いろいろな 人々と会話を交わしてきたが
いまだ
そのお年より以上に
存在感ある人には出会っていない。
お年寄りは 人生50代時代の当時でも
89歳まで 背筋がしゃんとして
声にも張りがあった。
長寿者名簿に ちゃんと載っている。
平成の現在においても
お年寄りなら どの様に考えられるだろうと
山里では 話題に出る。
木枯らし一号が来て
湖岸でも
お年寄り達が 孫のために
焚き火をしている光景が
見られるようになった。
やはり
背筋がシャンとしておられるお年寄りを見てい ると
自分も
ああいう お年寄りになりたいなと思う
軒に
つるし柿を 丹精に 吊り下げられたのも
お年寄りだ。
心身ともに
背筋しゃんとされているお年寄りは
「 どっこいしょ 」
という言葉は 使われない
足腰がしっかりと
矍鑠(かくしゃく)たるものだ。
日々の健康管理
自己管理に厳しさがあるに違いないと思う。
そういう お年寄りは 生きている光明だ。
人はそれぞれだが
やはり
日々 心身ともに シャンとしたいものだ。
成せば成る 成るか成らないかは
本人次第である。
それぞれの 経験を活かせる様な
経験を積んで歩んでいきたいと
思う。
一度きりしかない 人生だから・・・
今日の朝陽も素晴らしい。
背筋をシャンとして 深呼吸だ。
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at 06:44
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