今朝の新聞に、加藤仁さんの著書「定年後」の書評が出ていた。
そこには、定年後の最大の課題は「自分の役割をみいだせるか」。と書いてあった。
私の人生には定年がなかった。唯、バブルの崩壊を察した時、あるメーカーの製造子会社の社長を引退した。赤字を背負うのが怖かっただけである。それから年金生活に入った。若い時から小規模、零細企業を渡り歩いてきただけで、趣味もない男がハローワークに通っているうちに、ある専門学校の事務職にたどりついた。しかし、2000年に全国一斉にパソコン講習会が実施されたとき、夜の講習会に講師に駆り出された。これが、その後の人生を決定した。
その後、雇用促進機構の就業促進講座でオフィス・アプリケーションの講師を務めるようになった。現役時代の本職が貿易屋だったので、コンピュータ用語(はじめの頃は英語だけ)に不自由がなかったことが幸いしたかも?
そこには、定年後の最大の課題は「自分の役割をみいだせるか」。と書いてあった。
私の人生には定年がなかった。唯、バブルの崩壊を察した時、あるメーカーの製造子会社の社長を引退した。赤字を背負うのが怖かっただけである。それから年金生活に入った。若い時から小規模、零細企業を渡り歩いてきただけで、趣味もない男がハローワークに通っているうちに、ある専門学校の事務職にたどりついた。しかし、2000年に全国一斉にパソコン講習会が実施されたとき、夜の講習会に講師に駆り出された。これが、その後の人生を決定した。
その後、雇用促進機構の就業促進講座でオフィス・アプリケーションの講師を務めるようになった。現役時代の本職が貿易屋だったので、コンピュータ用語(はじめの頃は英語だけ)に不自由がなかったことが幸いしたかも?
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at 08:57
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それに海外をまたにかけて大活躍。英語もペラペラなんでしょうね。
イヤー 恐れ入ります。
バスに乗りそこなった なんてとんでもない。
実は私、これでもMOUSの認定を持っているんですよ。
とりえ と言えばそれくらいです。(これが とりえ と言えるのかどうか?)