秋田経済法科大学の客員教授「内館牧子」さんの初講義を聴講しました。
内館さんは、秋田市の土崎港の生まれですが、これがご縁で客員教授を引き受けられたのでした。
同大学の市民公開講座は、先にMyブログにも書きましたが、岡田裕介東映社長の講演と映画「バルトの楽園」上映会以来、二度目です。
内館さんが、脚本家を休業し、東北大学大学院文学研究科に入学され、宗教学を学ばれ、この3月卒業されたことは、皆さんもご存知のことと思います。 font>
そして、同大学の相撲部が廃部の瀬戸際にあったのを憂えて監督を引き受けられてから、4人の部員が19人にまでなり、かなり強くなっているそうです。
なぜ、大学院で宗教学を学ぼうと決心したか? font>
font>それは、森山真弓元官房長官に端を発した『女性を土俵に上げないのは、男女差別だ』という動きに、危機感を抱き、理論武装したいというのが、キッカケなんだそうです。
日本の大相撲は1350年ほど続いており、土俵ができたのが1699年頃といわれているが、それ以来綿綿と守られてきた伝統が、切れるということ
は、大変なことである。一旦途切れたものはその後は残せない。伝統・文化・宗教・祭りといったものと、男女共同参画は馴染まない。『いわれない迷信』と切り捨てる人々は、ほとんど相撲を知らない人達で、「土俵に神が宿る」伝統文化の世界を絶つことに余りに惧れをしらなすぎる。
大相撲は、「神事」(五穀豊穣)が原点である。
現在でも、初日の前日には「神迎えの儀式」、千秋楽には「神送り儀式」が行われており、そのほか、土俵の造り、花道、四本柱(四色の房)、水引幕、チリを切る、四股を踏む、横綱土俵入りのせり上がり、水をつける等等、相撲の舞台や所作には、すべて神事と関わっている。
そして、内館さんは考えました。どういう切り口で研究をするかを? font> font>
変革してもいい部分と守り通さなければならない部分は何か?それは、神に関わる部分と関わらない部分ではないか?お酒を飲みながら、そう考えた結果、「結界」ということを思いついたそうです。
「結界」とは? font> font>
この言葉は、もともと仏教用語で、修行の為に一定区域を区切ること。そこにある障壁となるものが、入ることを許さない。聖域と俗界を区別するために区切ること、などの意味がある。
「結界」には、@建築的結界、A装置的結界がある。
「建築的結界」は、建築物などによるガッチリした区切りで、簡単には破れないものである。万里の長城とか西欧の城壁などであり、日本文化には少ない。
「装置的結界」は、無防備で簡単に飛び越えられるが、万里の長城と同じくらい、しっかりとした力を持つものであり、日本文化のほとんどがコレである。「心のケジメ」という日本人の優れたものが、今の日本では理解できなくなっている。
これは、土俵の俵、芸者さんの手前に置いた扇子(素人さんと玄人を区別するもの)、箸置きに置いた箸(西洋のナイフとフォーク、中国の箸は、縦に置かれる)、役者さんの部屋の暖簾(アチラ側とコチラ側とを分けるもの)、盛り塩などなど、枚挙にいとまがない。
立原正秋さんの『風景と慰籍』に書かれた、ヨーロッパと日本の風土の違いと感性の違いを引き合いに出しながら、まだまだ、講義は続きました。
最初に、「講義」なので少しは話が難しくなるとの前置きがありましたが、分かりやすく、いかにも4歳からの相撲ファンだけあって、残りは次回講義でということではありましたが、『大相撲と神』題する講義を、90分一気に語り尽くされました。
その大相撲にかける思いの強さと、熱く語るバリタリティに、大いなる元気を貰いました。
余談として、大関「白鵬」の父が、モンゴルでどのくらい有名か?日本で言えば、長嶋サンのような国民的英雄だそうです。そして、白鵬が横綱になるということは、一茂クンが大リーグで三冠王のタイトルを取るようなものとのことでした。
最後に、内館さんの次回講義のテーマである『女性が大相撲本場所の土俵に上がる』ことを、皆さんは、どのように思われますか? span> font> font>
〔参考:R50 Interviewに、内館さんの記事があります。〕
内館さんは、秋田市の土崎港の生まれですが、これがご縁で客員教授を引き受けられたのでした。
同大学の市民公開講座は、先にMyブログにも書きましたが、岡田裕介東映社長の講演と映画「バルトの楽園」上映会以来、二度目です。
内館さんが、脚本家を休業し、東北大学大学院文学研究科に入学され、宗教学を学ばれ、この3月卒業されたことは、皆さんもご存知のことと思います。 font>
そして、同大学の相撲部が廃部の瀬戸際にあったのを憂えて監督を引き受けられてから、4人の部員が19人にまでなり、かなり強くなっているそうです。
なぜ、大学院で宗教学を学ぼうと決心したか? font>
font>それは、森山真弓元官房長官に端を発した『女性を土俵に上げないのは、男女差別だ』という動きに、危機感を抱き、理論武装したいというのが、キッカケなんだそうです。
日本の大相撲は1350年ほど続いており、土俵ができたのが1699年頃といわれているが、それ以来綿綿と守られてきた伝統が、切れるということ
は、大変なことである。一旦途切れたものはその後は残せない。伝統・文化・宗教・祭りといったものと、男女共同参画は馴染まない。『いわれない迷信』と切り捨てる人々は、ほとんど相撲を知らない人達で、「土俵に神が宿る」伝統文化の世界を絶つことに余りに惧れをしらなすぎる。
大相撲は、「神事」(五穀豊穣)が原点である。
現在でも、初日の前日には「神迎えの儀式」、千秋楽には「神送り儀式」が行われており、そのほか、土俵の造り、花道、四本柱(四色の房)、水引幕、チリを切る、四股を踏む、横綱土俵入りのせり上がり、水をつける等等、相撲の舞台や所作には、すべて神事と関わっている。
そして、内館さんは考えました。どういう切り口で研究をするかを? font> font>
変革してもいい部分と守り通さなければならない部分は何か?それは、神に関わる部分と関わらない部分ではないか?お酒を飲みながら、そう考えた結果、「結界」ということを思いついたそうです。
「結界」とは? font> font>
この言葉は、もともと仏教用語で、修行の為に一定区域を区切ること。そこにある障壁となるものが、入ることを許さない。聖域と俗界を区別するために区切ること、などの意味がある。
「結界」には、@建築的結界、A装置的結界がある。
「建築的結界」は、建築物などによるガッチリした区切りで、簡単には破れないものである。万里の長城とか西欧の城壁などであり、日本文化には少ない。
「装置的結界」は、無防備で簡単に飛び越えられるが、万里の長城と同じくらい、しっかりとした力を持つものであり、日本文化のほとんどがコレである。「心のケジメ」という日本人の優れたものが、今の日本では理解できなくなっている。
これは、土俵の俵、芸者さんの手前に置いた扇子(素人さんと玄人を区別するもの)、箸置きに置いた箸(西洋のナイフとフォーク、中国の箸は、縦に置かれる)、役者さんの部屋の暖簾(アチラ側とコチラ側とを分けるもの)、盛り塩などなど、枚挙にいとまがない。
立原正秋さんの『風景と慰籍』に書かれた、ヨーロッパと日本の風土の違いと感性の違いを引き合いに出しながら、まだまだ、講義は続きました。
最初に、「講義」なので少しは話が難しくなるとの前置きがありましたが、分かりやすく、いかにも4歳からの相撲ファンだけあって、残りは次回講義でということではありましたが、『大相撲と神』題する講義を、90分一気に語り尽くされました。
その大相撲にかける思いの強さと、熱く語るバリタリティに、大いなる元気を貰いました。
余談として、大関「白鵬」の父が、モンゴルでどのくらい有名か?日本で言えば、長嶋サンのような国民的英雄だそうです。そして、白鵬が横綱になるということは、一茂クンが大リーグで三冠王のタイトルを取るようなものとのことでした。
最後に、内館さんの次回講義のテーマである『女性が大相撲本場所の土俵に上がる』ことを、皆さんは、どのように思われますか? span> font> font>
〔参考:R50 Interviewに、内館さんの記事があります。〕
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