【店は客のためにある】 (39) font> span> p> (商業界二十年より) font> p>
正しく生きる商人道を極めましょう。
お客様が心から喜ばれるお店づくりの一助となればと思い、商業界創業者《倉本長治》先生の遺訓を共に学んで行きたいと思います。
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店│は│客│の│た│め│に│あ│る│
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□□□ (39)
□□ 2006/06/18
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◆◆ 目 次 ─────────────────────────
1.広告とは何か
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【1】 広告とは何か font>
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このブログの読者はきっと昭和20年代前後の世代の方が多いと思いますので、子供の頃に初めてテレビが我が家に来たときの感動を今も心の片隅にお持ちではありませんか。
私も夕食の後、家族と見るテレビが楽しみの一つでしたが、「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度傘」などという番組を見ながら、合間に流れるコマーシャルでさえも食い入るように見つめていたものでした。
今ではもう会社自体がなくなってしまった「みつわ石けん」や「前田のクラッカー」、「三時のおやつは文明堂」など、懐かしく思い出されます。
町中にはまだ今のように看板が乱立しておりませんでしたので、繁華街や映画館で見る看板やポスターにもいちいち興味を示して見ていたものでした。
大阪なんばの道頓堀にある「グリコ」の看板はもう何代目になるのでしょうか。橋の上から飽きずに眺めていましたし、中学〜高校の頃は彼女との待ち合わせの場所でもありました。
広告というのは、いつの時代であってもそれを見る人の心になにかしらホワっとした感激や、やさしい思い出を心に刻み込んでいくもののような気がします。よい広告は、だからいつまでも記憶から消えずにふとしたことで思い出すことがあるのではないでしょうか。
広告することの意義をよく理解しない人が今でも商人のうちにも、消費者の中にも、たくさんあるのが不思議である。
私に言わせると、本当の広告とは、商人が消費者に向かって、このお店でお求めなさい、この品をお買いなさいと必ずしも言わなくとも、「これがあなたにとって一番有利で、便利で、決してご損がない、あなたの生活を幸福にする最もいいことなのですョ」と、親切に誠実に、専門家としての立場で知らせて差し上げる世の中に対する善行なのである。
世の中のために尽くす商人の積極性を発揮する運動が広告なのであり、正しい広告は儲けるためや売上を増進するのが目的であってはならない。
広告によって消費者が商人の誠実さを認め、その提唱に共感し、その愛情に応えてものを買うという結果、売上が増えたり、利益が増大したりするに過ぎない。
広告のねらいは、どこまでも世の中の人びとの幸福を目的とし、結果としてその広告主の経営がいよいよ社会的活動を盛んに行えるような利益(必ずしも金とは限らない)の増大に寄与するものでなければならぬであろう。 font>
「なんである、アイデアル」で有名な洋傘製造の《アイデアル》が6月12日に倒産しましたが、ワンタッチで折り畳みができる洋傘ということで、日本中に大ブームを巻き起こした同社も、1本100円〜500円という輸入物の安い傘に押されて業績を回復することができなかったようです。けれども、あのコマーシャルだけはきっといつまでも忘れることはないと私は思っています。
「お願いします。買ってください」などという何の工夫も見られないひどい広告や目抜き通りの消費者金融の看板にはいい加減うんざりさせられます。この国の広告文化はもっと上品で深みのあるもののはずだったのに。
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at 16:12
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