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ヱビスビールに、ありがとう。  [2010年03月14日(日) ]
新聞、放送、写真、電話、時計、電車、眼鏡・・・。日頃の生活の中で普通に飛び交っている多くの言葉は、日本人が明治のころから使いだした古い単語だろうか。それらひとつずつをあらためて眺めていると雰囲気がとても古風で、かつて“文明”が発展途上だった頃の日本の光景が目に浮かぶような気がする。そして、日々現れては消える言葉が氾濫するなかで、置き換わることなく、100年単位で生き続ける言葉が沢山ある事実が面白い。


「ビール」もそんな中のひとつ。「テレビ」、「ミシン」、「バイク」などと同様、外来製品を日本語化した当時の昔風な言い方が今も普通に残っていて、毎日のように“お世話”になっている。そして、ビールで古風、と言えばヱビスビール。19世紀末の明治23年に醸造・販売が開始され、東京発のビールブランドとして世界的にも高い評価を得たという歴史あるブランドだ。そんなヱビスビールの成り立ちから戦争で一旦供給が中断し、その後復活して今日に至るまでの歴史を紹介する『ヱビスビール記念館』へ行ってきた。これは、小学館の月刊誌『サライ』とニフティが共同で発信する『Webサライ』に拙ブログがご縁をいただいた関係で、サライ編集部とニフティの方が企画し、その見学ツアーにお招きいただいたもの。


ビール銘柄がそのまま駅名となったJR山手線恵比寿駅。その程近く、サッポロビール本社の一角に先月リニューアル・オープンした驚くほど立派なヱビスビール記念館がある。そこに並べられた、明治期からその販売プロモーションに力を入れていたヱビスビールの関連製品や販促ツールの数々は、120年にもわたって親しまれてきたブランドならではの力強さと暖かさを感じる。そして、ツアーの最後にはお待ちかねのビール試飲会。キレイな泡を頂いた二種類のヱビスビールを飲んでみれば、上質な“定番ビール”としての深い味わいとともに、日頃当たり前のように口にしているビールという飲み物のありがたさに、あらためて感じ入った。

サライ編集部とニフティのみなさま、どうもありがとうございました。



ビールの試飲会では「レアものパッケージ」の違いさがしクイズも。

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一駅間の、東京遺産。  [2010年03月06日(土) ]
東京エリアを走るJR線で「一駅」が比較的短く、駅と駅のあいだをぶらり歩くと面白い場所がいくつかある。例えば「有楽町」と「新橋」の間。銀座にも程近い繁華街ならではの華やかさがある。
ワタシは毎日の通勤で京浜東北線と常磐線を使っているので、朝はその接続駅である日暮里駅でさっさと乗り換えるのだが、帰宅途中で時間の余裕があるときは「御徒町」で降りて「上野」までの一駅をゆったり散歩することがある。

この上野-御徒町間は距離にして約600メートル。山手線や京浜東北線の電車に乗っても1分ちょいの距離だ。このエリアには、電車の線路沿いに連なる『アメ横』を中心に、小売店や飲食店がひしめいているのだが、東京広しといえども電車一駅の間にこれほど多くの店が密集し、しかも他に見られないような面白いモノを多く提供している“ウルトラゾーン”は無いように思う。

御徒町で下車して上野方面へ歩くルートはいくつかあって、それぞれ強烈な個性を持っている。高架下に連なる昔ながらの小物や時計、衣料品店。アメ横ルートを進めば、閉店直前の鮮魚店で美味しそうなマグロやシャケを叩き売っている。線路の昭和通り側を通る3本の路には、これでもかの多国籍飲食店の数々、クラシックな喫茶店や屋台が点在。極めつけは最近ミヤコで流行る「立ち飲み屋」がこの界隈に軒を連ね、どこも大入りなことだ。
ワタシも立ち飲み、いや「立ち呑み」でちょい寄りし、ビールなぞを引っかけてほろ酔いで上野駅から常磐線に乗ることがある。

そんな気分で夕暮れに浮ぶレトロな上野駅舎を眺めていると、何だか懐かしい昭和の頃にタイムスリップしたような気持ちになる。変革スピードの早い最近の首都圏においても、この上野-御徒町エリアは、今も昔の香りと雰囲気を色濃く残した、言わば数少ない「東京遺産ゾーン」なのではないか、と感ずる。この不況期にあっても、大勢の来訪者を集めるこの場所は、今も不思議な引力を持ち続けている。

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千葉は、水の中。  [2010年02月28日(日) ]
チリで大地震が起きて、津波となって地球を半周して日本にやってきた。幸い被害がでる規模の大きな津波にはならなかったようだが、TVやラジオは太平洋側の広いエリアでの警告を発し、高台への避難を勧告していた。


私の住む千葉県は、関東では最も長い海岸線を持つ上に、隣接する県との境を流れるのが利根川と江戸川。つまり、千葉は北海道や沖縄と同様の“島”と言っていい。しかも、都道府県の中で最も標高が低く、その平均海抜は約43メートル。仮に海面が10メートル上昇すると、千葉県は本州の沖合いに浮かぶ正真正銘の島になるのだとか。海と川に取り囲まれている上に高台がほとんどない。つまり、千葉県は一旦大津波がやって来ると、そのかなりの部分が水に覆われてしまうかも知れない独特の地形をしている。

数年前。成田空港から航空機で旅に出たときの一場面を思い出した。千葉県のほぼ中央に位置する成田を飛び立った飛行機は、千葉県全域をなめるようにゆっくりと旋回。窓からはキラキラと光る広大な海と共に、たっぷりと水を湛えた水田が延々と広がり、まるで海と陸との境目がないかのような光景が眼下に映った。それは、大地と海とが一体となって、その中のごく狭い土地に人々が暮らし、その生活が“水”によってまさに潤されている様子を露しているようでもあった。おかしな言い方かも知れないが、我が千葉県はその独特な地形を持つことで、海面上昇や津波による“水没”を待たずして、昔から水に囲まれ、水と共生し、その大きな恩恵を受け続けてきた土地だと言える。

水が災いする天変地異は忌むべきことだが、東京近郊に位置することで「都会の暮らし向き」に気が行きがちな千葉での生活で、たまにはそんな自然との関わり、とりわけ海や水の恩恵に思いを巡らすことがあってもいい。

◆写真は津波警報が浮かぶ円楽襲名披露の『笑点』

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二つ目の、勢い。  [2010年02月21日(日) ]
いま、落語に注目が集まっている。元々落語好きは少なくないが、この“古典芸能”を認める人が増えてきていることはとても嬉しいことだ。ただ、落語はなぜかTVに登場することはほとんど無く、聴きたいと思っても寄席へ出向いたり、たまに掛かるラジオやCDを買って楽しむぐらいしかチャンスがないのが実情だ。そんなトレンドを受け、インターネットサービスのニフティがこの1月から「落語配信サービス」を開始した。
このネットでの落語放送という新サービスの企画時に、ワタシは一介の落語好きとしてニフティ社の方から意見を求められるというご縁をいただき、昨日、大森のニフティ本社で行なわれた番組収録に立ち会わせていただいた。

題して「ニフティ寄席」。昨今流行りのiPodやパソコンに“落語データ”をダウンロードして好きなときに好きなだけ聴く、という仕組み。また、番組としてのポイントは、東京落語でいう「二つ目」の口演が中心というところだ。ワタシは、このいわゆる前座に次ぐ二つ目というランクの若手噺家さんの高座を生でじっくり聴いたことはほとんどなかったのだが、登場した4名の落語家さんの巧さと勢いに正直たいへん感銘を受けた。
この、前座と真打の間に位する二つ目というポジションは、会社やスポーツ界で言えば10年選手。ベテランのとば口に立つ脂の乗った噺家さんが大勢いることをあらためて確認した思いだ。
この日登場の落語家さんと演題は次のとおり。
柳家喬の字『浮世床』(うきよどこ)、春風亭朝也『粗忽の使者』(そこつのししゃ)、三笑亭夢吉『天狗裁き』(てんぐさばき)、春風亭一之輔『黄金の大黒』(きんのだいこく)
いずれもあまり聴く機会のない古典演目だが、現代風のスピード感と洒落たアレンジを利かせながらまとめ上げた芸は味わい深く、収録会場は終始大笑いに包まれた。

今回あらためて思ったのは、噺家の力量は、聴き手に如何にその場面をリアルに想像させることができるかどうかにかかっている、という点だ。仕掛けや装飾の一切ない“舞台”では、単に可笑しい話しを聴かせるだけではなく、噺しの場面・情景を「観客」の目に浮かばせることができるかどうか、が大きな勝負どころだろう。
そしてこの落語配信サービスも、上質の落語を掛けるとともに、如何に聴き手へ寄席のライヴ感を伝えることができるか、がその人気を決めるように思う。

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200年企業に思う。  [2010年02月13日(土) ]
日本人は作ることにこだわる。そして、こだわり続ける。現代日本を経済大国に押し上げたのも、ものづくりに力を注ぎ良いものを数多く、そして低価に世界へ提供してきたことが大きな原動力と言ってよいだろう。メイド・イン・ジャパンは産業向け個人向けを問わず、高品質の代名詞となり、それ自体がブランドとして確立した。この、もの作り立国は天然資源の乏しさによると説明されることが多いようだが、日本人の古来からの美意識に深くかかわるもの、と捕えることはできないだろうか。

日本には200年以上も続く企業が3100社以上存在すると言う。これは全世界総数の半分近くを占める圧倒的な数だとか。この事実は取りも直さず、良いものをつくり続けること、永年品質の向上を追求してきたこと、そしてそのような企業の仕事をきちんと評価する風土が日本に古くから受け継がれていることが大きな理由だと思える。
この“200年企業”のなかには建設や鋳造、造船など、いまも基幹産業を担う業種が多く含まれる。その一方で、造り酒屋や和菓子製造、料亭や旅館といった嗜好品やサービスを提供する企業も4割を数えるという。単に必需品を供給する会社ばかりではない。美味しいもの、美しいもの、居心地のよい環境といった嗜好の領域で“モノ”を作る企業が存続し、永年その価値を放ち続けている。
そのことは、日本人自身も気づかない古くからの日本人特有の美意識が働いているのではないだろうか。そしてその美意識自体が、日本が世界に伍していくために改めて気づき立ち返るべき“作ることへのこだわり”に通じる日本人の強みなのではないだろうか。
先行きの見えない不況感が依然覆う昨今の世情において、歴史の浮き沈みの中で自らの強みをもってモノを作り、存続し続ける数多くの日本企業の姿は、我々自身の明るい未来を形作るヒントを与えてくれる。

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ネギは、効く。  [2010年02月07日(日) ]
古来から薬味と呼ばれていることでもその薬効が知られていたのがネギ。とてもポピュラーでありながら、サラダの素材になることもなく、なんとなく脇役的に扱われることの多い野菜だ。

ワタシは最近の新聞で、動物園のチンパンジーにこの長ネギを沢山食べさせて風邪予防に効果をあげているという記事を見つけ気になっていた。ポイントは「長ネギを丸ごと沢山食べる」というところ。普段は薬味と称して付け合わせ的に少量を口にする場面がほとんどだが、このチンパンジー君にあやかって、長ネギオンリーのサラダにトライしてみた。
レシピは至ってシンプル。今が旬のつやつやの長ネギを簡単に水洗いして、そのまま一本をざく切りに。それに好みのドレッシングを適量掛け、少量の柚子胡椒を“薬味”にしてそのままサラダ感覚で食べるだけ。鼻からツンと抜ける新鮮なネギ独特の刺激に加え、いかにも体全体に効きそうな薬味らしい心地よい苦み。そして、火を加えないネギ特有のシャキッとした歯応え。さすが、この厳冬に採れた野菜ならではの風味と食感が口全体、いや、体全体に広がり、その効能が染み込む感じがする。
驚いたのはその効き目。この“シンプル・ネギサラダ”をここ2ヶ月ほど週に1〜2回食べているのだが、いつにない厳しい寒さの冬にもかかわらず、風邪っ気とはまるで無縁の日々が続いてる。これはやはりネギの御利益なのか、と感心しきりのそんな中、気になる新聞記事をまた見つけた。

■「ネギが風邪予防に効く」は本当 「A型インフル」感染抑制作用発見

これまで科学的根拠はなかったとされる、ネギが風邪の予防や鎮静に効くとの昔からの言い伝えをマウス実験で立証した富山大学・林先生のインタビュー記事だ。
それによると、ネギの抽出物を投与したマウスに高いウイルス増殖抑制作用があることがわかったという。抗体が気道や血中で3倍も増えたというから、その薬効はホンモノなのだろう。

風邪は万病のもと、などと言うが、その予防に安価で美味しい長ネギが役に立つのであれば、厳冬の今だけではなく、継続的な健康維持のためにもネギをもっと摂るようにしてもいいのかも知れない。

Posted at 16:25  | この記事のURL
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さよなら、デパート。  [2010年01月31日(日) ]
自宅近くに「高島屋」と「そごう」がある。いずれも千葉県で乗降客数の最も多い駅のひとつ、常磐線・柏駅前という好立地にあるデパートだ。週末、久々にネクタイなど買おうと柏・そごうへ。ところが土曜午後というのに、売り場には客はまばらで、客の数より多いかも知れない店員サンが売り場のあちこちに立っている。そしてフロアと壁にびっしりと陳列された商品の群。
このシーン。メーカー的に表現すると、余剰人員と不良在庫のヤマ、といった印象だ。

ここ数日、そんな繁華街でのデパート閉店報道が相次いだ。東京で最も、いや世界でも指折りの繁華街・銀座のしかも目抜きにある有楽町西武が今年限りで閉店するという。一方、京都では四条河原町阪急を今秋閉店すると発表。さらに三越は札幌にある専門店「札幌アルタ」閉店を決めた。これらはいずれも大都市中心街の人気スポットだったはずのデパートだ。先行する地方都市での老舗百貨店の閉店に続き、いよいよデパートという業態自体の縮小と消滅が本格化してきたように思える。

かつてはデパートへ行くこと自体が楽しみの時代があった。東京・中野にいた幼いころ、休日の楽しみと言えば、親に連れられて新宿の伊勢丹へ行くことだった。当時は結構ビンボーだったので、いつも買い物をする訳ではなく、往復30円のバスに乗って屋上の無料遊園地で時間をつぶすのだが、それでも満足は頂点に達していた。いつか伊勢丹で買い物ができるようになりたい。そんな憧れと、実際にデパートで買い物をしたときの満足感。ひょっとしてそれ自体、まだデパートが売上げを伸ばしていた20年以上も前にすでに消えつつあった過去の“思い出”なのかも知れない。

昨今のデパート閉店報道や、実際に売り場へ行って見る閑古鳥シーン。ブランドやイメージが重要なファクターなはずのデパート商売にとって、こういう“負の姿”が公にさらされることで、さらに客離れに拍車がかかるのではないだろうか。

そう言えば柏・そごうでのネクタイ購入。デパートでの買い物がいつ以来のことなのか、思い出せなかった。

Posted at 14:29  | この記事のURL
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鉛筆を、使ってみれば。  [2010年01月23日(土) ]
最近、原稿用紙に手書きで文章を書く機会があり、ここは鉛筆の出番と思い立った。
エンピツ。そう言えば最後に使ったのがいつ頃なのかも思い出せないほど、長いこと手にしていない。会社ではもちろんのこと、家でもたまにシャープペンシルを使うことはあっても、昔ながらの鉛筆を使うシーンはまずないし、そもそも身の回りから消えてしまっている。

そこで、自宅近くの100円ショップへ行くと結構な品揃えに驚いた。1ダース入ったお買い得系のものや昔懐かしい「トンボ鉛筆」3本入り、赤や青の丸い色鉛筆のほか、関連商品では何種類もの鉛筆削りや消しゴム、チビたときに使う延長パイプ=補助軸、エクステンダーと呼ぶらしい=まで、100円で買える鉛筆関係グッズが山ほど売られていた。
トンボの「2B」鉛筆と、手回しハンドルのついた超ミニサイズの鉛筆削りを買って帰り、さっそく削った鉛筆を手に原稿用紙に向かった。30年以上は手にしていなかっただけに、鉛筆自体の触感と軽快さ、そしてなんとも懐かしいその香りに、鉛筆しか使っていなかった小さいころを思い出した。

これも変なハナシだが、あらかじめパソコンで用意した原稿を見ながら、清書気分で鉛筆で原稿用紙一マスずつ文字を埋めていく。そうすると、文章を推敲しようとする気持ちと、文字をきちんと書こうとする思いが重なり、普段パソコンのキーボードで作文するガサツモードと明らかにちがう“覚悟”が鉛筆を持つ構えに生まれるように感じた。
鉛筆はいわゆる「とめ・はね・はらい」といった文字表現ができることにくわえて、筆圧の加減で線の太さや濃淡をコントロールすることができるので、ボールペンやシャープペンシルでは表現しきれない独特の“表情づけ”が可能なこともあらためて認識した。

日本語の文字はひらがな、カタカナにくわえ“象形文字”系の漢字で成り立っているので、文字や文章を「かたち」で表現したり「絵柄」として楽しんだりする文化が古くからあるように思う。昨今、墨や毛筆の魅力が取り沙汰され、書道がちょっとしたブームになっているらしいが、日本古来の手書き文字を楽しむ文化に手軽に応えることのできる『エンピツ』は、もっと見直されていいのではないだろうか。

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ペンタックスとビートルズ。  [2010年01月17日(日) ]
カメラに興味をもって約40年。小学生3年生のときに『フジペット』を親に買い与えてもらって以来、いろんなカメラを使ってきたが、どういう訳だか“変革期”に登場するのがペンタックスだ。
写真を趣味としてキチンとやりたいと思った中学2年のときに入手したのが『アサヒペンタックスSP』。当時、小型1眼レフの人気機種で、ワタシはこのカメラを手に、学校をサボっては夜行列車に乗りSLの写真をあちこちに撮りに行った。その後高校へ進むと今度は大判カメラが欲しくなり、生意気にも『ペンタックス6×7』を手に入れ、大学時代までコレを使い倒した。

その後フィルムからデジタルへ移り、そろそろデジカメを試そうと思い買ったのがコンパクトデジカメ『ペンタックス・オプティオS4』。そしてつい最近、初のデジタル一眼が『ペンタックスK-x』。
とくに意識してペンタックスにこだわってきた訳ではないけれど、ワタシの写真趣味の節目でペンタックスを選んだのは、小型・軽量、高性能で扱いやすく安価なことがその理由だ。プロの酷使を想定した頑強をウリにするニコンやキャノンの製品と違い、フツーの人がフツーに使って良く撮れる小型カメラ、という“相応感”がペンタックスの身上のように思う。

そんなペンタックスの手頃さが、60年代のヨーロッパの音楽家にウケていた事実は面白い。ひとつはクラシック界の帝王カラヤン率いるベルリンフィルハーモニー管弦楽団が1966年に来日した際のこと。郷里ドイツへの手土産として、カラヤンと団員の全員が免税店で『ペンタックスSP』を買って行ったという話は有名だ。そしてもう一つがポピュラー界の“帝王”ザ・ビートルズのメンバーがペンタックス好きだったということ。
ポール・マッカートニーは“THE BEATLES ANTHOLOGY”の中の1964年2月のアメリカ訪問を回想するインタビューで“We took a lot of photos,We were like tourists with our Pentax cameras.”とハッキリ言っている。その年に公開され大ヒットした映画“A Hard Day's Night”では、リンゴが長いレリーズでセルフ・ポートレートを撮ろうとして「池ポチャ」の失敗をするカメラが、ペンタックスSVのブラックだ。
米国ペンタックス・イメージング社社長のNED BUNNELL氏のブログでは、ジョージがやはり外付け露出計の付いたペンタックスSVを扱っている写真が紹介されている。また、ペンタックスの巨大張りぼてを背景にビートルズが唄う映像も残されていて、彼らの余程のお気に入りアイテムだったのだろう。

カラヤンもビートルズのメンバーも、お金を節約しなければいけない人たちではないのに、高価なライカやニコンではなく、安価で手頃なペンタックスのファンだったこと。そんな逸話からだけでも、ペンタックスの価値を感じ取ることができる。

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日本最低の、分水嶺。  [2010年01月09日(土) ]
雨水を太平洋側と日本海側に分ける分水嶺。日本列島の端から端までを一本の線で結ぶ5000qにもおよぶ長大な稜線だ。ワタシは昔から、この分水嶺という言葉の響きが好きで、普段は簡単に到達することができないような深山を想像したりするのだが、兵庫の内陸に海抜100mにも達しない「日本一低い分水嶺」があるということを知り、正月休みに独りブラリ旅をした。

尼崎からJR福知山線に乗って2時間弱のところに目的地近くの石生(いそう)駅がある。かつてはSLが活躍していたこの線も電化されて久しいが、駅は今にもSL列車がゆっくりと入線して来そうなレトロな雰囲気。お目当ての分水エリアは駅から歩いて10分ほどの場所にあった。

分水嶺と言っても人の近づけないような山奥ではなく、幹線自動車道が通り、民家が軒を連ねる普通の街だ。なのでその呼び名も「嶺」ではなく、「分水界」と言うらしい。
この丹波の街中に1qほど伸びる日本一低所の分水嶺があり、それにほぼ沿うかたちで小川が流れているのだが、途中で左に分かれた水流は約70q南の瀬戸内海へ、右へ行く流れは約70q北の日本海へと降りて行く。
付近には分水嶺にちなんだ「水分れ(みわかれ)」という地名も付けられ、そばに日本最低所を記念した「水分れ公園」も造られている。

面白いのは、ちょうど分流ライン上に建つ料亭旅館「大和」。その屋根のそれぞれの斜面に降る雨が一方は加古川経由で太平洋へ、他方が由良川を経て日本海へと流れて行くとか。また、これはもちろん仮説だが、もしも日本の海面水位が100m上昇すると、この付近を境にして本州が二つの島に分断されることになるという、少しSFっぽいネタも提供してくれる。
低い標高で日本海側と瀬戸内を結ぶこの一帯は「氷上回廊」と呼ばれ、古くから動植物や文化が南北に行き交い、このエリア独特の歴史や生態系がつくられているんだそうだ。

分水エリア近くの山へ少し分け入ると、そこには美しい杉の森林が広がり、いたる所で湧き水が流れ出ている。日本のどこにでもありそうなひっそりとした風景だが、兵庫の内陸にある興味深い場所で、新年の鋭気を得ることができた一日だった。

Posted at 21:42  | この記事のURL
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