自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

ギャラリー夢のくら 7月の作品展 [2008年07月19日(土) ]
 久しぶりに友人夫妻がやっている「ギャラリー夢のくら」を訪ねた。館内は混んで賑わっていた。決して広くはないスペースに作品がぎっしり展示されている。此処を経営している気の良い友人夫妻の人柄か、いかにもアットホームな雰囲気が心地いい。
 今月展示されているのは「コットンハウス たんぽぽ 親子展」と名うっている。ご夫婦とお嬢さんで作品展をやっているのだ。パッチワークを中心とした布関係が奥さんとお嬢さんの作品、ご主人は陶芸作品を展示している。この焼き物、プロとはとても言い難いが、そこが又良い。値段は安く、中にはちょっと歪のものもあるが、それはそれで愛嬌というものである。値段の安さに惹かれて私もつい5000円の壺と500円の抹茶茶碗を買ってしまった。抹茶茶碗は厚く重く、しかもゆがんでいるが何となく気に入って買った。



Posted at 19:20 | 美術館 | この記事のURL
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土用入り 梅雨明け [2008年07月19日(土) ]
 今日は朝から30℃です。暑いな、と母に言ったら、北陸、甲信越、それに東北が一斉に梅雨明けだよ、と云う返事。どうりで暑いわけです。
 暑い夏が始まったかと思っていたら、TVで11時過ぎ、地震による津波注意報。福島沖で地震だという。幸い今のところ被害は大したこと無いらしいが、竜体の日本列島、何時何処で地震が起こってもおかしくありません。

 今日から土用の入り、漬けた梅を裏の畑に干しました。

裏の畑はナスが盛りです。
花が今は少ない時期です。
ひまわりがいつの間にか実に堂々と咲いています。



Posted at 13:58 | 季節の巡り | この記事のURL
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教育も [2008年07月18日(金) ]
 大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件の報道が連日なされ、次々と真相が明らかになってきているが、この採用のやり方が代々続いていたことを示していて、暗澹たる気持ちにさせられる。
 本来なら試験に落ちて教師になれる筈のない人が職を得て教師としてやっている。
 この事件の結末がどのように処理されるのか? 過去に遡れば一体どのくらいの数の人達が不正な手段で教師の職を得たかが明らかになるだろう。
 問題は、今現在教師をしているその人達をどう処分するかである。見物である。

 この度は、大分県でこの様な汚職事件が明るみに出たが、当然ながら他の県では何もないのか? 潔白か? と多くの国民は思うだろう。大分県の場合と似たり寄ったりではないかと危惧される。

 戦後の日本、ついに、教育までもが地に堕ちた。日本は、やはりもう一度、御破算で願いましては、からやりなおすしか手はないように思う。新しい酒と新しい皮袋の必要な時代が来ているのだ。そうでなければ蘇ることは出来ない。

Posted at 20:35 | 時の流れ | この記事のURL
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風流江戸雀 [2008年07月17日(木) ]
 江戸に魅せられた人間は江戸からも又魅せられるのでしょうか。杉浦日向子さんの『風流江戸雀』(潮出版)を寝床の中でこの一週間ばかり読んでいます。決まって最後は最終頁近くにある「みんな見放すに藪医(やぶ)の頼もしさ」の項で大笑い。そして次の「なつかしく ゆかしく そして金と書き」で男の誰もがもっている自惚れ心に苦笑いし、最後の「湯殿帰りの死んでみたがる」「むかしの女 女ではなし」で男の思いの結末を知る。ここまで読んで消灯し、眠りの世界へ入っていく。眠る前の一時を楽しんでいます。この本は私の心をとても懐かしい場所に連れて行ってくれます。

 川柳はきわめて俗なるものではあるけれど、俗きわまれば雅にいたるでしょうか、何でもない日常の瑣事を詠んで人生の核心を衝いています。この本にえらび採られている古川柳は、「柳多留」の中でもことさらの佳句で、古川柳の代表作だと言われているものです。江戸の情緒ある風俗とともに、生き生きと描かれた庶民の暮らしぶりは、江戸人であった杉浦日向子さん故に描くことの出来た世界でしょう。なんとも稀有の人であったと改めて思います。

 この本、1988年文春漫画賞を受賞しています。

Posted at 07:20 | 意識について | この記事のURL
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肉食 [2008年07月16日(水) ]
 今は全く肉を食べない私ですが、若い頃はもりもり食べていた時期もあります。それが食べなくなったのは、玄米を食べ始めてからです。玄米を食べていると、匂いに敏感になり、肉は臭くてとても食べられないのです。
 10数年前に友人が堵殺場を訪問したことがあり、その話を聞き、さもありなんと云う気がしてからは全く食べなくなりました。

 今まで生き物だった豚や牛や馬が肉へと変わっていく。家畜の鳴き声と、血と脂と糞尿のにおいが家畜の体温に温まった堵殺場には充満しています。友人は息が出来ないほどだったと言います。見ていると、ゴミとして捨てられていく部位の多かったことが印象的で、殆どが捨てられている、そんな感じがしたそうです。病気に冒された部分なども切り取られて捨てられているのかも知れません。堵殺場を出た後、獣じみた臭気が喉の奥にこびりついているのをおぼえたそうです。
 その数週間後、知人と二人で肉を食べに食事に行ったのですが、その時驚いたことがありました。知人は肉を口まで入れるのですが、呑みこむことが遂に出来ませんでした。肉の味が堵殺場を出た後、喉に残っていた匂いと全く同じだというのです。
 つまり、彼が感じた肉の味というのは、家畜の血と糞尿と脂の匂いそのものだったのです。 当然のことですが、匂いは家畜に与えられる餌が直接肉に影響しています。家畜に与えられる抗生物質やホルモン剤の実態は詳しくは知りませんが、私たちは知らず知らずのうちに家畜に蓄積された抗生物質やホルモン剤を肉を食べることで我が身に入れています。

 牛乳を毎日大量に小学生の男の子に飲ませていたら、その男の子の乳が女の子のようにふっくらと立派なおっぱいのように出てきて、驚いた母親が病院に連れて行ったら何と牛乳に含まれている女性ホルモンの影響だったという笑えない話もあります。乳牛には乳の出をよくする為に女性ホルモンを大量に与えると聞いたことがあります。怖い話です。

 家畜も人も食の影響、生活環境の影響をダイレクトに受けていると思わないわけにはいきません。

Posted at 07:49 | 時の流れ | この記事のURL
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不耕起 無農薬 無肥料 [2008年07月13日(日) ]
 もう10年ほど経ちますが、以前友人3家族と一緒に13eの田んぼを借りて不耕起、自然農で米作りをした事があります。。散々の出来で田んぼ一面雑草が高く生い茂り、雑草の中に辛うじて稲穂が見えるという何とも悲惨な結果に終わってからもう不耕起は止めにしましたが、この数年、家の畑をやっていて、またぞろ不耕起への挑戦欲が芽生えてきました。もともと不精な性格だから、草取りも耕耘もしないですむ不耕起への憧れは以前からありました。
 昨年、父がこの世を去り、信濃川の10eほどの畑が私の手に委ねられましたが、草取りをしなかった為、荒れに荒れて畑とは思えない姿になってしまいました。流石に隣の畑に申し訳なくて、隣の畑との境目だけは草刈り機で何度か刈りましたが、畑は人が手を入れないと忽ち自然に帰るのだと改めて実感しました。
 自然農法に関しては最初、『わら一本の革命』(福岡正信著)を読んで関心を持ちました。その後、『自然農への道』(川口由一編)を読み、川口さんのところまで教えを請いに行った事があります。
 琉球大学比嘉教授のEM農法に関心を持ち、EMを使い始めた頃、世界救世教の岡田茂吉氏を知りましたが、岡田氏の農法の本はまだ読んだことはありません。
 里山を歩いていて驚くのは、肥料も農薬もない、自然のままの大地に草や木が勢いよく生い茂り、豊かな自然の姿を私たちに見せてくれている事です。すっくと伸びた大木が太陽と水と土だけで見事に成長しています。自然農の原点は此処にあるのでしょう。
 F1でなく在来種、固定種でやってみようと思って、今朝、早速、播くところだけ草を削り取り、本紅金時人参を播きました。どういうことになるか楽しみです。写真を載せると皆さんきっとびっくりなさると思いますので、遠慮しておきます。

Posted at 10:23 | 野菜作り | この記事のURL
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納豆の怪 [2008年07月12日(土) ]
 我が家は朝食には納豆がでます。一年365日、朝食には納豆と云っても過言でなく、納豆のでない日はありません。そんな納豆大好き人間にとって先日の「日刊ゲンダイ」の記事にはびっくりさせられました。

 原料代、それに容器のパッケージ代の値上がりで納豆は値段据え置きのまま豆の数が1粒単位で減り続けているのだそうです。しかし、あまり減らしては見た目が貧相になるから10粒以上はさすがに減らせない。
 全国で製造される納豆の90lが輸入大豆を原料としています。スーパーに行くと国産大豆100l使用が目につきますが、国産大豆がそんなに出回るわけもないことから偽装表示の疑いが極めて濃厚だと日刊ゲンダイに載っています。
 また、納豆には「遺伝子組み換え大豆を使用しておりません」と云う表示が殆どです。しかし米国で作付けされる大豆の90l近くが遺伝子組み換えで、日本向けの80lがそれと同じものだという業界内部の声もあるそうですから、これも極めて不自然です。納豆に限らず大豆の殆どを輸入に頼らざるを得ない我が国にとって豆腐、醤油、味噌に使われる大豆が安全かどうか、とても不安です。
 遺伝子組み換えの人体への影響は50年後と云うことだそうですから、なおのこと今生きてゐる私たちの責任は重いと言わざるをえません。50年後に責任を取ることは出来ないのですから。政治や行政のしっかりした対応が望まれます。

Posted at 12:51 | 食品業界の裏側 | この記事のURL
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合歓の花とお墓 [2008年07月08日(火) ]
 私は日々相棒の車と一緒にあっちこっちと飛びまわっているが、今日はやけに合歓の花が目についた。昨日はじめて今年の合歓の花を見たと思ったら今日は行くところ行くところ何処でも合歓の花が咲いていた。合歓の花は万葉集にも詠われているくらいだから日本に昔からあった木かも知れない。合歓という漢字が又良い。いかにも男女の仲のむつまじさを思わせられる。
 自然の光景はそう毎日変わるものではないが、その日によって目に映る対象が異なる。今日、私の目に飛び込んできたのは合歓の花と、何故かお墓だった。普段お墓など目にすることはないのだが、今日はお墓が何処に行っても目に飛び込んできた。こんな時、自分の心の中を覗いてみたくなる。自分では全く意識をしていないが、無意識のうちにお墓を探し求めているからお墓が目につくのだと思う。
 何故今私にとってお墓なのだろう。いくら考えても何も心当たりがない。お墓は死者のお骨が納められているところ、お詣りをするところ、家族・家系、歴史等々さまざま思い浮かべてみたが、何故お墓が私の目の前に現れるのか納得のいく答えは見つけることが出来ない。
 この様に人は自分の心の深いところで要求されている対象に目を向けることが解る。人間は常に見たいものだけを見ているというと云うことが正しければ、私の潜在意識は墓を見なければならない必要性があったのだということになる。今日墓が目についたわけが2〜3日後に突然分かるかもしれない。
 此処まで考えて、はたと気付いたのだが、合歓の木は男女のセックス→子の誕生を象徴し、墓は→死を象徴しているとするなら、私の潜在意識は人間の生と死について何か考えを巡らせているのかもしれない。そして、そのことについて考えよと表の私に示唆しているのかもしれない。
 

Posted at 21:20 | 自然 | この記事のURL
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木っ怪なる木 [2008年07月05日(土) ]
 この数日、「智恵子抄」で知られる二本松の岳温泉に泊まっていました。いつもの宿、もう20年ほど泊まっているので、気持ちは我が家の別宅のようなものです。この宿に泊まるとこの季節、大抵朝は早くから鳥の啼き声で目が覚めます。五月蠅くてとても眠っていられません。鳥さんたちの一日は早い。4時半というにもう啼いています。
 こちらも起き出して、温泉に飛び込み、さっぱりしたところで朝の散策がいつも。岳ダムから鏡が池あたりを散策するのですが、この時期は梅雨、空はどんより雲垂れこめていて今にも降ってきそうな空模様です。
 宿から鏡が池までの道の両脇には桜の古木が並んでおり、桜の季節は見事な花のトンネルとなるのですが、今の季節、青々とした葉のトンネルとなっています。道の中ほどでとても立派なアカマツさんに出会いました。「アカマツさんおはよう」と声をかけたのですが、このアカマツ、私の頭より少し上のあたりの幹がとても面白い造形美? となっています。写真を御覧下さい。
 多分、まだ幹が細かった頃に枝を切られたのでしょう。その後、幹が太く、大きくなり、残された枝毎抱え込んだ格好です。そこから、写真では左に伸びている枝も真ん中が裂けているでしょう。どうしてこの様な姿になったのか? 不思議です。

 この道を下りきったところに、大きな枝の折れた桜の古木がありました。この折れた枝は殆ど朽ちているのですが、何とそこから松が数本、育っているのです。写真で分かりますでしょうか。

 駐車場に停めた私の車の脇に真っ直ぐ、立っている面白い花を見つけました。自然の花ではなく園芸種でしょうが黄色い花が上部に未だ少しついています。何という花か分かりません。どなたか教えていただけませんでしょうか。

Posted at 07:58 | 自然 | この記事のURL
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初夏のブナの森 [2008年07月01日(火) ]
 不思議なことだが、ブナの森を歩くとすっきりとします。空気は澄み切っているし、3Dの世界かといつも思わせられます。心まですっきりするのは何とも不思議です。ブナの森は大好きで年に何度かは必ずブナに会いに行きます。一度白神山地のブナの森を歩きまわったことがありますが、広大なブナの森に魅了されました。
 新潟にもブナの森は方々にあり、行こうと思ったらいつでも行けます。春の芽吹きの森も素晴らしいですが、初夏の緑に染まったブナの森も又素晴らしいものです。ブナの緑に染まって歩いていると、心が軽くなるのです。

 日本海側は冬には豪雪に見舞わます。その為ブナは直立して立ち上がっている姿が多いです。白く美しい樹肌をしたブナが林立しているブナ林は、森の中まで見通せて、すっきりした美しい空間になっています。


ブナの森で見つけた小さな白い花


森の入り口で見つけたコシジシモツケソウ

Posted at 21:35 | 自然 | この記事のURL
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