先週、出張中の山形の宿で夕食後、何気なくテレビをつけた。この十数年、テレビは朝食時にニュースを見るだけで、余程のことがなければ夜にテレビを見るなどということはないのだが、旅の宿である、何となくスイッチを入れた。時代劇だった。若い俳優が主人公、浪人ものだ。何気なく見ている内につい引き込まれてしまった。最後にこの番組の原作が佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』だと分かった。私の知らない作家だ。その翌日、仕事の途中で書店で佐伯泰英の文庫『居眠り磐音 江戸双紙』を5卷買った。仕事を早めに切り上げ、宿に帰って読み始めたら面白くてやめられない。殆ど徹夜をしてしまった。日頃時代小説を愛読しているというのではないので、私は時代小説というとついこの前までは、御三家、即ち池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎と思っていた。勿論今でもこの三氏の本は売れているのだろうが、新しい書き手が登場していることに気付かされた。最近では江戸小説という言葉もあるらしい。江戸時代の、もしくは江戸を舞台にした小説を総称して江戸小説と呼ぶのだという。剣豪ものであれ、股旅ものであれ、市井人物ものであれ、何でも良いのだ。
昔、まだ高校一年の頃、私は高校の若い先生方3人と二年生の先輩2人とでやっていた明治期の文学作品を読む会に参加していた。月に2回、夜、7時頃から深夜まで、大学を卒業して先生になったばかりの若い先生の下宿先に集まり、二葉亭四迷や、坪内逍遙、尾崎紅葉などの明治期の文学作品を読んでいた。3人の先生方はそれぞれ出身大学は別だったけれど、専攻が日本文学や近代文学等だったのでそのような会を立ち上げたのだろう。何故そんな会に私が誘われたのか今では忘れてしまったが、私はそこでお酒の味も煙草の味も教えられた。懐かしい想い出である。
しかしその会とは別に、私はこっそり吉川英治に夢中になっていたし、山手樹一郎の時代小説やサラリーマンものの小説を書いていた源氏鶏太 を愛読してもいた。高校の中間テスト、学期末のテストの前になるとそれこそ夢中で山手樹一郎や源氏鶏太の小説を読みふけったものだ。その小説世界が何故か明るくて私は好きだった。文学的にどうだとか、小説としてどいうだとかいうのではなく、安直にただ読める読み物だった。何十冊も読んだことを思い出す。あの時代の大衆の意識が志向する一面が反映されていたのかもしれない。たしかにそのような時代だった。
今の新たな時代小説ブームは、また新たな市民の今日的意識を反映しているのだろう。
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at 07:25
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お越し下さり有難う御座います。
人文社をはじめ、色んな出版社から
古地図や地名と地図の解説書が出版されていますね。
時代小説はいろいろな楽しみ方ができて面白いですね。