人は環境に左右されるものなのだろうか?
新潟平野では「杉と男の子は育たない」と言う言葉がある。屋久島の様に岩に根がからみついて杉の大木が茂っているのと異なり、新潟平野は標高1b、降った雨水が大地に染みこみ、停滞していてそのまま流れない。流れる水こそ根に栄養分を、酸素を補給するのだろう。屋久島の杉の見事なのにくらべると新潟平野の杉は如何にも貧弱に見える。
新潟平野は米所である。日本海の幸にも、また山の幸にも恵まれている。冬の雪の苦労はあるが、概ね食には恵まれた自然環境にあるといっても良いだろう。食うに困らない環境である。この様な環境ではまともな男は出にくいのかも知れない。
厳寒の荒野のような環境で生活するのと温暖な気候で穀物の良くとれる環境で生活するのとどちらが良いかと言えば、すぐに誰もが気候温暖で穀物のよくとれる環境が良いと思うだろうが、人が人として育つには自然環境の厳しい、生きていくのに困難をともなう、厳寒の荒野の方が望ましいのかも知れない。
島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』を読むと、貧乏である厳しい環境が、人間を育ててくれていることがよく分かる。
「今のうちに貧乏しておけ! 金持ちになったら、旅行に行ったり、寿司食ったり、着物を仕立てたり、忙しか」
「人に気付かれないのが本当の優しさ、本当の親切」
「『暑い』『寒い』と、うるさく言うな。夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい」
「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。自信を持ちなさい、うちは先祖代々の貧乏だから」
味わいのある言葉である
新潟平野では「杉と男の子は育たない」と言う言葉がある。屋久島の様に岩に根がからみついて杉の大木が茂っているのと異なり、新潟平野は標高1b、降った雨水が大地に染みこみ、停滞していてそのまま流れない。流れる水こそ根に栄養分を、酸素を補給するのだろう。屋久島の杉の見事なのにくらべると新潟平野の杉は如何にも貧弱に見える。
新潟平野は米所である。日本海の幸にも、また山の幸にも恵まれている。冬の雪の苦労はあるが、概ね食には恵まれた自然環境にあるといっても良いだろう。食うに困らない環境である。この様な環境ではまともな男は出にくいのかも知れない。
厳寒の荒野のような環境で生活するのと温暖な気候で穀物の良くとれる環境で生活するのとどちらが良いかと言えば、すぐに誰もが気候温暖で穀物のよくとれる環境が良いと思うだろうが、人が人として育つには自然環境の厳しい、生きていくのに困難をともなう、厳寒の荒野の方が望ましいのかも知れない。
島田洋七氏の『佐賀のがばいばあちゃん』を読むと、貧乏である厳しい環境が、人間を育ててくれていることがよく分かる。
「今のうちに貧乏しておけ! 金持ちになったら、旅行に行ったり、寿司食ったり、着物を仕立てたり、忙しか」
「人に気付かれないのが本当の優しさ、本当の親切」
「『暑い』『寒い』と、うるさく言うな。夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい」
「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。自信を持ちなさい、うちは先祖代々の貧乏だから」
味わいのある言葉である
Posted
at 21:39
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コメント(4)
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(私もその中の一人ですけどね
)
いつも有難う御座います。
「佐賀のがばいばあちゃん」を読むと人間が育つためには何が必要か、その一端が見えてくる様にも思います。「艱難、汝をたまとなす」等とも言いますが、洋七氏の魂が学びのために敢えてあのような環境を選んだのかも知れません。しかもグループで学び合っている。おばあちゃんを中心にその子供達、洋七氏など孫たち、同級生、学校の先生、近所の方々、皆一緒に育っている、そのように思います。