自分は誰に、又何に感謝出来るかと考えていくと面白いことが分かります。親に、妻に、子に、兄弟に、教師に、会社の社長に、また同僚に、親友に、恋人に・・・と人間について感謝の対象がなくなってきたら、次ぎに日常世話になっているもの、つまり、机、鞄、車、洋服、靴、バス、電車等々そして、茶碗、箸、食べ物や珈琲やお酒、お茶などの嗜好品に感謝するといった風に次々に感謝出来る人や物を探していきます。
どんどん、どんどん感謝出来る対象について考えていくと、終いに大地、空気、水、火、風、そして地球や太陽、また月や星にまで感謝の対象が広がっていくかもしれません。
ところで、苦手な人や自分を攻撃する人に感謝出来るでしょうか。自分を窮地に陥れ、苦しめる人に対して感謝出来るでしょうか。社会的に悪人とされる犯罪者はどうでしょう。強盗殺人事件の犯人に感謝出来るでしょうか。もっと言えば自分の妻や子を殺した犯罪者に感謝出来るでしょうか。
ここまで極端ではなくとも、例えば会議などで自分が意見を述べる。その自分の意見を悪し様に言い、真っ向から反対意見が出てくる。しかも、その反対意見を声高に言う人が日頃からそりの合わない同僚だったりすると、内心むかっとするのは誰しも同じだと思います。そんな同僚に対して感謝出来る? と誰しも思うことと思います。
ここで改めて感謝って何だろうと考えざるをえません。感謝とは自分にとって価値あるものが与えられた時に発生する感情を伴った心の作用だとすると、当然の事ながらそりの合わない同僚と、その発言に対して感謝など出来ないと言うことになります。
しかし、もしそのような現実を自分が望んで招いているのだとしたらどうでしょう。誰が自分を窮地に追い込むような現実をつくるものか、と思うかも知れませんが、実はその現実を作っているのが同僚ではなく、自分自身だったとすると事はちょっとややこしくなります。
どんどん、どんどん感謝出来る対象について考えていくと、終いに大地、空気、水、火、風、そして地球や太陽、また月や星にまで感謝の対象が広がっていくかもしれません。
ところで、苦手な人や自分を攻撃する人に感謝出来るでしょうか。自分を窮地に陥れ、苦しめる人に対して感謝出来るでしょうか。社会的に悪人とされる犯罪者はどうでしょう。強盗殺人事件の犯人に感謝出来るでしょうか。もっと言えば自分の妻や子を殺した犯罪者に感謝出来るでしょうか。
ここまで極端ではなくとも、例えば会議などで自分が意見を述べる。その自分の意見を悪し様に言い、真っ向から反対意見が出てくる。しかも、その反対意見を声高に言う人が日頃からそりの合わない同僚だったりすると、内心むかっとするのは誰しも同じだと思います。そんな同僚に対して感謝出来る? と誰しも思うことと思います。
ここで改めて感謝って何だろうと考えざるをえません。感謝とは自分にとって価値あるものが与えられた時に発生する感情を伴った心の作用だとすると、当然の事ながらそりの合わない同僚と、その発言に対して感謝など出来ないと言うことになります。
しかし、もしそのような現実を自分が望んで招いているのだとしたらどうでしょう。誰が自分を窮地に追い込むような現実をつくるものか、と思うかも知れませんが、実はその現実を作っているのが同僚ではなく、自分自身だったとすると事はちょっとややこしくなります。
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at 07:28
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いつも有難う御座います。
他人を見る様に自分を見よ、
と言う言葉がありますが、
人はなかなか自分を客観的に見ることが出来ない。
だからこそ問題事が発生して
否応なく自分を見ることになるのかも知れません。
自分の非や至らなさを認識した時、
人は相手や問題事に心から感謝出来るのかも知れませんね。