そこに最初に祖母に連れてゆかれたのは、私が小学校の1年生の頃ではなかっただろうか。新潟県の五頭漣峰の麓の村、その村はずれから、さらに歩いて二〇分ほど山に入った処に、粗末な一軒の家があった。私が連れてゆかれたのはその家であった。
我が家の先祖が明治の中頃に建てた庵である。その庵のそばに小山があり、大きな磐が入り組んで重なっていて、村人からは魚磐と云われていた。磐からは魚の化石がいくらでも採れるからである。磐はもろく、手でも剥がすことが出来た。その剥がした部分に魚の化石があるのだった。その小山の脇に渓流が流れている。
小さい頃の私は、毎年のように夏になると祖母に連れられてその家に一泊するのであった。祖母と私は五頭山の麓にある村杉温泉に四〜五泊湯治してのち最後の一夜をその家で過ごすのが常だった。、
越後国は親鸞伝説の国でもある。越後の七不思議は親鸞伝説である。だが、七不思議に数えられない伝説もある。この魚磐は七不思議には入っていないが、地元の人達によって親鸞伝説の一つになっている。親鸞に村人が焼いて出した魚を、「おお、可哀想に」と目の前の小川に親鸞が放ったら魚は泳いでいった、という焼魚伝説である。
我が家の先祖は此の地に庵を結んで、親鸞の威徳をしのんで、晩年を過ごしていたらしい。
実際に此の地に親鸞が来たかどうかは知らないが、越後の国には門徒が多い。我が家もそうであるが、葬儀に行くと大抵浄土真宗である。越後の国に流されてきた親鸞の活動が如何に凄かったかを物語っているのかも知れない。もっとも親鸞一人が来たわけではないだろうから、親鸞と一緒にやってきたお弟子さん達の活躍が凄かったのかも知れない。
その家に行って驚いたのがランプの生活だったことだ。今でも記憶の底から浮かんでくるが、まるで別世界だった。ランプのほの暗い灯りの中でとる夕食は不思議な感じがした。夜が厳然とあり、昼が厳然とある。自然の巡りの中で人間は生きていると言うことがハッキリと体で判る。自然に合わせた生活というか、自然の呼吸に合わせなければ生きていけない生活でもあった。自然に包まれていると否応なく実感せざるを得ない生活である。
その家には、家の中に小川が流れていたこともびっくりしたことだった。家の土間の流しの処に幅1bほどの小川が流れていた。冷たい清冽な山清水が勢いよく流れていて、水の流れる音が家の中に響き渡っている。
飲み水も調理の水も風呂水も、全てその水でまかなっていた。土間には薪が山のように積まれてあり、板敷きにむしろの茶の間の囲炉裏は大きく、夏でも火が絶えることはなかった。雪の多い冬に行ったことはないので判らないが、さぞや大変な生活であったろうと想像するに難くない。
その家は私が大学生になって東京に出た頃になくなっている。今はもう私の記憶の中にしかない家である。
我が家の先祖が明治の中頃に建てた庵である。その庵のそばに小山があり、大きな磐が入り組んで重なっていて、村人からは魚磐と云われていた。磐からは魚の化石がいくらでも採れるからである。磐はもろく、手でも剥がすことが出来た。その剥がした部分に魚の化石があるのだった。その小山の脇に渓流が流れている。
小さい頃の私は、毎年のように夏になると祖母に連れられてその家に一泊するのであった。祖母と私は五頭山の麓にある村杉温泉に四〜五泊湯治してのち最後の一夜をその家で過ごすのが常だった。、
越後国は親鸞伝説の国でもある。越後の七不思議は親鸞伝説である。だが、七不思議に数えられない伝説もある。この魚磐は七不思議には入っていないが、地元の人達によって親鸞伝説の一つになっている。親鸞に村人が焼いて出した魚を、「おお、可哀想に」と目の前の小川に親鸞が放ったら魚は泳いでいった、という焼魚伝説である。
我が家の先祖は此の地に庵を結んで、親鸞の威徳をしのんで、晩年を過ごしていたらしい。
実際に此の地に親鸞が来たかどうかは知らないが、越後の国には門徒が多い。我が家もそうであるが、葬儀に行くと大抵浄土真宗である。越後の国に流されてきた親鸞の活動が如何に凄かったかを物語っているのかも知れない。もっとも親鸞一人が来たわけではないだろうから、親鸞と一緒にやってきたお弟子さん達の活躍が凄かったのかも知れない。
その家に行って驚いたのがランプの生活だったことだ。今でも記憶の底から浮かんでくるが、まるで別世界だった。ランプのほの暗い灯りの中でとる夕食は不思議な感じがした。夜が厳然とあり、昼が厳然とある。自然の巡りの中で人間は生きていると言うことがハッキリと体で判る。自然に合わせた生活というか、自然の呼吸に合わせなければ生きていけない生活でもあった。自然に包まれていると否応なく実感せざるを得ない生活である。
その家には、家の中に小川が流れていたこともびっくりしたことだった。家の土間の流しの処に幅1bほどの小川が流れていた。冷たい清冽な山清水が勢いよく流れていて、水の流れる音が家の中に響き渡っている。
飲み水も調理の水も風呂水も、全てその水でまかなっていた。土間には薪が山のように積まれてあり、板敷きにむしろの茶の間の囲炉裏は大きく、夏でも火が絶えることはなかった。雪の多い冬に行ったことはないので判らないが、さぞや大変な生活であったろうと想像するに難くない。
その家は私が大学生になって東京に出た頃になくなっている。今はもう私の記憶の中にしかない家である。
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at 09:08
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お越しいただき有難う御座います。
そうですか、塩沢のご出身ですか。
此方こそ宜しくお願い致します。
塩沢も街の様子がすっかり変わりましたよ。
時々は新潟の便りも載せますので、
お暇な折りにはどうか覗いて下さい。