自然、温泉、めぐる季節と一つになりたい。

虫や鳥、草や木の声を聞き取りたい土筆です

ランプの生活・エコ生活 [2008年06月06日(金) ]
そこに最初に祖母に連れてゆかれたのは、私が小学校の1年生の頃ではなかっただろうか。新潟県の五頭漣峰の麓の村、その村はずれから、さらに歩いて二〇分ほど山に入った処に、粗末な一軒の家があった。私が連れてゆかれたのはその家であった。
我が家の先祖が明治の中頃に建てた庵である。その庵のそばに小山があり、大きな磐が入り組んで重なっていて、村人からは魚磐と云われていた。磐からは魚の化石がいくらでも採れるからである。磐はもろく、手でも剥がすことが出来た。その剥がした部分に魚の化石があるのだった。その小山の脇に渓流が流れている。
小さい頃の私は、毎年のように夏になると祖母に連れられてその家に一泊するのであった。祖母と私は五頭山の麓にある村杉温泉に四〜五泊湯治してのち最後の一夜をその家で過ごすのが常だった。、

越後国は親鸞伝説の国でもある。越後の七不思議は親鸞伝説である。だが、七不思議に数えられない伝説もある。この魚磐は七不思議には入っていないが、地元の人達によって親鸞伝説の一つになっている。親鸞に村人が焼いて出した魚を、「おお、可哀想に」と目の前の小川に親鸞が放ったら魚は泳いでいった、という焼魚伝説である。
我が家の先祖は此の地に庵を結んで、親鸞の威徳をしのんで、晩年を過ごしていたらしい。
実際に此の地に親鸞が来たかどうかは知らないが、越後の国には門徒が多い。我が家もそうであるが、葬儀に行くと大抵浄土真宗である。越後の国に流されてきた親鸞の活動が如何に凄かったかを物語っているのかも知れない。もっとも親鸞一人が来たわけではないだろうから、親鸞と一緒にやってきたお弟子さん達の活躍が凄かったのかも知れない。

その家に行って驚いたのがランプの生活だったことだ。今でも記憶の底から浮かんでくるが、まるで別世界だった。ランプのほの暗い灯りの中でとる夕食は不思議な感じがした。夜が厳然とあり、昼が厳然とある。自然の巡りの中で人間は生きていると言うことがハッキリと体で判る。自然に合わせた生活というか、自然の呼吸に合わせなければ生きていけない生活でもあった。自然に包まれていると否応なく実感せざるを得ない生活である。

その家には、家の中に小川が流れていたこともびっくりしたことだった。家の土間の流しの処に幅1bほどの小川が流れていた。冷たい清冽な山清水が勢いよく流れていて、水の流れる音が家の中に響き渡っている。
飲み水も調理の水も風呂水も、全てその水でまかなっていた。土間には薪が山のように積まれてあり、板敷きにむしろの茶の間の囲炉裏は大きく、夏でも火が絶えることはなかった。雪の多い冬に行ったことはないので判らないが、さぞや大変な生活であったろうと想像するに難くない。

その家は私が大学生になって東京に出た頃になくなっている。今はもう私の記憶の中にしかない家である。

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豚が行く [2008年02月09日(土) ]
気が付いたら豚がいた。目の前の車に豚が身動きできないほどつみこまれて、乗っていた。お互いの身体に乗りかかって、漸く車に乗っている。雪降る中を、豚舎から積まれた豚は、出荷されたのだ。着いた先で、待っているのは死のみ。
豚の肉を、私はもう何年も食べた事がない。豚に限らず、鶏も牛も、羊も、およそ動物の肉という肉を食べなくなってからもう5〜6年にはなるだろう。
車に乗せられた豚は知っている、自分の死を。
その哀しみが、豚の身体の全ての細胞に刻まれる。人はその肉を食べるのだ。その肉には哀しみと恐怖と絶望の波動が満ちみちている。
人は栄養がある、美味しいと言って豚を食べる。豚を食べて豚の哀しみが身体の中に蓄積されていく事を知らない。
豚を食べて豚になるのだな、ふと、そんな気がした。




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しめ縄づくり [2007年12月27日(木) ]
 私の住んでいるところは70戸からなっている。近年ムラの田んぼをつぶしてすぐ近くまで新しい住宅地が迫ってきているが、新しく造成された方は新しい地名が付けられたので、昔から住んでいる私たちとは異なる。江戸、明治、大正、昭和、平成と70戸の家は存続してきた。

 自治会は従って70戸からなるが、今でこそ自治会などといっているが10年位前までは「部落」といっていた。年に2度各家から集める自治会費も当然、部落費といっていた。この辺りは関西あたりと違って被差別部落など殆ど聞いたことがないので、同和問題とは無縁である。江戸の昔から「うちの部落は・・・」という言い方が当たり前であった。

 今年、我が家は隣組の組親にあたった。この一年間、何かにつけて配りもの等で忙しかった。私が出張で家を空けることも多いので、その場合は妻が回覧板をまわした。

 この23日の日曜日に隣組の組親とムラの役員が全員お宮様に集まり、しめ縄づくりをした。今年のムラの役員と組親の最後の仕事である。ムラの鎮守様は八幡様である。鳥居に一年間つけていたしめ縄をとりはずし、新しい年用のしめ縄をつくって架けるのである。

 朝8時、集まったのは全部で20人ほど、挨拶を交わし、お茶を飲み、最後に今年の自治会長の挨拶と共にしめ縄つくりは始まる。うちの隣組は5軒であるから5年に一度は組親になって、しめ縄つくりに参加しているのだが、最初は全く手順を忘れていることに気付く。

 先ず、全員でワラをすぐることから始まり、3〜4人ひと組になりしめ縄をつくっていく。3組がそれぞれしめ縄をつくって最後に3本のしめ縄をよりあわせ、それを雨水で腐らない様にビニールで包み、鳥居に取り付けるのである。作業が始まったのが朝の8時半、作業が全て終わったのは12時半である。昔は縄を全て手でなっていたのでしめ縄つくりは二日がかりだったという。今は太さ2分の縄はホームセンターから買ってくるので縄を手でなう必要はない。それでも朝の8時半から20人で4時間はたっぷりかかるのであるからやはり大変な作業ではある。

 終わった後は会場を公会堂に移し、自治会の役員と組親のこの一年間の慰労を兼ねた飲み会となる。

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